羽生結弦
「第1戦の『スケートアメリカ』には、宇野昌磨選手やアメリカのネイサン・チェン選手が出場しました。今シーズンは来年の2月に北京五輪が開催されます。冬季五輪が控えている『グランプリシリーズ』は、普段とは違った緊張感を持って挑む選手も多いでしょう」(スポーツ紙記者)
「開幕を前に、参加選手が抱負を発表しました。羽生選手の抱負は“できること、一つずつ”。夢の4回転半成功に向けて、今できることを丁寧に積み重ねていく、という意味が込められています。さらに、4回転半について“今、全神経と全気力を使っている感じです”とも話しています」(同・スポーツ紙記者)
中学時代から輝いていたゆづ
「中学時代から羽生くんは“別世界の人”でしたね。言葉遣いやお辞儀がとても丁寧で、立派な生徒でした。大会に出場するためお休みも多かったのですが、友人関係も築けていて、生活態度がだらしないということもない。今在校中の生徒たちも、目標にしていると思いますよ」(七北田中学職員、以下同)
「中学時代に獲得したトロフィーや賞状、オリンピックで金メダルを獲得したときのお祝いの垂れ幕や、'14年にメダルを獲得した後の講演会でいただいたサインや写真などを展示しています。
「1年生のときに“中学校の全国大会を3連覇します”と、公言していたんです。当時、それにとても驚いてしまって……。それでも見事に達成したので、さらに驚きました」
「職員室でオリンピックの話になると、羽生くんの名前が出ます。“オリンピック3連覇を”なんて話になることもありますが、簡単なことではないですからね。でも、彼には頑張ってほしいです」
4回転半に挑む理由は地元のため
「羽生選手が夢への思いを持ち続けているのは、自身だけでなく“地元のため”でもあるんです。実は今、宮城県では、スケート競技の存続が危機的状況に瀕しているんですよ」(フィギュアスケート関係者)
「スケート連盟には“次の羽生くんを育ててください”と、一般の方からも毎年寄付をいただいています。でも、せっかく寄付をいただいても“場所”がないんです。
「仙台の郊外にある『ベルサンピアみやぎ泉』というスポーツ競技場の複合施設にあるスケートリンクのみです。でも、そこも冬季限定ですし、この先どうなるか……。
「宮城県の担当者に“なんとかスケートリンクをつくってもらえないか”という陳情をしているのですが、震災やコロナの影響で、県にはお金がないようで。この25年間、お願いし続けているのですが……。
羽生くんは一生懸命、結果を出して、寄付もしてくれています。でも、スケートリンクがないので、なかなか後進が育たず、選手の人数も少ないのです。だから、羽生くんが“宮城県にリンクをつくってください”とハッキリ言ってくれないかなぁ、なんて思うこともあります」
「今まで、荒川さん、羽生くん、羽生くんという順番で、宮城県出身者がオリンピックで3回金メダルを獲得しています。この冬に羽生くんが獲得すれば、4回目になる。これで、スケートリンクができなかったら、もう諦めるしかないのか、と……。
地元の人々の想いを胸に
「'14年のソチ五輪のときに“羽生結弦くんは羽生先生のお孫さんだ”というのが広まりました。それで、工業高校時代の同僚をとにかく集めて、話し合いの場を持ち、そこから形となって盛り上がってきたという感じです。
「彼も大人ですし、私たちは見守るだけです」