――――母さんと父さんに会える
その魔法のような
「ほ、本当で――――」
その音は意味を持つことなく遮られる。
「何故お前がここにいる、エレボス」
なぜなら目の前の女に塗りつぶされたからだ。隠すこともせず、全面に押し出された不快感は僅かに怒気を孕んでいるようにも思えて――
「何故って、お前を探しに来たんだよ。理由は言わなくても分かるだろ?」
男は女が放っている圧を、まるでそよ風のように受け流し飄々としている。
「理由を聞いているのではない。方法を聞いている。分かっていて話を逸らすな。次はない」
女の放つ
――――彼女の
目は細く、軟弱そうな男。量の多い黒髪は無造作に飛び跳ねている。目を引くのは、一部だけ色の抜け落ちた前髪だろう。灰色に染まっているが、影に光が差すように輝いて見える。
「そう怒るなって。綺麗な顔が台無しだぜ、アルフィア」
尚も男は態度を崩さない。ローブに隠された表情など手に取るように分かると彼女を煽りつつ、この状況を楽しむように――実際、楽しんでいるのだが……――へらへらと笑みを浮かべる。
「ふむ、どうやら命が惜しくないと見える。そんなに死にたいなら、天界に還してやろう」
彼女――アルフィアと呼ばれた女性――から何かが立ち込める。地面からは土煙が舞い、割れたガラスはギシギシと軋む。本能が訴えてくる、この場にいれば命はないと―――
毛は逆立ち、三角に尖った耳がピンっと張る。ドっと冷や汗が浮かび、震える体はまるで金縛りにあったかのように動かない。
「ちょ、ちょっと待て!それはシャレになってない!ごめん、許してください。ちゃんと答えますから!」
先程の態度はどこへやら……ぴょんッと跳び跳ねた男――恐らく男神――はすぐさま正座し、頭を地面につけて謝る。
「はぁ、確かあの糞爺も女神の風呂を覗いてはその土下座とやらをしていたな。思い出すだけで虫酸が走る」
謝っているはずの男神だが、逆効果のように思えてならない。彼女から渦巻く覇気が一段と強くなった気がしたから。
「いや、ちょっとした神の勘……的な?俺らになにも伝えずに行く場所なんてここぐらいしか思い付かないし。後、お前を探しに来たってのも本当だからな!」
頭を上げた男神は正座したままの格好で言い訳を始める。早口で話し、目の前の女性に許しを乞うその姿に神としての偉大さを微塵も感じない。
「それで教会に来てみたら、何か面白そうなことになってるし。何より普段滅多に喋らないお前が、あんなに言葉を尽くしてるなんて興味が湧かないわけないだろ」
謝る姿勢はそのままに、神として見過ごすことはできないとばかりに興味への執着を隠そうとしない。そんな男神の態度にこれ以上付き合うのは無駄だと判断したのか、彼女が纏っていた空気を霧散させる。
「ふぅ~、危うく死ぬとこだったぜ。まあ、とりあえず拠点に戻ってこい。いいな?」
悪びれた様子もなく、立ち上がった男神は服に着いた土を手で払う。
「――――チッ」
舌を弾く音が教会に響く。少々とげのある肯定の意を受け取った男神は呆れた表情を浮かべつつ、こちらへ視線を向ける。そして、その
「俺の名前はエレボスだ。こっちのお姉さんはアルフィア。君の名前を聞かせてもらえるか?」
「チェルシー・グラヴェルです」
気さくな笑みを張り付けたエレボスは瞳を細める。
「それではチェルシー、君に問う。お前は母と父に会いたいか?」
纏う雰囲気を変え、値踏みするような目で僕を見る。その佇まいには間違いなく神としての格を感じる。
「会いたいです」
その問いに迷う余地などないと言わんばかりに力強く言葉を発する。
「オーケー。では次だ。会わせるのもタダじゃない。ちょっとばかし、条件がある」
何でもいい。母さんと父さんに会えるなら。僕にできることならなんだってしてやると、神を睨み付ける。
「そう身構えなくたっていい。条件ってのは誰でもできる簡単なことだ」
愉快そうに見つめるエレボスは堂々と告げる。
「その条件とはお前が――――死ぬことだ」
体に稲妻が落ちたような衝撃が全身を駆け巡る。先程までの覚悟を意とも容易くなぎ払われる。
「言っただろ?誰でもできる簡単なことだと。死ぬのなんて誰でもできる。こんな条件で死んだ親に会えるなら安いもんだろ?」
その悪魔のような問いかけに返す言葉が見つからない。そもそも意味が分からなかった。死んでしまったら、会う会わないの話ですらないじゃないか。
「騙したんですか……」
自分でも驚くほど低い、怒りに満ちた声が零れる。睨んでいた目は血走り、腰から伸びる尻尾は大きく揺れる。
「ん?」
「何でこんな嘘をつくんだ!僕をいじめてそんなに楽しいか!」
母さんと父さんへの愛を弄ぶ神へと怒りの咆哮を浴びせる。それでも吊り上げた唇をそのままに、ニヤニヤとする神にとどまることを知らない赤い感情が噴き出す。
「愉快ではあるが、嘘をついたわけじゃないさ。俺の
エレボスは淡々と語る。それは親が聞き分けのない子供を諭すように――
――――じゃあ、本当に2人に会える…のか?
理解を伴った怒りは疑念に姿を変える。やがて不安定な心は揺れる天秤の均衡を崩す。これでもう、1人に悲しむ必要はない。消えてしまったものを考える必要もないのだと。
「肉体から解放された魂は漂白されるらしいから、記憶までそのままとはいかない。だが、記憶がなかろうとも魂に違いはないのだから再会したも同然だろ?」
――――母さんと父さんと同じところへ逝ける。僕の心にあるのはそれだけだった。
「さぁ、どうする!お前は両親と再び会うために自分の死を受け入れるか?」
エレボスは両腕を広げ、声高らかに問いかける。死ぬのは怖い。でもそれ以上に1人で生きていくことの方が辛く恐ろしいと思った。だから、僕がこの選択を拒む理由はない。
――――目の前にぶら下げられた望みに食い付く寸前こちらを見つめる視線が増えていることに気づく。彼女……アルフィアさんだ。先程まで背を向けていたはずなのに僕を見下ろしている。目深に被ったローブに隠されていた顔がちらりと見える。
――――美しい顔に嵌め込まれた瞳は左右で違った色をしており、それがいっそう彼女の美貌を引き立てる。右目に翠、左目には灰色の宝石を輝かせ、真剣な表情を浮かべている。
それは安易な答えに走る僕に待ったをかけているように思えてならない。
――――どうしてそんな目で僕を見るんだ……
そこに憐れみなんて一切なかった。そこに宿すのは期待と願い。この少年がどちらを選ぶのかと……
アルフィアさんとの会話が思い出される。
彼女は言っていた。1人でいる必要はないと。僕の心を埋めてくれる誰かがきっといるはずだと。
彼女は言っていた。消えてなくなりはしないと。思いは
目頭が熱くなる。神に消されそうだった心の灯火に薪がくべられ、体が熱を持つ。神の娯楽に屈してなるものか。彼女からの言葉を無駄にしてなるものか。そして何よりも、母さんと父さんに情けないところを見せてなるものか!
やがて全身を巡り、行き場を失った感情のうねりは神へと向けられる。
「その申し出断らせていただきます!」
自信に満ちた大きな声で宣言する僕に
「理由を聞こうか?」
エレボスは問う。細められた双眸は未だに僕を値踏みしているが関係ない。
「確かに両親には会いたいです。まだまだしたいことも、してほしいこともあったから。家族は僕だけになってしまったし、1人で生きていくのは考えるだけで辛いから。」
『それで終わりじゃないだろう?』
値踏みするような目から期待を帯びた目に変化させるエレボスはそう言っているようだった。彼女を見つめながら僕は続ける。
「アルフィアさんに教えてもらったんです。たとえ会うことは出来なくたって、心には残り続けるって。1人では耐えられない孤独も誰かに埋めてもらえばいいって。それに今ここで死んだら、母さんと父さんにすっごく怒られると思うんです。だから、大人になって、幸せになって、2人を満足させるくらいの土産話をするって決めました」
話しているうちに涙が溢れてくる。未来を生きるために、過去を……母さんと父さんの死を受け入れる。
「だから今、2人に会うことはできない。僕はその申し出を断ります!」
高らかに宣言した声が教会にこだまし、すぐに静寂がこの場を支配する。静まり返った教会に――ぱち、ぱち、と。拍手の音が響く。奏でなれた音色は掛け値なしの賞賛であった。
「
そう述べるエレボスは、親が子を見守るような温かみを帯びた眼差しを僕に向ける。
「――――合格だ」
――――何が合格なのかわからない。下界の住人には理解できない神の視点からの言葉に困惑する。
「たとえ、お前が自分の死を望んだとしてもそれはそれでよかった。本当に
その言葉に嘘はないと思った。だが、神の真の思惑はそこにはないのだろう。
「だが、つまらないじゃないか。自分の未来をそこで諦めて、可能性の芽を摘むなんて。その点、お前の選択は実に俺好みの解答だった。だから、――――合格だ」
――――何だそれは、と声を大にして言いたかった。でも、悔しくてそれを言葉にするのは躊躇われた。両親への区切りがついたのは紛れもない事実だったから。僕を甘言で惑わしたエレボスには腹が立つから言う気はないが、彼女には伝えなくてはならない。
「アルフィアさんがいなかったら、そこの悪い神に僕は心を折られていたと思います。だから、ありがとうございます!アルフィアさんのおかげで前を向けそうです」
立ったまま口を閉じていた彼女が一言だけ告げる。
「……そうか」
ひどくぶっきらぼうで愛想のない言葉だったが、そこに込められたものを僕は生涯忘れないだろう。
「悪い神ってお前、容赦ないな。まあ、実際悪い神だけど」
エレボスは肩をすくめ、そう
「ところでチェルシー、神たる俺がお前に合格した褒美をやろう」
自分が神であることを強調し、不敵な笑みを浮かべる。エレボスは懐からナイフを取り出し、自分の人差し指を切りつける。
「俺の血をお前にくれてやる。『原初の幽冥にして、地下世界の神』たるこの俺、エレボスがお前を我が眷属にしてやろう」
これこそが真の己であると、名乗りをあげるエレボスは堂々と告げる。
――――俺の家族になれ
今までとは比べ物にならない神としての格の違いを、耳で、肌で、心で感じる。そして同時に思う。
――――そんなのズルいじゃないかと
僕が1人に悲しんでいることを知っているくせに。僕がこれからどう生きていくかを聞いたくせに。僕が家族に飢えていることに気づいているくせに。
その言葉を拒否できない僕の胸の内などエレボスには筒抜けてあった。このまま受け入れるのは癇に障る。幼いながらに感情の抜け道を探すチェルシーは思い付いた。
――――僕がエレボスを利用するんだ!
誰かとの関係を築いて僕の心を埋める。そのための踏み台にしてやる。そんな苦し紛れの言い訳しかできない自分にチェルシーは気づかない。
後に恩恵を刻まれた僕は、遠くない未来に
チェルシー・グラヴェル
Lv.1
力:I 0
耐久:I 0
器用:I 0
敏捷:I 0
魔力:I 0
《魔法》
【 】
《スキル》
【 】
椅子に腰をかけ、新しく加わった眷属のステイタスが記された羊皮紙を眺める。
「あいつは英雄たる器を持っていると思うか ?」
目の前に座る灰色の魔女に答えが決まっている問いを投げる。
「……」
帰ってくるのは無言の圧である。分かっていることを聞くんじゃないと。お返しとばかりに女が口を開く。
「何故あいつを迎えた?」
「見物人になってもらうためだ」
いずれ散り行く者に隠す必要はないとありのままを伝える。怪訝そうな顔を浮かべる女に男神は話を続ける。
「この戦いが終わった後、闇の側から暗黒期を見ていた奴を残しておきたい。後にいなくなる俺達の意志を引き継がせるために。そして見張り続けてほしい。新たに誕生した英雄が足を止めることがないように。世界の終末を打ち倒すその日まで」
神意を語る男神は本当に下界の安寧を願っているようだった。今を憂いている神は未来の英雄のため少年に使命を与える。
――――あいつもたまったものではないな……
その話を聞いていた彼女だけが、1人そう思うのだった。