阪神一筋・佐野仙好アマスカウト顧問が退団 85年日本一の6番打者
【トラとら虎】
阪神の佐野仙好アマスカウト顧問(69)が今年限りで退団する。選手-コーチ-スカウトと、46年間タイガース一筋の類いまれな存在だった。球団関係者のひとりは「選手時代から目立つタイプではなかったが、センちゃんの愛称でみんなから慕われた。これだけ長く在籍できたのは彼の人徳」と評している。
前橋工-中大と進み、1973年のドラフト会議で阪神が1位指名。大型三塁手と期待されたが、同年6位指名の掛布雅之(当時習志野高)に2年目には追い抜かれた。
「普通なら心が折れるが、佐野には雑草のような強さがあった。意外性を秘めた打力が魅力で、当時の吉田義男監督が外野にコンバートして道が開けた」と球団OBのひとりは振り返る。
いまでも忘れられない衝撃のプレーがある。77年4月29日、川崎球場の大洋戦。9回裏、清水の左翼後方の打球を追った佐野は、捕球したあとフェンスに激突。その場に倒れて動かない。救急車で病院に運ばれたものの、頭蓋骨骨折で意識はなく、生死の境をさまよった。ようやく危機を脱したのは1週間後のことである。
この事件をきっかけに、各球場のコンクリート製のフェンスにラバーを取り付ける対策が急速に進んでいく。球界に警鐘を打ち鳴らした佐野の命がけのプレーだった。
1カ月後に無事退院。7月3日のヤクルト戦(甲子園)で戦列復帰を果たすと、第1打席で安田から本塁打を放ち、ファンの涙を誘う。16年間にわたる現役生活のなかで、特に印象に残る試合であるのはいうまでもないだろう。
そして、奇跡の生還は85年の日本一で結実した。打順はバース-掛布-岡田のクリーンアップのあとの6番で、相手投手に息つく余裕を与えなかった。これもセンちゃんのひそかな誇りである。 (スポーツライター・西本忠成)