【虎のお家騒動〈5〉佐野仙好の頭蓋骨骨折】球界に2つの変革もたらす大激突
2022年の阪神が騒がしい。矢野監督の退任表明に、開幕9連敗。過去にもいろいろありました。15年に掲載した大型連載「猛虎の80年」から衝撃の事件簿を復刻。第5回は「命をかけたキャッチ佐野頭蓋骨骨折」です。(2015年2月27日掲載。所属、年齢などは当時。本文敬称略)
プロ野球
◆佐野仙好(さの・のりよし)1951年(昭26)8月27日、群馬県高崎市出身。前橋工―中大を経て73年ドラフト1位で阪神入団。三塁で入団後、77年外野に転向。81年セ・リーグの初代勝利打点王(15)。89年引退まで実働16年、1549試合、打率2割7分3厘。144本塁打、564打点。打撃コーチなどを経て、長年に渡りスカウト活動を行った。現在は野球解説者。現役時代は174センチ、78キロ。右投げ右打ち。
■全面コンクリート塀の川崎球場
阪神で統括スカウトを務める佐野仙好(63)は、25歳の春に生死をさまよった。
1977年(昭52)4月29日の大洋戦。1点リードの9回1死一塁の守備だった。左翼の佐野が、清水透の大飛球を背走。好捕した次の瞬間、左前頭部から外野フェンスに激突した。
当時の川崎球場は全面コンクリート塀。頭蓋骨を骨折し、血の泡を吹いて動かない姿に球場全体が凍りついた。
佐野 直前の打球をヒットにしてしまい、何が何でもの思いでした。その年、掛布選手が三塁に入り、4年目の私は外野にコンバートされて数カ月。打球に飛びつく内野の習性が出た未熟なプレーでした。みんな死んだと思ったみたいです。
中堅の池辺巌が大声で手招き。守っていた野手全員が佐野目がけて走った。
■唯一の記録 一塁から犠飛で生還
この時、別のざわめきが起きていた。
一塁走者の野口善男がタッチアップ。ほぼ無人の内野を駆け抜け、同点ホームを踏んだ。
7~8分後、救急車が球場内に到着。監督吉田義男(81=日刊スポーツ客員評論家)は意識不明で搬送された姿を見届けた後、猛抗議した。
○…佐野の事故は球界に2つの変革をもたらした。阪神の提訴を受けたセ・リーグは77年5月12日に考査委員会を開催。1度は退けたが8月1日の日本野球規則委員会で再考。「選手の生命にかかわる負傷が生じた場合、審判はタイムを宣告できる」とする一文が野球規則に追加された。両リーグは全12球団の本拠地フェンスにラバーを張るよう通達。以後、全球場にラバーが設置された。
吉田 命に関わる状況ですよ。審判がタイムを宣告すべきケースで、少なくとも救援を呼んだ時点でボールデッド。得点は認められない。池辺が佐野のグラブからボールを取って送球していればとも言われますが、あんな状況では難しい。