原武史

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原武史
@haratetchan
鉄学者。最新刊は『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』(岩波新書、2024年10月刊)。
東急とJRの境界地帯Joined January 2010

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昨夜出演した知恵泉にしても、ブラタモリにしても、どうしてNHKというのは「何も知らない女性」というポジションを作ろうとするのだろうか。結果として自分も「共犯者」になっているような気がして、なんとも後味が悪かった。
昨日は衝撃のあまり呟く気になれなかった。「民主主義の根幹を揺るがす危機」という言葉があふれたが、もし本当に多くの人々がそう感じているなら、明日の投票率が跳ね上がらなければならないはずだ。もし逆に下がるようなことがあれば、それこそ本当の「民主主義の危機」ということにならないか。
批判することや違う意見を表明することと、否定することや誹謗することの違いを、学校教育の現場で早くからきちんと教えないといけないような気がしてきた。
珍しくNHKから連絡が。某番組で一連の皇室行事について取り上げたいので考えを聞きたいという。てっきり出演の依頼かと思い電話したところ、電話口ですぐに教えてもらいたい、これは出演の依頼ではなく、わからないので教えてほしいと言われたので、拙著をお読みくださいと言って切った。
尾身会長の警告に対する閣僚の反応を見ていると、1945年2月に「戦局の見通しにつき考ふるに、最悪なる事態は遺憾ながら最早必至なりと存ぜらる」と上奏した近衛文麿に対して、「もう一度戦果を挙げてからでないと中々話は難しいと思ふ」と答えて戦争の継続にこだわった昭和天皇を思い出す。
NHK報道局の職員からメールが来た。ある鉄道についての知見を聞かせてほしい。具体的な放映の予定はないが会えないかと言う。そのための時間を割いても謝礼はなく、放映されても私の名前はどこにも入らない。新聞や雑誌ではまずあり得ない態度だ。テレビ業界のこういう体質も何とかならないものか。
またNHKが「独自」と称して宮内庁長官田島道治が昭和天皇の肉声をメモしていていた膨大なメモが見つかったとするニュースを長々と流していたが、今日のニュースを見る限り、加藤恭子『昭和天皇と田島道治と吉田茂』(人文書院、2006年)ですでに明かされたこと以上の発見はほとんどなかった。
かつてNHKで「その時歴史が動いた」という番組があって、出演を打診されたことがある。「その時をいつにしますか」と問われ、ちょうど『大正天皇』を出した頃だったので「1921年11月25日にしたい。この日の舞台裏を探ってみたい」と言ったら却下され、出演の話もなくなった。
これほど感染が急拡大しているのに金メダルの数が各国中一番多いと騒いでいるいまの状況を、負け続けているのに日本は特別な国であり、最後は必ず神風が吹くと信じこんでいた太平洋戦争末期の状況とどうしても重ね合わせたくなる。
今日の午後7時からのNHKニュースを見て、NHKがオリンピックに異を唱えてはならない空気を作り出そうとしていると感じた私は非国民?
NHKの天気予報に出演する気象予報士は「前座」が女性で「真打」は男性。NHKや民放の報道番組ではメインキャスターが男性でアシスタントが女性。テレビ業界の「闇」だけでなく、テレビが流す画像に馴らされてしまっている我々の日常感覚もまた、いま真剣に問われているのではないかという気がしている。
案の定、朝からNHKがずっと特別番組を流している。雨音すら聞こえない渋谷のスタジオで「奉祝」気分を盛り上げようとする空気と、その画面の周辺でずっと流れ続ける被災地での災害情報。そのあまりの対照ぶりに違和感を覚える視聴者は少なくないはずだ。
今夜のBSフジのプライムニュースで、自民党の武見敬三が五輪中止派=共産党=非国民というニュアンスで喋っていた。共産党を「アカ」と呼んでいた時代の感覚とほとんど変わらない。もし開催が強行されれば、この感覚はもっと強まるだろう。
7時のNHKニュースを見て愕然とする。上皇と上皇后が「お忍び」で外出したはずなのに大きく取り上げている。これでは「お忍び」どころか、まるで天皇、皇后時代と変わらない扱いだ。こういう報道が続く限り、権威の二重化は到底避けられまい。
宮台さん、重傷のようだ。心配だ。犯人は宮台さんの勤務シフトをよく知っている学生ではないか。かつて右派の学生から脅迫され、学内で警備がついた苦い記憶がよみがえった。とにかく一日も早い回復を願っている。
ブラタモリで旭川をやっていた。まるで何もなかったところに屯田兵が開発して街ができたみたいな説明をしていたが、アイヌについては一言も触れていなかった。小説新潮12月号所収の「軍隊が消えた街ー旭川の光と影」では全く違う見方をしています。
九大を辞めてすぱっと学者も辞め、故郷の広島県三原に帰って旅館業を始めた(大学院の先輩の)清水靖久さんにならい、JR北海道が廃止する長万部ー小樽間を引き取って新たな鉄道会社を立ち上げることができたら、どんなにいいだろう。もう少し若くて資金があったらと思わずにはいられない。
5日に放映された「100分de名著 松本清張」の第1回「点と線」では、自殺に見せかけた某省の佐山課長補佐に責任を全部押し付け、上司の石田部長はのうのうと生き残る官僚の話は決して過去のことではなく、いまでもあるのだと最後に力説しましたが、その通りのことが起こってしまいました。
もしも共謀罪の成立を昭和初期の治安維持法の再来として糾弾している人が、「陛下のお気持ち」を絶対のものととらえ、平川氏や渡部氏を君側の奸であるかのごとく糾弾したとすれば、それは同じ時期の「超国家主義」と同じ思考に陥っているということに気付いていないと言わざるを得ない。
駅そばに続いて駅弁までとは。井筒屋は近江牛とか醒ヶ井の鱒とか、地元産の食材にこだわっていた。東海道本線から北陸本線が分岐する米原でしか味わえない駅弁にこだわっていた。この挨拶文は、東京駅でも買える駅弁ばかりになってしまったいまの駅弁文化に対する、渾身の一撃になっていると思う。
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イナダシュンスケ
@inadashunsuke
米原の井筒屋、駅弁事業から撤退とのこと。 izutsuya.cc/pkobo_news/upl
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放送大学では卒業論文を提出することもできるが、私が受け取った論文のなかに、大学院博士課程にも引けをとらない論文が一つあった。杉山茂丸に関する先行研究を、一次史料に依拠しながらほぼ完璧に批判し、巧みな筆力で持論を展開する。多分、こんな大学生は、ほかのどの大学にもいないだろう。
ハロウィンの日に渋谷がいまのような状態になったのは2014年からだというが、東武伊勢崎線や東武東上線や西武池袋線の沿線から渋谷に一本で行けるようになったのが大きいのではないか。
れっきとした先行研究があるのに、それに全く触れず、あたかも今回の史料で全く新しい事実が発掘されたかのように報道するのは、研究倫理に照らしてもいいとは思えない。またこのことに全く言及しようとしない学者のコメントにも疑問を感じた。
今日の天皇メッセージには、祭祀(祈り)と行幸啓を中核とする、昭和とは全く異なる平成の天皇制を28年かかって築き上げたという強い自負と、それを次代にスムーズに継承させたいという思いがうかがえた。だがそれは、代替わりによって平成流が変わってはならないという次代への注文でもある。
「敗戦直前にある政府の高官が『日本には必ず天佑神助がある』と私に語ったのをきいたことがある。かれは本気でそう信じていたのである。これは難局に直面した時に人がもつ一種の気分であり、確信でもなければ根拠のある立論でもない。しかし、それが政府の大部分の態度だったのである」(森有正)
『新潮』に掲載された國分功一郎「天皇への敗北」を恐る恐る読む。戦後日本の憲法学に対する渾身の一撃だと思う。「戦後日本の憲法物語作成の試みは天皇にかなわなかった」。この一文の意味するものは重い。天皇制をめぐって國分さんと対談したくなった。
昨夜の731部隊を取り上げたNHK特集は力作だった。私の父は厚生省の国立予防衛生研究所(現・感染症研究所)でウイルスの研究をしていたが、この組織にも731からの帰還組が流れ込んでいたと聞いたことがある。「戦中」と「戦後」の連続性についてはまだまだ闇の部分があると思う。
今日からJRの神田が「神田(アース製薬本社前)」に変わったそうだ。神田は由緒ある地名で、川の名前にもなっているし、戦前には神田区もあった。神保町、小川町なども正式には神田神保町、神田小川町だ。恵比寿みたいにはじめから商品名を駅名にしたのとは違う。高輪ゲートウェイで潮目が変わったか。
1945年6月22日、昭和天皇は「戦争の終結についても速やかに具体的研究を遂げ、その実現に努力することを望む」と発言し、初めてはっきりと「終結」に向けて舵を切った。今日は6月24日。宮内庁長官が公表した現天皇の「心配」を聞き、76年前を思い出した。
朝からNHKがオリンピック開催を文字どおり叫ぶ「専門家」を登場させて大プロパガンダ放送をやっていた。
文藝春秋最新号で保阪さんが驚くべきことを書かれている。保阪さんが上皇に「秩父宮殿下が2・26事件に関与したとか、青年将校にかつがれる危険性があったという見解は間違いと思います」と言うと、上皇は語尾を上げて「そうですかあ」と。「明らかな疑問を呈する言い方だった」。よくぞ書かれた。
いまニュースウオッチ9を見ていて、学術会議の問題で百地章が出ていて政府にお墨付きを与えるコメントをしているのを見てびっくりした。何も知らない人が見たら、やっぱり政府の姿勢は正しいと思っただろう。
京王線の事件。犯行時間(午後8時頃)といい、上りの新宿ゆきの停車駅の少ない電車(快速急行ないし特急)といい、通過駅の多い区間(登戸ー下北沢ないし調布ー明大前)での犯行といい、8月6日に小田急線で起こった事件とそっくりだ。
JR東日本が「高輪」でなく「高輪ゲートウェイ」にした背景には、元々JR東日本の駅だった品川が、東海道新幹線に続いてリニアの駅までできることでJR東海に侵食されるという危機感があり、品川に代わるJR東日本独自の「東京への入口」を作りたいという思惑があるように見える。詳細は明日の東京新聞で。
Nスぺを見た。自らの保身のためには平気で冤罪を作り出して平然としている公安という組織の恐ろしさが見事に描き出されていた。
BS-TBSの報道1930は渡辺恒雄の特集で、読売が渡辺の指示で行った「検証・戦争責任」を肯定的に取り上げていたが、この記事では戦争の責任を全面的に東條英機に押し付け、昭和天皇を免責させている。その後、拝謁記などの史料の公開によりこの論理は破綻したはずなのに、誰も言及しなかった。
今年は3月に大学を辞め、定収入のない生活へと踏み出したが、その代わりに絶えず原稿を書き続け、それらをまとめて単行本にしてゆくことになった。そうした生活は大学よりはましだと思う半面、自らをさらし続けねばならない。もう鉄面皮になるしかないとの覚悟を固めた一年でもあった。
テレビからしきりに天皇制、天皇制と言っているアナウンサーの声が聞こえてきて何だろうと思ったら天王星だった。
宮内庁記者からの伝聞。現天皇は明治天皇を評価していない。長い天皇制の歴史のなかで明治は伝統から外れた時代であり、戦後の象徴天皇こそ伝統に沿うと考えている。明治節の復活につながる明治の日などもってのほかである。大正天皇については意思に反して引退させられたと考えているようだ。
天皇皇后が憲政記念館で開かれた政府主催の「明治150年記念式典」に欠席したのは、2013年4月28日に同じ憲政記念館で開かれた政府主催の「主権回復記念式典」に天皇皇后が出席したときに「天皇陛下万歳」がわきあがったことから、その二の舞いを避けようとしたからではないか。
仙台育英は仙台駅で多くのファンに迎えられたのに対して、慶応は新横浜駅で解散し、日吉駅で待っていたファンをがっかりさせたという。いかにも慶応らしい話だと思った。普通部に入り、体育祭などで一切整列せず、遠足で行った先の近くに自宅がある人は途中で帰ってよかったことを思い出した。
Nスぺの下山事件を見た。最も興味をひかれたのは、下山事件と朝鮮戦争の関係。米軍は朝鮮戦争の発生を想定して自由に鉄道が使えるよう下山に要求したが、下山はこれを拒絶したのが暗殺の遠因となった。ドラマで田端が出てきたのは清張の黒い霧を意識していたのか。いくつかよくわからない点も残った。
石破首相には来年正月、伊勢神宮ではなく「サンライズ出雲」に乗って出雲大社へ初詣してほしい。
NHKの天皇特集番組。「専門家」はすべて男性、「素人」はすべて女性という色分けに強い違和感をもった。いろんな意見があるように見せかけながら、天皇制の廃止という意見は周到に除外されている。天皇制を論ずることにテレビはまだ慣れていない。活字メディアの役割は依然として大きいと感じた。
都知事選の開票結果。郡部、島しょ部を除くと、2位に蓮舫が入ったのは多摩地区の清瀬市、東大和市、小金井市、多摩市の4市のみ。これをどう考えるかだが、清瀬と東大和に関しては拙著『レッドアローとスターハウス』で分析した政治風土の「遺産」がまだあるように感じた。
他方で、科研費どころか研究費もなく、大学の非常勤だけであとは全部自腹にもかかわらず、立派な研究書を出している人を身近に知っている。そういう本が「権力」をもたないがゆえに埋もれてゆくのであれば、この国のアカデミズムに未来はないと思う。
またNHKが独自で来月8日頃に天皇の会見がテレビ中継されると朝のニュースで大きく報じた。が、まだ追う社はない。非常におかしな事態が進んでいると感じる。なぜNHKだけがここまで「情報」を独占し、確信に満ちた報道を流し続けるのか。このからくりはいずれきちんと検証されるべきだろう。
つらつら思い出すに、藤原保信先生が担当された大学の政治学史の期末試験で、丸山眞男の『日本政治思想史研究』に関する先生の解釈を徹底的に批判したら電話がかかってきて、「批判してくれてありがとう。研究室に来て話さないか」と言われたのは、先生の人徳以外の何物でもなかったのがよくわかる。
NHKスペシャルの選挙番組。各党の代表が集まっているが全員男性。司会も男性で近江アナだけが女性。女性はアシスタントという位置づけ。ここに日本の政治の縮図がある。
こういうときにこそ、「なぜ”少女像”はつくられたのか? 政治と美術がともにある姿」という帯が掲げられた古川美佳『韓国の民衆美術』(岩波書店)をじっくりと読むべきだ。
やはり石破首相には永田町からも自民党からも離れて一人大好きな「サンライズ出雲」に乗り、誰にも邪魔されない空間と時間のなかでもう一度冷静に自らの行いを見つめてほしいですね。
眞子内親王の結婚延期のニュースは寝耳に水。来年は退位などの行事がたて込んでいるのというのは、前からわかっていたことではないのか。何を今更という感が強い。当事者が主体的に決めたのではなく、どこかから圧力がかかったようにしか見えない。大正期の宮中某重大事件を思い出させる。
展開がいよいよ1945年8月15日に似てきた。午後3時からの放送告知は正午に重大放送があることを告知した8月15日のラジオ放送に似ている。そして放送の後に首相がコメントを用意するのは、玉音放送の後に鈴木貫太郎首相の名で内閣告諭が発表されたのと似ている。全く信じがたい事態だ。
やっとこういう本が出たという感慨を、筆者と同じ男性の政治学者としてもっている。しかし紀伊国屋のデイリー新書のベストセラーを見ると、ほかの岩波新書の新刊は複数入っているのに、この本は入っていない。拙著『〈女帝〉の日本史』もそうだったが、男性が買わないせいではなかろうか。
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岩波新書編集部
@Iwanami_Shinsho
【9月新刊その2/前田健太郎『女性のいない民主主義』】日本では男性に政治権力が集中している。何が女性を政治から締め出してきたのか。そもそも女性が極端に少ない日本の政治は、民主主義と呼べるのか。気鋭の政治学者が、政治学のあり方を問い直し、男性支配からの脱却を模索する。
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私は協力の依頼を受けて一度スタッフの皆さんに会いましたが、結局は政府がこれから煽ろうとしている「明治150年」のおぜん立てにしかならず、批判的なことは一切言えないと思ったために協力を断りました。
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いとうせいこう
@seikoito
ようやく資料が出てきて研究が始まってるらしい。明治の皇后、美子(ハルコ)の時空超越ドラマ&ドキュメント1/2オンエア。俺は現代側から参加してます→美子伝説 nhk.or.jp/docudocu/progr
今日の東京新聞に出ていた、昭和3年といまが似ているという記事。私も昨日、電話で取材を申し込まれたが、あまりに大雑把な歴史観と思って断った。似ているところだけを拾って、だから似ているというのはおよそ学問的な態度ではない。軍や天皇など、それ以上に違うところも沢山あるのだから。
すごい本が送られてきた。坂上知之『杉山茂丸論』。A5で612頁。何年か前に放送大学の卒業論文でこれまで見たことのない高いレベルの論文があると呟いたが、まさかこれほどの大著になるとは。まえがきやあとがきがないのも、むしろ潔い感じがした。脱帽です。
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NHKは、19時と21時のニュースでセットを作り、天皇が悠紀殿で大嘗祭を行う模様を映像で再現させていた。秘儀をのぞき見したいという視聴者の下心に訴える怪しげな映像を流すくらいなら、今回もまた国費を投入しなければならないほど大規模化した大嘗祭の問題点をきちんと指摘するべきではなかったか。
玉音放送の表現との類似性も気になった。常ニ爾臣民ト共ニ在リ→常に国民と共にある自覚、爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ→(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています、など。やはり現天皇は、昨年に原盤で聞いた昭和天皇の放送を、言い回しを含めて意識していたと感じた。
昭和の戦後の頃は、閣僚が内奏の際の天皇の発言をうっかり漏らしてしまえば、それだけで憲法と抵触し、辞職に追い込まれることもあった。現在は全国紙が天皇の発言を1面トップで堂々と掲載し、多分に誤解を招きかねない図までつくってその発言を「正当化」しても問題にならない時代になっている。
大学の試験の答案を見ていたら本居宣長を「中居宣長」としているものがあった。フジテレビに毒されてはいないか。
堤康次郎は西武が決してストをやらない私鉄であることを自慢したが、まさか西武池袋本店が(百貨店業界で60年ぶりに)ストを決行するとは・・・。
三笠宮妃が亡くなった。米英開戦直前に三笠宮と結婚。戦中から戦後にかけての宮中を最も長く見つめてきた生き証人だった。三笠宮は日記をつけていたと思っているが、その管理もされていたのではないか。夫妻ともに亡くなったことで身辺の史料はどうなるのか。一度だけ訪れた三笠宮邸の記憶が残る。
ここでひとつ宣伝。戦後の西武における堤康次郎と堤清二の確執については、拙著『増補新版レッドアローとスターハウス』(新潮選書)で詳しく論じました。今回のストは言うまでもなく清二が敷いた路線の延長線上に位置するものです。
NHKが内親王の婚約を「スクープ」した5月16日、実はNHKは加計学園の文書も入手し、前川前次官へのインタビューも済ませていたという。とすれば、あの「スクープ」の政治性は明らかだ。AERAで「発表のタイミングも偶然ではなく、意図があるのでは」と答えたが、こういうことだったのか。
東浩紀さんの最新作を「世界から周回遅れ」と切って捨てたある学者のツイートを見て、大正期のマルクス主義者が吉野作造の民本主義を切って捨てたことを思い出した。「自分は最新の動向を把握している。それなのにこの国ときたら、こんな時代遅れの説を有難がっている」と論難する言説は昔からある。
創価学会から「池田大作お別れの会」の案内状が送られてきた。政治学者として関心がある。後学のため出席しようかな。
高輪ゲートウェイという駅名にしろ、大阪メトロの駅の改装にしろ、鉄道会社が決定したことに対して一般利用者が反対の声をあげ、その声がどんどん広がってゆくのは(鉄学者&政治学者として)非常によいことだと思っています。
NHKスペシャルの226事件の最後に、海軍側が2月19日の時点で蹶起将校の名前を察知していたとする史料に安藤輝三が出ていたことに驚愕する。松本清張は『昭和史発掘』で、膨大な史料をもとに「安藤は十八日か十九日夜の栗原(安秀)宅の会合で決行にあくまで反対であった」と記していたからだ。