日本で非業の死を遂げた、香港の超人気バンドBEYONDのリーダー、ウォン・カークイ。 | 音 個 知 親 - ON・CO・CHI・SHIN ー  

日本で非業の死を遂げた、香港の超人気バンドBEYONDのリーダー、ウォン・カークイ。

テーマ:アジア

ウォン・カークイ(黄家駒/英:Wong Ka Kui/別名:コマ・ウォン[Koma Wong]/ 1962年6月10日~1993年6月30日)は、香港のミュージシャン。ロックバンド「BEYOND」のリーダー。

 

 

 

1962年6月10日、黄家駒は当時イギリス領だった香港で誕生。弟に後のバンドメイトとなるウォン・カークンがいる。九龍市深水埗区の蘇屋邨で育つ。

 

初等中学生の頃、同期生から欧米のポップ・ミュージックを聴くように薦められて、その後デヴィッド・ボウイやディープ・パープル、ピンク・フロイドなどのファンになった。

 

 

15歳になるまでに隣人が持っていた中古のアコースティックギターを譲り受け、独学でギターの弾き方を覚えた。

ギターの技量を上げている中で、フェンダー製ストラトキャスターの赤い中古エレキギターをmaplewoodで購入した。


高等中学を卒業後、事務所のアシスタントや整備士、テレビ局の舞台美術業者など様々な職に付く。保険会社のセールスマンとして働いている時、後にドラマーとしてバンドメイトになる葉世榮と同僚として知り合う。


1983年、バンドを結成し、『Guitar Magazine』主催のコンテストに参加。結成時のラインナップは、黃家駒(Vo.リズムG)をリーダーに、鄧煒謙(リードG)、李榮潮(B)、葉世榮(Ds)の4人。バンド名は「Beyond」とした。「Beyond」という名前は鄧煒謙により名付けられた。意味は「超越」。
同年、鄧煒謙(初代リードG)が脱退し、關寶璇(2代目リードG)が代わりに加入。
その後、關寶璇が脱退し、陳時安(3代目リードG)が代わりに加入。
この年、さらに李榮潮(初代B)が脱退する。


1984年、黃家強(2代目B)が加入。家強は、黄家駒の実弟。


1985年、陳時安が脱退、代わりに黃貫中(4代目リードG)が加入。


1986年、劉志遠(リードG,Cho,Key)が5人目のメンバーとして加入。
1986~1988年の間は、黃家駒、黃貫中、黃家強、葉世榮、劉志遠の5人での活動を行っていた。

 

 

1987年、シングル“永遠等待”、“孤單一吻”をリリース。

 

 

 

1988年、劉志遠が脱退。この後にもメンバーが何人か入れ替わり、現在の黃家駒、黃貫中、黃家強、葉世榮の4人体制となった。

3月、“舊日的足跡/昔日舞曲/孤單一吻”を発売。

 

 

9月、“大地”を発表すると大ヒットし、香港を代表するロックバンドとなる。

 

9月6日、アルバム『秘密警察』を発売。

 

 

1990年、シングル“天若有情”、“戰勝心魔”をリリース。

 

 

 


1991年、BEYONDが来日し、アミューズのマネジメントで日本へ進出を試みる。

日本進出した目的は、当時日本に比べると香港では未成熟だったロック音楽の造詣を深めることであった。そのため、日本での所属レーベルであったソニーミュージックエンタテイメントが日本市場の開拓も商業的に視野に入れていたこともあり、日本のテレビ局との関係を円滑に保つことを目的として、音楽番組のみならずバラエティ番組などにも不本意ながら出演した。



1992年、シングル“無盡空虛”(1992)をリリース。

 

9月26日、BMGファンハウス(現:ソニー・ミュージックレーベルズ内のAriola Japanレーベル)からBEYONDのアルバム『超越』を発売し、日本デビューを果たす。収録曲“THE WALL 〜長城〜”のイントロ部分が、日本テレビ『進め!電波少年』OPテーマ曲に使われ、日本でも徐々に知名度が向上。また、日本のロックバンド「爆風スランプ」とも親交があり、BEYONDOは“リゾラバ〜international〜”の詞をメンバーのサンプラザ中野から、曲をファンキー末吉(当時はNewファンキー末吉)から、それぞれ提供を受け、クレジットなされていないながらBEYONDの一員としてウォン・カークイも作曲に携わっている。なお、爆風スランプがセルフ・カヴァーした同曲は、同年に発売されたアルバム『アジポン』に収録されている。

 

 

 


1993年、“海闊天空”とその日本語詞ヴァージョン“遥かなる夢に 〜Far away〜”が、テレビ朝日系『驚きももの木20世紀』の初代・2代目エンディングテーマ曲に続けて起用された。

 

 

6月24日午前1時15分、吉田正樹がディレクター及びプロデューサーを務めるフジテレビの人気バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』に端役として出演。このようなお笑いバラエティー番組への出演を黄家駒は非常に嫌がっていた。収録中、スタジオに組まれた狭いゴンドラのようなセットが家駒と内村光良を乗せたまま約3メートルの高さに釣り上げられる。当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたという。家駒はそこから足を滑らせてしまい、内村とともに転落。家駒はスタジオのコンクリートの床に頭を強打し、意識不明のまま病院に救急搬送された。なお、ゴンドラに同乗していた内村も2週間のけがを負った。当該セット下に緩衝材を設置する等の安全対策は何らとられていなかった。

6月30日午後4時15分、黃家駒が入院先の東京女子医科大学病院で死亡。31歳の誕生日から20日後だった。リーダーの死亡により、BEYONDは日本からの撤退を余儀なくされた。同時に同番組も打ち切られた。

一時代を代表するトップスターであった家駒の死と、フジテレビの家駒に対する配慮なき扱いは香港社会で非常に大きな怒りと衝撃を持って受け止められた。
7月18日 カレッジタウン八王子、7月27日大阪 千里セルシー、8月23日 東京 日清パワーステーション、8月24日 大阪 Coke Step Hallでコンサートを行う予定だったが、リーダーの黄家駒が急逝したため行われなかった。

7月25日、アルバム『This Is Love 1』が発売。

 

 

日本で非業の死を遂げた黃家駒は香港へ帰り、将軍澳華人永遠墳場にある墓に眠っている。

 

 

 

 

 

なお、本稿作成に際して黄家駒の事故に関して調べていると、フジテレビが関連する事故・事件(所謂「放送事故」は除く)が他局(勿論事故は発生している)に比べて多発している点が指摘されていることが判明。その多くが、家駒の事件と同様、スタッフや管理者といった局側が事前・事後に相応の対策を取っていれば、未然に防げた、あるいは重大化を回避できたのではないかと考える。今般、黄家駒の誕生日に本記事を起こすに当たり、家駒を追悼する意味でも、それらの事件を戒めとするため、一部だが、そして簡略ながら、ここに列挙する。

 

1991年、ダウンタウンの松本人志が、『ごっつええ感じ』放送スタート後すぐに起きた事故に巻き込まれた。いわゆる「エアバッグ事件」で、当時まだ珍しかったエアバッグがどの位の衝撃で作動するのかを実証する企画で、最初はハンマーなどで車体を叩くも全く反応せず、最後に巨大丸太をぶつけるとエアバッグが作動。この時座席に座っていた松本の顔は摩擦熱と衝撃をモロに受け、火傷を負って腫れ上がり血だらけに。事故後には、周囲に見られないように顔を隠して病院へ向かい、結果は軽度の火傷だったそうだが、しばらくは顔もろくに洗えない日々。松本は事故が起きた時、「もう、テレビに出られない顔になってるんじゃ」と、本気で心配したという。

 

1991年9月放送のバラエティ番組『1or8』にて、出演者の芸人「ヒロミ」(当時:B21スペシャル)に大量のロケット花火を背負わせて宇宙へ送り出そうという企画「ヒロミ宇宙へ」で撮影を実施、僅かに浮き上がっただけのヒロミに花火の火が着火した結果III度の深度の大火傷を負って入院し、生死を彷徨うという事故を起こしていた。

 

1993年、『とんねるずのみなさんのおかげです年末特大スペシャル』のロケ現場として使った国の天然記念物に指定されている富士風穴にて、爆竹を鳴らし落盤・落石の危険を招いたり、発砲スチロールの球を転がしスチロール片を撒き散らしたりしたとして、『週刊新潮』(新潮社)などで批判された。

 

1998年、フジテレビ入社4年目の菊間千乃アナウンサーが26歳の時、当時レギュラー出演していた朝の情報番組『めざましテレビ』の生放送で、災害時に高所から脱出する避難器具の体験リポートをした際、マンション5階(地上13メートル)の窓から転落し、全治3カ月の重傷を追う大事故に見舞われた。生放送中の事故だったこともあり、当時は大きく報じられた。

 

2001年10月、フジテレビ本社内で『めちゃ2イケてるッ』収録準備中に重さ100kgのセットの下敷きになった美術会社社員が頭を強く打って死亡する事故が発生。その影響で同年10月27日に放送予定だった内容を急遽中止して『ターミネーター2』 特別編が放送された。

 

2003年10月2日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演した歌手の葛城ユキが、弾代わりに大砲で打ち上げられウレタンを敷き詰められたプールに落下するゲーム「人間大砲」に参加。ウレタンが敷き詰められたプールに頭から突っ込むように落下した際、事前の予測よりも鋭角的に落下し痛みを訴えたため病院に搬送。そこで第7胸椎粉砕骨折、第8胸椎脱臼の重傷を負い、全治3か月との診断がくだされた。その後背中にチタンの支柱を埋め込む大手術を受けた葛城は、当時は体を1ミリも動かせず歌手引退をも覚悟したというが、驚異的に回復し、翌年歌手かつづを再開した。

 

2003年、『退屈貴族』という番組の中である老人に火の上を歩かせ、その様子を放送した。老人はその時の怪我が原因で亡くなったと言われており、この事件のことが2012年の『週刊文春』にジャーナリストによる寄稿で掲載された。

 

2010年7月26日、『オレワンSP』の企画で、ソリを使ってプール上の発泡スチロールに着地する競技の収録中、「我が家」の杉山裕之が左肩関節脱臼骨折により全治2か月の重傷、「ハイキングウォーキング」松田洋昌が肋骨を骨折する。その5日後、 同番組の企画で全身にローションを塗って滑る競技の収録中、陣内智則が肋骨にひびが入る負傷。これらを受け、同年8月22日に予定されていた同番組の放送は中止された。

 

2012年2月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』で、お笑いコンビ「ずん」の「やす」がスキー場での収録中、ゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、停止用の雪の山がジャンプ台となって飛び出し、小屋の屋根に激突。 そのまま5メートル下に落下、第二腰椎破裂骨折、両下肢マヒの重傷を負った。 現在、親指を僅かに動かせるだけ。 公式レースではフェンスを設置するので起こりえない事故だった。フジテレビの豊田皓社長(当時)は2月24日の定例社長会見で、この件について謝罪した。

 

2014年5月20日、バラエティ番組『めちゃ2イケてるッ!』内のコーナー『めちゃ日本女子プロレス』のリハーサル中、アイドルグループAKB48のメンバー木﨑ゆりあが左手首を骨折するけがを負う。なお、この回については他のメンバーを代役に立てた上で予定通り放送された。

 

2015年2月24日、バラエティ番組『VS嵐』の収録中、番組内のゲーム「ジャングルビンゴ」で関根麻里が応援台から足を踏み外し、右目の上を負傷するけがを負った。

 

2016年6月23日、『とんねるずのみなさんのおかげでした 2時間半SP』にて、芸能人が落とし穴に落ちる「全落オーガスタ」が放送。平成ノブシコブシ・吉村崇がベンチに座った際、それが後ろに倒れ、体が滑り台を通って池に投げ出されるというドッキリで、池までの飛距離を伸ばすために滑り台の先の構造が丸くなっており、吉村はそこへ逆さまの状態ですべり落ちてしまったため、後頭部から首の辺りを台に強く打ち付ける様子が放送された。吉村本人は首を打ったことに関して、「大丈夫です」と説明し、出演者らを一安心させたが、これに対し視聴者からは「ヒヤっとした。首が危険すぎて笑えない」「今の下手したら半身不随になるぞ」「やすの事故を思い出した』と、企画の危険性を指摘する声が相次いだ。

 

2017年6月5日、フジテレビは「おぎやはぎ」の小木博明が『とんねるずのみなさんのおかげでした』の収録中に転倒し、右鎖骨を骨折していたことを発表。小木はシンガポールでの旅企画の収録で、浅いプールでバランスを崩して転倒した際に右肩を打ったという。その後、現地の病院で診察を受けたところ右鎖骨骨折と判明し、即日帰国。その後都内の病院で診察を受けた。収録していたのは、6月22日放送予定のスペシャル版で、 小木の転倒に絡む場面は放送を見合わせ、番組自体は予定通り放送。

2020年4月1日、『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』キャストの一人であった木村花が番組内容に端を発すると思われる過度な誹謗中傷により自傷行為を起こして整形外科を受診。同4日に制作会社からフジテレビの制作責任者に木村の状態が報告されたが、その後も4月中旬まで自傷行為を繰り返していた。一方、番組の放送・配信が続いた最中の5月23日、木村花が死去したことを受けてフジテレビは5月26日の放送・配信の休止を発表。死因は公表されていないが、同番組での言動に対するSNSの誹謗中傷を苦にして自死を図ったものと見られており、この事態を受けて同月27日にフジテレビは、『TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020』の制作中止=打ち切りを発表した。日本政府は海外でも大きく報じられたこの事件を受けて誹謗中傷の発信者の特定を容易にする制度や、侮辱罪の厳罰化などを検討し始め、2022年6月に侮辱罪に懲役刑を導入したり、法定刑の上限を引き上げる改正刑法が可決・成立した。

 

2020年10月8日に群馬県内で行われたフジテレビの科学実験バラエティー番組『でんじろうのTHE実験」のロケに参加したお笑いコンビ「トレンディエンジェル」の斎藤司(41)が背骨を折る等全治2~3カ月の重傷を負った。番組は前年2月にスタート。サイエンスプロデューサー米村でんじろう氏(65)が「不思議な科学実験トリック」を解明する他、同氏指導の下、芸人たちが体を張った検証実験を実施。だがフジは「今回の実験はでんじろう先生の監修のもとに行ったものではございませんでした」と、でんじろう氏の監修がない実験で発生した事故だったことも明らかにした。

 

2024年3月8日放送のバラエティ番組『ぽかぽか』の出演者3人(澤部佑・岩井勇気・神田愛花)が体調不良などで同時に同番組を欠席する事態が発生した。また、同日放送の情報番組『ノンストップ!』に出演予定だったカンニング竹山も同様の理由で同番組を欠席した。この事について、フジテレビは同月6日放送の『ぽかぽか』に竹山もゲスト出演していたことから、4人の体調不良の原因が同番組内で放送中に提供した食品による可能性があるとして、番組公式サイトで謝罪した。

 

 

 

 

 

 

(追記)

2024年6月26日、フジテレビによる事故例を6件追記、一部加筆。

2024年7月30日、フジテレビによる事故例を4件追記。

 

 

(参照)

Wikipedia「ウォン・カークイ」「黃家駒」「BEYOND」「Beyond」

 

 

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