日常
ポチ袋に入れてもらえるわけもなかった日常から脱せない一万円札を2枚受け取って、できれば丁寧に真っ直ぐに伸ばして額縁にでも入れておきたかったけど、やむおえずすぐさま券売機へと挿入させて新幹線に乗った。
わたしは東京へ帰る、帰るのだ。
約3時間の不自由はわたしをあらゆる思考とともに混沌とさせて、どうしようもなくさせてしまうので村上龍を読んだけど、案の定ともいえる無念、感傷を加速させてしまった。
わたしシンデレラとか信じてないし、出来れば君の王子様になりたい。ガラスの靴はきっと靴擦れするし。
でも最近プロポーズされたらしい古い友人は、まるで本物のプリンセスみたいだとインスタグラムに素敵な笑顔を披露していて、やっぱり女の子は誰でも魔法使いに向いてるのかもしれない。とか思ったりした。
ともに図書委員として図書室にこもっていた頃の彼女の笑顔とはまるで変わっていて、それがなんとも言い難いほどに素敵で、わたしが25歳を迎えたことなんかよりもずっと時の流れを感じてなぜかうまく喜べなかった。
真面目に図書委員の仕事に従事していたはずの中学三年生のわたしも図書室の読みたい本のほとんどを読破した頃には図書委員長をクビになっていて、それで彼女も図書委員を辞めて、というか中学生の委員会をクビになるとか辞めるとかそんなことが存在するんですか、一体何がどうなんですか。という疑問にぶち当たってもデモすら起こし損ねていた頃の私たちとは何もかもが変わってしまっているようだった。
図書委員長のしがない権限をフル活用して希望を出した書籍は一冊も並べられることはなく、流行りのエッセイ本なんかがどんどんと本棚を埋めていくくだらなさに辟易としたことを思い出して、また少し頭が痛くなった。
彼女はわたしを結婚式に呼んでくれるだろうか。
わたしは彼女の結婚式に行けるだろうか。
わたしはこれからどこに帰るんだろう。
帰る場所も帰りたい場所も帰りたかった場所も全部が曖昧になった頃、人は人に会うために移動をするのだと気づいた。
幸せを感じるたびに怖くなるのはきっと幸せだからだと思う。
幸せの連なりを日常と呼べるようになりたいようななりたくないような、またそうやってぐるぐるとしている。
25歳はきっと迷う。何度も明るすぎる街に泣く。
去年も同じこと言ってた。
それでも未来のこと考えると生きてけないから、
例え未来の私が死んでても、なんとか今日を生き延びたい。
足裏で凹凸を確かめながら歩いてもなぜか転んでしまう私たちに乱舞して拍手送って、今まで通り少しずつ進んでいきたい所存。
少しくらいは速度を上げるべきだけど。
僕らはみんな、ずっとまえから優しい。
ぴょこぴょこと跳ねるように歩く君の後ろ姿が愛しい。
だから世界平和世界平和
去年は非常にfunkyだった。
今年はクラシックとか聞こう。
どうか世界平和世界平和、愛し合ってるかい


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