からっぽ
映画や小説、アニメ、漫画なんかに耽る時間が長くなると、それらがまるでわたしの血や肉になったかのように思えてしまって、ふとした瞬間とても悲しい。
実際のところそれらは情報としてわたしの中に存在はするものの、それらを持ってしてでも彼らのようにここぞって時に目の前の、誰かの目の奥のハイライトを揺らすような何かを残すことはできないし、知っていることを知っている通りに実行することもできない。
思考と言語化の間で意識・無意識的な乖離が発生するように、知識と情報の間にも明確な隔たりがあって、わたしが今日得た平らな情報やそれ以外は多分わたしの身体の深さとはなんら関係がないのだと思う。
実際わたしとあなたの間に流れる空気は0.1秒たりとも振動を止めてはくれず、言葉を探しているうちに意図とは違う揺らぎ方をさせてしまった。
それで今日は簡単な嘘すらついてくれない人の優しさを知ったけど、もしもそれでわたしが死んだならその美学や正論を「それでもそれは優しさの形をしていた」と死んだわたしは言えるだろうか。
わたしの内側だけを煩くさせる機能しない情報の蓄積の先で、一体わたしは何を見たいのだろうか。
知っては忘れて、忘れた頃に思い出して、思い出しては忘れて、忘れたことを思い出して悲しくなってまた雨が降っている。
分からないから理解できるところまで簡単にしてから処理をして、それで分かったような顔して、きっと潜れば深さを知れるのに、見ないふりしたから今日はやけに空が青かった。
まぁでも知らないものは探せないし、ほらこれも、あれも全部何かの受け売りで、だからさ難しい話を何度もしようよ
それで最後は「難しいね」で終わらせて、気持ちよくなって眠ろう
あらゆる全てがあまりに早くて本当のことだけがいつも上手く言葉にできない。
眠る前に気づいてしまう呼吸の浅さは、今日も取捨選択を怠ってしまった代償だと思う。
これら全ての蓄積もやはりわたしの血や肉にはなり得ないのだと思うけれど、それでも、今夜を含めたこれら全てがいつかわたしのくだらなさの一部にでもなってくれたらいいな、と胸元を小さく撫でながら狭い深夜ただただ無駄を繰り返している。


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