アルフィアは毎夜、悪夢を見ていた。
始まりはいつも、大事な妹の忘れ形見に会いに行くことから始まる。
一面を覆いつくす麦畑。その合間を駆け回る白い髪の少年。亡くなった妹にそっくりな笑顔で、少年は無邪気に遊んでいる。
「会いにいかないのか?」
同行者の男がアルフィアに問いかける。しかしアルフィアは沈黙を保ち、ただただ少年を見つめる。眩しいものを見つめるかのように目を細めた。
それに男は意地の悪い笑みを浮かべる。
「どうした? ヘラファミリアの【静寂】ともあろう者が。甥っ子一人に会うのが怖いのか?」
「
「ごほお!」
煩わしい雑音を黙らせ、アルフィアは再び沈黙を続ける。男は痛む腹を撫でながら、あきれかえった表情でこちらを見た。
「お前……。いや、からかったこっちも悪いが、ベルに会いに来たんだろう? このまま見てるだけでいいのか?」
「…………いや、気が変わった。このまま会わずに帰る」
「はあ? なんでだ」
「あの子の憎たらしい赤い瞳を見ていると、抉り出したくてたまらなくなる」
「おい」
「冗談だ。半分は」
「半分だけでも怖えよ。で、本当は?」
気の知れたやりとりを終えたあと、アルフィアは珍しく躊躇うように口よどんだ。貴重な姿を見たもんだと男が目を丸くしていると、ようやくアルフィアが重い口を開いた。
「……あの子に『お義母さん』ならともかく、『おばさん』なんて、私は絶対に呼ばれたくない」
「ぶふっ! はは、ははははは! 確かに、それはしょうがないな!」
隣の男が容赦なく笑う。それに腹が立ち、アルフィアはもう一発魔法をぶち込んだ。今度は痛みに耐え切れず、大の男が転げまわりながら苦悶の声を上げる。
しかし、男には気づかれているだろう。確かにそれも本心ではあるが、真の意図は別にあることを。
妹がゼウスに息子を託す際、アルフィアはなにも口を挟まなかった。終末の時計を遅らせることを使命とし、あの子になにもしなかった。してあげられなかった。
こんな薄情な女が、いまさらあの子に会って何ができるというのだ。
図らずとも男がからかった通り、アルフィアは妹の子に会うことが怖かった。
会う資格がないと、目の前まで来ておきながら、あと一歩踏み出すことができなかった。
強大なモンスターどもにはいとも簡単に身を躍らせることができるのに、小さな子どもに怯えている。こんな自分が滑稽で仕方なかった。
すぐ先なのに、限りなく遠い場所で走り回っていた少年が転ぶ。大きな怪我はしていないようだが、擦った膝を抱えて涙目になっていた。
今ならば自然に寄り添って少年を慰め、話をすることができるのではないか。
そう考えるも、アルフィアはやはり動けなかった。勇気を持てなかった。
冒険者が勇気を忘れた。――だから、これはその罰だったのであろう。
大空が急にゆがみ始めた。あっという間に空間が捻じれ、自然には起こりえない大穴が空にぽっかり空いた。
「……なんだ、あれは?」
男が寝そべったまま、呆然と大穴を見上げる。アルフィアは男の問いに答えうる知識を持っていなかった。
まったくの未知。
冒険者がそれの対応に遅れた代償は、すぐさま支払われる。
大事な妹の忘れ形見の身体が、大穴に吸い込まれるように宙に浮かぶ。
その瞬間、忘我していたアルフィアは少年に向かって走り出した。
だが、何もかもが遅すぎた。
アルフィアが空に大穴が空いた瞬間、少年に走り寄っていれば間に合ったかもしれない。
いや、そもそも初めから少年に会いに行けたら。すぐ傍にいたのなら、彼を助けることが確実にできていた。
しかし、アルフィアは選択を間違った。
だから彼女は、大事なものを今日なくす。
白い髪の少年が、大穴に飲み込まれようとしてる。必死に手を伸ばすも、届くはずもない。
それでもアルフィアは無駄な努力を続ける。願えば手が届くといわんばかりに、その手を伸ばし続けた。
「……たす、……けて……」
弱弱しく助けを求める声とともに、とうとう少年が大穴に飲み込まれた。
あの子が、この世界から消えてしまった。
「ああ……ああああああああああああ!!!!」
アルフィアは悲鳴のような叫び声を上げて、大穴に飛びこもうとする。
「バカ!! やめろ!!」
それを追いついた男が抱き抱え、決死の表情でとめた。
「放せ!! 放せ!! 放せええええええええええ!!」
男はアルフィアに罵られようが、殴られようが、血を流そうが、決して手を放さなかった。アルフィアがどれだけ暴れようとも、黙って男は引き止め続けた。
次第に大穴が嘘のように小さくなっていく。まるでなにもなかったかのように、閉じ切ってしまうと、そこにはただ天気の良い青空だけが広がっていた。
もう、あの子を追いかけることもできない。
あの子は、完全にこの世界からいなくなってしまった。
「……ベル。……ベル、ベルぅぅぅ!!」
アルフィアは大事なものの名を呼び続けた。しかし、
最悪な気持ちで目覚める。
目端に溜まった涙を、アルフィアは乱暴に拭いとった。辺りを見渡すと、ここしばらく使い続けたため、すっかり見慣れたオラリオにある自室が広がっていた。
その中に一人、異物が紛れ込んできた。その異物はあろうことか勝手にアルフィアの自室に入り込み、テーブルの籠にあったりんごを勝手に丸かじりしていた。
「やあ、おはようアルフィア。良い目覚めのようだね」
エレボスが空いた片手を上げ、胡散臭い笑顔で皮肉たっぷりの挨拶をしてきた。
「
「わああああ!! 待った待った! ごめんて! ゼウスの糞爺ならまだしも、イケメンの俺が食らったら送還されちゃう!!」
見事なスライディング土下座で謝るエレボスに、毒気が抜かれたのかアルフィアは魔法を行使せず、ただため息だけを返した。
「なんのようだ、エレボス」
「いやなに、ちょっとお話でもどうかと思ってな」
齧りかけのりんごを弄びながら、エレボスが話を切り出す。
「なあ、本当にいいのか? こんなしょーもない計画に加担して」
「またその話か。それで何度目だ」
「これで記念すべき30回目だ。これはお祝いしないといけないなあ」
「ふざけるだけなら帰れ」
はっはっはっと高笑いする暗黒イケメン神に苛立つ。やはり魔法を行使すべきかと考え始めた途端、エレボスは急に真面目な顔をした。
「だってこのままだと、お前は永遠の大罪人として歴史に名を刻まれるんだぜ? 世界の踏み台になろうって誘ったのは俺だけどよ、さしもの俺もちょーとばかし、良心というものが痛んでだな――」
「貴様に良心というものがあるはずないだろう」
「うわあ、ひでー言いぐさ。いや、でもマジで親切心でいってるんだけどなあ」
そういってエレボスは肩をすくめる。この邪神はいつもこうだった。自分からアルフィアとザルドを探し出して勧誘しておきながら、何度も何度もやめるよう促してくる。
なにがしたいのだ、この邪神は。
「そういうことはザルドにでもいえ」
「あいつは最初の一回しかいってない」
「ならなぜ私にだけしつこく絡んでくる」
「あれ? それ聞いちゃう? マジで聞いちゃうのー?」
雑音がひどい。やはり消し飛ばすべきかといつもの超短文詠唱を唱えようとした時――。
「だってアルフィア、ただ自暴自棄になってるだけだろう?」
するどい言葉の刃で貫かれた。
「いや、世界の礎になろうとしていることは嘘じゃない。紛れもないお前の本心だ。でも、その根幹は別にある」
……やめろ。聞きたくない。
「大事な妹の息子を助けられなかった自分に、絶望したか?」
「……黙れ」
そう返した言葉に力はまったく入っていなかった。普段の傍若無人ぶりに似つかないアルフィアに、エレボスは嗤うことなく、ただ笑う。
「まあ、しかたないよなー。大事なもんなくしちゃ、自暴自棄なるのも仕方ない仕方ない」
「ザルドから聞いたのか?」
「ああ。あいつも滅茶苦茶心配してたぞ。あれ以来、表面上は変わりないように見えるけど、毎夜毎夜うなされているお前を」
「余計なことを……潰すか」
「あはは、ザルド君かわいそー」
あっさり情報源をばらしたエレボスは、悪びれることなくりんごを放り投げてキャッチすることに失敗する。慌てて拾い上げて「3秒以内だからセーフ!」といって急いで食べつくした。
「勝手に私が絶望してると思い込んでいるようだが、それでお前はなにがしたい? 今さらやめさせるつもりか」
「いや、別にとめないよ。忠告はするけど、とまらないならそれはそれでいいさ」
そういってエレボスはりんごの芯を放り投げる。見事ゴミ箱に入り、短くガッツポーズをとると、急にドアに向かって歩き出した。
「話はそれだけ。抜けたかったらいつでもいえよ。今ならまだ間に合うからな」
そう言い残してエレボスは去っていった。それを黙って見送ったアルフィアは、シーツをきつく握りしめる。
「……私はとまらない。未来の英雄の踏み台になり、世界の礎になる」
そうしないと、今も惨めに生きている自分を許せなかった。
エレボスが去ったあと、アルフィアは自身の住む家の屋根からオラリオの街並みを見下ろしていた。
ゼウス・ヘラがいた頃は活気に満ち溢れ、人々は笑いながら道を歩いていた。
しかし、今は建物がいくつも崩れ去り、道行く人の数は少なく、その顔は悲壮に満ちている。
ゼウス・ヘラが黒竜の討伐に失敗し、
そんな輩の一端とならんとしている自分に、アルフィアは自嘲を浮かべた。
今からやろうとしていることは、やらねばならぬことだ。このままオラリオが停滞すれば、黒竜にすべてを滅ぼされる。
だからこそ『絶対悪』にならねばならない。
冒険者どもを叩き、潰し、壊し、殺しに殺して――自分達を倒せる未来の英雄を生み出さなくてはならない。
もはや病で先も長くない。生に未練などない。だからこそ、躊躇う理由など存在しない。
――救世を果たせなかった自分たちが、なにを押し付けているのか。
……もしあの子が知ったら、失望するだろうか。そんな妄想を抱いた自分を、アルフィアは恥じた。
「……なにを考えている。あの子はもういない」
そう戒め、そろそろ自室に戻ろうとしたその瞬間――。
空に突然、穴が空いた。
「なっ!?」
突然の出来事に思わず声を上げる。しかし、すぐにアルフィアは正気を取り戻した。
あの時は呆然としていたせいで遅れてしまった。二度も同じ過ちは繰り返さない。
しかし、高ぶる感情を押さえつけることは不可能だった。それでも激高しそうになる自分を抑え、アルフィアは冷静に穴を観察しようとする。食いしばった歯からぎりりと音が鳴った。
「……あの時よりも穴は小さいか。それに何かを吸い込んでいるようには見えない。アレとは異なる性質なのか?」
そこまで考察を終えると、不意に穴から何かが飛び出してきた。
それは白い獅子だった。
金属のような光沢を放つ毛皮をまとった、この世界で見たこともない生物。
動物やモンスターとも異なる、異様な生命体。
白獅子は自身の身体を確かめるかのように、首を振るった。
「穴の向こうからやってきた……!? どこかに繋がってるのか? ――っ!! いや、それよりも不味い!!」
アルフィアは即座に臨戦態勢をとった。あの謎の白獅子は危険だ。冒険者の勘がそう告げている。
推定レベルは7、いや、8を超えているかもしれない。実際に戦った訳ではないので、正確な強さは不明だが、あの身にまとうオーラは異様であった。
(病が末期となった私一人では勝てないかもしれない。いや、全盛期でも怪しい。冒険者どもに試練を与えるつもりだったが、アレが襲い掛かるなら過剰に過ぎる――!)
敵意は今のところ感じられない。しかし、このまま野放しにするには危険すぎる。
アルフィアは自身の持つ最強の魔法を、命に代えてでも放つべきだと判断しようとした。
しかし、白獅子に跨る人間の姿を認めた瞬間、思考が完全にとまった。
白い、まるで雪のような髪を持つ、十代中ごろの少年。人々の悲鳴に慌て、赤い瞳をせわしなく動かしている。まるでウサギを人間にしたかのような少年だった。
その顔つきに、メーテリアの面影が見て取れた。
アルフィアは信じられないものを見てしまったかのように、固まって動けない。ただ呆然と、ウサギのような少年を見上げる。
「……ベル?」
そう口にするが、とてもじゃないが信じられない。
だって、あの子はあの日消えてしまったのだ。それに、まだ一年しか経っていないのに、あんなにも大きくなっている。
だからアレはベルではないと理性が訴えてくるが、感情が認めようとしない。
もしかして、ベルが穴の向こうから帰ってきたのではないか。感情が強く反論する。
雁字搦めの思考に振り回され、アルフィアがなにもできないでいると、白獅子と少年は目にもとまらぬスピードで駆けていった。
慌てて視線で追う。第一級冒険者でなくてはとらえれないであろう速さであったが、アルフィアは容易くその足跡を追えた。
「あの場所は――」
彼らがどこに降り立ったのか気づいた瞬間、アルフィアの身体は勝手に駆けだしていた。
白い髪の少年が、教会を見上げて見とれていた。
メーテリアが好きだった教会を見て「……キレイだなあ」と呟いていた。
それだけで、もう足がとまらなかった。【静寂】の二つ名に相応しくない足音を無様に立てて、アルフィアがベルに近づく。
足音に気づいた少年が、慌てて後ろを振り返った。
あの小さなベルをそのまま大きくしたかのような、優し気な雰囲気をまとった顔つきだった。
アルフィアは翠と灰のオッドアイをただ震わせ、口を開こうとしては閉じた。
このまま話をしたら、目の前の少年が幻のように消えてしまうのではないかと、本気で思っていた。
そのまましばらくの間、二人は見つめあっていたのだが、少年がゆっくりと口を開いて語り掛けてくる
「…………あの、僕の名前はベル・クラネルといいます」
嘘だ!! そう叫びたくなった。自分は誰かにカースを掛けられていて、この言葉も都合の良い幻聴に過ぎないのだと。甘い夢を見ているだけなのだと。
しかし、目の前の少年は現実であった。
「僕、もうすっかり大きくなっちゃったから、わからないかもしれません。でも、でも……あの日、アナタが手を伸ばしてくれた子どもです」
心臓が発作が起きた時よりも早く鼓動を打つ。
胸が痛い。でも、それがどこか心地よくも感じる。
「…………アナタが、僕のお母さんなんですか?」
そう言うと、ベルと名乗った少年は涙をこぼした。
涙をこぼしながら、私をまっすぐに見つめていた。
(……そうか。そうだったのか。あの子は……ベルは、私のもとに帰ってきてくれたのだ)
今まで駆けだしたくなる衝動を必死に抑えていた。でも、もはや抑えなくていいのだ。
(だって私は、ベルの母親なのだから……!)
アルフィアはベルに駆け寄り、その身体を壊してしまわないように優しく抱きしめた。
涙がこぼれ落ちるが、構うことはなかった。
「……ああ、ああ! そうだ。私がお前の母だ!」
この日、アルフィアのマザーパワーが発動し、病がまるでなかったかのように、すっかり完治した。