朝鮮通信使から韓日併合まで? | ぽん太のひとりごと

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集団ストーカー、テクノロジー犯罪 安心安全と思っていた日本。実は幻想に過ぎなかった。朝鮮にルーツを持つ者による、民族浄化を進めるおぞましい日本乗っ取り計画。日本を守るために真実を追求するブログ。

  連日寒い日が続きます。佐賀県でも脊振山系の山間部では4cmの積雪があったようです。

こんな寒い中でも、裏山の北朝鮮工作員は、深夜に激しい電磁パルス攻撃を仕掛けてきます。

常人では、こんな寒い山の中に一晩中いることは出来ません。

さすが、鍛えに鍛え抜いた北朝鮮工作員!

 

 さて、どうして日本は半島人に付き纏われなければいけないのか?歴史を振りかえりながら考えています。

遠くは4世紀頃と言われている、神功皇后の三韓征伐がありました。当時、半島を攻めないといけないような事態が起きていたのか?何も文章が見つかっていないので、言い伝えから判断するしかありませんが、半島から宝物を略奪したと日本書紀にあるようですが、天皇家は強盗でしょうか?その報復が今のジェノサイド?

 

 平安時代 1019年女真族 刀伊の入寇

 鎌倉時代 1274年元寇 文永の役

      1281年元寇 弘安の役

 室町時代 1592年秀吉 文禄の役

      1597年秀吉 慶長の役

 

 大きな戦いが史実で残っています。

他にも倭寇の侵攻が時折あるということも残っています。

 

半島からばかりでなく、日本側からも攻め入っています。

古代から半島との交易は盛んで、仲良くやっていたかと思う反面、2,3百年おきに争いも起こっているようです。

 

 そんな中でも、正式な国交として、信書のより取りをする朝鮮通信使が執り行われていました。

室町時代1375年から、明治時代1880年まで、途中断絶的ではありますが、500年に渡って続いていました。

今では韓国と連携して世界の記憶遺産として登録されています。

 

 江戸時代は徳川幕府で国内が安定していたので、徳川家の代替わりごとに通信使が派遣されました。

そのルートと宿泊所を見ていたらあることに気付きました。

 

対馬府中→壱岐勝本浦→筑前藍島→長門赤間関→周防上関→

 

安芸蒲刈→備後鞆→備前牛窓→播磨室津→摂津兵庫→摂津大阪→

 

山城京都→近江彦根→美濃大垣→尾張名古屋→駿河興津→

 

相模箱根→相模小田原→武蔵江戸

 

筑前藍島は博多湾に浮かぶ小さな島で、今は猫島として有名で

相島の字を用いて観光客の絶えない島となっています。

その本土博多は日本で最初のチャイナタウンが出来た地区で、

弥生時代の那国から国際貿易港として栄えていました。

戦後大規模な朝鮮部落が出来た地域でもあります。

 

長門赤間関は、下関のコリアンタウンで有名な所ですが、朝鮮学校もありますので北朝鮮系の地域だと見るべきです。

 

周防上関は、近くに田布施町が存在しており、これまで有力な政治家を排出している地区であります。

田布施理論なるものも存在しており、それを信望する人を陰謀論者扱いしている向きもありますが、彼らの主張は、案外的を得ているような気がします。

 

まだ調べている途中なので、詳しい内容はつかめていませんが、

ルートの広島、岡山、兵庫、大阪、京都、岐阜、愛知、静岡、神奈川、東京何れも朝鮮部落が存在し、集団ストーカーの被害が酷い所です。朝鮮通信使の見聞録によると、日本を見て、自国より優れている所があり、欲しいと思ったそうだ。うらやましいとか自国を良くしようという感情でなく、欲しい?

 

 翻訳者により表現は変わるので何とも言えないが、欲しいは手に入れたいと言う事なので、その感情から、これまで日本を攻めてきたのか?集団ストーカーはやはりそう言う事なのか?

 

 加害者の数があまりにも多いので、歴史から調べていたら、古代から半島の移住者が多いので驚いた。

何百年経とうが、朝鮮人の血筋は日本人にはならないと言う事なのか?

 日韓併合も韓日併合に思えてきた。日本が中国とロシアの防波堤として朝鮮半島を組み入れたとの説は、実は李氏朝鮮にまんまと欺かれていて、彼らが日本を併合した?その時から日本は乗っ取られ中?憲法改正で戦争の出来る国にするのは北朝鮮の望み?

それが実現できたら北朝鮮と日本軍隊を合わせると超軍事大国になる。そういうシナリオがあるのかもしれない。

我々国民は、自公連合を注意深く監視する必要がある。

目先の被害ばかりに気を取られないで、政治家を注視する必要がありますよ。

 

 

 

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