日本海側の寒波は、僕の住む唐津市でも平地での初冠雪になりました。
氷点下になる日もありましたが、裏山の北朝鮮工作員は、いつもの通りの出勤で、朝夕の交代後は挨拶のつもりか?厳しい攻撃をかましてきます。
今まで通りの事をやっていたのでは、現状を変えられるわけでも無いので、今年は切り口を変えていかねばならないと思っています。
証拠の不確かなことも今まで以上にさらけ出し、集団ストーカーというジェノサイドを国民が共有し、暗黒の世界から日本を脱出させる道筋を示していかないといけないと思う次第です。
日本の低迷は、諸悪の根源である、日本人に成り済ましたもののジェノサイドと政治を混乱せしめているこの者たちの工作活動によるものです。
米国次期大統領のトランプ氏が、米国を正常化するために政府の闇組織DS(ディープステート)を壊滅するべき立ち上がっており、日本のDSにも乗り出すとの情報がXで飛び交っており、本当に実現するのであれば、万々歳ですが、日本の集団ストーカーは世界的に蔓延っているDSとは違う気がしています。
日本の議員では原口議員だけが、日本政府にDSの存在を指摘して、陰謀論者と揶揄されていますが、同じ佐賀県人として頑張って欲しく応援していくつもりです。が、日本政府のDSは、北朝鮮の金一族を裏で操っている人物と僕はみているので、僕なりの見解で紐解いていってみたいと思っています。
トランプ氏が解決してくれて、僕の検証が徒労に終わってくれるのがベストですけど。どうなるでしょう?
さて、そういう事で、タイトルに挙げた 「第三の田布施」 昨年見つけていました。
田布施は地名ですが、昔2チャンネルで田布施理論とか田布施システムと呼ばれて話題になっており、ご存じの方も多いと思われます。
その内容は簡単に言うと、大正天皇のすり替え説や田布施地区から総理や国会議員が多く輩出されたことと朝鮮部落である。という事が中心になっています。
田布施は、山口県と鹿児島県の二か所にあり、実際に両方とも総理大臣が出ています。
同地区出身の総理大臣を、田布施総理と呼ぶ国会議員もいるようです。
昨年調べてみたら、歴代総理の出身地が田布施出身かどうか、怪しい人もいて田布施システムという話の内容をそのままうのみに出来ないなと思ってはいましたが、鹿児島の田布施にゆかりのあると言われている小泉純一郎元総理、鹿児島の有名なブロガーさんに調べていただいたら、やはり田布施ではなく隣町の小湊という事でした。
しかし、距離的には近く県外者から見たら田布施でも十分だなと思いました。やはり田布施に朝鮮部落はあるようです。
この田布施では昔、不思議な出会いがありました。
30数年前家族旅行で、吹上浜に観光で行ったことがありました。子供を浜で泳がせたく海へ向かっていると、松林を通り抜けて行くようになっていました。松林に差し掛かった途端、「吹上浜、松林、拉致」のキーワードが頭に浮かびました。
ああ!そうか、ここだったんだ!なぜか拉致事件の事を思い出し急に不安な気持ちになり、妻に、ここ北朝鮮の拉致事件のとこだよ!早く抜けようと促しました。
吹上浜はまるで砂丘みたいに広く、子供も喜んで砂遊びをしました。
海は軽石が一杯浮かんでいて、岩石集めを趣味にする僕は、石拾いばかりしていました。
浜遊びを十分堪能し、帰路へつきましたが、出発してすぐに車を止めることになり、道路の脇が広くなっているところで車を止め、何気なく外を見ていると、地区案内の看板が目に留まりました。「田布施」と書いてあり、たぶせと読むのかな、と思いながら、なぜか気になり、妻に、この集落見てくるからちょっと待ってて、といい置き、散策へ出かけました。
集落の入り口付近で道が二手に分かれており、正面に地蔵様が祭ってある祠があるぐらいで、何の変哲もないどこにでもあるような田舎の集落でした。ただ、祠の石像の種類は見たことのないもので分かりませんでしたが。
吹上ではただそれだけの事なのですが、なぜかその記憶は忘れることがなかったのです。
今思い返すと、その当時、僕を監視していた北朝鮮浸透工作員が何らかの意図を持って、その場所を意識させるように暗示させたのかと思ったりしています。
集団ストーカー被害を認知するようになり、30年以上経って、導かれるように再び田布施に行き着くとは不思議な縁を感じます。
数年前田布施地区のネット検索で、興味深いブログに遭遇したことがありました。
一つは、吹上浜の松林での拉致事件の件で、近くの住民の方が松林を散歩していると、不審な人物と遭遇したとのこと。
その人物は片言の日本語で話しかけてきたそうです。すぐに日本人ではないなと直感したそうです。
その出会いの翌日に行方不明者が出たそうです。その人が行方不明者の探索に地区民として協力した際、警察官に前日の不審者の事を話したそうですが、全く気に留める様子もなかったそうです。
ざっとこのような内容だったのですが、後でじっくり読もうと思ってお気に入りに登録していたのですが、いつの間にか消えていました。
もう一つのブログは、田布施地区だったと記憶していたのですが、これもお気に入りからリンクが削除されており、斜め読みした内容の記憶だけになります。
古城跡の公園そばに住んである「鮫島」さんという方のブログであったと思いますが、小泉純一郎氏の祖父に当たる彌三左衛門さんが、鮫島姓を名乗ったそうで、鮫島さんの祖父は、彌三左衛門さんの事を世間が身内と勘違いするので名乗るのを止めて欲しいとお願いしたそうですが、聞き入れてくれなくて困った、という内容でした。
鮫島家は、鹿児島では元武士の名門ですね。在日の人が帰化名に武将の名をつける人もいると聞いたことがありますが、そんなことが許される特権があるのですね。
前振りが長くなりましたので、第三の田布施についてでしたね。
田布施システムの話は明治維新の薩長土肥連合の話になります。偶然なのか?薩摩(鹿児島県)の田布施朝鮮部落、長州(山口県)の田布施朝鮮部落、同じ地名でその朝鮮部落から総理が出ている。そこに目を付けた2ちゃんねらーが朝鮮人支配の田布施システムなる言葉をつくり、盛り上がっていたようです。
僕は佐賀県人なので肥前はどうなんだ?と田布施なる地名があるのか?と考えていましたが、3,4年ぐらい前じゃないかと思いますが、突然ひらめきました。
佐賀市に「多布施」という大きな町の名前に気付いたのです。たの字が違うのと、ふが濁音じゃないだけで意味合いは同じなんですね。そうすれば、多布施地区に朝鮮部落が在ればビンゴだな、と思っていましたが、朝鮮部落などの資料は役所では手に入らないんですよね。どうやって調べるか悶々としていましたが、昨年被害者仲間の佐賀在住の人と会った時、彼はまだ若いので朝鮮部落が佐賀に在ったかどうか聞いても知らないだろうなと思っていたのですが、念の為に聞いてみたところ、なんと知っていました。おまけに、会っていた場所のすぐ近くで、多布施川という佐賀市の中心を流れる川の土手沿いにあったという事でした。
そうなると僕は、集団ストーカーの話題はそっちのけで、朝鮮部落のあったところを案内してもらいました。
大きな河川沿いに朝鮮部落が形成されているのは全国共通で、まさか佐賀市内にもあるとは思いもしませんでした。
写真は後日ゆっくり散策しながら撮ろうと思い撮っていませんでしたので、グーグルマップを貼っておきます。
緑のラインで囲んだところが多布施川沿いの朝鮮部落が在ったところです。今ではバラックなどは一軒もなく朝鮮人の方は、チリジリになり他所へ引っ越されているであろうとの事でした。
赤ラインのグランドは、実は江崎グリコの工場跡です。江崎グリコは佐賀市から出た菓子メーカーです。きちんと調べてから書きたかったのですが、調べていないので憶測で書きますけど、そこが江崎グリコの創業の地ではないかと想像しています。
江崎グリコと言えば、1984年にグリコ森永事件が起きています。江崎社長を拉致監禁し、お金を恐喝しようとした事件です。当時キツネ目の男が犯人として有名になりましたが、手配の似顔絵を見る限りは、朝鮮顔に見えました。
もしその地が創業の地であれば朝鮮部落のすぐそば、従業員に朝鮮人もいたでしょうし、近所なので色々な交流もあったことでしょう。とても気になる場所です。
因みに、森永製菓も佐賀の出です。佐賀市内のどこにあったのか気になるところです。
肥前からも大隈重信が総理になりましたが、在日出身という噂も聞いたことがありませんし、生家は場所も違うので、田布施総理には当たらないだろうと思っています。
お前は集団ストーカーを広げすぎではないか?と感じた方もいらっしゃると思いますが、集団ストーカーは決して個人の家庭や人生を破滅させるだけではありません。企業も潰されるし、乗っ取りもあります。
郵政省が民営化された現在は、配達の途中でも電磁波攻撃してくる職員だらけになっています。
内勤の職員も電磁波攻撃は無いものの色々仕掛けてきます。朝鮮系の職員が占めてしまっているのでしょう。
最近では、国交省がトヨタ潰しをやっているのはお気づきと思います。北朝鮮は在日朝鮮人に、東大を出て官僚になることを推奨しています。創価の手の内にある国交省の役人の中身が日本人である保証は全くありません。
日本も国民も、どんどん壊されて行ってます。
後、土佐(高知県)にたぶせ、たふせ成る地名があり、朝鮮部落も存在すれば、田布施システム陰謀論では片付けられない、在日の日本支配が現実味を帯びてくると思います。
高知県の方、たぶせ或いはたふせという地名がありますか? 教えていただけると有難いです。