平凡社の「太陽」編集長だった嵐山光三郎が退社し、「男の本音誌」と銘打ち1980年代初頭に創刊したのが「ドリブ」。あの頃、彼が日曜日「笑っていいとも!増刊号」に出ていたのを覚えている人も多いだろう。
表題を受け、創刊号には「出世する服しない服」「金と女を手に入れろ」などの記事が並ぶ。80年代はバブル全盛期といわれる。若者はスキーやテニスに浮かれ、株や不動産は上がりっぱなしで経費も使い放題だったというパターン化したイメージで語られがち。
しかし実際、若手サラリーマンは、シゴトにも、カネ・オンナにもショッぱい苦労がいっぱいだった。だからこの手の雑誌も求められた。
そういえばあの時代、接待の席、夜中2時過ぎて赤坂のスナックで盛り上がりきった得意先女性マネジャーは「帰るわよっ!」と言って10分以内にタクシーが来ないと機嫌悪くなったもの。当時、深夜でも車はつかまらなかったから、彼女の飽きた気分を察すると、山王下から坂を6分で駆け上がり、キャピトル東急で客待ちする車両に乗ってはせ参じるなどというシケた方策にも通じてしまっていた。
86年10月号では「キミをモテる男に変える失恋脱出法20」「10倍トクする最新(丸秘)マネー情報」などの文字が躍る。かつてこの手の実益解説は隠れて読むものだった。しかし最近は、ネット投資や自己啓発書籍をスタバで、ラインマーカーで線引きつつ表紙見せながら読む若者が目立つなど時代は変わった。
同号インタビューには、とんねるずが「オレたちがアメリカンドリームだ」と題して登場しており、同誌コンセプトにぴったり。20代中盤で「オールナイトフジ」や「夕焼けニャンニャン」など、出るTV番組であまねくヒットを飛ばし、歌えば「一気!」や「雨の西麻布」で「ザ・ベストテン」の常連にもなっていた彼ら。
その当たるを幸いなぎ倒す勢いがモロに出ている。「会社やめるとき迷いなんてゼーンゼンなし」(木梨)、「少し迷った。ホテルマンも自信あったから」(石橋)と語る。
石橋は、撮影を担当する大御所写真家の篠山紀信に向かい「イシバシが撮る紀信!」と言うが早いかカメラを取り上げる。「アレ? 撮れないな…?」と戸惑うと、篠山に「巻いてないでしょ」と指摘される始末。木梨も「篠山さん、女優なんかいっぱい撮って雑誌に発表できないようなヤバイやつってあるんでしょ?」などと食い下がる。
番組で超高額な撮影機材をぶっ壊してプロデューサーを慌てさせたという彼らの傍若無人ぶりがうかがわれる。インタビューでは、映画初出演で主演した森田芳光監督「そろばんずく」の撮影模様を語っている。
中で「(共演の)安田成美ってしっかりしてるよなあ」と石橋が振り、「19だろ? あれはただものではありませんね」と木梨が応じる。この映画で出会ったのが縁で後年結婚したが、撮影中どこまで仲が進んでいたんだろう。 =敬称略 (矢吹博志)
■ドリブ 発行:青人社 創刊号:1982年7月号 390円 休刊号:1997年10月号 550円