丸善・丸の内本店で「手塚治虫書店」の常設コーナーを見つけた。彼が主宰刊行していた「COM」を定期購読していたから、やたら懐かしい。
今思えば小学生時代、図工が苦手で、成績は「2」か「3」だった筆者が、漫画家志望者を主な対象にする同誌をなぜ愛読していたのか不思議だ。初期の定価は150円、乏しい小遣いからやりくりして毎号楽しみに買っていた。
手塚治虫が次代の漫画家を育てるため創刊したと伝えられる同誌。彼の壮大なストーリー展開の「火の鳥」、石森章太郎の実験マンガ「ジュン」、永島慎二の青年マンガ「フーテン」が三大連載だった。
他に、各漫画家に関する作家論や読者座談会、漫画家志望者からの投稿を募り優秀作を掲載する「ぐら・こん」や、果ては漫画家人脈をマトリクス化した「まんが火山連峰」(1967年6月号)などというものまであり、漫画に寄せる熱気が、まざまざと伝わってくる。
創刊号の読者投稿欄に「『鉄腕アトムクラブ』をやめるときいて死んでしまいたいくらいでした。そのかわり、きっとすばらしい雑誌をだしてください。そして、虫プロファンをかなしませないでくださいね」との投稿が載っていて思い出した。
会報の鉄腕アトムクラブは一度「見本誌送れ」とはがきで申し込み、B5判くらいの中とじ小刷子が届けられてきたことがあった。その代わりとして、書店で買え、手塚の漫画が新たに読める雑誌として小学生の漫画ファンは「COM」に目をつけたのだろう。
しかし、少年時代は自らに無限の可能性を感じてしまうもの。筆者自身、親に連れられて東京・蔵前国技館に大相撲を観に行けば、「親方に入門誘われたらどうしよう…」などとワクワクしたし、TVで大村崑司会の「日清ちびっこのどじまん」を見れば、「出場したら、プロダクションからスカウトされるかも…」などと思っていた。
だから同誌を読んでいるだけで、自分もいつかベレー帽をかぶり、先生と呼ばれるような漫画家になれるのでは、との妄想に駆られ、楽しかったのだろうと今は思う。
当時の「ぐら・こん」には、長谷川法世、岡田史子らの後に世に出た漫画家の作品が多数掲載されている。確か泉谷しげるも投稿していたのを見かけた記憶がある。どんな分野でも、カテゴリー発展期、熱をはらんだ時期に出合えるのはやはり幸せなことだったなあと感じる。
=敬称略 (矢吹博志)
■COM 発行:虫プロ商事 創刊号:1967年1月号 150円 休刊号:1971年12月号 240円