1960年代前半、まだ小学校入学前、ガキ大将だった雄太ちゃんの家には子どもたちが常に集まり、缶けりや水雷艦長、そして座布団を対角線のコーナーポストになぞらえたプロレスごっこや、ダイヤモンドゲーム、コリントゲームまで全て彼に教えてもらって遊んだ。彼は決して威張らず、皆を楽しく遊ばせる、王道のガキ大将でもあった。
「少年」は、その時期、王道の月刊漫画誌。手塚治虫の「鉄腕アトム」、横山光輝の「鉄人28号」の二大連載があるだけですごいのだが、他にも白土三平の「サスケ」や、藤子不二雄の「忍者ハットリくん」、板井れんたろうの「ポテト大将」に至るまで、本誌だけで300ページにものぼる。
付録も、連載漫画の新書版くらいの小型冊子が4~5冊と、組み立て式付録が毎号付いてきて、全体では当時の分厚い電話帳にもまさるぐらいの厚みでどーんと届く。私は当時、親が勤める会社の書店で予約してくれていたので、毎月の発売が本当に楽しみだった。
マンガ以外では、おもちゃ拳銃や忍者グッズなどの細かいイラストが入った数十ものアイテムがのる通販広告に胸をときめかせたもの。ピストルショルダーや手りゅう弾、くさりがまなど、代金分の郵便切手を送るか為替で入手できる。通販商はたいてい私書箱があて先になっていて「為替」や「私書箱」という言葉もその広告で初めて知った。
その後、数年で「少年」は休刊する。2ページにわたる編集部あいさつには「ここ四、五年のあいだに少年諸君のまわりには、あるいはテレビ、あるいは週刊誌など『少年』をはじめとする月刊誌がこれまではたしていた役わりを、かわってうけもつ新しいともだちがつぎつぎにふえました。月刊発行の少年雑誌を待ちのぞんでくれる人たちの数は、しだいに減ってきたのです」とある。
マガジンやサンデーなどの週刊誌、そして巨人の星などのアニメ全盛時代がやってきたのである。
その頃、かつてのグループも、通う小学校ごとにまとまってきて、家が近くても学区の異なる雄太ちゃんとは次第に縁が遠のいていった。一度たまたま彼の通学する学校のそばを通り、見かけたら、近所のガキ大将だったイメージはなく、クラスメートに名字で呼び捨てにされていた。はっとして思わず挨拶もせずやりすごしてしまった。
時代は常に代わり、輝ける場所は永遠ではないことを知った最初だった気がする。 =敬称略 (矢吹博志)