「BRIO」 BRIO世代とは「シラケ世代」&「新人類」

2015.08.19


「BRIO」1999年5月創刊号(光文社提供)【拡大】

 『BRIO』は1990年代から2000年代にかけ、当時30代から40代の男性をターゲットにしたファッション、旅行、食などクラス感の高い情報を提供するライフスタイル雑誌だった。

 読者モデルとして登場するのも歯科医や外資系証券会社勤務、親の仕事を継いだ二代目経営者などが多い。特集テーマも「軽井沢別荘族は進化する」(2006年8月号)、「胸躍る書斎を持とう」(08年3月号)など富裕層向け。

 雑誌内で読者層を“BRIO世代”と呼び、同世代著名人に訊くブリオ・インタビューの欄があった。05年1月号に登場しているのが原田真二。彼は筆者と同年齢の1958年生まれで、筆者も年齢的にはBRIO世代だったわけだが、こちらが浪人時代の77年に彼はデビューし、月に1曲ずつ「てぃーんず ぶるーす」「キャンデイ」「シャドー・ボクサー」とシングルを発表し、いずれもヒットチャート上位を飾った。

 当時は3カ月に1曲程度の新曲発表が大抵の歌手のリリースペースだったから、常識を超えたハイペースで、しかもどの曲もまれにみる名曲。このままいったら彼はどうなるんだろうと思ったら、その後は、20年後の2000年に松田聖子の愛人報道で騒がれるまで世をにぎわすことはなかったけれど。

 「最初に音楽に興味をもったのは、ザ・モンキーズのショーを見て」と語っている。団塊の世代はビートルズだったろうが、1950年代以降生まれは幼少期のTVの影響が強かったから毎週19時台に放映されていた「ザ・モンキーズ」というコメディータッチのドラマを見ていた者は多かった。中で「ザ・モンキーズのテーマ」や「デイドリーム・ビリーバー」を聞き、洋楽に魅せられたパターンだ。

 BRIO世代というのは雑誌側の呼称だったが、同世代は、時代ごとにさまざまな呼ばれ方をしたもの。10代時には「シラケ世代」であり、その後はカタログ頼りの「マニュアル世代」と呼ばれ、80年代前半には「新人類」とも言われた。いずれも、もやっとして印象がはっきりしない。

 話は変わるが同誌を再見すると、わずか10年ほど前の雑誌なのに、登場人物で忌野清志郎、上田昭夫、森田芳光ら既に亡くなっている人たちも多いのに、ハッとさせられる。そう考えるとBRIO世代の後継名は、「健康がイチバン世代」しかないだろう、いやマジで…。 =敬称略 (矢吹博志)

 ■BRIO 発行:光文社 創刊号:1999年5月号 600円 休刊号:2009年8月号 750円

 

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