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【ああ懐かしの雑誌黄金時代】PLAYBOY日本版 「大人の男」が関心持つべき分野を網羅 特筆すべきは本格作家を長期起用したルポ
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1970年代中盤までオトコが読む雑誌といえば、「平凡パンチ」に代表されるクルマ、オンナ、ファッションなどを扱う若者誌か、政治スキャンダルや事件を扱う「週刊新潮」のようなサラリーマン向け週刊誌に2大別されていた。
そこへアメリカ本国の「PLAYBOY」と契約して75年に創刊されたのが『PLAYBOY 日本版』で、いたく新鮮だった。
まず紙が違う。過去の男性誌はザラザラの手触りが多かったのに、その頁の多くはツルツルの光沢があり、それだけで高級感が感じられた。
内容も政治、経済から文学、サブカルチャーに至るまで、「オトナの男」が関心をもつべきあらゆる分野を網羅し「男性総合誌」と呼ぶにふさわしいものだった。
呼び物は、話題の人物を1号1人のみ取り上げる「PLAYBOYインタビュー」。創刊号は3億円事件など戦後の大事件を担当した名刑事、平塚八平衛退職時のもので、15頁にものぼる長尺。その後もこのコーナーは、ドラフト会議前の江川卓(77年11月号)、ロッキード事件で告発された田中角栄元首相(83年7月号)など数々の話題の人物が登場した。
引退表明後、山口百恵が登場の回(80年11月号)では、筑紫哲也が取材者を務めた。彼女が有名になった後、突如現れて親権やお金を要求した父親に対し「涙を流して『かわいそう、お父さん』というほどバカじゃない」と、思い切り突っぱねた言葉を百恵は語っている。この欄でのインタビュアーと登場人物の直接対決は、まるで真剣勝負のスポーツ試合を見るようで常にドキドキさせられた。
他に特筆すべきは、本格作家を長期起用し連載されたルポルタージュの数々。開高健が南米アマゾンに赴いた釣り紀行「オーパ!」(77年~78年連載)、藤原新也によるアジア横断の「全東洋街道」(80年~81年連載)など数多い。
当時駆け出しだった藤原は、依頼時にいきなり取材期間1年をかけることを許され、「結果的に取材費は1000万円を超えたのではないか」と語っている。雑誌が日本経済発展の波頭の時期と出合えた幸運も大きい。
「パーティ・ジョーク」という欄があり、しゃれた会話によるギャグを読者から募集していた。70年代、筆者が高校生の頃クラスメートが「今月号のパーティ・ジョークに俺のが載ったんだ」と見せてくれたとき、そいつが「オトナの男」にみえてまぶしかったものだ。 =敬称略 (矢吹博志)