MENU
PR

坐視傍観

寝て起きる時、一番最初に目に付くのは、ペットボトルの群れだ。

いつからそこに置かれているのか、いつ買ったのかも覚えていない。
ただ、無意識のうちにそれらは私の部屋に積み重なり、少しずつ存在感を増していった。

何本かは、半分以上中身が残っているものもある。
ペットボトル自身はまだやれると意気込んでいるのだろうが、
どこで飲まれたのかも覚えていないものを選ぶことはない。
そうして忘れられ、新たなペットボトルが送られてくる。

起きて立ち上がる度に、洗って捨てなきゃいけない、そう思う。
だが、何故か捨てようとしない。

きっと、寝ている間にペットボトルが歩き出して、
トイストーリーのグリーンアーミーメンのように軍を成し、自分から捨てられに向かう。
そう思っているのだろう。
そうじゃないと、捨てない意味がわからない。
なんて幼稚なやつなんだ。

だが、日に日に数が増していく。
群れというより、小国と呼んだ方がイメージしやすいほど、ペットボトルが増えている。

ここまでペットボトルしか登場していなかったが、他の勢力も存在する。

エナドリの缶

こいつらはかなり厄介だ。
多少の衝撃ですぐにぐらぐらとよろめき、
終いには、残った内容物を撒き散らしながら崩れていく。

その様子は、まるで大型の橋を爆破解体しているかのようだ。

あーーーーーーーーーーーーーーーー

聞こえてくる、「捨てればいいじゃん」とか、「そう思ったならすぐ行動すればいいじゃん」とか…。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

うるさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい。

そんなこと、分かりきっているし、何回も行動しようとした。
だけど実際にそれらの前に立つと、
まるで自分の部屋だが、自分の領地じゃないような、他人の所有地のような気がしてきて、
どうでも良くなってしまう。

そしてそれが、景色の一部のようなものになり、違和感を覚えなくなる。

テレビで「ゴミ屋敷」の特集を、私は小学生の頃から見ていた。
その時は「どうしてこんなに散らかすんだろう」と不思議に思っていたし、
「自分は絶対にこんなことにはならないだろう」と、何の根拠もなく自信を持っていた。

だが今となっては、ゴミ屋敷の種が芽生え始めている。
気づいた時には、もう遅いのだ。

恐らく、ゴミ屋敷に住んでいる人は、その“ゴミ”すらも背景の一部になっているのだろう。
ゴミが増えていくことに気づかず、増え続けている。

誰かがゴミの存在を認識させないと、地球を覆うことだってあり得るだろう。

そうして日が経ち、また同じように起きて立ち上がったその時、
目の前に、ゲームの沼地の地面を表すような緑色の斑点が見えた。
白い膜も構成されており、スライムが跳ねる幻聴すら聞こえてきそうだった。

おかしい、ここは自宅の自分の部屋のはずだ。
沼地に来た覚えはない。
頭が理解を拒んでいるようだ。
徐々に、ベチャベチャとスライムが近づいてくる音が聞こえ、
目の前が鮮明に映し出されていく。

ようやく理解した。
目の前のものは沼地なんかではなく、飲みかけのリアルゴールドが腐っていただけだった。

ああ…。
やばい…。

目の前にはペットボトル、エナドリの缶、コーヒーの紙コップ、
中に飲み物が入ったままのタンブラーが広がっていた。

あれ…。
なんだこれ…。
さっきまでこんなもの無かったのに…。

それに、無くしたと思っていたタンブラーまで…。

「おい!どうしたんだよ!なんで今まで隠れてたんだよ!探したんだぜ!」

もちろん返事など帰ってくるはずもない。
ただ、ペットボトルが置いてあるだけだ。

今まで見えなかった、いや見ようとしなかった、
ペットボトル…違う、「ゴミ」がそこに鎮座しているだけだった。

そこからは一瞬だった。
ラベルを剥がし、キャップを外し、洗い、分別して捨てる。

一瞬だった。

なんでこんなことをすぐにやらなかったのか。
腐るまで放置したのか。
見ようとしなかったのか。

その答えを考えるべく、私はクラフトBOSSブラックを一口飲み、机に置いた。

コメント