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男性職員に殴られ、局も守ってくれず… 自死した「女子アナ第1号」の闇 わずか8ヶ月で退職し「男性社会の犠牲になった」と語った(炎上の歴史)

炎上とスキャンダルの歴史


女子アナの上納疑惑をめぐり、芸能界に激震が走っている。それに伴いテレビ局における「女子アナ」のあり方、役割にまつわる議論が活発化しているが、じつは「日本初の女子アナウンサー」であった翠川秋子は入社から1年足らずで退職し、その際「男性社会の犠牲になった」と語っている。そして10年後には入水自殺してしまうのだが、彼女に何があったのだろうか?


 

NHKの前身・東京放送局で誕生した「日本初の女子アナ」

 

 フジテレビが連日連夜、大炎上していますね。人気タレントの中居正広さんとX子さんについての「週刊文春」のスクープ記事をきっかけに、フジには人気タレントに社員を上納するシステムがあるとかないとか、物騒な話を聞くようになりました。

 

 X子さんが女子アナウンサーだったことから、1925年(大正14年)6月、社団法人東京放送局(NHKの前身)で日本初の女性アナウンサーとなった翠川秋子の事案が掘り出されています。

 

 由緒ただしい武士の家系に生まれた翠川は、女子美術学校(現在の女子美術大学)を卒業後、とあるサラリーマン男性を養子に迎えて結婚しました。1男2女を授かったものの、死別。

 

 社団法人東京放送局の重役だった後藤新平の目に留まった翠川は、東京放送局のアナウンサー試験を受け、薩摩琵琶を披露して見事合格しました。琵琶で鍛えた朗々たる声量と美声が評価されたのです。日本初の女子アナウンサーの誕生でした。

 

■ニュースよりも料理番組などを主に担当

 

 まだテレビの時代ではなく、彼女の姿形を視聴者が目にするのは新聞や雑誌の白黒写真だけでしたが、当時珍しかった洋装に断髪――ショートカットのモダンガール・翠川秋子に大きな注目が集まります。

 

 とはいえ、彼女の主戦場はラジオ番組の花形であるニュースではなく、料理番組などでした。このあたりにも世間や会社が「女子アナ」に求めるものの本質が、当時から現代まであまり変化がないと思わせるところです。

 

 翠川の子どもたちは初放送を楽しみにしており、ラジオから聞こえてくる母親の声に歓声をあげたとか……。その一方でゴシップ欄ではさっそく叩かれ、「鼻をつまんだような声」などと嘲られましたが、彼女の明快な語り口は印象的だったともいいます。

 

■生意気だと殴られ、机に突っ伏して泣いた

 

 アナウンサーの仕事にも慣れてきた11月のある日。料理番組と家庭講座の放送を終え、自席に戻ろうとした翠川に浴びせられたのは、「オイ君、アナウンスの終りにございますはよくないぜ、以後注意した方がいいぜ」(『文藝春秋』1980年12月号)という、過度に「命令的」な指導でした。

 

 声の主は洋楽部主任の Sという男性職員でしたが、翠川は反論。すると生意気だと殴られてしまったのです。翠川は机に突っ伏して泣きながら「告訴する」と言いましたが、ときのH部長は「まぁまぁ」と宥めるだけでした。

 

■「事実無根の誹謗中傷」を受けても、局は守ってくれなかった

 

 さらに酷かったのは、その事件を聞きつけた「ある新聞」に、翠川を人格攻撃する記事が3日連続で掲載されたことでした。他の男性アナウンサーより目立つ華やかな翠川と、彼女を許せなかった世間からの女叩きが始まったのです。

 

 当時の記事を筆者の言葉で要約すると、

 

「朝早く、いつも違う男と自動車に乗っている」。

「帝国ホテル、ステーションホテルから出てくるのを見た」。

「講演活動もしているのは、その主宰者をハニートラップした結果」。

「周囲の取り巻き男性はみな肉体関係があって、とくにお気に入りの男もいる」。

 

 最初の二つは職業柄、おかしなことではなく(とくに最初は出勤光景に過ぎない)、次の二つはまったく事実無根の誹謗中傷でした。

 

 しかし、局は彼女を守らず、そうしたことが続いた結果、入社からわずか8ヶ月での退職となったそうです。退職後も、突然消えた翠川秋子について尋ねられた局は「なぜ辞めたのかわかりません」とトボけた回答をするだけでした。

 

■入水自殺したのちも、ゴシップを書き立てられた

 

 退職後の翠川の人生は迷走しました。そして1935年(昭和10年)820日、千葉県館山市の坂田海岸に男女の遺体が漂着しているのが発見されています。それは翠川と、かつて彼女がおでん屋をやっていたときの常連だった年下のラガーマンの変わり果てた姿でした。

 

 しかし、新聞は恋人と思われる男性と心中した翠川を責めたて、遺体発見を告げる記事でも「恋の骸と消えた翠川女史」「女人愛欲の情死行」「若き愛人と最後の営み」などと面白がって書くだけだったのです(「読売新聞」1935年・昭和10821日朝刊)。

 

「男性社会の犠牲になった」と翠川は嘆いていたそうですが、なぜここまでの悲劇になってしまったのか、理解に苦しむところもあります。

 

千葉県 坂田海岸

 


 

<相談窓口の一覧>

・厚生労働省 まもろうよこころ https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧) https://jscp.or.jp/soudan/ 

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過去記事

堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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