Part 01: ……ずっと一緒に暮らしてきたのだから、ときには厳しいことを言って諭すことも必要だと思っていた。 そして、しっかりと話し合えば想いが伝わってわかってくれるはずだと……私は、信じていた。 …………。 だけど、今になって思うと……私のそんな考えはただの未熟な甘えであり、独りよがりなものだったのかもしれない。 レナ: (血の繋がらない他人よりも、相手のことを思いやって優しさを忘れない……それが家族だと思っていたのに) それがどうして、こんなことになったのだろう。私はどこで、何を間違えてしまったのか――。 繰り返される自問の呟きが、後悔や自責の思いと混ざり合って……私の心を内側から切り刻んでいく。 ……もはや、やり直すことなどできない。現実は冷たく、容赦なく結果を突きつけて一切の希望などを与えてくれない。 だが、それも当然のこと。全ては自業自得で、誰を責めるまでもなく悪いのは全て私なのだ。 だから、目の前にある事実をありのまま受け入れる以外……今の私にできることは何もない。 この手は血の臭いが染みつくほどに汚れ……「あの子」が愛してくれた自分の姿とは、全く別物になってしまっている。 そして、私のことを大切に想ってくれていた「はず」の人は、どんなに呼びかけても声が届かない存在になり果ててしまった……。 それは、日曜日の午前中――。 レナ: お父さん。……話があるの、ちょっとだけいい? 用意した遅い朝食を半分近く残していそいそと自室で外出の準備を始めた父に、私は意を決して話しかける。 振り返ったその表情は、出先での楽しみにでも思いを馳せているのか……だらしなく緩みきって、視線は微妙にずれているようにも感じられた。 レナの父: なんだい、礼奈。込み入った話だったら、帰ってからでもいいか?早く出ないと、約束の時間に遅れそうなんだ。 レナ: ……っ……。 思わず「わかった」と答えそうになった自分の言葉を辛うじて飲み込み、ごくっと喉を鳴らす。 こんなふうにはぐらかされることは、実のところ一度や二度ではない。思いつく限りでも4回……いや、5回か。 加えて毎回、その約束が守られたことがない。なぜなら父は、深夜遅くに帰ってきた上で……必ず、面倒そうにこう答えるからだ。 レナの父: ……悪いな、礼奈。今日はもう疲れたから、明日にしてくれないか? そう告げてから父は寝室に向かい、布団を大雑把に広げると中にもぐり込んですぐに高いびきで眠ってしまう……。 そして朝になると、父は昨日の疲れを理由にして起きてくることがなく、仕方なくため息をついて私は朝と昼の食事を用意してから家を出る……。 対話の機会など、あったものではない。だからこそもう同じ轍は踏まないとばかりに自分を鼓舞し、さらに言い募っていった。 レナ: ……ほんの少しでもいいから、聞いて。場合によっては、警察に来てもらわないといけないことかもしれないから。 レナの父: っ……警察、だって……? さすがの父も警察の名前が出てきては無視ができないのか……ぎょっ、と目を見開いて困惑の表情を浮かべる。 実の娘が相談したいと言っても一顧だにしなかったのに、犯罪が絡んで不利益を被ることには足を止めるのか……。 それはとりもなおさず、家族よりも自分の現状や立場を心配した上での自衛本能、利己的な反応なのだと思って寂しくもなったが……。 かといって相手が父である以上、嫌悪感や侮蔑の感情を抱くべきではない。そう戒めてから私は、言葉を繋いでいった。 レナ: 最近、箪笥の中にしまっていた現金がいつの間にか少なくなっているみたいなの。……何か、心当たりはある? レナの父: ――――。 さっきまでのご機嫌で紅潮していた顔が、みるみるうちに青ざめていく。……わかりやすい変化に、失望を禁じ得ない。 レナ: (なんで、私が気づかないと思ったのかな……かな?) ちょっとした買い物にも、現金は必要だ。家事を任されている以上、それらに関わることなく過ごすことはほぼあり得ない。 だったらせめて、隠すくらいの器量と機転があっても然るべきだろう。……騙されるのは悲しいが、無警戒なのも馬鹿にされているようで不快だった。 レナ: 知らないうちに持ち出されていたんだとしたら、留守の間に泥棒が入ったのかもしれないし……警察に連絡したほうがいいかな、かな? レナの父: あ、いや……それは……。 レナ: ……。お父さん、あの引き出しの中のお金を何かに使ったの? レナの父: ……っ……。 夏とはいえ、まだ涼しい朝だというのに……父は整えたばかりの前髪が額にはりつくほどに、大量の汗をかき始める。 ここで正直に話して、無駄に使い込んだことを詫びてくれれば……私もあっさり矛を収めて、軽い注意ですませたかもしれない。が……。 レナの父: あー……面接に出向くために服とか、身なりを整えておくべきかと思ってね。それで……ちょっと……。 あまりにも見苦しいというか……下手くそすぎる言い逃れが返ってきた瞬間、私の不快感は頂点に達してしまった。 レナ: 身なりを整える……?だったらどうして、女性用のアクセサリーが必要なのかな……? レナの父: なっ……?! レナ: ……嘘はだめだよ、お父さん。ちゃんと、正直に……話して。 Part 02: その通帳に記載された額を最初に見た時、私の胸に湧き上がってきたのは不快感だけだった。 レナ: (ものすごい額だとは思う……けど……) これまで一緒に過ごしてきた時間を値踏みされ、かつ全てを精算したようなあの人のしたり顔が浮かんでくるような気がして……怒りがこみ上げる。 レナ: (ほんの少し前まで、私が何物にも代えがたいと思っていた幸せとは、……お金に換えられるものだった) そんな傲慢な薄情さが通帳からにじみ出してくるようにも思えて……正直頻繁に見たいものではなかった。 生活費の捻出という名目でもなければ、すぐにでも火にくべて燃やしたいくらいのどす黒い憎しみがあった……。 …………。 だから、見逃した。ずっとそこにあり続けているものだと、勝手に思い込んでいた――。 レナ: はい、もしもし……? それは、本当に偶然だった。休日にたまたま自宅の掃除をしていた時、電話が鳴って私が応対した。 それは、とある店員からのものだった。名古屋にあるデパートで、高級なアクセサリーを扱っている店だという。 店員: 日曜日に、申し訳ございません。お父様はいらっしゃいますでしょうか。 レナ: えっと……父は今、出かけています。ご用件でしたら、私がうけたまわりますが。 ……あとになってよくよく考えてみれば、実に不用心な話だと呆れたものだ。自宅で電話に出るのは、自分でない場合もあるのに。 いや……ひょっとしたら店には伝えていたのに、この担当者にはその話が届いていなかったのかもしれない。 いずれにしても、ここで私は驚くべき事実を聞かされたのだ――。 レナ: …………。 通話を終えて受話器を置き、血の気が失せていく音を耳の奥で……感じる。 父が取り寄せを頼んでいたネックレスが、店に届いたとの知らせだったが……そんなものを購入する必要が、いったいどこにあるというのか。 レナ: (私へのプレゼント……な、わけがない) 絶対にあり得ない可能性を即座に排除し、私は父の寝室に入る。 むっとするような汗臭い空気に顔をしかめながら中に入ると、部屋の隅には無造作にたたまれた布団があって……その上には……。 レナ: これって……昨夜お父さんが着ていた服……? 帰ってくるなり、父は寝床に行ってしまったのでその時は気に留めなかったが……よくよく見ると、普段着ている服とは明らかに質もデザインも違う。 これまでの父は、服装にあまり頓着しない人だった。良く言えば物持ちが良く、悪く言えば己の身なりに対しての意識が低い。 レナ: (以前は「あの人」と一緒に、デザイン会社に働いていたのにね……) なのに……いや、だからこそこんな服を私にも内緒で買っていたことが意外で、不可解で……なにより嫌な違和感があった。 レナ: (就職活動がうまくいって、仕事が見つかった自分へのご褒美だったらまだ納得もできるけど……) あいにく、仕事が決まったという報告は一切受けていない。今日も就活と言って彼は早くから家を出ていた。 レナ: (……。だったら、さっきのアクセサリーとこの服を買ったお金は……っ……) 可能性としたら、ひとつしかない。そう考えて私は年に何度かしか手をつけない箪笥の引き出しを開け、そして……。 レナ: えっ……。 中を開いてみて、思わず……息をのんだ。そこには銀行印の入った帯でまとめられた、1万円札の束が2つもあったからだ。 これほどまでの大金を、直近で一度に下ろしたのはどういう用途があってのことなんだろうか……? レナ: ……っ……。 疑惑は徐々に確信へと昇華して、私は引き出しの奥にしまわれた通帳を手に取って広げる。 基本的にお金を引き出すのは、父の役目だった。子どもが大金を手にするのは危険だ、との言を素直に信じて、通帳には触れなかったのだが……。 レナ: なに……これ……? ……中を見て、絶句した。自分が予想していたよりも、はるかに高額が引き出されている。 少なくとも、毎月の生活費でこれだけの大金を引き出す必要は全くない。節約すれば、丸1年でも過ごせるほどだ。 レナ: ということは……まさか……?! 私は押し入れを開け、これまでは礼儀もあって見ようとしなかった内部を徹底的に調べる。 ……次から次に出てくる、知らない服。まだ包装紙にくるんだ新しいものや、クリーニング屋で綺麗にしてもらったものもある。 レナ: (私の目につかないよう、外で洗濯を頼んでいたのかな……かな) それらの肌触りだけでも、高級な素材によって仕立てられていることが私でもよくわかる。 おまけに、……菜央ちゃんのおかげで詳しくなったのだが、タグや胸ポケットに記されたブランド名は海外でも有名なものばかりだ。 レナ: あっ……? さらに、まるで追い打ちのように……私の足元に、一枚の紙片がひらりと舞い落ちる。 それは、名刺だった。企業訪問などで相手先からもらったものと思いたかったが、派手な色とデザインが私の期待をあっさりと打ち消す。 レナ: 『ブルーマーメイド』……キャバクラ……っ? レナ: お父さん。毎回どこかに出かけていたけど……仕事探し、本当にしていたの? レナの父: も、もちろんだ……!今日も職安で紹介してもらった会社に行って、面接を受けてくるつもりなんだから……。 レナ: ……。それは、なんて名前の会社?どこにあるの? 何をしているところなの? レナの父: な、なんでそんなことまで、お前に話さなければいけないんだ……! 苛立ちをあらわに、父は声を張り上げる。 だが……これはどちらかというと私の生意気に腹を立てたのではなく、その場しのぎ……逆ギレだ。大声を出しても、怯えた目の色はごまかせない。 そんな大人げない稚拙さがさらに私の癇にさわり、口調が感情的なキツイものへと変わっていくのを自分でも止められなかった。 レナ: 仕事探しだって言っていたけど、違うよね?ずっと飲み歩いたりして、遊んでいたんだ……綺麗なお姉さんがいるお店で! レナの父: ……っ……?! レナ: ごまかしてもだめだよ。お父さんがそういうお店に通っていることはいろんな人から聞いて確かめたから。 実に運がいいのか、それとも悪いのか……父が常連として通っているキャバクラは園崎家の息のかかった系列店だった。 おかげで詩ぃちゃんと葛西さんというお付きの人から、父がどれくらいの頻度で店を訪れて……熱を上げているコンパニオンがどんな女性かまで、全てを聞き出せた。 詩音(私服): お怒りはごもっともですが……あまり追い詰めないほうがいいですよ。 詩音(私服): あぁいう遊びに慣れていない人は、距離感を間違えて思い込みだけで突っ走って……他人の言うことなんてまるで耳を貸さないことが多いので。 詩音(私服): 非難するのは論外。……理詰めもおすすめしません。じっくり時間をかけて、話し合ってください。 そう、詩ぃちゃんは助言をしてくれた。だから私も過剰に責めるようなことはせずに話し合おうと思っていた……けど……。 レナの父: だ……だったらどうしたっ?たまの息抜きに利用して、何が悪い?! レナ: たまに……本当に?週の3、4回……それと今日みたいに、土日も使って会っているのに……? レナの父: う……うるさいっ!私は、自分の金を好きに使っているだけだ!非難されるいわれはないッ! レナ: 自分の……お金……っ? その身勝手すぎる言い分に、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。 確かに「あの人」は、父に慰謝料を支払った。しかしそれには、私が将来必要になる学費やそれに関係するお金も含まれていたはずだ。 つまり、あの通帳に記載されていたお金は不本意だが私のお金も含まれていることに他ならない……。 レナ: (なのに……そんな言い方は……ッ!!) ……ただ、今になって思う。ここまでだったら、私も怒りつつも爆発を抑え込んで話ができたはずだ。 あるいは、これ以上言い合いを続けても埒があかないと諦め……夜にもう一度、と切り替えて矛を収めていたかもしれない。 だけど……続けざまに、父は……言った。一番私が言われたくない、あの台詞を……!! レナの父: 本当にお前は、あいつにそっくりだ……!何かにつけて細かくて、つまらないことで難癖をつけてくる! レナの父: お前と話すことは、何もない!どけっ! レナ: ……っ……?! レナ: あいつにそっくりって……それは誰のことかな、かな……ッ?! Part 03: レナ: 今になって振り返ると、あの時はレナもお父さんも頭に血が上って……冷静ではなかったんだと思う。 レナ: だから、言葉の使い方を間違えて言わなくてもいいこと、本心とは違ったことを口走ってしまって……。 レナ: それでどんどん感情が激しくなって、取り返しのつかないところまで落ちていっちゃったんだろうね……。 圭一(私服): …………。 レナ: 最初に暴力を振るったのは、お父さんだった。怒鳴りながら、本気でレナに手を挙げてきて……怖くはなかったけど、すごく悲しかった。 だから、つい父の顔を見てしまった。それが彼をさらに怒らせて、怯えさせることになるとわかっていたのに……。 圭一(私服): レナ……。 レナ: それでも、ね。謝りたくはなかったけど……お父さんの気が済むなら、ずっと殴られてもいいと思った。レナが酷いことを言ったのは事実だったしね。 レナ: でも……だけどね、……。 レナの父: そんなに真似ばかりするなら、あいつのところへ行けばいいだろうがっ! レナ: ――っ……?! その言葉が、……必死に守り続けていた私の心の火薬庫に火を投じたのだ。 レナ: (……行けって……なんで……?) レナ: (なんでそんなこと、言うのかな……かな……?) レナ: (私は、味方をして……庇ってあげたのに……) レナ: (情けないお前のために、大好きだったあの人を私の家族の中から追い出してやったのにっっ!!) レナ: 立ち上がりながら、その勢いで……お父さんの胸を突き飛ばしたんだ。 レナ: そうしたらお父さん、すぐ後ろの床に転がっていた酒瓶に足を取られて、後ろ向きに倒れて……。 レナ: ちょうどそこに、テーブルの角があって。後頭部をぶつけたみたいで小さな悲鳴を上げて、そのまま……動かなくなった……。 圭一(私服): …………。 レナ: 血は、そんなに出ていなかった……でも、何度呼びかけても声は戻ってこなくて! レナ: 気絶したのかなって思ったけど、体温がどんどん下がって、身体が冷たくなってきて……! 圭一(私服): ……。なんでその時点で、警察に言わなくても監督とかに相談しなかったんだ……? レナ: だ……だって……!もう、みんなに合わせる顔がないと思ったから……それで……! レナ: うっ、ぅうぅっ……うああぁぁぁあぁっ……! レナ: うわあああぁぁぁぁぁああああぁぁんんっっ!! レナの慟哭が、暗い林の中で……いつまでも、いつまでも……響き渡る。 そんな彼女に対して、俺は……自分の無力さを歯がゆく、口惜しく思いながらただ見つめることしかできなかった……。 …………。 羽入(私服): 大丈夫ですか、梨花……? 梨花(私服): ……なわけないじゃない。正直言って当分の間は何も考えたくないし、今すぐにでもやり直しを始めたいくらいよ。 羽入(私服): あぅあぅ……レナは結局、どうしたのですか? 梨花(私服): ……自首したわ。圭一と魅音、それに菜央は全て隠し通すことを最後まで説得していたみたいだけどね。 羽入(私服): …………。 梨花(私服): レナは、家族を守るために……父を弄んでいた愛人とその連れの男を殺した。 梨花(私服): そして今回は、家族のことを思って説得を試みて……凶行に手を染めることになった。 梨花(私服): レナは、どうすればよかったのかしら。どちらを選んでも不幸だというのなら、あの子が幸せを掴む道は……なかったというの……? 羽入(私服): 梨花……。 梨花(私服): ……ごめんなさい、羽入。さすがにちょっと……今回の顛末はきつかったわ。 梨花(私服): 怠惰と堕落が染みついた親の愚行が収まらない限り、レナの努力は報われないのだとしたら……家族ってのは、何のために存在するのかしらね……。 羽入(私服): ……。次のカケラでは、きっと変えられるのですよ。レナが誰かに頼るということを、学んでくれれば。 梨花(私服): 頼ることを学ぶ……か。私も、他人のことは言えないけどね。 梨花(私服): とはいえ……レナには「あの子」がいる。本来あり得なかった奇跡に気づくことができれば、あるいは……。 羽入(私服): …………。 梨花(私服): 頼んだわよ……※※……。レナを本当の意味で救ってあげられるのは、あなたしかいないわ。