Part 01: 高野製薬に忍び込むと決めた時から、全員無事で戻ってくることは難しい……少なくとも、その覚悟はしていた。 そもそも勝算などなく、事前の下調べや準備もせずにほぼ丸腰で飛び込んだところで、結果は明らかだろう。無謀どころか、自棄にも等しい暴挙だと自分でも思う。 さらに言うと、菜央たちが過去を改変すれば私たちの行動は成功と失敗の云々にかかわらず、「な」かったことになる可能性が高い。 レナ(24歳): (采様と、「#p田村媛#sたむらひめ#r命様」への交渉はできた。だからもう、私たちにできることは何もない。でも……) ただ、知りたかったのだ。こんなにも「世界」が壊されることになったその原因と、……元凶の正体を。 それを知った上で命を落とすのなら、承服はできなくても……納得はできる。そう考えた上で、私はここに来た。 きっとそれは、私だけではなく……ここにいる魅ぃちゃんや夏美さん、川田さんと灯ちゃん……。 外で待ってくれている南井さんや絢花ちゃんも、同じ思いだろう。……だからこそ、自分が今この場にいることに後悔などはない。 それでも……予想通りとはいえ事実として「彼女」の姿を目の当たりにすると、やはり驚きと困惑に言葉を失ってしまった。 レナ(24歳): ……っ……。 隠し部屋へと続くたった1つの階段から、銃器を手にした目出し帽の男たちが流れるように姿を現して取り囲んでくる。 それらを背後に並べながら……「彼女」は気味の悪い薄笑いを浮かべて私たちを傲然と見つめ返してきた。 魅音(25歳): ……高野さん。いや、あんたは何者だ……?! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 何者って……それはどういう意味かしら、魅音ちゃん。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 私は、高野美代子。10年前の大災害直前まで#p雛見沢#sひなみざわ#rで働いていた、あなたたちがよく知る診療所の看護婦よ。 レナ(24歳): ……違う。 即座に否定で斬って捨てると同時に、場の視線と銃口が一斉にこちらへと向けられる。 だけど、……奇妙なことに圧力は感じても恐怖や怯えはない。後顧の憂いを捨てて覚悟を決めた人とは、こんな心境になるのだろうか。 レナ(24歳): あなたは、雛見沢で看護婦をしていた高野美代子さんではありません。もちろん、「鷹野三四」さんでもない。 レナ(24歳): 姿形だけがよく似た……全くの別人です。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ……その理由は? レナ(24歳): 心から信頼しているあの子が……私の妹が、絶対に違うと言い切った。それだけです。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ずいぶんと薄弱な根拠ね。もし訴訟に持ち込んだら、証拠不十分……いえ皆無として、確実に私が勝てるわ。 魅音(25歳): あいにくここは、裁判所じゃない。私たちとあんたの処刑場……そして、墓場だよ。 魅ぃちゃんはそう言って、不敵に笑ってみせる。 それは強がりでもなければ、誇張でもない。さっきも言ったようにこの「世界」は、菜央たちの行動によって存在しないものになるからだ。 その結果として、私たちだけでなく目の前の高野さんも同時に消えることになる……彼女が抱いた野望、そして企みと一緒に。 すると、魅ぃちゃんの言葉に含まれた意味を理解したのか……高野さんはふふ、と笑みを口元に浮かべながら軽く頷いていった。 鷹野(40代): 処刑場……墓場、か。確かに言い得て妙というか、ある意味でその通りなのかもしれないわね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: でも……くすくす、くすくす……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あは、あはははははっ……!その結論に至るまで、ずいぶん待たされたわ!! とぼけるような態度を即座に消し去り、彼女は怪しい眼光とともに哄笑して――。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: にしても遅い、遅すぎる……! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: やっぱり違う「世界」の記憶を重ね合わせても、思考と判断における能力の成長は人間ふぜいだと限界があるってことなのかしらね……?! レナ(24歳): ……っ……?! その言葉を聞いた私は、瞬時に察する。違う「世界」の記憶と、重ね合わせ……それが意味するところは、つまりッ!! レナ(24歳): 高野さん……やっぱりあなたにも、他の「世界」の記憶があるんですね……! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ふふ……そんな甘っちょろいものじゃないわ。あなたたちが言う他の「世界」の記憶なんて、せいぜい1つや2つが関の山でしょう? 川田: 私はもう少しありますけどね……。ざっと数えると、数千といったところでしょうか。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら、ずいぶんと大きく出たものね。……ただ、それでも私が経てきた場数にはほど遠い。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 私はね……全ての『カケラ』の中身を把握しているの。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 元からあったものだけでなく、「繰り返す者」によって数限りなく増殖した新たな「世界」も含めて……何もかもを、ね。 魅音(25歳): 増殖した、「世界」……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 気づいていなかったのね。「世界」とは人の意思や起きた事象によって、無限に枝分かれしていく。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: いわゆる「可能性」が生み出した選択肢が、同じ要素であっても結果が異なる『平行世界』を構築していくのよ。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: そして私は、全知の存在……神によってこの「世界」を任された管理人といったところかしらね……。 レナ(24歳): …………。 陶酔しきったような言葉遣いが不快で、気色悪くて……吐き気を催しそうになる。 彼女の#p思惑#sおもわく#rを深く追求したいという思いと、付き合っていられないという嫌悪感。その2つが同時に、私の心の中でせめぎ合っていた。 レナ(24歳): 高野さん……とりあえず、今だけはそう呼んでおきます。 レナ(24歳): 正直言って私たちは、あなたが語る「世界」の構造がどうとかについては全く興味がないです。 レナ(24歳): ……私が聞きたいのは、ひとつだけ。 そう言って息を整えながら、私は机の上に置かれた巨大な硝子瓶を指さす。 中は薬液で満たされていて、さらにあちこちを電極で繋がれた灰色の脳がまるで人体標本のように浮かんでいたが……。 レナ(24歳): あれは……梨花ちゃん、ですか……? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: …………。 私が向けた指の先を一瞥し、高野さんはくすり、と笑う。そして―― #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ……えぇ、そうよ。やっぱり可愛い子は、臓器も美しいわね。まるで美術品のように光り輝いているようだわ。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: やっぱり古手家の特別な子はなにもかもが特別なのね……あははは! レナ(24歳): お前……お前はあぁぁぁぁああッッ!! 視界が、黒と赤に浸食されていく。呼吸が浅くなって、指先が温度を失い冷たく凍える。 ……もちろん、聞くまでもなかった。あの脳は梨花ちゃんで、もはや生きているとは絶対に言えない状態にあるってことは。 そして、彼女がこうなっている以上最後までそばにいたはずの圭一くん、詩ぃちゃん、沙都子ちゃんたちは……もう、この世にいない。 だけど、その事実を今の言葉から否応なしに悟らされてしまった以上、冷静に振る舞うはずだった理性はもはや遠い場所に消えてしまって……ッ! レナ(24歳): よくも、よくも梨花ちゃんを……、ッ?! 前のめりに踏み出そうとした身体が、いきなり乱暴な力で後ろへと引っ張られる。 川田: ……待ってください、レナさん! そして、それが襟首を掴まれたせいだとわかった次の瞬間、今度は腰に長い腕が左右から絡みついてくるのを感じた。 レナ(24歳): み、魅ぃちゃん……? 魅音(25歳): 先走らないで!まだ話は終わっていないんだから……! 川田: ここに来た目的は、何ですか?まさか、仇討ちに来たわけじゃないですよね……? レナ(24歳): ……っ……! 川田: あのニセ高野さんから聞かなきゃいけないことがまだあるんですから。ひとりで勝手に死に急いで、私たちの邪魔をしないでください。 レナ(24歳): ……ごめんなさい。 悔しいけれど、その通りだ。私は必死に呼吸を整えて、激情を抑え込む。 すると、そんな私を後ろに押しのけて……魅ぃちゃんがやや震えた口調で高野さんに問いかけていった。 魅音(25歳): 仮にあんたが、高野美代子本人じゃないっていうならさ……。 魅音(25歳): 鷹野さんの、大切な祖父のために努力してきた成果を盗んで利用した、最低最悪の鬼畜外道ってわけになるけど……そうなのかい?! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら……そんな感情的な安い挑発でしか他人を非難できないなんてね。申し訳ないけど私、頭の悪い子は嫌いよ。 魅音(25歳): はっ……! 自分の野心のために理性と人の心を捨て去った人間に好かれてもねぇ! 魅ぃちゃんの罵声を受けても、高野さんの表情は笑みをたたえたまま変わらない。……と、今度は夏美さんが静かに前へ進み出る。 覚悟を決めたのか彼女の表情には、もう弱々しさはない。毅然としたその瞳には、強い光が宿っていた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……高野さん。私のことを、覚えていますか? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: えぇ。もちろん。旦那さん、元気になったそうで……よかったわね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あなたのような狂犬を内に飼っている危険な女を身内に置いておけるなんて、心の広いことだわ。愛は盲目とは、よく言ったものね……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……っ……。 ぎりっ、と怒りを滲ませて今にも噛みつかんばかりに眦をつり上げながらも、夏美さんは必死に唇を噛んでこらえている。 そして、大きくため息をついて気を静めてから高野さんをまっすぐ見据えながら口を開いていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 暁くんは、私には勿体ないほどの人です。だから、お世辞ならまだしも揶揄は止めてください。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 少なくとも、愛を知らないあなたに私たちの愛を蔑まれるいわれはありません。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ――――。 どれだけ魅ぃちゃんが挑発しても薄い笑みと余裕を崩さなかった高野さんの表情が、その一言で……瞬時に消え去る。 その反応を前にしても夏美さんはこぶしを握りしめながら怯まず、さらに反撃するように続けていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 残念ですが……ここで今私たちを全員始末したとしても、あなたたちの陰謀はすでに露見しました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……もう、終わりです。観念してください。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: …………。 夏美さんの言葉を聞き届けて、能面のようになっていた高野さんの顔がゆっくりと……表情を取り戻す。 だけど、再び浮かび上がったそれは先程の余裕を感じさせる笑みではなく……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: くっくっくっ……! 奥底に押し込めた怒りが泡のようにふつふつと浮かぶ、酷薄な笑みだった。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: くすくす……その言葉は、この子たちを見てからでも言えるのかしら? パチン、と高野さんが手を叩くと同時に……。 階段の上から私たちの足元へ向けてどさ、どさと荷物のように無造作に投げ込まれたそれは――! 川田: み……南井さん?! レナ(24歳): 絢花ちゃん! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ご、ごめんなさい……っ。 巴: 大丈夫……ごめん。見つからないように立ち回って警戒していたのに、いつの間にか連中に取り囲まれて……。 灯: ……なるほど、「カード」の力か。南井さんだけじゃなく、絢さんまでも欺くとは大したものですね。 川田: あんた、何を呑気に……! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: くす……やっぱり人間は、考えが浅いわねぇ……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あらゆる可能性を想定していると言いつつ、こちらが何百万通りもの対策を講じているとは夢にも思わない。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 相手の能力への調査と分析を軽んずるから、全て察した気になってこちらの思惑通り動いてしまう。……傲慢なのはいったい、どちらなのかしら。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あと……そこの警察の女。自分が死んだ後の手も打っていたみたいだけど……残念、そちらも対処済みよ。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: この女の部下が何をわめこうが、頭のおかしな女が不法侵入の末に事故死したって結末はもう決まっているの。 魅音(25歳): っ……誰が決めたんだよ、そんなこと! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: もちろん、私よ。神の代弁者たる私によって決定され、実行へと移された。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 神の前では、あなたたちの意思や信念など全くの無意味なのよ。……己が塵芥だということを自覚しなさい。 レナ(24歳): ……っ……! 高野さんが話に酔っている間に視線を走らせて、私は2人の手足を縛っているものを確認する。 レナ(24歳): (縄じゃない……プラスチックでできた拘束具?) 道具がなければ、簡単に外せないだろう。となると、身動きできない2人を抱えてこの包囲網を突破するのは……さすがに無理か。 レナ(24歳): (私と魅ぃちゃん、夏美さん……それとおそらく川田さんは、もう覚悟ができていると思うけど……) できれば雛見沢に関係の薄い南井さんと絢花ちゃん、そして灯ちゃんはなんとかこの場から逃がしてあげたい。……そう思うのは、さすがに私のわがままだろうか。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……自分のことを神呼ばわりなんて、どこまで思い上がっているんですか?! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 思い上がりなどではないわ。そして勘違いもしていない。……私は神よ。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: この「世界」の理を熟知して、全ての事象を操り管理する……全知全能の存在から選ばれたのが、私なの。 傲然と言い放つ高野さんの言葉が……上手く、飲み込めない。唯一理解できたのは、この女が普通ではないということだけだった。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: なんの力もなくみじめに死ぬ私を……神は選び、救い、そして自らの力を分け与えてくださったのよ。 高野: つまり私は、選ばれた存在。この世に為すべき使命を果たし、忠実に神の意向を皆に知らしめる……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あなたたちみたいに誰にも選ばれず、自分たちが死ぬことを前提としなければ何もできない女たちとは違うのよ。 レナ(24歳): (……確かに、違うよね) この人は、自分と同じ場所に立てないと判断した人間を見下ろしているだけの……ただの高慢な人間でしかない。 げんに彼女からは、神々しさも荘厳さも感じられない。代わりに伝わってくるのは、禍々しい凶気と惑乱だった。 川田: はぁ……なるほど? と、隣の川田さんも同じことを考えたようで、呆れたように鼻で笑って返す。 そして、慎重に周囲の男たちの動きを目で牽制しながら、高野さんに相対していった。 川田: ……つまり、私とご同類ですか。神様から力を得て、それを行使している。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: はっ、思い上がった台詞を……!『采』とかいう三流の神と私の神は違うわ。一緒にするなんて、実におこがましい……! 川田: 采様のことをご存じな上に、三流呼ばわりですか……あなたの神は、さぞやお偉い神様なんでしょうね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 当然でしょう……?あなたの神なんて足元にも及ばぬ偉大な神よ。 川田: なるほどなるほど……神と戦えと言った采様の真意はコレでしたか。 レナ(24歳): ……あなた、鷹野さんじゃないですね。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 何度も同じことを壊れたレコーダーみたいに言うのね。じゃあ、私は誰だと言うの? レナ(24歳): それはわかりません。……だけど、あなたが西園寺家に加担していること、そして……。 すっ、と見せつけるように伸ばした右手。人差し指を立てたそこに、中指を追加で立てる。 レナ(24歳): 雛見沢を憎んでいることは、間違いない。 レナ(24歳): そして、なぜか梨花ちゃんのことも……そうじゃなきゃ、こんなことはできない。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ……それだけ?だったら、なんにもわからないのと同じよ? #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ふふ……みじめよね、何も知らない人間って。何もできないのに身勝手な妄想だけ巡らせて。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: 自分は真実を知ってるんだぞ、って思い込むことしかできないんだもの。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ……あは、あはは! あははははは!! 不気味に笑う高野さんに対して憤りを覚えつつも、返す言葉が……ない。 該当しそうな要素を判別できたところで、確固たる対象の正体が思いつかない以上彼女の優位性は全く揺るがないのだ……。 魅音(25歳): ……っ……! 村人を全員把握しているはずの魅ぃちゃんが、苛立ちに目をむきながら額に汗を浮かばせている。 きっと必死に、目の前の人物が何者なのかを洗い出そうとしているのだろう。陰謀の端緒を掴み、運命に抗うために……! レナ(24歳): (魅ぃちゃん、頑張って!お願い、思い出して……!) 正体不明のままでは、相手の精神的優位は揺るがない。打てる対策も限られる……! レナ(24歳): (何かいい方法……突破口があれば……!) と、そんな中……ぽつり、と。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……香苗江、おばさん? 背後にいた夏美さんが、とある人物の名前を呟いた……。 Part 02: レナ(24歳): 公由、香苗江……あっ……?! その名前を耳にした瞬間、胸の奥で鍵が壊れるような感覚があった。 たとえるなら、密閉されていた容器のフタがパチン……と開いたような。 あるいは今まで場を支配していた向かい風が、突然こちらの背を押すように変わったような……! 灯: あ、あぁ……ああ!!そうか! そういうことか……! 魅音(25歳): 公由香苗江って、公由怜の母親?! 続いて、灯ちゃんと魅ぃちゃんも合点したように声を上げ、大きく目を見開く。 すると、高野さん……いや。推定・公由香苗江が苛立たしげに表情をゆがめるのがはっきりと見て取れた。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……誰のことかしら。 そんな否定の言葉さえ、力がこもっていない。まさか指摘されるとは思っていなかった、と彼女の所作が物語っていた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: つまり、顔を整形した……?でも、顔を似せられても中身まで鷹野さんそっくりなのは……?! レナ(24歳): ううん、外見さえ近づけてしまえば中身は全く似せる必要はないよ。 レナ(24歳): だって、#p雛見沢#sひなみざわ#r時代の鷹野さんを知っている人はもう全員死んでいるんだから……! 魅音(25歳): そうか……雛見沢大災害のどさくさで戸籍ごと入れ替わったのか!! 魅ぃちゃんのその指摘に、隣に立っていた灯ちゃんが頷いて……さらに言葉を繋いでいった。 灯: 経験は人を変える……か。悲劇的な災害に巻き込まれて変わったのだ、という言い訳は十分な説得力があるだろうね。 灯: 記憶についても、同様のことだ。あの事件の後遺症で記憶が曖昧になった、と言ってしまえば理由になるってことか……。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……っ……。 灯: どちらにせよ、雛見沢時代の鷹野三四を直接知っている人間が死亡しているなら……発覚の確率は低くなる。 灯: 姿形を似せたとしても、言動やちょっとした癖で違和感が出るのは避けられないだろうからね。 魅音(25歳): じゃあ、千雨が以前に話してくれた……美雪と一緒に高野さんのところへ会いに行った時、2人のことを知らない様子だったってのは……?! 巴: 私の知人の、娘さんたちなんです。……この子たちのこと、覚えていませんか? 巴: 子どもの頃に、雛見沢の診療所で高野先生にご恩があったそうなので、久しぶりに会ってお礼を言いたいと……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あら、そうだったの。くすくす……わざわざありがとう。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: ……でも、ごめんなさい。すぐには思い出せなくて……歳のせいかしら。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あっ、#p興宮#sおきのみや#rの子たちもたまに診察したことがあったから……もしかしてその時に? 美雪(私服): はい、そうです。もう10年くらい前のことです。 千雨: ……その節は、とてもお世話になりました。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: いえいえ。こんな可愛いお嬢さんに成長した姿を見ていると、小児科も頑張って本当に良かったと心から思うわ。 レナ(24歳): 2人のことを知らないのは、「世界」が違うとか……そういう理由じゃない。シンプルに、別人だったからだよ。 魅音(25歳): 偽名を使った私が、園崎魅音だって気づいていたとしても言及しなかったのは……本物との思い出や記憶の食い違いを恐れて?! #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あの……そちらのお嬢さんってもしかして公由夏美さん? レナ(24歳): 逆に、夏美さんのことがすぐにわかったのは親戚として以前、何度も会っていたから……? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: おそらく。それに「鷹野さん」としての知識も、何らかの機会で治療カルテを見ることができればある程度話を合わせることも可能でしょう。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 治療カルテには、雑談とか細かいことを書いているお医者さんも多いですからね。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……ぐっ……! 灯: 怜は、息子はこの事実を知らなかったのか……?しばらく会ってないとも言っていたが。 川田: 断言してもいいですよ。あの男がこのことを知っていたら、あんたの前に顔なんて絶ッ対に出せませんでした。 川田: それと、他にわかったことは……この女が、実の息子が目の前に現れても平然と他人のフリができる、最悪の異常者ってことですかね。 川田: この私に異常者呼ばわりされるのは、まぁ不本意の極みでしょうけど……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ただ……彼女が公由香苗江だとして、どうして鷹野さんと入れ替わる必要が? レナ(24歳): ……利用価値があったんだよ、鷹野さんには。 その疑問に対して、私は確信を込めて答える。 ……不思議なものだ。正体がわかった瞬間から、ボロボロと剥げ落ちるように相手の#p思惑#sおもわく#rが理解できていく……。 レナ(24歳): この人の背後には、何か大きな組織がある……以前の鷹野さんの後ろについていたものか、それに匹敵するレベルのものがね。 レナ(24歳): だから、別人にすり替えたんだ。……自分たちの言うことを完璧に聞く、「高野美代子」を作り上げるために! つまり、私が「礼奈」だった「世界」――鷹野さんのお祖父さんの研究が認められた「世界」でも彼女は、この「入れ替わり」のために殺されるのだ。 ……梨花ちゃんから伝え聞いた話だと、鷹野さんは決して善良でも一方的な被害者でもない。よって謀殺も因果応報と言われれば、確かにそうだ。 さらに言うと彼女が、梨花ちゃんや私たち……雛見沢そのものを害そうとした「世界」があったことも紛れもない事実らしい。 でも……だからといって「入れ替わり」の事実は肯定や、正当化できるものでは決してない!むしろ糾弾されるべき極悪の所業だ……! レナ(24歳): だとすると、敵が欲しかったのは祖父から受け継いだ立場や地位を持ち……かつ、自分たちの言うことを完璧に聞く高野美代子。 祖父の研究が認めらない「世界」では、研究を捨てられない。研究が認められた「世界」では、祖父の優しさを捨てられない。 彼女に捨てられないものがある限り、言いなりのお人形にはならない……それゆえに、殺されたのだ。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……全て憶測の域を出ないものね。それで私の正体を突き止めたとでも? レナ(24歳): 確かに、……証拠はありません。でも、大切な証言があるんです。 鷹野(軍服): ……あなたの言う通りよ、菜央ちゃん。これだけの規模に加担した私のことを、組織は決して許さない。 鷹野(軍服): だから全てが終わって目的を果たしたあかつきには、運命に殉じる覚悟もできているわ。 菜央: …………。 鷹野(軍服): でも、今の私はジロウさんだけを生かせる方法を必死で模索して……それがないことに絶望している。 魅ぃちゃんが教えてくれた、菜央が鷹野さん本人から聞いたという話……その意味が今になって、やっとわかった。 レナ(24歳): 鷹野さんは、かつて言っていたそうです。何がどう転んでも、富竹ジロウさんが殺害されると。 レナ(24歳): 彼が殺される理由、それは……。 レナ(24歳): 一番鷹野さんを知る富竹さんは、入れ替わりの障害になる!だから確実に殺す必要があった! 魅音(25歳): となると……監督も、生きていないだろうね。表向きは外国に行ったことにされているだけで。 川田: 生かす理由がありませんからね……私も、彼にはちょっと同情しますよ。 川田: 素直に清廉潔白と言うにはアレでしたが、とても真摯で……正直な人でしたからね。 レナ(24歳): 川田さん……。 川田: 私が見たカケラの中には、他者の罪を着せられて……無実の罪で医療界を追われた彼が、心を病んだ結果歪んでしまったものもありました。 川田: あれは、本当に可哀想でした……。本人はただ、自分の夢であった研究を追求したかっただけなのに……。 レナ(24歳): …………。 ……それは、「礼奈」であった私が地下で繋がれている梨花ちゃんを見つけた時の監督のことだろうか。 でも、それなら納得できる。……川田さんが同情するのも、わからなくもない。 レナ(24歳): (あの時の監督は、雛見沢に来る前に……私たちと出会う前に恐ろしい出来事が起きて、どうしようもなく歪んでしまっていたんだね) 私たちの知っている監督は、優しい人だった。それは間違いのない事実で、断言してもいい。 でも、優しい人が叩きつけられた悲劇のせいでどうしようもなく歪んでしまうこともあると……私は知っている。 レナ(24歳): (だから、もしかしたらこの人も……?) #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……っ……!! 傲然を気取っていたはずの表情が、激昂にかられた人間のそれへと歪んでいく。 高みの壇上から見下していた女が、少しずつ私たちのもとへと引きずり下ろされていくかのように。 魅音(25歳): とんでもない男だね、あんたの旦那は!自分の復讐のために息子を利用しただけじゃなく、嫁の顔も名前も奪って別人にさせるなんて……ッ! 魅音(25歳): ――うわっ?! 火薬のような鋭い炸裂音とともに、魅ぃちゃんがとっさに後ろへと飛び退く。 背後に直撃した破砕音から、一拍置いて……魅ぃちゃんの白い頬に一筋の赤い線が滲んできた。 レナ(24歳): 魅ぃちゃん?! 魅音(25歳): だ、大丈夫……! 魅ぃちゃんは無理矢理笑いながら、息を吐く。 間一髪だった……魅ぃちゃんがギリギリで身を捻らなければ、確実に弾丸は額に命中していた……! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……お前に、……お前らに……ッ! すると、白い煙を立ち上らせる小型の銃を手にした公由香苗江は、目を血走らせながら私たちを睨みつけて……吼えた。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あの人の苦しみなんて、理解できるはずがないのよ!!何も知らないなら! せめて喋るな! 口を閉じろ!! レナ(24歳): ……っ……! そう叫ぶ彼女の瞳孔は開いて、狂気の色を宿している。……さっきまでの鉄面皮が、まるで嘘のようだ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 香苗江おばさん……あなたが、そう言うってことは……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 整形も全て……自分から、申し出たんですね。夫のために、全部投げ捨てると……。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……っ……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 思い出しました。あなたは村長……喜一郎おじいちゃんと仲が悪かったですよね。分家の私たちにまで、伝わってくるくらいに……。 縛られて床に転がる南井さんと絢ちゃんを抱き起こそうとしていた夏美さんが、公由香苗江に目を向けながら……ぽつりと呟いた。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: わかりますよ。私も公由家の親戚……ううん、同類ですから。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 愛する人のためには、どんなことでも成し遂げられる。愛する人を馬鹿にされたら、絶対に許せない。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あと、今の話……全部シラを切ればよかったのに。それができなかった気持ち……痛いくらいわかります。 黙って銃を向ける相手にそう語りかけながら、夏美さんは自虐的な笑みを浮かべる。 かつて夫のため、美雪ちゃんたちに銃口を向けたと言っていたけど……彼女はそのことを思い出しているのだろうか。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……でも、あなたは私とは違いますよね。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……っ……? 何が、と言いたげな空気が漂う最中。 レナ(24歳): (……ぁ……) 自分の中でバラバラになっていたカケラが、ひとつ……また、ひとつ。 繋がり、結びつき……ひとつのカタチを成していくのを感じる。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: いずれにしても、リーダーと頭脳……残った遺族たちだけでは訴訟団を維持できず、彼らは解散して運動を止めるしかなかった。 魅音(25歳): 仮に原因がどうしようもない天災だったとしても、何十年経とうが表向きはともかく、心の奥底では仕方なかったなんて……納得できない。 魅音(25歳): ……そして、なんとか飲み込もうと足掻いている中で、故郷が消えた理由が人的なものだと知ってしまったら。 魅音(25歳): 全部失わないですむ未来があったかもしれない、って絶望を抱いてしまったら……。 魅音(25歳): せめて、原因に責任を取らせたいと思う。お前たちのせいで、私たちの故郷は消えたんだって。 魅音(25歳): そうしなきゃ、償わせなきゃ、お前たちのせいで消えたものは全部価値があったんだって証明しなきゃ……! 魅音(25歳): 自分だけが生き残ったことに、意味がない……! 灯: おそらく、賠償金そのものが目的ではない。魅音先輩の言う通り、故郷を失った原因が自然災害ではなく人災だと認めさせることだろう。 レナ(24歳): あなたの夫……公由稔さんがもし、『雛見沢大災害』を望むなら。 レナ(24歳): その理由はかつて起きた、高天村の土砂崩れについて再調査をさせるためとしか考えられません。 レナ(24歳): 『雛見沢大災害』の遺族には、政府から弔慰金が発生しました。 レナ(24歳): それはつまり、発生を防げなかった政府に責任がある……という証拠になります。 レナ(24歳): あなたが『繰り返す者』だったとしたら、当然その事実をご存知だったはずです。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: …………! レナ(24歳): 高天村の人々は、自分たちの村にまつわる疑惑を解明したかった。 レナ(24歳): 高天村の土砂崩れの原因が爆弾ではなく、ガス災害だとしたら……それは政府の責任だと認めさせることができるのではないか、と。 レナ(24歳): 軍の過失だと言うと隠蔽されるのなら、自然災害としての被災であれば国家に責任を追求できるかもしれない……。 彼らの訴訟団が維持をできなくて解散しただけなら、まだ完全に敗訴になったわけではないかもしれない。 その辺りの法律は詳しくわからないけれど……おそらく彼らはそこに勝ち筋を見いだしたのだ。 でも、現状では勝ち目が薄すぎる。だとしたら、必要なコマは……。 レナ(24歳): 前例……災害が政府の原因だと認めさせたという『雛見沢大災害』は、そのいい例になったはずです。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……っ……!! 女の銃口が揺らぎ、瞳に憎しみの火がともる。そこに生まれた心の隙を逃さず、私はさらに言い募っていった。 レナ(24歳): でも……でも、ですね?そう考えると、おかしいんです。 レナ(24歳): あなたが雛見沢大災害の発生に加担した……そこまではわかるんです。 レナ(24歳): ただその後……『雛見沢症候群』のウイルスをバラ撒く理由がわからない。 魅音(25歳): それは、彼女を支援している人々が望んだんじゃないの?誰かの損で得する人は必ず出てくるものだよ。 魅音(25歳): 『雛見沢症候群』でこの国が終わったら、直前にワクチンを開発提供したアメリカが原因扱いされそうだったしさ。 魅音(25歳): 一企業を越えて、国家規模の賠償になる可能性はある。そうなったら喜ぶ敵対国とか、いくらでもありそうだけどね。 レナ(24歳): うん。そういう人たちの目的は、たぶん魅ぃちゃんの言う通りだと思う。 レナ(24歳): でも……彼女自身は、どうかな? 視線を魅ぃちゃんから公由香苗江へと戻す。 レナ(24歳): あなたの行動には、ブレーキというものが感じられない。 レナ(24歳): このままじゃ、みんな皆殺しにするだけ……なにも、残らない。 レナ(24歳): だから、思ったんです。 呼吸を整えて……気持ちを静めた後、私は思い至ったひとつの「推測」を目の前の彼女に投げかけていった。 レナ(24歳): あなたの旦那さん……復讐を最初に望んだ、公由稔ご本人は――。 レナ(24歳): もうとっくに、死んでいるんじゃないんですか? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ――死んでいない!! 弾丸とともに、床に罵声が叩きつけられる。 容赦の無い反撃。……だけどそれは、私が求めた答えを雄弁に物語っていた。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あの人は、私と一緒にいる!!ずっと側で、あの人がやりたかったことを代わりに成し遂げようとする私のことを見てくれているの!! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あの人が愛したものを愛さない世界に罰を与える私を、守ってくれているのよ!! レナ(24歳): 罰ですか……雛見沢にも? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: そうよ……! あの村は滅ぶべき場所だった! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 罰を与えて、自分たちが愚かだと誰かが教えてやらないと何も変わらなかった! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 父さんたちはあの人を苦しめた! 邪険にした!未婚の女を孕ませるなんて品がない、とかほざいてどこの馬の骨かわからないなんて……!! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: たかが田舎の村長程度のクセにエラそうに!!私の故郷だからって! あの人は大事にしてくれたのに!いつか認めてくれるって、地道に頑張ってたのに! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: なのに……『オヤシロさま』の怒りだとか、#p祟#sたた#rりだとかであの人を追い込んで、心を壊して……最後は大切な自分の家族ごと、命を……ッ!! レナ(24歳): …………。 その話……どこかで聞いた記憶がある。私たちの「世界」ではなかったけど、確か……。 ――1978年(昭和53年)6月15日の新聞記事より抜粋。 鹿骨市で8日早朝、住宅が全焼し焼け跡から3人の遺体が見つかった火災が発生。 興宮署は15日、現住建造物等放火の疑いで出火元の住宅に住む教師・公由稔さん(34)を容疑者死亡のまま書類送検したと発表。 同署は無理心中を図った可能性が高いとみている。 遺体の身元は稔さんの他、公由さんと妻(31)、小学3年生の息子(9)と判明。 火災は、8日の深夜に発生。鑑識の結果、寝室の床からは油の成分が大量に発見された。 近隣の住人によると、一家はごく普通の家庭でトラブルのようなこともなく、無理心中の原因については「思い当たるところがない」という。 灯: ……なるほど。あの記事にあった事件は『オヤシロさま』信仰に追いやられた結果として起きたってわけか。 川田: ? 灯、あんたは何の話を……? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: はっ……『オヤシロさま』ぁ?そんなものが本当に「い」るはずがない!ただのおとぎ話よ!! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: だいたい、村の守り神とか謳っておきながら私のことも! 村を大事にしようとしてくれたあの人もなにひとつ守ってくれなかったッッ!! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 最初から認める気なんてなかったのよ、あの村は!どれだけ大事にしても、全て一方通行……! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: そんな無意味な村に、存在価値なんてあるわけがないでしょう?! レナ(24歳): …………。 暗闇で出口のあてもなく泣きわめきながらさ迷う子どものような彼女の立ち姿に……ふと別人の姿が重なる。 村の中で、見たことがあった。何度も、何度も。……でも、いつも誰かの背後に溶け込むように消えてしまって。 それが、おそらく……公由香苗江として呼ばれていた彼女の本来の姿だったのでは、となんとなく想像ができた。 レナ(24歳): (いてもいなくても、周りに気づかれないような……人だった) 酷いな、と自分でも思う。でもそれが、嘘偽りのない……正直な、感想。 雛見沢関係者を把握していた魅ぃちゃんですらすぐには思い浮かばなかったのだから……きっと誰に対してもそうだったのだろう。 レナ(24歳): (でも、旦那さんはそんな彼女を見つけて……大事にしてくれていたんだろうね) 彼女が愛した人は、彼女を利用するために雛見沢に来たような人ではなかった。御三家なんて肩書きは気にも留めなかったのだろう。 だからこそ彼女は、愛する人の役に立ちたくて……利用されることを、自ら望んだ。 レナ(24歳): (そんなことをしなくても、十分愛されていたはずなのに……) それだけでは、感謝を伝えているという自信が持てなかったのかもしれない。 ……馬鹿だな、とは思う。でも、私にだって心当たりのある愚かさだった。 レナ(24歳): (……きっと彼女は、自分に歯止めをつけることができなかったんだろう) 愛されることよりも、愛する価値のある自分であることに。彼の死を悼むよりも、その望みを叶える存在であることに。 その結果が、今に繋がっているのだとしたら……優先順位を見誤り、際限をなくしてしまうことがどれほど恐ろしいのか、骨身に染みる思いだった。 魅音(25歳): っ――レナ、逃げて!! 魅ぃちゃんの声に、目をしばたたかせる。真っ黒な地獄の底へ繋がるような黒い瞳と……。 いや、銃口と目が合って……?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 遊びはおしまい! 全員殺ッ……ぇ……? 命令が下るより早く……パン、と。発砲音が、鳴った。 ……私たちの、背後から。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あ、あ……。 公由香苗江の顔が歪む中、ガラスが砕ける音に続いて……粘度の高い水のこぼれる音が、聞こえる。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あ、ああああああああああああああああああ?!?! 無傷の私は、眼前で顔を歪ませて悲鳴をあげる公由香苗江の視線を辿り……見た。 灯: ふむ……その反応からして、これは本物の古手梨花の脳……だったんですね? 右手に硝煙をあげる小型の銃を手にした灯ちゃんが、足元に広がる割れたガラス瓶と……そこからこぼれる液体を見下ろすところを。 辛うじて、ガラス瓶の形を保ったその中には――梨花ちゃんの脳と脊髄の一部が収められていた。 でも、灰色のその脳には1つの……大きな穴が、まるで包丁を突き立てた鶏肉のように空いていて……?! 灯: 全く別の子どもの脳って可能性もありましたが、本物を見せてやろうという慈悲……いや、勝利を確信したがゆえの油断ってやつかな。 灯: ……ありがとうございます。おかげで目的を果たすことができました。 魅音(25歳): り、梨花ちゃん?! や、な、なんで……?! 巴: あ、灯……?! 灯: ……外道呼ばわりは、どうぞ存分に。けど、たとえ遺体の一部でもこんなマネができるのはこの中だと私しかいないと判断したからです。 灯: だからまぁ、私がやらないとかなぁと思いまして。 彼女は銃を握ったまま腕を振るい……白煙を散らすと、私たちへ向けて微笑んだ。 灯: 私……優しい人が大好きなので、あなた方に手を汚してもらいたくなかったんですよ。たとえこれが、終わる「世界」だとしても……。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: お、オマエぇえええええええ!! 銃口が一斉に灯ちゃんへと向けられる中でも、彼女はどこか余裕めいた表情を崩さない。 まるで、絶対に撃たれないという確信めいた何かを内に秘めているかのように……。 灯: ようやく追い詰めましたよ……『Xさん』。これまでに倒れた膨大な数の人々の献身と犠牲が、これでなんとか報われたというわけですね。 レナ(24歳): ……っ……? その台詞に違和感を抱くと同時に、似たような気配を……感じる。 ずっとはぐらかされてきた、彼女に対する疑問……その答えと正体は、まさか……ッ?! レナ(24歳): 灯ちゃん……ひょっとして、あなたも私たちと同じ……? 灯: あー……私はレナさんたちのような『繰り返す者』とやらではありませんよ。そうだったらもっと色々と対処できたでしょうし。 灯: ただ……幸運にも、思い出すことができたんです。私には以前、最悪の未来を味わった末に最低の結末を迎えたという、もう一つの記憶を……。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: そ……そうよ! その女はただの翻訳家!!銃なんて持っているはずがないのに……!! 灯: あぁ……あなたが知っている「世界」の私は、翻訳家になっていたんですか、なるほど。 灯: 確かにその選択肢も、途中でありましたね……まぁ、選びませんでしたが。 川田: じゃあ……今のあんたは、何を選んだんですか? 灯: 自分の未来を、叩き売りに出すこと……かな。 灯: ある人に教えてもらった以前の「私」はね……ほぼ同時に、大切な友人を2人とも失ったんだ。 灯: 自分が持つあらゆるツテを使えども、彼と彼女の行方は何をしても見つからず……。 灯: それでも友達に会いたかった私は、とある機関に対価として唯一のものを出したんだ。 川田: とある機関……?っていうか、その友人の2人って、まさか……?! 灯: いやー、世界中の有力者に友人知人がいる男の姪という存在は、なかなか魅力的なようでして。……幸いなことに、最適な場所を見つけたんです。 灯: 超常現象の調査を担う機関の一員……その立場を手に入れたおかげで、私はあなたの裏をかくことができました。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: お前は……お前は、いったい何者だ?! 灯: 合衆国司法省所属、連邦捜査局捜査官……アカリ・アキタケ。ま、まだまだ見習いの立場ですけどね。 灯: 『X-ファイル捜査計画』って……ご存じですか?これまでオカルトとして敢えて無視されてきた超常現象を、科学的捜査によって解明・把握する。 灯: おそらく日本でも、今年中に米国から発信してエンタメやドキュメンタリーとして浸透させ……万人に周知させていくことになると思います。 灯: 私はその先兵というか……鉄砲玉ですね。で、その手始めとして今回の案件の調査を任されてきたってわけです。 ぱちん、と場にそぐわない軽いウインクが飛ぶ。……あまりにも衝撃過ぎるその事実を告げられて、私たちはもちろん敵側でさえ呆気にとられていた。 灯: まぁ、どうもきな臭い動きを見つけたので実は決裁を得る前に無理矢理帰国したから戻った後でクビになるかもしれませんが……! 灯: あおいも怜も見つけて守り抜いたので、最大の目標クリアです! よくやった私!我が判断と冒険心に一片の悔い無しッッ! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……やっぱり私、この人のことが苦手です。 川田: 安心してください。得意なやつはいませんので。 レナ(24歳): (連邦捜査局捜査官……FBI? 灯ちゃんが……?) 巴: そ、そんなこと……秋武は、一言も……! 灯: すみません……でも、冷静に考えてください。この国の行政機関の一員の妹が外国の捜査官になったとか……色々と問題ありすぎでしょう? 灯: ましてや姉さんは、所属部署の元上司と揉めて南井さんの元に移動させられた身ですし……ん。 魅音(25歳): え、なになに?! 灯: ……冷静に考えて、で思ったんだが。ここまで夫のことしか考えていない女が母親とは、怜があまりにも可哀想じゃないか? 灯: まして、父親が死んでいることすら教えてもらえないなんて可哀想だ。要らないなら、うちの子にしてしまおうかな。 灯: 秋武怜……うん、悪くない。どう思いますか、レナさん? レナ(24歳): (……どう答えたらいいのかな、かな?) 明らかになった事実の情報量が多すぎて、さすがに思考がついていかない。しかも彼女の言動は、場の空気をぶち壊している。 だけど……それはとりもなおさず、絶望的だった状況を一変させるほどの力を感じさせるものでもあった――! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: こ……この女ッッ……!! 一度下がりかけた銃口を再度向けられても、灯ちゃんは微笑みを崩さない。 でもその笑みは喜びのものではなく……どこかすがすがしさを感じさせる、儚さがあった。 灯: あー……冷静に考えてください。なんで私が今このタイミングで、自分の素性を教えたかわかりませんか? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: はぁっ……? それは、どういう――。 灯: ――いいんですか、って聞いているんですよ。海外の捜査官を、ここで殺してしまっても……? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……っ……?! その言葉を聞いて、公由香苗江だけでなく周囲で銃を構える男たちもまた動揺をあらわにした様子を見せる。 おそらく……国内の捜査員の活動であれば、政治家や官僚、あるいは有力者の力を借りてもみ消すことができる確信があったのだろう。 だが……相手が外国、それも超大国に所属する公僕とあっては話が一変することになる。 下手をしなくても、傷をつけただけで国際問題に発展だ。その追及から逃れることは決してできず……責任を問われることが確実。 つまり灯ちゃんは、最大級の「カード」をひた隠しに隠して……ここ一番で使ってきたのだ。 ぎりぎりまで油断させて、気づかないうちに敵を袋小路に追い込んだ上で逃げ場所を断ち……反撃もできなくなった状況を、見計らって!! 灯: だいたいの経緯は、本国に連絡済みです。国内への対処は完璧にできても、海外まではさて……どこまで影響を及ぼせるやら。 灯: ちなみに私を殺して口封じは、おすすめしませんよ。今度は私以上に優秀な人間が大挙して押し寄せて、丸裸どころか皮や臓器まで捌かれること確実ですし。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: このっ……虎の威を借る狐がッッ!! 灯: その台詞、リボンをつけてお返ししましょう。……というわけで、レナさんたちは逃げてください。 そう言って灯ちゃんは私たちの前へ歩み出ると、銃を構えた右手の逆……左の腕を庇うように広げる。 おそらく彼女は、生死に関わらずここで私たちの前から姿を消す覚悟なのだろう。 それがわかるからこそ、未練が残り……即座に従うことができなかった。 レナ(24歳): 灯ちゃん……。 灯: やっと謝ることができます……ごめんなさい。 灯: 情報がどこかで漏れて、この女に届く恐れが完全に否定できなくて……私は自分の素性を誰にも明かせませんでした。 灯: 私のこと、信じられなかったでしょう?不安だったでしょう? 不審に思ったでしょう? 灯: でも、当然です。だって肝心なことを、何も言わないんですから。 灯: でも、美雪くんたちと園崎先輩、そしてレナさんは……そんな私をここまで連れてきてくれました。 灯: あなた方が、私を受け入れなければ。何かのタイミングが、ほんの少しでも違えば……。 灯: 2人の友を失った無力な人間のまま、私は後悔だけを抱えて生きていくことになったでしょう。 灯: もしくは、ただの翻訳家として無力に殺されていたか……です。 レナ(24歳): 灯ちゃん……! 灯: ありがとう……ただ、もしも私があなた方のお役に立てたのだとしたら……それは私の力や、選択によるものではない。 灯: 私という他人の声に耳を傾け、私という存在を受け入れてくれたあなた方の判断と度量……勇気が成したものです。 灯: だって……他人を信じるって言葉にするより、ずっとずっと勇気が要ることですからね。 そう言って灯ちゃんは、両手で銃を構える。……その表情を見て、私はようやく理解した。 レナ(24歳): (灯ちゃん……あなたも「世界」で味わった悲劇から大切な人を守るために、これまで生きて戦ってきたんだね……) 飄々とした態度と言動は、その裏返し。……自分自身を鼓舞して心を保つために、あれは必要な自衛だったのかもしれない。 灯: と、いうわけで……私が受けたご恩はここで返しますので、皆さんはどうか、遠慮なく! そう言って灯ちゃんは、私たちに向けてこの場からの脱出を促す。 ……おそらく、彼女も気づいているのだろう。自分はまだしも、私たちの身の安全に関しては何の保証もないということに。 ただそれを、精一杯の虚勢でごまかしているだけだ。これが唯一のチャンスだと思って……でも……! レナ(24歳): ……だめだよ、灯ちゃん。ひとりだけ、どこかに行くのは。 灯: えっ……? レナ(24歳): あなたが言うことが本当だったら、一緒にいてくれたほうが後々でもずっと楽になる……! レナ(24歳): だから……逃げるのだとしたら、みんな一緒!ひとりだけ犠牲になるのは認めないから……! 灯: ちょっ……レナさんが残ることはないでしょう?!私だけならまだしも、あなたを活かしておく理由が連中にあるとでも思うんですか?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あらそう、あなた死にたいの?じゃああなただけは、ここで殺してあげるわ!! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: この国のあなたがどうなろうが、海の向こうの連中には別に関係がないんだしねッ!! 灯ちゃんに向けられていた無数の銃口が、一斉にこちらへと向く。 まるで、レンコンの切断面だ。……本当にあの穴がレンコンだったら、どんなに気楽だっただろうか。 レナ(24歳): (いや、このままだとレンコンにされるのは私の方かな……? 蜂の巣とはよく言うけど) 想像した自分の姿に苦笑していると、挑発と取られたようだ。 公由香苗江が歪んだ笑みを浮かべ、私を見据える。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……思い出したわ。竜宮レナって、あの竜宮レナよね? レナ(24歳): 私のこと、ご存知だったんですね。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: えぇ、有名人だったもの。父ひとり子ひとりで雛見沢に引っ越してきて、学校に行きつつ家事も完璧にこなす女の子。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あのヒネた古手家の頭首や冷徹な園崎家の頭首とも仲よくできて、ご近所からもチヤホヤされて……。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 働かずに酒浸りな父親に健気に尽くす、健気で可哀想でいい子……見ていられなかったわ。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……気持ち悪くてね。可哀想な自分にどっぷり浸って、酔っている姿が。 レナ(24歳): あなたには、そんな風に見えていたんですね。でも、……うん。確かにそうかもしれません。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あら、自分でも気づいていたの? レナ(24歳): ……当時は気づいてなかったですけど、そう見られていた原因は……理解したつもりです。 レナ(24歳): 悲しいと思ったことを他人に遠慮して、ちゃんと悲しむことができなかった態度がにじみ出てしまっていたんでしょうね……。 レナ(24歳): でも、今はそれじゃダメだって気がついたので……同じ轍は踏みません。 誰かのためには、誰かのせいだと同じだと。 レナ(24歳): (だから……私はっ!) レナ(24歳): 私は……私のために、ちゃんと嘆く。悲しむ! それが結局のところ、一番誰も悲しませない方法だということをこれまでの「世界」で学んできたから……!! レナ(24歳): 私はもう! 順番を間違えない!自分が死んでもやりたいことを成し遂げる!! レナ(24歳): 私がここで死んだとしても!今! この「世界」が無駄に終わっても! レナ(24歳): 菜央が……妹たちが、きっと他の道を見つけてくれる! レナ(24歳): 私は……竜宮礼奈と、レナは!妹を送り出した時、その覚悟を決めてここにきたんだぁあああああ!! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あっはははははは!!なにほざいても、あんたたちはここでおしまい! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 繰り返しの奇跡は、私たちが終わらせる!あんたたちもここで死んで終わりなさい!!! 彼女の宣告とともに、男たちの殺気が最高潮に高まる。その空気の中、敢然と灯ちゃんの前に出た私に向けて一斉に複数の銃口が――! Part 03: 美雪(私服): い、痛たたたっ……! 身体が浮いている……と感じたその直後に背中からしたたかに叩きつけられた私は、その場で思わず悶絶する。 美雪(私服): (下が芝生じゃなくてコンクリートだったら、たぶん死んでたんじゃないかな……?) 冗談抜きでそう思えるほどの、高度からの落下だった。転送場所の座標はもちろんだが、高低の座標もちゃんと設定してもらいたいものだと恨み言を言いたくなる。 おまけに背中だけじゃなくて、頭も痛い。まるで頭上に漬物石でものしかかっているようだ。 美雪(私服): い、っ……! く、そっ! いつまでものんきに寝転がっているわけにもいかず、起き上がって辺りを見回す。 月明かりに眼が慣れた頃、ようやく自分のいる場所が古手神社の敷地内……祭具殿を背に転がっていたことに気づいた。 菜央(私服(二部)): ……ここは、……っ! 千雨: どうやら、うまく移動できたようだな……。 同じように倒れていた菜央と千雨も、緩慢な動きながら身を起こす。 多少痛がるうめき声を上げていたが、とりあえず怪我はしていない……と願いたい。 菜央(私服(二部)): ……本当に、移動できたの? 千雨: たぶんな。後ろの建物は、村の神社の宝物殿……だったか? 美雪(私服): 祭具殿、ね。まぁ意味合いは多少似ているかもだけどさ。 夏直前の熱気を感じさせる夜風に髪を揺らしながら……私は眼を細める。 確かにこの空気の感じは、「あの」#p雛見沢#sひなみざわ#rだ。まだ記憶にも残っているし、肌でもわかる。 美雪(私服): で、問題の#p綿流#sわたなが#rしまではあと何日くらい残ってるのかな……? 菜央(私服(二部)): こんな時計もカレンダーもない場所で、わかるはずないじゃない。とにかく移動して、情報を集めるしかないわ。 千雨: 時計とカレンダーがあっても、そいつだけで判断できるかは疑わしいな……誰かを探して聞くのが一番だろう。 2人の発言に頼もしさを感じて苦笑しながら、視線を見覚えのある方角へ向ける。 美雪(私服): ひとまず古手神社の本殿がある境内へ行こう……って、あれ? 千雨: どうした? 美雪(私服): ねぇ、あんな数の明かり……古手神社の境内にあった? 古手神社の本殿は、祭具殿からだと木々が立ち並ぶ小道の先にあって……若干距離がある。 だから、最初は気がつかなかった。……暗がりの向こう側でオレンジ色の光がいくつもともっている様子に。 だけど、私が知っている普段の古手神社は灯りなどなく夜はまっ暗なはずだったが……? 千雨: 電灯……とは違うみたいだな。何かが燃えてる、篝火のような……はっ?! 美雪(私服): 千雨……?! 菜央(私服(二部)): 何か見えたのっ? ちょっと待って……! 走り出した千雨の後を、菜央とともに追いかける。 玉砂利の上を駆け抜け、境内に近づくにつれて光は松明の炎を形取っていき……そして……! 美雪(私服): えっ……?! 壇上に群がる大勢の人々が……文字通り、固まっているのが目に映る。 菜央(私服(二部)): ……どうなってるのよ? 石にされた、と言われたほうがしっくりくるかも知れない。でも、見る限り布の質感も肉の質感も……ある。 にもかかわらず、まるで時間が止まっているかのようにその肉体だけが、ピタリ、と……止まっていて。 そんな彼らを、風に揺れる松明の炎がやけに煌々とした様子で照らし続けていた……。 千雨: おい……もしかしてこの状況って、私たちが平成に戻された後の「世界」じゃないか?! 菜央(私服(二部)): そう、かもしれない……だとしても、これはいったいなんなの?!まるでみんな、石にされたみたいで……!! 美雪(私服): か……一穂っ? 一穂は?!確か舞台の上にいたよね?! 行く手を遮るように固まったまま動かない人々を、私は内心で謝罪しつつ突き飛ばして舞台への道を作る。 美雪(私服): (舞台には、誰の姿も見えない……でも、あの上で倒れているとしたら?!) 美雪(私服): くっ、そ……ッッ! 縁束をよじ登って高欄へととりつき、壇上へと転がるように身を投げ出す。 篝火があだになって、明暗による死角が多い。見えづらいことこの上ないったら……! 美雪(私服): 一穂……一穂! どこかにいるなら、返事して!かず――わぁっ?! 焦りが手のひらに汗としてにじみ出て、つるりと手が滑り……支えを失った身体は再び虚空へ投げ出されてしまう。 千雨: ……美雪っ! 叩きつけられると覚悟して身をすくめた次の瞬間、私はかろうじて背後の千雨に受け止められた。 私と同様に、人の群れをかき分けてきたであろう千雨を見上げると、背後にはいまだに大勢の人が凍り付いたように固まっていて……。 千雨: 大丈夫か……怪我は?! 美雪(私服): う、うん……平気。でも、早く上に戻らないと一穂が……! 菜央(私服(二部)): 遠目で見たけど、一穂の姿はなかったわ!何度も確かめたから、間違いない! 美雪(私服): 上にいないって……ど、どういうこと?! 菜央(私服(二部)): それより……なんでみんな動かなくなってるのよ?まるで、時間が止まってるみたいで……! 千雨: 私に聞かれても知るか。とにかく今は……っ?! 美雪(私服): どうした、千雨っ? 千雨: ……おい、あれを見ろ!! 千雨が力任せに腕に抱えた私ごと、身体を半回転させる。 強引に向けられた、視線の先。そこに映し出されたのは、鳥居下の階段へと向かう神社の境内の一角で……! 美雪(私服): 前原くんたちと……梨花ちゃん?! 村の人々が殺到するその隙間から、小さな梨花ちゃんをかばうように立ち回る魅音や前原くんの姿が見て取れた。 美雪(私服): なっ……!! 目をこらすと、前原くんの腕には髪を乱した梨花ちゃんが抱きかかえられていて……。 その視線は、押し寄せる村人たちへ「どうして?」と問いたげな悲しみを向けているようにも感じられた。 美雪(私服): みんなが……梨花ちゃんが襲われてる……?!っていうか、レナと詩音はどこ?! 菜央(私服(二部)): 思い出して、美雪……!ここに2人がいないのは、当然でしょ? 菜央(私服(二部)): ここが元の世界に戻された直後なら、レナちゃんは今頃#p興宮#sおきのみや#rの警察署よ!そして沙都子と悟史さんは、診療所! 千雨: だとしたら、あそこにいるのは魅音の姿を借りた詩音で……魅音当人は地下で監禁状態ってわけか? 美雪(私服): そ、そうだった……! 状況を理解して、心を落ち着ける。つまり、今集中して行うべきなのはあの2人を助け出すことだ……! 美雪(私服): 敵の狙いが梨花ちゃんなら、この状況は利用できる!全員が固まってるうちに、2人を連れて逃げよう! 菜央(私服(二部)): 他のみんなはどうするの?! 千雨: 敵の狙いが古手梨花単体なら、他のヤツらは大丈夫だろ!……たぶん!! 菜央(私服(二部)): ……っ……! 美雪(私服): (何か言いたげな菜央の視線が痛い……!) わかっている……こんなのは穴だらけの推測で、実際にそうだという確証はどこにもない。 美雪(私服): (でも……この状況で私たちが打てる手は、それくらいしか思いつかない!) 数の暴力には、どうやっても勝ち目がない。だとしたら、囲まれる前に逃れるしかない。 いつこの時間が再び動き出すかは、わからない。だったら早く、2人のもとに向かわないと……! 千雨が腕を放すと同時、勢いを込めて鳥居の方角へと駆け出す……と、その時。 ふっ、と。頭上に浮かぶ月明かりが……遮られた。 美雪(私服): 待って千雨、菜央ッ! 千雨: ……っ……?! 菜央(私服(二部)): な、なによ突然……? 両手を広げて急停止した私の背後で、千雨と菜央がたたらを踏みながら止まると同時。 私たちと梨花ちゃんたちの間に割り込むように、ひとつの人影が……降り立った。 雅: …………。 まるで行く手を阻むように佇み……私たち以外で、この空間で唯一動くその人物は……。 美雪(私服): だ……誰だ? 知らない、私と同じ年頃の……女の子? 雅: ……西園寺、雅。 そう告げて「彼女」は手にしたカードをひらめかせると、一瞬のうちに薙刀を出現させて……構える。そして、 雅: お前たちを……ここで、倒す。 雅: そして狂った「世界」を、終わらせる――! 無表情な瞳に鋭利な光を漲らせながら、ぞっとするような冷たい声で……言い放った。 Part 04: 薙刀を構える「彼女」が告げた名前……それは私の記憶にも新しい、聞いたことのある名前だった。 美雪(私服): 西園寺、雅……じゃあ、キミが……? 灯: ――西園寺雅。 灯: 昼間に訪れた古手神社分社の宮司を代々務めている西園寺家の長女だそうだ。その妹も村にいたらしいが、土石流に巻き込まれて行方不明になっているらしい。 灯: そのため、西園寺家は直径の家系が絶えて……親戚筋から養子を迎えることになったそうだ。 灯さんから聞いた話を、脳裏に反芻させる。と同時に川田さんや夏美さん、絢花さんと交わした会話の内容が蘇ってくる。 美雪(私服): 川田さんが追ってるっていう、もう1人のタイムトラベラーって……誰? 川田(私服目開): ――西園寺雅。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: いえ、出会ったというより……「彼女」は、突然病室に現れたんです。 美雪(私服): ……ひょっとしてそれ、西園寺雅って名前の女の子のこと? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: っ……そうです、確かそんな名前でした。でも、どうして美雪さんがそのことを……? 千雨: この人のところにまで来てやがったってことか。西園寺雅ってのは、つくづく疫病神だな……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 全ての始まりは……西園寺雅。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 今から70年ほど前に本来死んでいたはずの人物が、何があったのかは不明ながらも生還し……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あまつさえ『繰り返す者』の力を得てしまったことが原因なのです。 美雪(私服): (自分たちの村を滅亡させた国に対し、復讐を選んだ一穂の父親……「公由稔」) 美雪(私服): (そんな彼に加担し、#p雛見沢#sひなみざわ#rの人々へ惨劇をもたらした『繰り返す者』……ッ!) 伝聞で知った当の本人を目の当たりにして、困惑と怒りがこみ上げてくるのを止められない。 ある意味で……いや、話を総合すると間違いなく彼女はあらゆる惨劇の元凶となった人物であり、私たちの「敵」と呼ぶにふさわしい存在だった。 美雪(私服): 西園寺雅……!なんで……なんでキミは、自分に縁もゆかりもない雛見沢を滅ぼそうとするんだ?! 雅: …………。 美雪(私服): 高天村のことは聞いた! 誰かのせいで故郷を失った上、その罪を認めてもらえないのは苦しかっただろうさ!! 美雪(私服): けどっ! そのために無関係の人々に殺し合いを演じさせて、村をダム湖の底に沈めて……!! 美雪(私服): 国家に対しての復讐のために、大勢の人たちの幸せを奪う権利がキミたちにあるってのかッ?! 叫びながら体温があがる感覚とは反対に、身体の奥底が冷えていく感覚に……苛まれる。 同時に、……思ってしまったからだ。私は意外に冷たい人間だったんだな、と。 美雪(私服): (こういう時に、同情するよりまず事実を突きつけるのを優先するのは……身内に警察官がいる性ってやつなんだろうね) 本当に優しい人は、悲しい思いをした人を否定せず、まるごと受け入れて……そっと寄り添える人だろう。 例えば、故郷を失った目の前の女の子に優しい声をかけてあげたり、といったものだ。だけど……。 美雪(私服): (私はそういう人になろうとして……失敗して。あの場所から……ガールスカウトから逃げた) 正反対の意見を持つ、両方のグループが持つ痛みを理解しようと頑張って、誤解されて、嫌われて……誰のためにもならなかった。 美雪(私服): (……まぁ、当然だよね。接する相手が私のことをどう思うのか、という大事な要素を忘れちゃってたんだから) 美雪(私服): (正論でも思いやりでも、どんなふうに……そして、誰に言われたかによって印象と感情は大きく変わる。マニュアル思考ではうまくいかないってことだ) それが証拠に、目の前の西園寺雅もまた不快そうな表情を浮かべている。そして聞く耳持たないとばかりに、吐き捨てていった。 雅: ……使い古された綺麗事ね。本当の地獄を見たことのないやつがしたり顔で語る理想論なんて、反吐が出るわ。 美雪(私服): あぁいいよ! お腹がからっぽになるまで反吐でもなんでも出し切ればいいさ! 相手には何か、痛みがあるだろう。悲しみがあるだろう。それはきっと、私にはとても理解できない……深い絶望。 でも……。 美雪(私服): どんな理由があろうと、雛見沢の人たちの死を!その巻き添えをくらった私のお父さんの死を! 美雪(私服): 仕方ないなんて無理矢理受け入れる義務なんざ背負わされてたまるかってんだ!! 美雪(私服): 何かの事情があるからって!私の痛みや悲しみが相手より価値がないなんて、そんなのは理由にしちゃいけないんだよッ!! そう叫びながら私は、こんな状況でどうしてこんな場違いな口論を繰り広げているのだろう……と、逆に冷めた思考の中で自分の頭を捻りたくはある。 それでも、今この瞬間にわかってしまったのだ。これまでの自分に足りなかったことと……これから身につけていくべき姿勢とあり方に。 あの時……私は自分の気持ちをハッキリさせてから、周囲の人々の気持ちに寄り添うべきだった。 美雪(私服): (自分の感情が宙ぶらりんのまま、他人の感情に寄り添うなんてちゃんちゃらおかしかったんだ!) だから、私は……まず、怒る!全ての最善よりも私の最良を選ぶ!! 美雪(私服): (じゃなきゃ、相手の怒りに正面から対峙できるものかッッ!!) 雅: ……っ……。 そんな私の宣言に対し、西園寺雅は無表情を保ちつつも……低い声に熱を滲ませて、言った。 雅: 理由……か。それなら、私にもある。 美雪(私服): えっ……? 雅: 私の大事な「妹」を……雛見沢の連中は見殺しにした。それが、この村を憎む理由だ。 菜央(私服(二部)): は……? 妹って、いったい誰のこと? 雅: 西園寺、絢……。 雅: 1923年の震災で「世界」を飛ばされて、天涯孤独の身でありながらも必死に生きてきた……健気な子だ。 雅: なのに……村のために頑張ろうとした、優しいあの子を……! 雅: この雛見沢の連中は冷遇の果てに、見殺しにした……っ……! ……自身の身に起きたことは、神と名乗る者に教えられた。 東京行きの列車の中に両親と妹と乗っていた私は、列車ごと海に落ちてそのまま死んだらしい。 らしい、と言うのは私自身に記憶がないからだ。 だからこそ……最初は、当然信じられなかった。何かの妖しい術にかけられているのだと疑って、まともに耳を貸さなかった。 だけど、奇跡をくれてやると告げた自称「神」によって導かれた場所……雛見沢。 初めてその地に降り立った私は、そこで……本当に奇跡と、出会ったのだ。 雅: っ……絢……絢、なの……?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: えっ……? 雅: よかった……絢……っ!生きていた、生きて……くれていた……ッ!! 巫女服を着た、絢が……大震災で死んだと思っていた妹が、そこにいた。 記憶よりもいくつか歳を重ねたようだが、その面影はしっかりと残っている。 雅: (間違いない! 彼女は、私の妹……!) だが、その歓喜の思いに水を差したのは……困惑とともに告げられた、「妹」の言葉だった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あ、あの……すみません。あなたは、どなた……でしょうか? 雅: えっ……? 湧き上がった心が、眼から溢れた大粒の瞳がその言葉に一瞬止まり……ぐらり、と意識が揺らいだ。 雅: 絢……私よ。あなたの姉の、雅……!もしかして、忘れてしまったの……?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……ごめんなさい。私に、姉は……いません。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それに、人違いだと思います。この雛見沢には私、来たばかりなので。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: (……もしかして、絢。あなた、記憶が……?) よく考えれば、おかしな話ではない。私だって、自分に対する認識が曖昧なのだ。絢の記憶が消えていても変では……ない。 それでも、よかった。両親が死んだことも、妹が時代を超えて50年以上も経過した未来の世界へ飛ばされていたとしても……。 妹が、私のことを忘れていたとしても。今が平和で、妹が幸せなら……。 雅: (幸せなら、それでよかった) それから、どれだけの日が過ぎただろう。 初めこそ不審がっていた絢も、行く場所がないので置いてくれと素直に頼み込むと……困ったような顔をしながらも私のことを受け入れてくれた。 きっと彼女も、心細かったのだろう。西園寺絢の名前を奪われ、古手絢花の名前を押しつけられて……。 村の誰もが、彼女を無視して。身元引受人だとかいう連中もまた、ほとんど顔も見せず……何もせず。 日に日に笑顔を失いながらも、絢は毎日を懸命に生きていた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 皆さん、古手梨花さんがいなくなった代わりに突然私が現れて……きっと困惑しているんだと思います。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: どう受け入れたらいいのか、わからないんですよ。自分の病気を受け入れられなくて、看護士さんに八つ当たりしてしまう病人と同じです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: だからいつか、頑張っていれば受け入れてくれる日が来る……そう信じています。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……だから、雅さん。そんなに、怒らないでください。 大量の薬を飲みながら、いつもそう言って……笑っていた。 雅: (私の妹には、……持病なんてなかったのに) 過去から未来へ飛ばされた影響だろうか……?自分は「神」とやらの御子になっている影響か特に異常は無かったが、絢は違うらしい。 薬に頼らなければいけない不自由な生活。……それでも彼女は、頑張っていた。 せっかく居場所を与えられたのだから、と。いつかみんなに受け入れられるように頑張りたい、と。 私はただそれを、神の言いつけ通りに隣で見守り続けた。 ――そして、「あの時」がやってきた。激しい雨が降った日だった。 大雨が降る古手神社の境内には、簡素な祭の飾りが雨露に濡れてぶら下がっていた。 今日は#p綿流#sわたなが#rしという祭が行われる日だからと。絢は何日も前から、念入りに準備をして……。 古手家の頭首は綿流しという祭で奉納演舞を行い、神へ感謝と祈りを収めるのだと。 その言いつけに、彼女は素直に従った。でも……祭には、誰も来なかった。 だから演舞なんてやらなくていいと、再三引き留めたのに。 数日前、御三家の誰かが倒れたという話を聞いたから。それで忙しくて来れない人がいるのだろうと。 でも、遅れているだけの人もいるかもしれないと。 雨は激しく吹き付けて、軒なんて全く意味を成さない中で。 雨に濡れて重くなった巫女服で、それでも己の役割を全うして――! 倒れた――弱った身体に、風邪をこじらせたのだ。 雅: 絢……絢ッ! しっかりして! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ごめ……な、さい。雨、降らなかったら……なんとか、なったと。 雅: 喋らないで! もう神様の約束なんてどうでもいい!すぐに、お医者さんを呼んでくるから……!! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: お医者、さん……でも、助けられない人、いるから。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: だいじょうぶ……です、雅さん……。お父さん……おかあ、さん……っ……のところに、行く……だけ、だか……ら……。 雅: そんなこと言わないでッ!あなたがいなくなったら、また私はひとりぼっちに……!! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: お母さん……おと、う……さん……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 そして、わずかに顔を動かして私を見ながら……絢は何かを呟く。 何を言ったのか、聞こえなかった。でも、それを確かめる前に彼女の瞼はゆっくりと閉じられて……。 雅: 絢?! ……絢ッ! 絢ッ!! 雅: 目を開けて、絢ぁぁぁぁああぁあっっっ!!! 美雪(私服): …………。 淡々と、だけど湧き上がるような怒りを含んだ彼女の話を、私はただ黙って聞き届けた。 理由を説明しろという私の問いに、西園寺雅なる少女は完璧に答えてくれた。 その律儀さには素直に感心したが……直後に湧いてきた疑問が、私の思考を上書きした。 美雪(私服): 絢さんが死んだって………じゃあ、私たちを助けた絢さんは?生きて私たちを助けてくれた彼女は……誰? 雅: それは、私が知っている絢とは違う絢……違うカケラの、違う存在。 雅: あなたたちだって、気がついていたはずよ。未来で出会った絢と、自分たちの知る絢の記憶が微妙にかみ合っていなかったことに。 菜央(私服(二部)): ……やっぱり、そうなのね。 美雪(私服): 菜央……? 菜央(私服(二部)): なんとなく、平成で会った大人の絢花さんとあたしの知る絢花さんに、記憶の食い違いを感じていたわ。 菜央(私服(二部)): でも……それを受け入れたら、あたしたちが友達になった絢花さんが消えてしまいそうな気がして。 菜央(私服(二部)): 聞くのが……怖かったのよ。 千雨: ……美雪が寝てる間に、確認したんだが。 千雨: 私たちが海沿いの神社で出会った絢花さんの記憶は、あの高天村の絢花さんには無かった。 千雨: 美雪のことは知ってたが、私のことは知らないと言ってたしな。 美雪(私服): (なら、私たちが海辺の神社で出会った絢さんの記憶は菜央が友達になった絢さんと同一……でなかったとしても近い出来事が起きたカケラの絢さんってこと?) 海辺の神社の絢さんの態度を見る限り、私を知っていたが会ったことがない、という態度を含めて「菜央が友達になった絢さん」と理解した方が納得できる。 雅: あの子は……村の人間に見捨てられて死んでいった。たとえどれだけ生き延びたカケラがあったとしても。幸せになったカケラがあったとしても……。 雅: 絢が努力を踏みにじられ、みじめに死んでいったカケラが存在したことまでは、否定させない。 美雪(私服): ……一応言っておくけど、私たちをここへ導いたのは他ならぬ絢花さんだよ。 雅: お前たちを導いたのは、生き延びさせるため……あえて私があまり説明をしなかった絢だ。 雅: それが絢の選択なら……私は、受け入れる。 美雪(私服): ややこしいなぁ……。でも、だとしたらなおさら矛盾してるよ。 美雪(私服): キミは、絢花さんをどうしたいのさ?一緒に暮らしたいとか、そういった思いで彼女のために動いてたんじゃなかったの? 雅: …………。 その問いかけに対して、西園寺雅はそっと顔を伏せる。だけどそれは一瞬のことで、再び顔を上げるとことさら表情を押し隠すように低い声で答えていった。 雅: あの子と一緒に暮らすカケラは……どこにもなかった。私が一緒にいると、必ず不幸に巻き込まれていた。 美雪(私服): ……っ……。 雅: だったら、あの子が幸せになるカケラを集めてせめて正しい歴史として確立させる……それが私の使命であり、義務だと考えてきた。 千雨: ……独善ここに極まれりだな。自分の「妹」のためなら、他の連中の運命なんざどうでもいいってことか……! 雅: ……確かに、独善だ。私はいずれ地獄に落ちて、犯した罪に見合った罰を受けることになるだろう。だが……。 雅: 独善なのは、お互い様だ!雛見沢の連中は絢の気持ちを踏みにじり、貧しい満足感のためにあの子を見捨てた! 雅: 過去の不幸を乗り越えて!誰かのために生きようとした私の妹の思いを無下にしたこの村の人間に、価値などない! 雅: 生きる資格など、認めてたまるものか……! そう言って西園寺雅は、薙刀を手に腰を落とす……突撃の構えに、慌てて私たちも身構えた。 菜央(私服(二部)): ま、待って!そもそも絢花さんに、お姉さんがいたなんて本人から全然聞いたことが……?! 雅: あの子はただ、忘れているだけ。だから……! 千雨: ――ありえない。 有無を言わさぬ否定。それを聞いた西園寺雅は、薙刀を油断なく構えたまま血走った目を私の背後にいた千雨へと向ける。 いつの間に『ロールカード』を武器に変えたのだろう。彼女はそれを玩びながら、殺気をはらんだ視線にも臆せず真っ直ぐに見据えて続けた。 千雨: お前が言ってる、大正の崩落事故の話は知らん。……だが、西園寺絢の実の両親が死んだというトンネル崩落事件のことは知ってる。 美雪(私服): えっ……そ、そうなの? 千雨: 色々事情があって、前に調べたんだよ……美雪には言ってなかったがな。 千雨: あの事故で、西園寺家の死亡者は両親のみだ。 千雨: 例のトンネル崩落事件の被害の中で、10代だったのは兄と弟。兄は死んで、弟は生き残ったみたいだが……他に子ども、ましてや女子はいなかった。 千雨: 姉がいたら、普通両親と見舞いに行くだろ?新聞記事を鵜呑みにするのは危険だと思うが、記事には一人っ子って記述もあったしな。 雅: だから、それはあの子は昭和へ飛ばされたから……! 千雨: ……菜央。西園寺絢は生まれた時から、入院してた……そう聞いてたんだよな? 菜央(私服(二部)): え、えぇ……本人から直接ね。 千雨: で……記事には、こうも書いてあったんだ。悲劇、トンネル崩落事故で死んだ西園寺家の両親は一人娘の見舞いに行く途中で亡くなった、ってな。 油断なく構えながら、千雨は西園寺雅へ問いかける。 千雨: 生まれた時から入院してるなら、確実にあるはずだ。西園寺絢が生まれた日からの治療記録が。 千雨: 仮に西園寺絢がもし、1923年から未来に飛ばされてきたお前の妹だとしたら……。 千雨: どこかにあるはずの治療記録ってのは……いったいなんなんだろうな? 雅: ……何が言いたい? 奇しくも私と同じ疑問を持った西園寺雅に対し、千雨は眼光を鋭く細めながら――。 千雨: 推理、ってほどでもないな。私の推測だが。よく似た同姓同名の親戚か……つまりは、まぁ。 ――容赦なく事実を、突きつけていった。 千雨: 西園寺絢は、お前の妹じゃない。人違いだ。 雅: ――――。 西園寺雅は、何も言わずに黙って腰を落とす。 その動作だけで、千雨の指摘を何一つ受け入れず拒絶するという強い意思がありありと伝わってきた……! 雅: お前たちが認めるかどうかは、関係ない。……私はずっと探していた。散らばるカケラの中に奇跡が起きたカケラがないか。 雅: ……でも、どこにもあの子が幸せになる未来はなかった。 雅: どの「世界」でも、両親を事故で喪った絢は誰からも見捨てられるか、モルモットのように扱われるか……。 雅: 雛見沢に関わり惨劇に巻き込まれるか、ただ孤独に死ぬかしかなかった……! 美雪(私服): ……っ……。 どれだけ彼女は、「世界」を……カケラを旅してきたのだろう。 菜央や一穂や千雨がいた私と違い、過去から来たという彼女には他に頼れる人もいなかったはずだ。 それでも奇跡を探して、探して……探して探して探して探して……。 美雪(私服): (それでも、見つからなかったんだ) いや、違う。きっともう西園寺雅には、奇跡を探すだけの気力が……。 雅: ようやく……ようやく決めた。 雅: 私は神と取引する。惨劇の存在しない、絢が幸せなカケラを新たに作らせる。 雅: だが、それをさせるにはお前たち……他の神の「御子」が、邪魔だ。 美雪(私服): 他の神の「御子」って、……川田さんも? 雅: ウネの「御子」は、もうひとりの「御子」が……始末する。取り逃がしたら、私が殺す。 雅: あれも、邪魔なひとりだ……全てが終われば、片付けるつもりだからな。 美雪(私服): (もう一人の、御子……?) 雅: 私は、あの子のために鬼になると決めた。だから――。 雅: ……来い、理を外れた迷い子ども!お前たちにあの子の未来は渡さない……ッ!! 美雪(私服): それは……こっちの台詞だッッ!! Part 05: 美雪(私服): たぁぁぁあああぁっっ! 確実に、武器の軌道は相手をとらえた――はずだった。 何度も菜央と千雨とともに攻撃を繰り返して、息を荒げながらもようやく掴んだチャンス。 美雪(私服): (絶対に……逃さないっ!!) だけど、その渾身の一撃はむなしく虚空を裂いて手応えを失う。さらに、次の瞬間――! 美雪(私服): (――なっ? 背後から?!) 気配を感じた私は、とっさに構えた武器ごと身体を反転させる。 背後から放たれる、薙刀の一撃。それを真正面から受け止めた私の足は勢いを受け止めきれず、そのまま……っ! 美雪(私服): がっ?! 背後の鳥居の柱へと、したたかに叩きつけられた。 美雪(私服): いっ、痛ったぁぁぁ……!! 美雪(私服): これ、武器……というか、「カード」がなかったら胴体から真っ二つってやつでしょ?! 千雨: だろうな! よく反応できた! 美雪(私服): ありがとう! 全然嬉しくないけどねっ! 菜央(私服(二部)): なんなのよ……!ここまで攻撃が当たらないなんて、どういうこと――、っ?! 雅: …………。 そう言いながら菜央が不意を突くかたちで飛びかかるが、素早い動きで避けられてしまう。 菜央(私服(二部)): くっ……動きが速すぎる! 美雪っ! 美雪(私服): 無理だよ! 何回しかけてみても全部よけられちゃう!! ぜいぜいと息を乱す菜央の言葉通り、私たちの攻撃は一度も当たっていない。 ここまでの形勢不利は、圧倒的な技術の違いなのか。あるいは神から渡された力の差か、……覚悟か。 なんにせよ、あまりにも明確な「違い」が私たちと彼女の前には横たわっている……! 美雪(私服): っていうか、覚悟だけは負けてる気はしないんだけどな……!動きが人間離れでしょ、アレは?! 千雨: いや……違うな。やっこさんの動きが速いんじゃない。 何度も牽制攻撃を仕掛けていた千雨が、鋭い舌打ちとともに私のもとへ飛び退いてきた。 千雨: とっさの判断で動いてるんじゃない。たぶん、こっちの動きを……先を読んでやがる。 千雨: 直感、経験でもない……それなら私も対応できるからな。信じがたいが、超常の力……「予知」ってやつだろう。 菜央(私服(二部)): 予知って……それじゃあたしたちの攻撃は、全部しかける前からお見通しってワケ?! 千雨: しかも、3人同時にだ……とんでもないな。これもあいつに力を与えた神様の能力か。相当力の強い御利益ってやつだろう。 美雪(私服): 冗談じゃないよ!そんな相手に、どうやって戦えっての?! 雅: ……戦わなければいい。大人しくしていれば、一瞬で終わらせる。 美雪(私服): 冗談っ! そしたら梨花ちゃんも、部活のみんなも殺されるんでしょうがっ!! みんな殺されて、その後は? ……生き残った魅音とレナは、10年もの間辛い逃亡生活を過ごしていた。 美雪(私服): (半分以上は、思い上がりだとは思うけど) 魅音が南井さんと手を組んだ理由は、たぶん私たちという共通の知人の存在が大きかったはずだ。 レナは、魅音への追っ手が消えたことを知らなかった。……私たちが魅音を高天村に連れていったからだ。 美雪(私服): (この「世界」の未来でも、過去の記憶を持った私や菜央が現れるかは不確定……) 美雪(私服): (いや、絢花さんが思い出さなければそもそもレナに接触しない未来もある……) 美雪(私服): (となると、魅音とレナは永遠に再会できない……!) 自分たちが進んできた道が、どれほど危うい綱渡りだったのかと……まさかこんな状態で気づかされるとは、思わなかった。 美雪(私服): (私は、何もできなかったと思ってたけど……) 自分が嘆いていたよりも、案外無力ではなかったのかもしれない。 美雪(私服): (だとしたら、なおさら……今! ここで!生き残らないとマズいんだけどさぁ!) 相手への攻撃は通らない。逆に、こちらの体力は削られ防戦一方。 このままだと本当に私たちは死んで、梨花ちゃんたちが殺されていく未来が確定してしまう……! 美雪(私服): (どうしよう……どうしよう!) 絶望感にくらりと視界が歪む。そんな中、こちらに向かって飛んでくるのは……? 菜央(私服(二部)): きゃぁぁあああぁぁっ?! 美雪(私服): 菜央?! ぐっ……!! 吹き飛ばされてきた菜央の身体を慌てて抱き留めると、勢いのまま再び背中が激しく鳥居へとぶつけられる。 私がぼんやりと考え込んでいた間に、菜央が攻撃をしかけて……跳ね返されたようだ。 美雪(私服): ぐぅ、くそ……! 菜央、菜央しっかり! 菜央(私服(二部)): ……ぅ……。 よほど強く攻撃を食らってしまったのか、菜央はぐったりと眼を伏せたままぴくりとも動かない。 そんな私たちを見下ろしながら、いつの間にかすぐ近くにまで来ていた西園寺雅が冷たい口調のまま……厳然と言い放っていった。 雅: ……お前たちは元々、この「世界」に存在しないはずの人間だった。 美雪(私服): 未来からきたお邪魔野郎って言いたいのか?んなこと、いちいち言われなくてもわかってるよ! 雅: ……違う。そうじゃない。 雅: お前たちが命を得たのは、幾億万もの「カケラ」の中からわずかに残った「可能性」……気まぐれのような存在。 雅: さらに生を受けたあとも、お前たちには過酷すぎる運命が課せられた。 雅: 中には心が折れて、自ら命を絶ったカケラもあり……他にも偶発的あるいは意図的に発生した事故や事件に巻き込まれて、お前たちの歳まで育つことがなかった。 美雪(私服): じゃあ……ここにいる、私と菜央は……? 雅: この#p雛見沢#sひなみざわ#rに住まう神は、ここに起きた異変を探るためにゆかりのある者を選び……呼び寄せた。 雅: 奇跡は、また別の奇跡を呼び寄せる。 雅: 雛見沢の神は己が望む奇跡を呼び寄せるため、お前たちが存在する奇跡を利用しようとした……カマキリを水辺へ呼び込む寄生虫のようにな。 雅: お前たちはその神の影響を受けている……洗脳状態と言っても過言ではない。 雅: 一穂に対する感情も、作り出されたものでしかない。 美雪(私服): ……っ……! 違う、と言おうとして力無く腕の中で寄りかかってくる菜央を抱きしめる。 否定したい……が、それができる何かを言い返せるのか。今の自分たちが数多くの奇跡で成り立っていることは、言われるまでもなく十分に理解していた。 この先……いや、これまでにも私は自殺なんてしないと言えるくらいに強いやつだったか?……答えは、もちろん否だ。 それに、菜央だってたとえば事故に遭って死ぬことは絶対にあり得ないと言えるだろうか?……断言できるはずがない。 美雪(私服): でも、一穂と一緒に帰りたいって気持ちは……! 雅: たとえここでお前たちがいなくなったとしても「世界」に変化はない。 雅: だから残された人々のことに気遣うことなく、安心して……消えなさい……。 そんな冷たい宣告を私たちに下してから、西園寺雅は再び薙刀を構えて――。 千雨: っ、ふざ……けるなぁぁぁああぁっ!!! 雅: うっ……?! その横っ面に、千雨の蹴りが炸裂した。 一度体勢を崩したものの、千雨は手にした武器を持ったまま身体を強引に捻って着地する。 そして再び、地面をえぐれるほど強く蹴り上げた。 千雨: 今べらべら喋りやがった、その情報!出所はどこだ、言いやがれ?! 雅: ……っ……?! 千雨: んなの、お前の神様とやらが言ってたことだろ?!悪いが私は専門家の論文読むまで信じないクチでな! 千雨: 論文って知ってるか?!自分はこの論を提示することに対して責任と権利がありますよ、って明言してるヤツだ! 千雨: お前の発言は!どこぞの誰かさんが悪口言ってましたと同程度の無責任発言でしかないんだよ、クソがッ!! 千雨: そんな責任皆無の言葉で潰せる人間は!美雪みたいなお人好しか!! ただの馬鹿だけだッ!! 雅: ぐっ……! 自在に入れ替わる不安定な体勢から、次々に繰り出される千雨の蹴りと拳を西園寺雅は防ぎ続けている。 ……ここまで本気になった千雨を見るのは、ひょっとしたら初めてかもしれない。彼女には悪いが、確かにこれは天賦の才だろう。 千雨: 悪いが、私はッ!小賢しい悪人ってやつなんでなッッ! 千雨: お前の神様も、理屈も、理論もっ!無条件に受け入れてやるほど優しくないッッ!! 雅: なっ……?! 連続した猛攻の果て、とうとう体勢が崩れたところにすかさず腰の入った全力の蹴りが入った。 細い身体は本殿の上へと吹き飛ばされ、床板の上を西園寺雅は鉛筆のように転がって……。 それでも彼女は、反動を利用して飛び上がった。……なんてタフさだ。 美雪(私服): (でも、攻撃が初めて当たった……!) 千雨: はー、はー、はー……! 西園寺雅はその顔に、前髪と初めて見る驚きの顔を張り付かせて……呼吸を整える千雨を見返してくる。 雅: 対応してきた……?ばかな、「力」を持たないやつが『サキヨミ』に抵抗できるはずが……いや……! 雅: そうか……お前も、「雛見沢の人間」か……! Part 06: 時の流れが凍り付くように、息の詰まる緊張を閉じ込めた世界が……さらに一段と、静寂を深めていく。 そんな中、千雨と西園寺雅はにらみ合いながら互いの隙をうかがうように……一歩も動かない。 先手を取るか、後手から返すのか……2人の動向を固唾をのんでじっと見つめながら、私はさっき聞いた言葉を胸の内で反芻していた。 美雪(私服): (千雨が、#p雛見沢#sひなみざわ#rの人間……って、そんなこと今まで一度も聞いたことがなかったんだけど……?) 千雨は幼い頃から、同じ社宅の住民だった。お母さんの方の田舎は関東のどこかにあって、お父さんの方は……。 美雪(私服): (……あ、そっか。そういうことか) すとん、と。自分の中になんとなく、納得した思いが綺麗に染み込んでいくような感覚を抱く。 てっきり無関係だと思い込み、巻き込んでしまったという後ろめたさもあって確かめるのを怠っていたのだけど……言われてみれば、それだと全てにおいて辻褄が合うのだ。 ……と、その時。 一穂: 『っ、みゆ……き、ちゃん……な、……お、ちゃん……』 美雪(私服): えっ……か、一穂?! 菜央(私服(二部)): っ……一、穂……? どこからか聞こえる声に、私は慌てて周囲を見渡す。それは菜央にも届いたのか彼女は目を開け、必死に首を巡らせた。 姿はない……でも、聞こえる。 菜央(私服(二部)): これ、一穂の声よね……?! 震える菜央の視線の先には、隙をうかがい合う千雨と西園寺雅がいるが……この声に反応した気配はない。 美雪(私服): (……2人には、聞こえてない?いや、私たちだけ……聞こえてる……?!) 一穂: 『なんで、戻って来たの……?!せっかく、未来に送り返したのに……!』 その、少し怒ったような悲しげな声に私と菜央は今の状況も忘れてくすっ、と吹き出す。 ……やっぱり一穂は、私たちを守るために力を使ってくれたんだ。それを理解した私たちは、安堵して息をつき……。 菜央(私服(二部)): バカね……ただ戻っただけじゃ、無意味なのよ。元の時代だって、問題だらけだったんだから。 菜央(私服(二部)): あたしのお母さんは眠り病。美雪のお父さんは行方不明。千雨のお父さんはバラバラ殺人。 菜央(私服(二部)): おまけに、あんたは過去に置き去りになって……これでどうやって生きていけっていうのよっ? 呆れ口調で言い返す菜央の反論に、息をのむ一穂の声が聞こえてくる。……そこまで想定していたわけではなかったようだ。 一穂: 『そ……それでも、2人が無事なら……私は……!』 菜央(私服(二部)): もう……センスがないこと、言わないで頂戴。あたしたちがそうしてくれって、一度でも頼んだりした?……本当にあんたは、何もわかってないのね。 一穂: 『……っ……!』 抗弁しても菜央にあっさりと一刀両断されて、一穂は窮したように押し黙ってしまう。 きっと根っからの、喧嘩下手なんだろう。だからこそ、仲介に入る私が彼女に対してどう接するのかは、もう決まっていた。 美雪(私服): 正直、状況はさっぱりわからないけど……あいつを倒さないといけないことは、わかるよ。 美雪(私服): たぶんそうしないと、次の手が打てない。だから……。 西園寺雅を、殺すつもりで戦うしかない。……それが唯一で最終的な結論だと、理解する。 美雪(私服): (話を聞いて、理解して、わかりあって……そんなふうにできる機会と力が私たちにあれば、よかったんだけどさ) 傷つきすぎた人間には、どう足掻いても言葉が届かない時があると知っている。 ……いよいよ、覚悟を決めるべきかもしれない。 美雪(私服): ……一穂は、わかる?あいつを倒す……方法を。 一穂: 『…………』 私の問いかけに対して一穂は言葉こそ返さなかったが、逡巡の想いが伝わってくる。 おそらくはわからないのではなく、知っていてもそれを本当に伝えていいのか迷っているのだろう。……だけど。 美雪(私服): お願い……一穂。 さっき西園寺雅は、自分は地獄に落ちてもいいと言っていた。敢えて自分は鬼になる、とも。 だったら、私の結論もひとつだ。雛見沢のみんなを守るためなら、どんな非道にだって手を染めてみせる覚悟だった。 一穂: 『……わかった』 そう言って一穂は、意を決したように毅然とした口調で私たちに声を伝えていった。 一穂: 『……彼女は、自分の神の言葉を信じてる。それが、彼女の力の根源なの』 美雪(私服): 言葉の力……つまり、『言霊』ってこと? 一穂: 『カケラの「世界」を渡り歩いてきた彼女は、人の意思と決定、覚悟が「世界」の構成する重要な要素だと理解している』 一穂: 『それらをカケラとして自分の中に取り込むことで、「世界」そのものに干渉する力を得たんだよ』 美雪(私服): ……ちょっとややこしい話だね。それで、どうすればそれに対抗できる? 一穂: 『彼女が支配したと思い込んでる「世界」……その構成要素を美雪ちゃんたちが奪い取れば、対抗できるかもしれない』 菜央(私服(二部)): 奪い取るって……どうやって? 一穂: 『彼女以上に、取り込まれた「世界」の理を理解すればいい……と思う。簡単に言えば、「間違い探し」だよ』 美雪(私服): 間違い探しか……そういえば彼女、ずいぶんファンタジックなことばっかり言ってたね。 いや、この状況を理解するにはそれが一番手っ取り早いのだが。 菜央(私服(二部)): つまり、この状況を現実的に解釈可能な理論でぶつけて揺るがせれば……攻撃は当たるってこと? 一穂: 『うん。……だから、否定して』 一穂: 『もう一度、固まりかけた「世界」を……壊して。そうしなければ、肯定できないものがあるから』 美雪(私服): ……なるほど。どういう理屈なのかはいまひとつ飲み込めないけど、とにかくこの「世界」を否定しろってことだね……! 一穂がそう告げると同時に、私……そして菜央の服のポケットの中から、暗がりを照らし出すほどの光があふれてくるのを感じる。 なんだろう、と思って手を入れて熱を帯びたものを取り出すと、それは小さなビー玉くらいの宝珠――『スクセノタマワリ』だった。 菜央(私服(二部)): 美雪、これって……?! 美雪(私服): ……うん。 いろんな人の手を渡り、巡り巡って私たちのもとへとやってきた……不可思議な雛見沢の秘宝。つまりこれが、私たちの切り札ということか……! 一穂: 『……その玉が媒介となって、言霊を力に変える。2人が巡ってきたいろんな「世界」へと繋がって、そこにある波動を取り込み……干渉してくれる……!』 一穂: 『そう……でも、急いで……!もうすぐ、時間の流れをせき止めていた障壁が壊れる……!』 一穂: 『防ぐものがなくなったら、梨花ちゃんたちが危ない……だから!』 菜央(私服(二部)): ……そんなの、嫌よ。 と、その時……一穂の必死の訴えに対して力なく拒絶する小さな声が、腕の中にいる菜央の口からこぼれ落ちる。 菜央(私服(二部)): 否定しろって言われても……嫌よ……。そんなの、間違い探しなんて……あたしは……っ! ぎゅっと、私の腕に菜央がすがりつく。子猫のように小さな彼女の爪が、切なく肌に食い込んでくるのを感じた。 菜央(私服(二部)): だって……過去の「世界」で得たものは、どれも貴重で大切なものだった……なのにどうして、それをなかったことにしなきゃいけないのよ……?! 菜央(私服(二部)): 友達も……家族も。大事なものが、増えすぎた……! 菜央(私服(二部)): なのに……否定なんて、できない……!たとえそれが、「世界」を救うための唯一の手段だからって……! 菜央(私服(二部)): どうして否定しなきゃ、いけないの?!あたし、あたしには……! 怯える菜央の小さな頭には、きっと「過去」の世界へ来た時の思い出が溢れているのだろう。 その中には、私と一穂の思い出もあるはずだ。それが嬉しくて、……心強い。 美雪(私服): ……菜央はそれでいいよ。 だから私は、爪を立てる手をそのままに抱き寄せた菜央の頭を撫でて……いった。 美雪(私服): 私が、否定する。全部否定して、全部を……壊す。 美雪(私服): だから、菜央は肯定して……信じてほしい。キミが大事だと思う、私たちの「世界」を。 美雪(私服): それなら、私が間違っていても菜央は正しいことになる。どちらかが間違えてもその一方は正解になるんだから……ね? 菜央(私服(二部)): ……それって、どういう意味? 美雪(私服): 見たもの。得たもの。受け入れたもの。それを否定することは、無かったことにするわけじゃない。 美雪(私服): これは答え合わせじゃなく……間違い探しなんだ。否定と肯定の繰り返しによって、「現実」の姿を鮮明に浮かび上がらせていく。 美雪(私服): つまり私たちは、あの西園寺雅の導き出した今の「現実」よりも現実に近い、「真実」をここに呼び込むんだよ……! 菜央(私服(二部)): ……っ、……! ぎゅっ、と。菜央の爪が腕に食い込んで……赤い痕跡を残して、離れる。 そして腕の中で、目に涙を浮かべた菜央が私を見上げていった。 菜央(私服(二部)): ……相変わらずの力押し理論ね。もっと年上らしく、年下のあたしにわかるようにちゃんと説明できないのかしら? 美雪(私服): あっはっはっ、仕方ないじゃんか。だってこの「世界」はもう、理屈や常識がぶっ壊れたおかしな構造になっちゃってるんだからさ。 美雪(私服): そういう状況で自分たちの意思を通そうと思ったら、私たち自身が壊れるしかないんだよ……屁理屈でもハッタリでも、なんでも使ってさ!! 他に誰もいないなら。他に誰もできないなら。どれだけみじめでも足りなくても、ここにいる私がやるしかない……!! 千雨: ぐっ……?! 美雪(私服): 千雨っ? 突然あがったうめき声に顔をあげると、先ほどとは逆に……演台の上で西園寺雅に吹き飛ばされる千雨がいた。 菜央(私服(二部)): 千雨の……あ、足がっ……?! あらぬ方向へ右足を曲げた千雨が欄干に叩きつけられ、悲鳴をあげた菜央を腕から離して……私は砂利道を駆ける。 美雪(私服): はぁっ!! 千雨に追撃を食わせようとした構えに、横からの一撃。 美雪(私服): (かわされた! ……でも!) 菜央(私服(二部)): ……っ……! 後ろから駆け寄ってきた菜央による二段階攻撃! 菜央(私服(二部)): ……なっ?! だけど、それも避けられる。……やはり西園寺雅が持つ『サキヨミ』の力を前にしては、フェイントを使っても対処されてしまうということか。 だったら、やれることは1つ……西園寺雅の力を、崩すだけだ! 菜央(私服(二部)): み……美雪! 美雪(私服): やるよ、菜央! ……千雨、そこで聞いて!私たちの否定と肯定を! 千雨: は……? おい、お前は何を……?! 美雪(私服): 私たちだけで否定しても肯定しても、それは当事者たちの内側の話だけでしかない。 美雪(私服): 千雨の目で! 贔屓なしに!私と菜央のどちらが正しくて間違ってるかを判断して!そして本当の「真実」を、私たちに教えてッ! 千雨: って、何を言ってるのかよくわからんが……それが攻撃になるのか?! 美雪(私服): そう!だってここは、人の意思と選択が生みだした「可能性」によって作られた「世界」だから! 千雨: っ……「可能性」による選択が、ひとつ「世界」を導き出す……なるほど、そういうことか。 千雨は折れたと思しき足を押さえながら、欄干に背中を預ける。そして脂汗を額に浮かべながら、にやりと私たちに笑い返してきた。 千雨: じゃあ、無関係な他人のツラで偉そうに口出ししてやるよ……! 雅: ……っ……? 私たちの会話を聞いていた西園寺雅は、困惑を滲ませて眉間にしわを寄せている。 私たちが何をするつもりか、計りかねているのだろう。その動揺が大きくなればなるほどに彼女は「世界」を支配する繋がりを弱め、その力の根源を見失う……。 いや、そうと決まったわけではないし……違うかもしれない。だけど今の私たちにできるのは、一穂が教えてくれた勝機に一縷の望みを託すことだった……! 雅: ……あなたたちは何を知ったというの? 美雪(私服): さぁ、なんだろうね……それを確かめようか!まずは軽く……そうだね。 美雪(私服): 平成5年で起きた、千雨のお父さんの殺人事件! 一息に吐き出し、距離を詰める。さぁ……世界の否定と肯定、仮説と反論による『間違い探し』の開始だッ!! 美雪(私服): 千雨が雛見沢の血が流れてるとしたら……たぶんそれは、お父さん経由! 美雪(私服): 経緯は全くわからないけど、千雨のおじさんは自分が雛見沢出身だったと知って、お父さんの事件を別方向から調べ始めたんだと思う! 千雨: ……なんとなく、そんな気はしてたよ。うちの父方のジジィ、戦争帰りでどこの出身かよくわからないそうだったからな。 菜央(私服(二部)): 自分の友達が雛見沢に関わって死んだのと、自分の祖父が雛見沢関係者だって言わずに死んだとじゃ、思う方向が違うもの、ねっ……! 美雪(私服): その通り! 美雪(私服): けど、それは誰にも言えなかった!そりゃそうだ! あの当時に雛見沢出身だってバレたら、家族ごと迫害されかねない! 美雪(私服): 前例なんて山ほど転がっていたからね! 美雪(私服): (夏美さんや川田さんが……いい例だ!) 美雪(私服): だから単独で、事件について調べて……おそらく、高野一派に見つかった! 美雪(私服): 私たちの「世界」じゃまだ何も起きてなかったけど、おそらく『眠り病』が蔓延した「世界」と同じような状況が起きる兆候があって、おじさんはそこに指をかけたんだ! 菜央(私服(二部)): なんで平成5年のタイミングだったのよ?! 美雪(私服): おそらく、高野が雛見沢大災害の10年目に行うって最初から決めてたんだ! 美雪(私服): たまたま10年目にしたんじゃない!10年目を目標にして、準備を進めたってことだ!! 美雪(私服): でも、実行半年前に何かしら大きな動きをする必要があって! 調べていた黒沢さんはそれが原因で気づいた!! 美雪(私服): 私のお父さんの死に方が多少変わってても、黒沢さんが同じ死に方をしてるってことは……!あの人の死の原因は、10年目って節目の方だ! 美雪(私服): だからおじさんが死ぬタイミングはどの世界でもだいたい同じだった……ん、だっ! 雅: ……っ……! 構えた西園寺へ振り下ろした武器は、とっさに構えられた薙刀へと叩きつけられる。 美雪(私服): (防がれた! でも、当たりはした!!) つまり、今並べ立てた「仮説」には彼女も知らなかった事実と経緯が含まれていて、それが構築した「世界」に影響をもたらした……? だとしたら、まだ活路はある……!諦めるな、ここまま続けろ赤坂美雪ッ!! 菜央(私服(二部)): なら殺された後、全身バラバラにされた理由は?! 美雪(私服): 『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』と呼ばれた事件を思い出してみて! 美雪(私服): 1年目の祟りは、工事現場監督の死亡と殺害した作業員1人の失踪。 美雪(私服): 現場監督はバラバラにされ、その右手は失踪した殺害作業員によって持ち去られた。 美雪(私服): で……私がおじさんだとしたら!一番恐れるのは自分の死が雛見沢とは無関係な事件として処理されること!! 美雪(私服): だから、右手を切断させるように仕向けた!『オヤシロさまの祟り』……1年目の祟りを連想させるために! 菜央(私服(二部)): ……どうやって、右手を?! 美雪(私服): おそらく、右手に重要な証拠を握り込んだ!それを奪い取らせるために、わざとね! 菜央(私服(二部)): なんで右手だけ持っていかなかったの?! 美雪(私服): 右手だけなくなってたら、刑事たちは想像するよ……何か右手に重要な証拠が残ってたんじゃないかってね! 美雪(私服): だから敵も全身バラバラにして……1年目の祟りを正確に模すことでカモフラージュしたんだ! 美雪(私服): おじさんが重要な証拠を掴んだ確証を、警察側に持たせないために! 美雪(私服): 遺体が全く出なかったら、それはそれで問題が発生するから……ね!! 雅: ――あぐっ?! 振り抜いた攻撃が、初めて西園寺雅の右腕をとらえる。 ほとんど強引に打ち立てた推論だったけど、ひょっとすると彼女も心の奥底で頷ける点があったということか……? 美雪(私服): ……当たった?! 西園寺雅はわずかに身体をふらつかせたものの、体勢を立て直すように数歩バックステップで下がる。 ただ、薙刀を握る腕には……私が打ち据えた箇所がかすかに赤みを帯びているようにも見えた。 美雪(私服): (効いている――!) 正直今の話が、真実かどうかなんて私にはわからない。 当然だ。現役の優秀な刑事が半年近く捜査しても確証のあるものは何も得られなかったんだから! 西園寺雅は、真相らしきものを神から与えられていて……でもそれは、私が思いつくまままくし立てた推測とは確実に何かが異なり、疑念を抱くものだったのだろう。何かが異なるものだったのだろう。 だから、攻撃が当たった。……「信仰」が揺らいだというわけだ。 美雪(私服): (優しい人ほど、自分を疑うものだからね。もし事実がそうでなかったら、どうしようと思って……) 絢さんが死んだことを嘆き、慟哭して……復讐を誓った彼女は、きっと優しい。 そうじゃなきゃ、こんな袋小路に陥ってもなお出口を探してあがいたりはしない。だから……! 美雪(私服): (こざかしい悪人面で証拠のない、身勝手な推論をまくし立てて信仰を揺らがせる最低最悪の攻撃が、抜群に効くんだ……!) 美雪(私服): 言葉は力とはよく言ったものだね……いや、暴力かな。 雅: 振り回す人次第で、……正義になると? 美雪(私服): いや、暴力は暴力だよ。正当する余地もなくね。 美雪(私服): 正答する余地がない……だとしたら、この状況は?! 雅: だとしたら、あなたたちは……!今ここにいる自分たちすら否定するのか?! 美雪(私服): うん、しないとね。 呼吸を整えて、笑う。 美雪(私服): 遅くなっちゃったけどね。私も、本心では否定したくなかったからだけどさ。 雅: なっ……! 美雪(私服): でも……最初からさ、疑うべきだったんだよ。 美雪(私服): 平成5年から昭和58年への移動ってなに? って。ツクヤミって何、ロールカードって何? って。 でも、何もわからない段階で考えても意味がないと思った私は、答えを出すのを後回しにした。 美雪(私服): ――考えない。 美雪(私服): でもね……最初から、当たり前みたいにこの状況を全部一言で言い表せることができたんだ。 美雪(私服): (……だよね、お父さん) あの昭和58年の混乱の最中、私を助けてくれた父を思う。 ……全部。 言い淀む私の背を……とん、と。お父さんの大きな手と、小さな一穂の手が押してくれた気がして。 私は……思いをぶつける、声を限りにして!! 美雪(私服): 私たちが今いる、この状況は――『雛見沢症候群』って病が見せた、幻だ!! 雅・菜央: はっ……?! 西園寺雅と菜央が同時に、身体を強ばらせる。その隙を逃さず、私は小さな相棒に向かって「追撃」を促し叫んでいった。 美雪(私服): 菜央、私を否定してみなよ!私を否定して、肯定するって約束した通りに! 美雪(私服): (そうじゃなきゃ、キミは自分が得たものを肯定できない……!) 菜央(私服(二部)): じゃ……じゃあ、なんだって言うの?! 菜央(私服(二部)): あたしたちが一緒に暮らしていたことも!みんなと友達になったことも! 菜央(私服(二部)): ずっと会いたかったお姉ちゃんと会えて、仲直りできたことも……! 菜央(私服(二部)): 全部存在しなかった、架空の出来事だって言うの?! 美雪(私服): 完全に架空ではないよ。……私たちの間では、実際に起きたこと。 美雪(私服): でも実際に、そこには誰もいない。生活必要品も消費していない。物も食べていない。 菜央(私服(二部)): じゃあなんだって言うの?! 美雪(私服): ……『雛見沢症候群』の感染者は、女王が死んだら48時間内に末期症状を引き起こすんだよね?! 『女王感染者』が死亡すると、『雛見沢症候群』の一般感染者……雛見沢の住民は全員、ほぼ48時間以内で末期発症に至る。 末期症状とは、平たく言ってしまえば正気を失って錯乱し……他者あるいは自らへの攻撃衝動を持った凶暴状態を指す。 腰を落として、私は再び突撃の構えを取る。西園寺雅の表情に困惑が浮かび、その瞳に揺らぎが見えた隙を狙って――! 美雪(私服): 死んだことを知った後で不安定になるのではなく、死んだ48時間以内に末期症状が起きるのは……。 美雪(私服): 女王と感染者を繋ぐ命令系統が存在する証拠なんだ! 美雪(私服): 女王が死んだ、もうおしまいだってね! 美雪(私服): だとしたら感染者全員に、シグナルを受け取るため共通する受容体があるはずなんだ! 美雪(私服): それが、もし感染者同士をも繋ぐよう変質していたら?! 雅: ――がっ?! 流れるような動きで西園寺雅への一撃。当たりはしたが、防がれた。 菜央(私服(二部)): 横に繋がったとしたらなんだって言うのよ?! 菜央(私服(二部)): 感染者には、お互いにしか見えない幻が共有される……共有幻想とでも言いたいの?! 美雪(私服): そういうこと……!村の人同士で見えているからこそ、幻を幻と認知できないのさッ! 菜央(私服(二部)): 違う……あんたの説には矛盾点があるわ!だったら、『雛見沢症候群』に感染している人間以外あたしたちの姿は見えないはずでしょ?! 雅: くっ……! 菜央も構えて、走り出す。言葉は私に! 攻撃は西園寺雅に……! 美雪(私服): その通り! それだけなら本来は見えない人がいるはずだった! 美雪(私服): でも私たちは『雛見沢症候群』の患者であると同時に……広い範囲に広がる感染症の「御子」でもあったんだ! 菜央(私服(二部)): #p田村媛#sたむらひめ#r命も、感染症だってこと?! 美雪(私服): そう!おそらく、菌は菌でも常在菌系の無害なヤツ!! 美雪(私服): 私たちが神様と呼んでいるもの全てが、病原菌それぞれの親玉だと仮定すれば辻褄が合う!! おそらく羽入は、『雛見沢症候群』の神。 田村媛命は、『雛見沢症候群』が広がる以前から存在していた、土着していた常在菌の神。 美雪(私服): 『雛見沢症候群』感染者でなくても、田村媛の子……常在菌の感染者なら私たちを知覚できるって寸法だったんだ! 菜央(私服(二部)): じゃあ、采ってヤツはなんなの?! 美雪(私服): 『雛見沢症候群』に匹敵する力を持つ、別の細菌!でも『雛見沢症候群』とは特別相性が悪い! 采: ヤツと我では性質が違うのです!元より我とチョー相性が悪い力!なんとかしてやるだけ感謝するのですー! 美雪(私服): だから菜央のお母さんたちは『雛見沢症候群』と采に同時感染した際、反動として『眠り病』を引き起こした! 美雪(私服): 采の御子が川田さんしかいなかったのは、本来は2つ同時に保有できない『雛見沢症候群』と自分の菌を同時に抱えていられるのが彼女だけだから! 菜央(私服(二部)): なんでそこまで断言できるのよ! 美雪(私服): 決め手になったのは、平成5年で羽入が現れた時! 巴: え、なに? どうしたの秋武。血相変えちゃって……。 麗: どうしたじゃないですよ!あーちゃんも南井さんも、他の子たちも立ったままいきなり15秒くらい動かなくなっちゃったんですよ。 美雪(私服): あの時! 秋武姉と比護さんには、羽入が見えなかった!だとしたらあの2人は他のみんなとは何かが違ったんだ! そう。だとしたら、その答えは……。 美雪(私服): 『雛見沢症候群』の感染者じゃなかったから……逆を言うと、他は全員感染者だったから会話できた! 美雪(私服): (私は昔、お父さんが雛見沢に行ってたからそこで……いや、過去に飛ばされた時かもしれない) 美雪(私服): (菜央はお母さん経由。千雨は父親から遺伝。魅音は元から出身。南井さんは川田さんと一時期暮らしてたらしいから、たぶんそっち経由で) 美雪(私服): (秋武妹の方は誰から感染したか不明だけど……川田さんの可能性が濃厚かな? 若干ひっかかるけど) 菜央(私服(二部)): じゃあ、『ツクヤミ』はなんだった、……のよっ?! 雅: ……うっ?! 菜央の攻撃が西園寺雅を掠める。……明らかに彼女の動きと力は、鈍ってきていた。 美雪(私服): (着実に、追い詰めている……あと少し!) 美雪(私服): あれも実際には存在しない!でも、何もかも存在してないわけじゃない!確かに私たちを殺そうとしていた! 菜央(私服(二部)): 存在しないのに殺そうとしていた?! はぁっ?! 美雪(私服): 私たちが幻を見ていたなら!目で見えるものだけが真実じゃないでしょ?! 美雪(私服): 言うよね、狂犬病患者は光を直視できない!病が悪化すると、光の刺激が強く感じ過ぎるからっ! 病は五感を変える……そして同じ病気の感染者同士の五感が『雛見沢症候群』の感染者として横に繋がるとしたら。 美雪(私服): 『ツクヤミ』は感染症を悪化させようとする原因が目に見えて触れて倒せるようになったモノ!……それでどうっ? 千雨: い……言い切ったな?! 美雪(私服): あぁ、言い切るよ! 私たちが戦っていた『ツクヤミ』は、『雛見沢症候群』を悪化させる原因そのもの!! 菜央(私服(二部)): じゃあ『ツクヤミ』に食べられるってのは?! 美雪(私服): 病に冒されるって言うでしょ?!だから『ツクヤミ』に食われるっていうのは比喩に近くて、実際には病気が悪化してそのまま死ぬってこと! 菜央(私服(二部)): じゃあ、アレは?!『ツクヤミ』が現れなくなった「世界」はなんなの! 美雪(私服): それは……おそらく、いなくなったんじゃない! 美雪(私服): 世界が変わって、『雛見沢症候群』が変質して……私たちが持ってる受容体じゃ知覚と対処ができなくなっただけ! 美雪(私服): 菜央、覚えてる?!私たちが最初に平成に戻った時、『ロールカード』が割れたこと! 取り出した「カード」を眼前に掲げる。いつものようにそれは光とともに、武器へと変形し――。 美雪(私服): えっ……? 「カード」は、形を変えなかった。いや、それどころか……! 変化させようとした瞬間、「カード」全体にひび割れたような亀裂が走っていく。そして、 ガラスを割った時のような甲高い音とともに、「カード」は粉々に砕け散ってしまった。 美雪(私服): なっ?! 息を飲んだ瞬間、粉と化した「カード」はキラキラと輝きながら風に吹かれ、消えてゆく……。 美雪(私服): それまでのカケラと世界が大きく変化したカケラでは『雛見沢症候群』の性質が変わってるんだ! 美雪(私服): 「ロールカード」がある種のワクチンだとしたら!病気の種類が変わったら適応できない! だから壊れた! 美雪(私服): 大きく変わりすぎた『雛見沢症候群』に対処するには、その「世界」の『雛見沢症候群』に対応した新しい「カード」が必要だったんだ! 美雪(私服): 病気だって、万能薬なんてないでしょ?!病気の種類に合った治療薬を使わないと決定的なダメージは与えられないっ……!! 雅: うぁっ?! 菜央の攻撃に気を取られた一瞬……私の一撃が、西園寺雅の脇腹に入った。 美雪(私服): (手応えあり!) 振りかぶろうとして、見た。……攻撃した西園寺の腕と反対の腕が、薙刀の石突きを振り回そうとするのを。 美雪(私服): うおっ……! 円状に仕掛けた反撃を避けるため、大きく後ろへと飛びすさる。 菜央(私服(二部)): ……っ……! 菜央も同じように私の隣へ着地する。お互いにぜぇぜぇと息をしていて、あちこちに擦り傷だらけだ。 致命傷がないだけで、体力ももう限界に近い。 雅: じゃあ、何だって言うの?!お前たち3人の正体ってやつは!! 美雪(私服): ……はは、それ言っちゃう?たぶんそれは、一番大事なところだよ。 美雪(私服): 今ここにいる私はね……ただの、ただの……。 美雪(私服): 亡霊だよ! 美雪(私服): 『雛見沢症候群』の感染者が見た、未来から来たって名乗っている幻だッッッ! 菜央(私服(二部)): っ……!じゃあ、過去に行くってなんだったのよ?! 美雪(私服): 忘れた? いつだって私たちを送り出したのは、全員が『雛見沢症候群』感染者! 美雪(私服): だからね、その目で見たもの……音で聞いたこと。 美雪(私服): 全部、手放しに信用できない不確かな証言だ!全て信用性がない!! 菜央(私服(二部)): じゃああたしたちは、どうやって過去へ来たの?! 美雪(私服): 過去へ来たんじゃない……現代で死んだんだ。 美雪(私服): 私と千雨は海辺の神社で、過去に飛ぶために注連縄をくぐった。 美雪(私服): あの輪には多分、病を促進する成分が入ってたんだ。 美雪(私服): それと同じ成分を持つものが、祭具殿にも安置されていた! 川田: い……行っちゃダメ! 戻ってください!こいつは知っているようで、何も知らないんです!真実もどきのファンタジーに食い殺されないで! 川田: ダメっ、その先は……ッッ!!! その仮定を前提にしたら、理解できる。 美雪(私服): (川田さんが、私たちが過去に行こうとしたのを必死に止めたのは……) 美雪(私服): (過去へ行く=現代の私たちが死ぬって、わかってたから) 菜央(私服(二部)): じゃああたしたちの肉体はどうなったの?! 美雪(私服): 現代のどこかの草むらに転がっているんじゃない?!送り出してくれた他の皆の眼には見えなくなってるだけで! 菜央(私服(二部)): だったら、未来へ戻るってなんだったのよ?! 美雪(私服): 平成5年で『雛見沢症候群』に感染した状態の私たちが、かつての感染者が見た幻を自分の中に組み込んだだけ! 美雪(私服): 『雛見沢症候群』の感染者同士が会った場合、受容体によって互いに幻が書き換わるんだ! 美雪(私服): 私たちは別の「世界」で出会ってる、ってね! 菜央(私服(二部)): じゃああたしが過去から持って来た、お姉ちゃんの帽子は?! 美雪(私服): 菜央は帽子は持ってたけど、ライターやジュースのフタはなかったよね?! 菜央(私服(二部)): ……実はあたし、あの時取れたフタを記念に取っておこうと思って、スカートのポケットに入れてたのよ。 美雪(私服): …………。 最初は、どうしてそんなものを取っておこうと思ったのか聞こうとした。 けれど、お茶を握りしめた菜央の表情が妙に深刻そうで、軽口を叩こうとした私はブレーキをかけて次の言葉を待った。 菜央(私服(二部)): そのフタ、平成に戻って確認したら……なくなってたの。 美雪(私服): 落としたんじゃない?私も財布を、昭和の雛見沢に落としてきちゃったしね。 菜央(私服(二部)): それだけじゃないの。……レナお姉ちゃんに貰ったライターもなかったの。 菜央(私服(二部)): だから、あたしがあの「世界」から持ち帰ることができたものって、レナお姉ちゃんのこの帽子だけなのよ。 美雪(私服): おそらく、あの平成で菜央が持ってた帽子はレナから貰ったものじゃない……遺品だよ。 美雪(私服): お母さんの手元に来たレナの遺品を、菜央は東京から持ちだしたんだ! それなら、他にライターやジュースのフタがないことも説明がつく。 最初から持っていないものが手元にないのは当然だ。 美雪(私服): (私の荷物がなかったのは、昭和じゃなくてあの湖のどこかに落としたんだ) あの日あの時、あの場所で目を覚ます前。私と菜央はどこかで出会い、何かの理由で気を失った。 そして、目を覚ました時には……。 美雪(私服): (昭和58年の記憶を上書きされた、今の私たちになっていたんだ) 雅: ……なん、で……?どうしてお前は、そこまで自分自身の存在を否定できるんだ……?! 彼女のその口調には、こんな状況にもかかわらず……私たちのことを気遣うようにも感じられて。 そこでようやく私は、少女の姿をした「化け物」でしかなかった存在が……私たちと同じ人間に見えるようになった。 美雪(私服): なにが? 雅: そんな風に、自分が見てきたものを、得たものを、全部否定してしまったら……! 雅: お前たちはもう、どこにも行けなくなる!!せっかく手に入れた奇跡を手放すのか……?! 美雪(私服): そんなこと、とっくにわかってるよ!! 雅: わかっているのに否定するか?! 美雪(私服): そうだよ!私はここまで最悪の未来の出目を出してきたんだ! 美雪(私服): 私が受け入れられる程度の最悪なら!そうかそうかって笑って受け入れて、アホみたいに悩んで苦しんで……! 美雪(私服): どうにかして答えを出して!奇跡みたいなハッピーエンドを掴んでやる! 菜央(私服(二部)): あぁ、もう……! 隣に並ぶ菜央が、顔をぐしゃぐしゃに歪ませる。 菜央(私服(二部)): あんたってのは、本当……!宣言通り、なにもかも否定してくれたわね……! 美雪(私服): 言ったでしょ、否定するって。 美雪(私服): ……これも、否定しておくよ。『雛見沢症候群』は幻を共有できる素敵なものじゃない。 美雪(私服): だって菜央、言ってたよね?『雛見沢症候群』は他者を疑うことで進行するって。 菜央(私服(二部)): ……村の人に本当のことを隠す理由は、なに?『雛見沢症候群』の存在を知ることって、そんなにも難しいことだったりするの? 絢花(私服): その点の事情は、私の知るところではありません。ただ……『雛見沢症候群』の症状は、疑心暗鬼を糧に進行すると言われています。 一穂(私服): 疑心、暗鬼……。 絢花(私服): 誰かが何かを隠している、企んでいる。語られたことが本当なのか嘘なのか、疑わしい。好意と敵意の区別が、つけられない……。 絢花(私服): そんな、誰しも抱く不安や恐怖の感情を煽って増幅させるのが、『雛見沢症候群』です。……この村に来てから、心当たりはありませんか? 美雪(私服): 菜央が……一穂と別れたこの世界で、鷹野さんに梨花ちゃんを売ろうとしたのは。 菜央(私服(二部)): ……病気が進行してたから? 美雪(私服): そうだと思う。 菜央(私服(二部)): ……病気のせいには、したくないわ。でも確かに今思えば、些細すぎることからあたしは前原さんや他のみんなを疑った。 美雪(私服): 不信感が原因で病が進んだのか、病が進んだから不信感が増したのかはどっちが先か不明な鶏卵論争だとは思うけどね。 美雪(私服): 『雛見沢症候群』が幻を生み出すなら……猜疑心ってのは、ある意味身近で大きな幻じゃない? 美雪(私服): 全て疑ったら、『雛見沢症候群』に飲み込まれる。でも全部信じたら、真実へ辿り着けない。 美雪(私服): 1人じゃこの状況への対処は無理だ。信じながら疑うとか二律背反にも……程があるっ! 菜央(私服(二部)): あんたは最初から村の人たちのこと、信じてたものね。 美雪(私服): 逆に菜央は疑ってたよね。そこに人を信じたり疑ったりした一穂がいて……私たちは、常にバランスが取れてた。 美雪(私服): でも、私の信じるって結構打算の代物だからね。過去に菜央を送り出したのは正解だったと思うよ。 美雪(私服): 私が行ってたら、おそらく絢花さんの信頼を得られなかった!! 絢花さんは、猜疑心のカタマリのような人だった。そこに私が信じていると両手を広げても、おそらく彼女自身の疑いはさらに大きくなっていたと思う。 そんな絢花さんが、素直に人を信じて我が事のように傷つき、悩み、それでも前に進む一穂と出会い、心を通わせたことで……変わったのだろう。 さらに、最初こそ懐疑的な態度を見せても相手のことを想って信じようと努力する、優しい菜央を知った彼女は……我が身に置き換えたのかもしれない。 菜央(私服(二部)): でもあたしは、お姉ちゃんを助けられなかった。 美雪(私服): そこは……なんか恣意的なものを感じるよね。 菜央(私服(二部)): 幻なのに? 美雪(私服): 幻だからこそ、だよ。 美雪(私服): (まるで、状況がピンポイントに菜央という存在を潰しにかかっているみたいだった) 美雪(私服): 私たちが間に合ったから……なんて、口が裂けても言えないけれど。 美雪(私服): (それまで耐えてくれた菜央や、守ろうとしてくれたみんながほんのわずかでも足りなかったら……間に合わなかった) 菜央(私服(二部)): あんたはその救いも、全部幻だって言うんでしょ? 美雪(私服): 言うよ……それが必要だと思うから。幻と現実、それぞれの境目が曖昧になったこの「世界」は『胡蝶の夢』、いや『一炊の夢』そのものだってね……! 呼吸を落ち着かせ、武器を構える。 今ここにいる私がなにもかも幻なら……身体の痛みも幻なら、不要なものだけを消してくれればいいのに。 でもこの痛みがあるから、私たちはこの「世界」を本物だと……大切なものだと受け入れたのだ。 そう……たとえ幻でも現実でも、私たちにとっては貴重でかけがえのない「真実」そのものだったんだ……! 美雪(私服): で、菜央はどうする? 菜央(私服(二部)): 言ったじゃない。 菜央も武器を構える。子どもらしくない大人びた艶っぽい微笑みで、私を見て。 菜央(私服(二部)): あたしはあんたを否定する!それで、肯定してやるのよ! 菜央(私服(二部)): 神様はいる! 『ツクヤミ』はいる! 菜央(私服(二部)): 「ロールカード」はワクチンなんかじゃない!あたしたちが戦うための武器! 菜央(私服(二部)): あたしたちは現代から肉体ごと、過去と未来を行き来してる!死んでなんかいないわ! 菜央(私服(二部)): それで……それで! 武器の先端が、西園寺雅を捕らえた。 菜央(私服(二部)): あの女を倒して!皆を助けて! 全部、解決した……! 菜央(私服(二部)): 最高のハッピーエンドを掴むのよ!! 美雪(私服): 最後は私と同じじゃない? 菜央(私服(二部)): ……全部否定しても肯定しても、辿りつく結論は同じってこと? 美雪(私服): じゃあ、やることは同じだね。 雅: ……っ……! 西園寺雅も再び身構える。 苦しそうに息を吐きながら、汗は流したまま……余裕は、とうに失われていた。 菜央(私服(二部)): あんたがあたしたちを、殺す理由。あたし、わかるわ。痛い程ね……。 菜央(私服(二部)): だって自分の大事な人が幸せになる可能性を自分の力で手にできるなら……。 菜央(私服(二部)): 悪魔に魂でも売り渡したいって。あたしも、本気でそう思う。 菜央(私服(二部)): だから、あの時あたしの前に現れて……黒いカードを、くれたんでしょう? 美雪(私服): えっ……? 菜央(私服(二部)): あの人と戦ってる最中に、思い出したのよ。あたしが誰も信じられなくて追い詰められた時に現れてくれた子だ、ってね。 眼鏡の少女: ……姉のことが、そんなに大切? 菜央(私服(二部)): 当たり前でしょっ!お姉ちゃんのためだったら、あたしは……っ! 眼鏡の少女: だったら、協力してあげる。そうすれば、竜宮レナは救える。 眼鏡の少女: ……でも、私の言う通りに動かなきゃダメ。助けたくないなら、勝手にすればいい。 菜央(私服(二部)): …………。 菜央の呼びかけに、西園寺雅が表情を歪ませる。 雅: ……どうして? 雅: 私に接触した記憶は……絢以外は、ほとんど持たないはずなのに……? 美雪(私服): (記憶を持たない?だとしたら西園寺雅は私たちが感染してる『雛見沢症候群』の亜種にかかってる……とか?) 同じ感染症にかかっている人間同士で、幻の共有がなされるなら……。 同じ感染症でなければ、幻の共有が一時的なものになってしまうのだろうか? 菜央(私服(二部)): ごめんなさい……忘れてたわ。今の今まで、すっかりね。 菜央(私服(二部)): ……怒っちゃダメよ、美雪。あれでもあの人はあの人なりに、私を助けてくれようとしたの。 菜央(私服(二部)): お姉ちゃんを助けたかったあたしを。きっと……見てられなかったんでしょうね。そうじゃなきゃ、手を貸す理由がないもの。 美雪(私服): …………。 菜央は大きく息をつき、長い髪を風に揺らす。 菜央(私服(二部)): 西園寺さん……方法はどうであれ、助けてくれようとしたこと、感謝してる。 菜央(私服(二部)): 正直あの時あたしだけしかいない状況で、お姉ちゃんを助けるならアレしかなかったもの。 菜央(私服(二部)): たとえ、お姉ちゃんが望まなくてもね。 でも、と菜央は続ける。 菜央(私服(二部)): あんたと同じように、あたしも決めたの。 菜央(私服(二部)): お姉ちゃんを、今度こそ本当の意味で助けるって。 菜央(私服(二部)): お姉ちゃんが大切にしている人も故郷も含めて、なにもかも。 菜央(私服(二部)): あたしたちがここで負けて消えてしまったら、お姉ちゃんとの道のりが全部全部、無駄になっちゃう。 だから、と菜央は身構える。晴れやかな柔らかい笑顔で。 菜央(私服(二部)): ……全部なかったことにしようとする、あんたには。 菜央(私服(二部)): 悪いけど! この舞台からご退場願うわ!! Part 07: 吹き飛ばした最後の一撃は、思ったよりも軽かった。 雅: ぐっ……ぁぁぁあぁああああっっ!!! いや、もう……互いに力を使い果たしかけていたのだろう。 美雪(私服): はぁ、はぁ、はぁ……っ! 菜央(私服(二部)): ……っ……! スローモーションのように倒れる西園寺雅を見つめるかすんだ視界の中で……ふらりと菜央の身体が揺れる。 美雪(私服): (菜央も満身創痍、か) 2対1でこの有様だ……菜央がいなかったら、確実に負けていた。 でも、とりあえず勝てた……いや。負けはしなかった、かな? 一穂(神御衣): 『み、美雪ちゃん……菜央ちゃん……!』 安堵の息を吐く間もなく、耳元に響く一穂の苦しむ声。 一穂(神御衣): 『もう、限界……ご、ごめんなさい……ッ!!』 パチン、と。風船の弾けたような音が、響いて。 オォオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!! それまで人形のように固まっていた人々の喧噪が、電源をオンにしたように溢れ出して……?! 美雪(私服): (そうだった!状況自体は何も変わってないんだった!!) 美雪(私服): 梨花ちゃん! みんなぁっ! 慌てて村人たちを押しのけ、菜央と共に梨花ちゃんたちのもとへと駆け寄る。 美雪(私服): ど、けぇえええっ!! まだ手の中にある「ロールカード」の武器を、目の前に立ちはだかる群衆に向けて横薙ぎに振り抜いた。 菜央(私服(二部)): はぁっ! 菜央も参加し、梨花ちゃんたちを背中で挟むようにして周囲を牽制し……押し返す! 圭一(私服): み……美雪ちゃんっ? 菜央ちゃん?!さっき消えたんじゃなかったのか?! 美雪(私服): 戻ってきた!! 圭一(私服): いや、早すぎんだろっ?! 美雪(私服): 急いで戻って来たんだよ!未来のレナと魅音の手を借りて! 何がなんだかわからないと言いたげなみんなの中から、目当ての姿を見つけて。 美雪(私服): そこにいるの、魅音の格好してるけど……詩音だよね?!未来の魅音の手を借りて戻ってきたんだ! 詩音(魅音変装私服2): ……そうですか。お姉の手を借りられたんですか。 梨花(巫女服): みー……やっぱり詩ぃ、だったのですか? 詩音(魅音変装私服2): ……入れ替わりの説明は、あとでします!これからどうするんですか?! 美雪(私服): とにかく突破口を作って脱出しよう!動けない千雨も回収して……! 詩音(魅音変装私服2): 言いたいことはわかりますが、これじゃ多勢に無勢ですよ?! 伸ばされた村人の腕を自らの腕に絡めて、詩音が相手の勢いを利用して投げ飛ばす。 詩音(魅音変装私服2): しかも『ツクヤミ』と違って倒すこともできないので、こちらが圧倒的に不利ですよっ?! 美雪(私服): なんとかするしかないよ!こっちには他に、切り札がない……えっ? 突然、背中が熱くなった。 火傷するようなそれではなく、人肌のような心地よい温度のそれは。 美雪(私服): え? ……あっ! 慌てて上着を脱ぎ、背中に手を伸ばすと……そこには、小さなナップザックがあった。 慌ててバッグを取り、中身をひっくり返す。そこから現れたのは、一冊の本。小さく輝いていたそれはやがて光を強めて……! 羽入(巫女): ただいまなのです! 羽入の姿となって、……顕現した。 梨花(巫女服): は……羽入っ?あんた、今までいったいどこに……?! 羽入(巫女): ごめんなさいなのです、梨花……僕は、自分自身を取り戻すためにカケラの「世界」を彷徨っていたのです。 梨花(巫女服): 自分自身を……取り戻す……? 羽入(巫女): はい。……あなたと再会してから、僕はずっと欠けたままでした。 羽入(巫女): いえ、欠けてしまったからこそ、あなたと再会できたとも言えるのですが。 羽入(巫女): 僕の一部は、ずっと失われていたのです。 羽入(巫女): 料理の知識はあっても、手順をなぞる記憶がなくなっていたように。 羽入(巫女): できていたはずのことが、できなくなって。わかっていたはずのことが、わからなくなっていました。 羽入(巫女): 過去の記憶も……どうして惨劇を乗り越えたはずの世界が、恐ろしい形で壊れてしまったのかも、なにもかもが。 羽入(巫女): でもこの本に収まり、多くの人の手を経てさまざまな真実の場へ立ち会い……。 羽入(巫女): 全てではありませんが、こうして現れるに足る自分のカケラを取り戻したのですよ……! 羽入は嬉しそうに、梨花ちゃんへと抱きつく。 その不思議な光景に、正気を失っていたはずの村人たちもどこか気押しされたようにうろたえていて。 美雪(私服): え……? 突然本から現れた羽入に戸惑う私へ向け、羽入は慈悲深い笑みと共に慈しむような指先で触れた。 羽入(巫女): ……ありがとう、美雪。ここまで連れてきてくれて。 羽入(巫女): あなたはいくつもの苦難の道のりを越えて……ここまでやって来てくれました。 羽入(巫女): あなたがいつか、忘れてしまっても。あなたの成したことを……絶対に、忘れません。 羽入(巫女): ありがとう、奇跡の子。これからは……私に任せてください。 する、と。羽入は私から指を離して。 羽入(巫女): ようやく……ようやく。僕も皆を守ることができるのです。 そして羽入はうろたえる村人たちを無視して凛とその背中を伸ばすと……どこかぼんやりとしていた梨花ちゃんの前へ立つ。 そして表情を改め、厳かな声で告げた。 羽入(巫女): ――梨花。 羽入(巫女): 荒ぶる村人たちの正気を取り戻すことができるのは、あなたしかいません。 羽入(巫女): 女王感染者の力を使い、彼らの魂を鎮めるのです。 梨花(巫女服): 鎮めるって……!で、でも私……今までそんな力、使ったことなんてないわ! 梨花(巫女服): そんな力があるなら、私たちがあの100年の牢獄に閉じ込められることもなかったはずでしょう?! 羽入(巫女): 梨花……今村人たちが宿す『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』の因子は、あなたが知るモノとは大きく変質してしまっています。 羽入(巫女): でも『雛見沢症候群』の因子の変質と同様に……女王の力もまた、より強固になっているはずです。 羽入(巫女): あなたひとりでは難しくても……今は、僕がいます。2人の力を合わせれば――! 羽入が手を伸ばす。 それに梨花ちゃんはおそるおそる、泣きそうな顔で手を伸ばし……。 指先が、絡んで……額が、触れて。 周囲が光に満ちあふれて……?! 圭一(私服): うおっ?! 慌てて目を閉じ、開けたそこにいたのは……。 額から角を生やした……梨花ちゃんだった。 美雪(私服): り、梨花ちゃん……で、いいの? 梨花(羽入合体): ……えぇ。でも、梨花だけじゃない。 梨花(羽入合体): 今……梨花の中に、羽入がいる。2人で、1人なの。だから、できる。 梨花(羽入合体): 今から、この雛見沢にいる全ての人たちに命令するわ。 梨花(羽入合体): 彼らを凶気にかき立てていた衝動を私が打ち消す――! 梨花ちゃんが空に手を伸ばす……そこには、いつの間に現れたのだろう。 小さな鈴がブドウのように連なった、神事などで用いられるような棒が握られていて……。 美雪(私服): (あれって確か、巫女鈴……?) 私の予想を裏付けるように、梨花ちゃんが優雅に、厳かに腕を……振るう。 シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。 振るうたびに大きさを増すその音は、空間を支配して場の空気を自分の手元に集めて……。 詩音(魅音変装私服2): 見てください! 暴れていた村人たちが、倒れていきますよ! 菜央(私服(二部)): えっ?! 詩音の指摘する通り、ぱたり、ぱたりと、と村人たちが一人……また一人と、倒れていく。 シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。 倒れていく彼らの表情に、先程までの険しさはない。穏やかに眠るように、静かに目を閉じていて。 シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。シャン。 ……シャン。 最後の鈴が鳴り終わった時には、地獄絵図にも等しい阿鼻叫喚は……嘘のように消え失せていた。 目を開けているのは、私と、菜央と、梨花ちゃんと、前原くんと、詩音と、少し離れた場所に座り込んだ千雨……だけ。 菜央(私服(二部)): これで……終わった、の……? 梨花ちゃんが静かに鈴を手にした腕を下ろすのを見ながら、どこか夢を見ているような淡さで菜央が呟き。 美雪(私服): っ、そうだ……一穂! 我に返った私が慌てて壇上を見遣ると。 そこにはさっきまでいなかったはずの一穂がうつ伏せに倒れていて……! 美雪(私服): 一穂っ! 駆け寄ろうと一歩踏み出して。 圭一(私服): 待て! すさまじい力で、背後に引っ張られた。 美雪(私服): えっ?! 振り返ると私と菜央の肩を掴んだ前原くんが目と鼻の先にいて。 圭一(私服): 近づくな! 今の一穂ちゃんが、俺たちの良く知っている一穂ちゃんかどうかまだわかんねぇんだぞ?! 菜央(私服(二部)): 前原、さん……? あまりの剣幕に、私はもちろん菜央まで怯えたように固まってしまう。 圭一(私服): あ……。 それに気づいたのか、前原くんは申し訳なさそうに私から手を離すと、戸惑う菜央をちらりと見て。 圭一(私服): ……俺は菜央ちゃんに言ってなかったことがある。 圭一(私服): 前の「世界」で、菜央ちゃんと再会する前に……俺は。 圭一(私服): 一穂ちゃんに、会ったんだ。川田さんを殺そうとしてた……一穂ちゃんを。 圭一(私服): 鬼みたいな形相の、一穂ちゃんと……! 菜央(私服(二部)): え……? 圭一(私服): 菜央ちゃんに渡した『スクセノタマワリ』は、その時一穂ちゃんが落としたものを拾ったんだ。 菜央(私服(二部)): 一穂を知らないって言ったのは、それをごまかすため?で、でもなんで……なんで言ってくれなかったの? 圭一(私服): 悪い、でも……言えなかったんだ。川田さんを追いかける一穂ちゃんの、姿が……怖かった。 圭一(私服): あの一穂ちゃんが、まるで鬼みたいに……!俺自身、信じられなくて……だから! 絞り出すような懺悔に、思い出す。 美雪(私服): (そういえば……菜央が言ってたっけ) 前原くんに決定的な不信感を抱いた理由は、一穂のことを知らないと話をそらされたからだと。 美雪(私服): ……ありがと、前原くん。菜央を守るために、知らないふりをしてくれたんだね。 圭一(私服): …………。 申し訳なさそうにうなだれている前原くん。 きっと、打ち明けるかどうかずっと悩んでいたのだろう。 でもどうしても打ち明けられず……次のカケラで、菜央を側に置いて守ろうとした。 美雪(私服): (一穂の代わりに、菜央を守ろうとしてくれた) ……ただ、結果的にその気配りのおかげで菜央が前原くんのことをさらに疑うという悪い結果に繋がってしまったのだ。 美雪(私服): (そりゃ、言えないわ) 逆に、今の話を打ち明けられていたとしても……疑心暗鬼の菜央は素直に受け入れられなかっただろう。 そうなったら、もっと早い段階で彼女の不信感は揺るがぬものとなり……もっと恐ろしい事態になっていたかもしれない。 ちらりと当人を見る。……菜央は青ざめた顔で、優しい嘘で己を欺いた男を見返していた。 美雪(私服): ありがと、前原くん……でも、もう大丈夫だよ。 私は彼の肩をポンと叩き、あどけない顔で眠る村人たちの隙間を縫うように本殿へと歩を進め……。 美雪(私服): ……おはよう、一穂。 倒れた一穂に、声をかけた。 一穂(神御衣): …………。 一穂のまぶたが、ゆっくりと開いて……。 一穂(神御衣): ……おはよう、美雪ちゃん。 美雪(私服): やっと会えたね……一穂。キミを探し回って、ずいぶん時間がかかっちゃった。 一穂(神御衣): ……ごめんなさい。菜央ちゃんも、ごめんね。 菜央(私服(二部)): あ……。 気がつけば私の隣に来ていた菜央に、一穂は初めてみる大人びた表情で微笑みかける。 一穂(神御衣): 川田さんが持ってるウネの因子と私の中にある『雛見沢症候群』の因子って……すごく、相性が悪くて。 一穂(神御衣): まともに攻撃受けたせいで、私……一度、壊れちゃったんだ。 美雪(私服): 死んだ、じゃなくて? 一穂(神御衣): ……うん、壊れちゃったの。 一穂(神御衣): 向こうが私に一発入れた段階で、これじゃ足りないって気づいたみたいでね。……2回食らっちゃったから、ダメだったみたい。 一穂(神御衣): 体の制御も何もかもつかなくなっちゃって……いろんな人、傷つけちゃった。 一穂(神御衣): だから一度自分をバラバラにして、自分をもう一度再構築するためにいろいろ頑張って……#p田村媛#sたむらひめ#r様の力を借りて。 一穂(神御衣): そうして……いろんなものを見て、得た末に。ここに、いる。 菜央(私服(二部)): あたしたちを平成に戻したのは、一穂なの? 一穂(神御衣): このどうしようもない状況から、美雪ちゃんと菜央ちゃんを逃がしたかったんだ……2人だけなら戻すことができる、って思って。 一穂(神御衣): あのままじゃ、みんなと一緒にただ殺されるだけだったから……あっ……。 ふらりと立ち上がろうとする一穂を、慌てて私と菜央で支える。 ありがと、と小さく呟いた一穂が目を向けたのは……。 一穂(神御衣): ……雅さん。 段下の玉砂利の上に転がり、打ちひしがれた表情で肩を落とす西園寺雅だった。 一穂(神御衣): はじめまして……公由一穂と言います。 雅: …………。 一穂(神御衣): あなたにとってすごく辛い事実になりますが……絢花ちゃんは、あなたの妹さんではありません。 一穂(神御衣): 震災の時に行方不明になったという、西園寺絢さんは……。 雅: ……わかっていたわ。 ざり、と。西園寺の足元で玉砂利が鳴き声のような音を立てた。 雅: ……本当は、わかってたの。 雅: でも……たとえそうであろうと、生き写しで同じ名前のあの子に、幸せになってもらいたかったから…… 雅: あの子が息を引き取った時、恨みと憎しみの感情が抑えられなかった……!だから、私はッ――!! 羽入(巫女): 『その思いは、僕……いえ、私も理解できます』 雅: ……っ……?! 西園寺が慌てて振り返ると、いつの間に梨花ちゃんから別れたのだろう。 前原くんたちに守られるように佇む梨花ちゃんからこちらへ歩みを進めた羽入は、どこか哀れむような瞳で西園寺へ語りかける。 羽入(巫女): 『そもそも、私が梨花に無限の繰り返しの苦しみと悲しみを与えてしまった発端は、あなたと同じ思いからだった……』 羽入(巫女): 『そのうち、無限の世界の中で自分だけが取り残されたくないと梨花を縛ってしまうことになりました』 羽入(巫女): 『……西園寺雅。あなたの罪は、もはや人では裁けない』 羽入(巫女): 『ゆえにその身を、しかるべき場所で預かりましょう。そしてあなたに……今度こそ、「存在」を与えてあげます』 雅: っ……生き恥をさらせというのか、お前は……?! 羽入(巫女): 『恥をさらせるのは、生きている者のみに許された権利です』 羽入(巫女): 『あなたを希望に見せかけたこの無限の地獄へ叩き落としたのは、私をバラバラに砕いた者と同一』 羽入(巫女): 『あなたもまた、踊らされた一人にすぎません』 雅: 慈悲をかけると?! 羽入(巫女): 『この事態は、私を砕いて追い出した……あなたの前に神として現れた「あの者」を打ち倒せなかった私にこそ、罪があります』 羽入(巫女): 『だから私は、その罪をあなたを通じてあがなうだけです……』 憎々しげに羽入をにらみ返していた西園寺の姿が、やがて薄くなり……。 一筋の光となって……消えた。 まるで最初から、そこにいなかったかのように ……最初から全て、ただの幻だったかのように。 でも幻ではない。「い」たのだ。ここに、彼女は。 そしていつかまたカタチを変えて、彼女はまたこの地を踏むのだろう。 その時はどうか穏やかな出会いであって欲しいと。願わずには、いられなかった。 美雪(私服): でも、やっと、これで……。 終わったのだと、安心した私の肩から力が抜けると同時。支えていた一穂の体が、するりと抜けた。 菜央(私服(二部)): あ……。 菜央と私から距離を取った一穂は、しばらく寂しげに視線を送っていたけれど。 やがてくるりと半回転して、私たちへ笑いかけた。 一穂(神御衣): ごめんなさい……美雪ちゃん、菜央ちゃん。それに、他のみんなも……私、もう行かなくちゃ。 美雪(私服): い、行くってどこに?! 一穂(神御衣): やらなくちゃいけないことがあるんだ。 菜央(私服(二部)): な……なによ、やらなくちゃいけないことって。あたしたちと平成に帰るって約束より大事なことなの?! 一穂(神御衣): ……ごめんね。 それが、答えだった。 一穂(神御衣): 壊れた自分を修復する過程でね……たくさんの「世界」を、見てきたんだ。 一穂(神御衣): あるべきだった可能性のカケラ。あり得なかった惨劇から派生した可能性のカケラ。……不思議な、本来だったら存在しなかった可能性のカケラ。 一穂(神御衣): その中にね……あったんだ。 一穂(神御衣): 美雪ちゃんと菜央ちゃんが、平成に帰れたカケラ。 一穂(神御衣): でも……2人は私を連れて帰れなかったことを、ずっと……ずっと、悔やみ続けてた。 一穂(神御衣): だから、ちゃんとお別れしよう。 一穂(神御衣): 私ね。2人が、平和な世界を幸せに歩けるように……もうちょっとだけ、頑張るから。 一穂(神御衣): それが終わるまで、もうちょっと……待っててね。 美雪(私服): ちょっと、ちょっと待ってよ!それ、私たちには手伝えないことなの?! 一穂(神御衣): うん。 一穂(神御衣): これはね、私しかできないことなんだ。私がやらなくちゃいけないことなんだ。 ふわふわのくせっ毛が、夜風に流れて柔らかく揺れる。 一穂(神御衣): ありがとう……ばいばい。美雪ちゃん、菜央ちゃん。 一穂(神御衣): 出会えて、よかった。あなたたちは、私が生まれた意味……ううん。 一穂(神御衣): 私の、命……そのものでした。 美雪(私服): ま……待ってよ、一穂!まだ、キミに話したいことが……! 一穂(神御衣): 私……生まれて来て、よかったよ。 叫びながら手を伸ばし取られた距離を詰めようとして……。 美雪(私服): ……っ……?! 指先は、何も掴めずに虚空を掠めた。 それで、終わり。 そこにはもう、一穂の姿は……どこにもなかった。 菜央(私服(二部)): なん、で……? 何もかも飲み込めない私の隣で、菜央が崩れ落ちる音がする。 菜央(私服(二部)): なんで……なんで置いてくのよ!一緒に平成に帰るって、約束したじゃない!! 菜央(私服(二部)): ……一穂の、一穂の……っ! 菜央(私服(二部)): 一穂のっ、ばかぁあああああああ!!! Part 08: ……逃げ道は完全に塞がれている。南井さんと絢花ちゃんは拘束状態。 そして当然のことだけど、この地下に……窓らしきものはない。 レナ(24歳): (……ここで、終わるのかな) 覚悟はできているつもりだったけど、後悔がない……というのとは少し違う。 できれば、あの子……菜央ともう一度会いたかった。消える前にせめて、いっぱい抱きしめたかった。 …………。 そして……これはもう、自分勝手なわがままだってよくわかっているけど……。 最後に……この胸にある大きな心残りをいつか、どこかで……叶えられるのなら……っ。 灯: そう、そうか、わかった……見つけたんだね。なるほど、そうか。 と、その時……背後の灯ちゃんが、軽くうつむいて呟いていることに気づいた。 灯: 最高とはさすがに言えなくても、可能な限りで得られるにはそれが精一杯だったのだろう……私は、君の判断を支持するよ。 灯: なに……そう気を落とさなくてもいいさ。どれだけ全力を尽くそうと、万人を納得させることは不可能というものなんだから……。 レナ(24歳): えっ……? 彼女が何を言っているのか……よくわからない。 他のみんなも困惑しきりだから、誰かに話し掛けているのでは……ない? レナ(24歳): (でも内容は、完全に誰かに話しかけているものみたいだけど……?) 川田: ? あんた何言っているんですか?!とうとうおかしくなったんですか?!そんな暇があるなら、打開策考えてください! 川田: レナさんを犠牲にしてハッピーエンドなんて、絶対お断りですからね! 灯: うん、だから……。 灯: 利用されることを、……選ぶよ。 レナ(24歳): えっ……? それまでのごにょごにょとした小声が、突然明瞭になって。 ガシャン、と。 レナ(24歳): は……? 公由香苗江の背後で重火器片手に私たちを取り囲んでいた一人が……武器を取り落とし。 レナ(24歳): なっ……! そのまま、糸の切れた操り人形のようにぱたり、と倒れた。 それは一人ではなく、ガシャン、ぱたん。ガシャン、ぱたんと次々に武器を取り落とし、倒れ、取り落とし、倒れ――――?! 魅音(25歳): な、なになに?! なんなの? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: な、なによ……なんなのよ?! 誰もかれもが戸惑うなか、人間ドミノは止まらない。 灯: 当然、子飼いには打たせるよね。自分が作ったワクチン……古手梨花の体液から作った薬品をさ。 灯: でも、変質した『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』に類似した……強力な刺激を別方面から与えたら、まぁこうなる。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: な、何を言って……?! 灯: ……あぁ、でもやっぱり本物の雛見沢の人間までは影響が出ないんだ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あ……秋武、さん……? 灯: 当然だよね。あなたが神様と讃える存在は、本物の雛見沢の神とは違う存在だもの。 レナ(24歳): ……違う。 背筋を這う違和感。ほんのわずかな間だけど、彼女の飼い主になったからこそわかる。 灯: どっちが上かって問われると、能力的に言えばそっちの神様の方が上なんだろうけど……。 やがて武器を携えた人間が全員倒れ伏した頃。彼女は明確な意思で、私の隣をすり抜けて前へと向かう。 その横顔は、見上げた瞳の色は……。 レナ(24歳): (……これは) レナ(24歳): (灯ちゃん、じゃない……?) #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: だ……だから?!だからなんだって言うの? 灯: まだわからないの? そうか、わからないんだ……。 灯: ねぇ……。 一穂(神御衣): ――お母さん? レナ(24歳): 一穂ちゃん?! 灯ちゃんの姿がテレビのようにブレたかと思うと、次の瞬間そこに立っていたのは、フワフワとしたくせっ毛の女の子……?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: なっ……?! 一穂(神御衣): 感染病は、病原体、感染経路、宿主……この3つが揃うと成立する。 一穂(神御衣): 逆に言えばね、感染経路の遮断。宿主の抵抗力。病原体の排除ができれば、感染症は広がらない。その特性を活かしたものが、ワクチンなんだよね。 一穂(神御衣): 弱毒化した病原菌を体に覚えさせて……次に類似した病原菌が体内に侵入した際、病原菌を攻撃するよう免疫システムに教え込む。 一穂(神御衣): 普通はそれで十分なんだよ。でも――彼らが射ったワクチンは対『雛見沢症候群』のそれ。 一穂(神御衣): いくら弱毒化しても、受容体をわずかでも受け入れてしまった以上……彼らは私の、影響下にある。 魅音(25歳): な、なんで……?!どうして一穂がここに?! 喜びよりも困惑の悲鳴をあげる魅ぃちゃんの声を聞きながら、私は静かに目の前の状況を見つめる。 そして……全てを、理解した。 レナ(24歳): ……そっか。だから、一穂ちゃんは……。 レナ(24歳): 川田さんの采様みたいに……最初から、ずっと一緒にいてくれたんだね。 そこで初めて、一穂ちゃんが私の方を見て。 一穂(神御衣): うん……ずっと見てたよ。見てるだけしか、できなかったけど。 一穂(神御衣): ずっと、待ってたの……決定的な、この瞬間を。 一穂(神御衣): 表に出てこられるのは、一度きり。それも高濃度の雛見沢症候群の因子の中限定。 一穂(神御衣): もう一本の、昭和の楔は引き抜いた。美雪ちゃんや前原くんたちが……抜いてくれた。 一穂(神御衣): だから……平成の楔を、抜きにきたよ。 川田: ちょっと!あ、灯は……アイツはどうなったんですか?! 一穂(神御衣): 大丈夫。私の中で寝てるだけ。 一穂(神御衣): 彼女はお兄ちゃんから感染した、雛見沢症候群と#p田村媛#sたむらひめ#r様の因子の感染者……。 一穂(神御衣): それと同時に、私の「御子」だから。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 「御子」……?ということは、じゃあ一穂さんは……?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: お、オマエは……?! オマエは、誰だ……?! 絢花ちゃんの問いかけを塗りつぶす絶叫をあげながら、銃口を一穂ちゃんに向ける。 黒い穴を静かに見返しながら、一穂ちゃんはわずかに首を傾げて。 一穂(神御衣): 覚えてるかな、お母さん……覚えてないよね? 一穂(神御衣): だってこの「世界」の私は、ただの水子。生まれる前に死んでた子ども。 一穂(神御衣): 15年前、あなたが名前をつける前に腹の中で死んだ「娘」だもん。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あ、え……あ……? 一穂(神御衣): 私は幾千幾億の繰り返しの世界の中……たった一度だけ生まれた子ども。 一穂(神御衣): でも、私が生まれた「世界」のお母さんは……死ぬ。繰り返しの力なんて無い、ただの人間として。 一穂(神御衣): そう……あなたは神に見つからなければ、ただの被害者として死んでたはずだった。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: そうよ! 私はただなにもわからず死ぬ運命だった! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: でも、神が私を救ってくださったの!!そして惨劇の真実をお教えくださった!夫の力となる道を与えてくださったッ!! 一穂(神御衣): ……それは、救いじゃないよ。猿に核ボタンを渡して、どうやって破滅していくかを眺めてるのと同じ……遊びの種にされただけ。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 我が神を愚弄すると言うの?! 一穂(神御衣): だってあなたの神は、私の神じゃない。 一穂(神御衣): それどころか、私の大事な人たちを惨劇に叩き込んだ――悪魔だから……。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 大事な人って誰よ?!娘のくせに母親を否定するつもり?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: いえ、そもそもあんたは私の娘じゃない! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: だって! 神が見せてくださった「世界」で、お前は一度たりとも無事に生まれて来なかった! 一穂(神御衣): そう、その通り。 一穂(神御衣): でもね……あなたたちは、何度も何度も惨劇を繰り返したよね? 一穂(神御衣): その旅の中で自分が求めた「世界」じゃないと判断したら……さっさと諦めて、やり直しを繰り返した。 一穂(神御衣): その中でね。人の選択が選ぶ運命が少しずつ、少しずつズレて、ズレて、ズレて……。 一穂(神御衣): 私が、生まれたんだよ。 一穂(神御衣): 奇跡のような可能性の中で生まれた、惨劇の子が。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あ、あ……ああああっ! 一穂(神御衣): 知ってるよ……お母さん。私のこと、結婚期間内に私を産まないとお父さんが非難されるから、産もうとしただけだって。 一穂(神御衣): お兄ちゃんが全力で拒絶しなかったら、お父さんの親戚が産んだ表に出せない子を私だと偽って代わりに引き取ろうとしてたくらいだから。 一穂(神御衣): 私に思い入れなんて、カケラもなかったもんね? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あぁ、あ……あぁああ……! カシャン、と音を立てて香苗江の手から銃が滑り落ちて……床に転がる。 レナ(24歳): (そういえば千雨ちゃんの話だと、一穂ちゃんがお兄さん以外の家族の話をしなかったのはなぜだろ、って菜央が疑問に思ってたそうだけど……) レナ(24歳): (お兄さん以外には、大切にされなかったから……?) 魅音(25歳): じゃあ、美雪たちが言っていたルチーアの一穂じゃない……一穂って? 川田: 大方、高校出たてでどこぞの悪い男に騙された純真無垢なお嬢様の隠し子ってところでしょうね。 魅音(25歳): ……そりゃ、ルチーアの学費払う余裕もあるわ。恩売るだけじゃなくて、支度金とか貰ってただろうし。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: お兄さんが、偽りの妹を受け入れたか否かが分岐点ってこと……? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 無理矢理受け入れさせたとしても、平成5年でルチーアに行かされていたってことは怜くんは認めなかったんだろうけれど。 巴: ……寮で自殺した理由はソレか。確かに、ティーンの子が知るにはキツい事実ね。 巴: 調べて突き止めた両親が余程ロクでもなかったのかしらね……。 私たちが話している間にも、一穂ちゃんは一歩、また一歩と母親との距離を詰めていく。 やがて香苗江はぺたりと床に尻餅をついて、自分を見下ろす我が子を絶望に塗れた目で見上げて。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: っ……どうして、どうして?! 一穂(神御衣): なにが、どうしてなの? #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 怜も! あんたも!私のっ……私が腹を痛めて、産んだ子なのに! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ……どうして、親の気持ちがわからないの?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あの人が故郷を奪われた怒りを!無意味なこの国に罰を与えようとした私を!どうして無価値のものとして捨てようとするの……?! 一穂(神御衣): 私はあなたの娘だけど、あなたじゃない。 一穂(神御衣): あなたがお兄ちゃんや「世界」より、夫を選んだように。 一穂(神御衣): 私は雛見沢のみんなを……美雪ちゃんと菜央ちゃんを選ぶ。 一穂(神御衣): だから……ここに来たの。もう一本の楔を断ち切るために。 一穂(神御衣): ここであなたの神との繋がりを断って……神の介入を。繰り返しを終わらせる。 一穂ちゃんの手に、何か……あれは。 レナ(24歳): 日本、刀……? 魅音(25歳): まさか……園崎家の宝刀、『玉弾き』?! #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: ひっ……!我が神よ、お答えください! どうか、お慈悲を! それを見た香苗江は足をバタつかせて逃げようとする。……でも唯一の出入口は、武器を取り落として倒れた配下の連中によって完全に潰されていて――。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 神よ、神よ……! あぁ! 一穂(神御衣): ねぇ……お母さん、一つ教えてあげるね。雛見沢をダム湖の底に沈める理屈……。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): 一穂のお父さんは、理科系でも地学……土地災害とかにも詳しかったみたいだね。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): で、地形とか気象とかの過去データを集めて、ある一定以上の大雨が来て増水した場合は雛見沢が水没する、って可能性を算出したんだ。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): 実際、記録的な大雨が続いた時に増水のせいでどれだけの犠牲者が出たか、って話を持ち出してきたこともあったらしくてさ。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): 大雨で水没して家財人命まるごと流されるより、支援してもらえる今のうちに雛見沢から出たほうがいいんじゃないか、って説得したんだって。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): で、そこに北条家を筆頭にした急進派が便乗して、反対の立場にあった園崎家を数でねじ伏せる形でダム建設が決まっちゃった……てな感じかな。 一穂(神御衣): あなたたちは、大雨による増水を危惧してたね。 一穂(神御衣): でも……本来の「世界」では、雛見沢をダム湖の底に沈める理由は水力発電のためだったんだ。 一穂(神御衣): ……この意味がわかる、お母さん? 一穂(神御衣): 高天村の事故はね……本来の「世界」じゃ起こらない。お父さんの故郷は、土砂の下に埋まったりしないの。 一穂(神御衣): でもね……事故が起こったことで、逆に説得材料が揃ってしまった……。 一穂(神御衣): ねぇ、わかる? お母さん。この「世界」が壊れたのは、あなたの神が――。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: どうして、どうして現れてくださらないの?!いつもお救いになってくださってたのに?! 一穂(神御衣): 聞いてない? 聞こえてない?……どちらでも、いいかな。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: 私の何が足りなかったと言うの?!どうして、どうし……! 床を這うように逃げようとする母へ向けて、一穂ちゃんは静かに両手を振り下ろし……。 一穂(神御衣): ――ふっ!! 銀のきらめきが……輝きだけが、その首を通り抜けた。 #p公由香苗江#sきみよしかなえ#r: あっ……! パタン、と。その場に公由香苗江は倒れ伏す。傍らに、刀を携えた娘を置き去りにして。 一穂(神御衣): ばいばい、お母さん……冷たい娘で、ごめんね。 一穂(神御衣): あなたが、誰かを傷つけることを正当化しなければ。夫以外の世界に、目を向けていれば――。 一穂(神御衣): もしかしたら……寄り添えたかも、しれなかった。それがとても、……残念です。 一穂ちゃんは手を挙げてピッ、と刀を一振りさせると、そのままくるりと私たちの方へ顔を向ける。そして、 一穂(神御衣): ……みなさん、ごめんなさい。この後のこと、よろしくお願いします。 言いながら一穂ちゃんは、ぺこり、と頭を下げた。 レナ(24歳): (あ……) 小さなぬいぐるみのような小動物のような、頭を下げる……仕草。 10年ぶりに目の辺りにするその姿に、ようやく私は……目の前の彼女が公由一穂だと、受け入れたのだった。 申し訳なさそうに肩を縮こめたまま、一穂ちゃんはちらりと私の背後、川田さんを見て。 一穂(神御衣): 川田さんには、謝らないですよ。 川田: なっ……この……! 一穂(神御衣): あなたのおかげで、成せたこともありますが……殺されたせいで、随分と遠回りさせられましたから。 ちょっと怒ったようなその顔は、やっぱり記憶の中の一穂ちゃんと同じで。 そんな場合じゃないのに、懐かしさで胸が溢れそうになった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 待って……待って、一穂さん! 手足を縛られた絢花ちゃんが……床を這いながらなんとか一穂ちゃんへ近づこうとしている。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: どこに、どこに行くんですか?! 一穂(神御衣): ごめんね、絢花さん。私、まだ仕事があるんだ……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 嫌、嫌です! 行かないでください!あなたに会いたかったんです! ずっと、ずっと!いなくなったら、私、もう……生きる目的が……! 一穂(神御衣): 大丈夫だよ……周りを見て、絢花さん。 一穂(神御衣): 絢花さんの周りには、優しい人がたくさんいる。助けてって言ったら、手を伸ばしてくれる人がいる。 一穂(神御衣): だからあなたも、その手に気づいて……助けを求める人に、手を伸ばして。 一穂(神御衣): 立ち上がることができたら……誰かを助けてあげて。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……っ……! 一穂(神御衣): 大丈夫。絢花さんは、おいしいご飯を作ってくれる優しい人だもん。 一穂(神御衣): ちゃんと気づければ……1人なんかじゃなくなるよ。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ま、待って……一穂さっ……! なおも言いつのろうと、絢花さんは無理矢理身体を起こしたが……。 一穂ちゃんの身体に、体当たりとも抱きつこうとしたとも取れぬ動きで立ち上がろうとして。 ぶつかった2人は、ゴンッと言う固い音とともに揃って床に倒れ込んだ。 灯: いっ……てぇえええええええ!! 巴: あ、灯……?! 気づけば絢花さんの下敷きになっていたのは灯ちゃんで。彼女は頭を抑えながらジタバタと全身をくねらせながらゴロゴロと場にそぐわぬ底抜けに明るい声で身もだえる。 灯: い、いった……頭ガーンッ、て! 灯: え、え……何……?なんでみんな私のことを見ているんですか? 川田: あ、あんた……覚えていないんですか?公由一穂はどうなったんですか?! 灯: ……? 一穂って怜の妹さんのことかい?どうして今、その名前が?って、なんで護衛部隊が倒れ……うおっ?! その時、地上へ繋がる唯一の階段から武装員がドミノ倒しのようにばらばらと落ちてきた。 ゴミを投げ飛ばすような勢いで飛んだ男たちの向こうから現れたのは――。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 灯……! 灯: お、ウワサをすれば本人が……登場? 川田: ちょっと、なんでここにいるんですか?! 比護: 悪い。止めたけどちょっと無理だった。 秋武: だからなんとか人手集めて礼状絞り出して……なんですかこれ、どうなってるんです?! どうやらやって来たのは怜くんだけではなく、広報センターで見かけた人々がバラバラとそれぞれに銃を構えて降りてくる。 毬野: 無事ですか南井さ……うわぁ?!脳みそが床に転がってる?! 巴: ……丁重に回収してあげて。あとでちゃんと弔ってあげたいから。 戸佐: 無事で何よりやったけど……何が、どうなってるん? 初老の男性がナイフを取りだし、南井さんの手足を縛る拘束具を切りながら尋ねる。 ……それを聞いた夏美さんが、ぽつりと答えていった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……ご覧の通りです。灯さんが、『雛見沢症候群』の感染源である脳を収めたビンを破壊。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 溢れた培養液の成分に、事前にワクチンを射っていた人間が過剰反応……アナフィラキシーの一種を引き起こした。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それが原因で敵方は倒れた……そういうことに、なるでしょうね。 川田: 筋が通ってるように聞こえますね。事実だけ述べるなら、その通りなんでしょうけど。 チッ、と舌打ちする川田さんは納得していないと顔にありありと書いてある。 でも、納得しようがしまいが……もう、関係無い。 レナ(24歳): (全部……全部、終わったんだ) 喜舟: よし、こっちも外れた。大丈夫か、嬢ちゃん……嬢ちゃん? 手足を縛るものを外されたにもかかわらず、絢花ちゃんはその場にうずくまったままで。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: う、ぁ……う、ああああ……ああああっ……!! 魅音(25歳): 絢花……。 床に転がったまま泣きわめく彼女を、そっと近づいた魅ぃちゃんが抱き起こし、抱きしめる。 魅音(25歳): 絢花……悲しいね。寂しいね。わかるよ、わかるよ……。 魅音(25歳): せっかく自分を助けてくれたのに……その人を自分が助けられないって……つらいよね……! 苦しいよね……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: うぁ、うぁあ……うああああああああああっ!! 魅ぃちゃんにすがりつき、絢花ちゃんは大粒の涙を流しながら子供のように泣きじゃくる。 そんな彼女たちを、私はただ……。 レナ(24歳): (……一穂ちゃん) 涙をこらえながら、見つめているしかできなかった。 Part 09: 静かだった。 いや、それまでが人の多い場所にいすぎただけかもしれない。 ここにいるのは、私と……。 田村媛命: これで、ようやく終わった#p也#sなり#rや。 申し訳なさそうな#p田村媛#sたむらひめ#rさまだけだ。 一穂(私服): …………。 彼女の顔を、まじまじと見る。 なんだか久しぶりに見た気がする。……いや、実際に久しぶりだった。 一穂(私服): (でも、こんなに申し訳なさそうな田村媛さまの顔は初めて見るかもしれない……) 田村媛命: ……カズホよ。 一穂(私服): ……はい。 田村媛命: 角の民の長も申していたが……状況的に吾輩の代理が必要であったとはいえ、そなたには惨い使命を課してしまった#p哉#sかな#r。 田村媛命: 記憶も感情も不安定なまま「世界」に送り出して、本当に苦労をかけてしまった也や……。 一穂(私服): 田村媛さま。……ここにいるのは、私だけです。だから――。 一穂(私服): 普通の話し方で、大丈夫ですよ。 田村媛命: ――――。 田村媛命: あの話し方も、嫌いじゃないんだがな。神としての威厳を保つには、適したものだった。 そう言って田村媛さまは、苦笑交じりに肩をすくめる。……気取りすぎて誤解を招きやすいところもあるが、この方は優しくて慈しみ深い素敵な神様だと思う。 一穂(私服): あの……田村媛さまは、全部ご存知だったのですか? 田村媛命: いや……知らなかった。 田村媛命: 言い訳のようで申し訳ないが……お前の兄の記憶も、私の中から消えていた。 田村媛命: ……あの角の民の長と同じだ。あれが砕かれた影響を受けて、私もどこかおかしくなっていたのかもしれない。 一穂(私服): 人間で言うならば……40℃以上の熱が出ていたようなものですか? 田村媛命: そう大差はないな。できることができず、思い出すものが思い出せず判断できるものができなくなる。 一穂(私服): 冷静になってみたら気づく、ってやつですね。 田村媛命: あぁ……だが角の民の長が元に戻った今は、「御子」たちを通して得た知識等の情報も受け止められるようになった。 田村媛命: カズホ……さまざまな「世界」に散らばる「可能性」のカケラの観測を、行ったのだな。 一穂(私服): はい。羽入ちゃん……オヤシロ様の力を借りてカケラの観測を繰り返すことで修復しました。 一穂(私服): 川田さんに殺された時はどうなるかと思いましたけど。私の中の『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』……オヤシロさまのカケラが、助けてくれました。 田村媛命: 本来なら、ヤツが戦わねばならぬ場だった。あの者にはいつか、しっかりと抗議しておこう。 一穂(私服): それは、仕方ないですよ。 一穂(私服): そうだ……私の見たもの、全部見たんですよね?どうでしたか、田村媛さま。私が辿ったカケラの旅は。 田村媛命: そうだな……喜劇もあった。悲劇もあった。よくわからない出来事も、あったな。 田村媛命: だがその大半は、本来ならば起きえなかった事態で申し訳ないとしか言いようがない。 田村媛命: このような事態を引き起こしたのは、全て角の民の長が他の神からの攻撃を受けたせいだ。 田村媛命: だが、他の神の御子たちを排除したことで、角の民の長の今も戻らぬカケラも徐々に収束し完全な形を取り戻すであろう……。 一穂(私服): よかった。これで美雪ちゃんと菜央ちゃんも取り戻せますね。 一穂(私服): 美雪ちゃんは、お父さんがいる日々を。菜央ちゃんは、いつかレナさんに会えるかもしれない希望を……。 一穂(私服): それさえ戻るなら、いいんです。よかった……本当に、よかった。 田村媛命: ……カズホ。そなたは――。 田村媛さまの哀れむような視線が……胸に痛い。でも私は気づかないフリをして……笑ってみえる。 一穂(私服): 本来私は、悲劇のカケラの中でしか生まれない存在です。 一穂(私服): でも、いろんな神様の影響を受けて限りなく神様に近い存在になった私なら……ここでみんなのことを、見守っていられる。 田村媛命: 本当に、このまま別れてもいいのか……? 田村媛命: 吾輩も疲弊はしているが、せめてあの者たちに再び会って話をする機会くらいを設けるだけの力は残っているつもりだ。 田村媛命: また、そなたが望むのであれば以降もあの「世界」でしばしの時を過ごすことも……。 一穂(私服): 大丈夫です。また顔を合わせたら、お別れするのが辛くなっちゃうから。 優しい提案を、きっぱりとはね除ける。……まだ残る未練を断ち切るためにも、聞くわけにはいかなかった。 一穂(私服): それに私は、まだ仕事があります。壊れたカケラから不純物……惨劇を取り除いて。残ったカケラをつむいで……。 一穂(私服): 美雪ちゃんと菜央ちゃんたちが、帰る場所を……幸せな平成のカケラを、作るんです。 一穂(私服): 本来、ここまでこじれた惨劇なんてあり得ないんです。……私の存在と、同じくらいに。 笑う私の姿は、彼女の目にどう見えるだろうか。……どうか、泣いているように見えないで欲しい。こんなにも、必死に笑顔を作っているのだから。 田村媛命: ……そうか。 そろそろ笑顔が崩れそうだと危惧した頃。田村媛さまは、ゆったりと頷いた。 田村媛命: ……ならば、そなたの意思を尊重しよう。 田村媛命: 大義を果たした後は、休むといい……私も疲れた。しばらく眠るとしよう。 一穂(私服): はい、田村媛さま。どうか、静かにお休みくださいませ。 田村媛さまは黙って頷くと、踵を返し……背後の大樹の中へと姿を消す。 その姿が完全に見えなくなるまで、じっとたたずんだまま見送って……。 そんな私の背後で、足音がした。 一穂(私服): (……もう一つ、役目を果たさなきゃ) 呼吸を整え、振り返る。 一穂(私服): はじめまして、私の「御子」さん。 灯: はじめまして、秋武灯だよ!で、早速だけど……ここはどこかな? 一穂(私服): ここは、カケラとカケラの狭間……言うなれば、神の世界です。 灯: 面白いね。つまりここにいる間、私も神様なのかな? 一穂(私服): いえ、違います。 灯: あ、違うんだ。 一穂(私服): はい……あくまであなたがここにいるのは、私が招いたからです。 一穂(私服): 一応、神様の世界を模したというか……感染者だけが立ち入ることができるみたいな、精神的な場所は別にありましたけど。 一穂(私服): そこも、間もなく封鎖されます。 灯: なるほど!……で、私が君の「御子」というのはどういうことなのかな? 一穂(私服): あなたは覚えていないでしょうが、私の兄は私とほとんど同じ症状でした。 一穂(私服): でも、女王感染者と言われるように『雛見沢症候群』は女性の方が強く影響が出る場合が多いんです。 一穂(私服): 特に今回の変質した『雛見沢症候群』はその方向が顕著に出ていました。 灯: なるほど……続けて? 一穂(私服): だから兄を私の御子にはすることはできませんでした。でも、兄から感染したあなたを「御子」にすることはできたんです。 灯: どうして私を「御子」にしたんだい? 一穂(私服): ……あなたには、川田さんと行動をともにして事態の解決に立ち向かうカケラもあったんです。 一穂(私服): でもそのカケラでは――あなたは必ず、命を落とす。 灯: うん、そうだろうね!運動神経死んでるし……ただの翻訳家なら政府関係とかの顔も利かないし! 一穂(私服): その繰り返しの中で私はあなたに接触し、契約を結びました――私の御子になる、と。 一穂(私服): 私はあなたを御子とすることで、あなたの選択に干渉しつづけたんです。 一穂(私服): でも……それと同じタイミングで、何度かあなたの死を目の当たりにした川田さんはあなたを巻き込まない方針を定めてしまって。 灯: なるほど。半年前からの突然の音信不通は、方針決定の影響か……いや、待て。 灯: 私に干渉とは、具体的には……? 一穂(私服): 選択の天秤を傾けました。左右どちらかを選ぶか迷った時、私の都合がいい方に傾けて。 田村媛さまも、似たような干渉を美雪ちゃんにしていたようだ。 ――具体的には、持っていた本の存在を忘れさせる。 自分が持っていたものを忘れるなんて、脳の病気の初歩的な症状だ。……だがそれが、功を奏した。 もし美雪ちゃんが本を持っていることを自覚していた場合、判断に迷い、状況は悪化していたかもしれない。 一穂(私服): (知らない方がいいこともあるから……ね) 灯: ふむ……なるほど。私自身に発想がない選択肢はそもそも選ばせられないと。 一穂(私服): ……そうです。でも、あなたを操ったと怒られても仕方がないことではあると思っています。 灯: いや、それは別にいいんだが。私が心底やりたくないことはそもそも選択肢にあがらないだろうし。 灯: おかげで私は、辿りつきたかった場所になんとか行きつくことができたからね。 うんうん、と納得したように彼女は頷いて。 灯: ――で? 問いながら、彼女は首を傾げる。 灯: 私をここに呼んだ理由を、聞いてもいいかい? 一穂(私服): 自己満足だとしても、自分の「御子」にお礼を言いたかったんです。 一穂(私服): これから私は最後の仕事にとりかかるので。 灯: これから、何を成そうとしているんだい? 一穂(私服): ……「世界」を修復し、本来の惨劇を乗り越えた「世界」へ元に戻します。 一穂(私服): 羽入ちゃん……オヤシロさまは一度敵対する神によってボロボロに砕かれて……そのせいで「世界」は崩壊しました。 一穂(私服): そこから生まれた惨劇のカケラを、なかったことにはできません……でも。 一穂(私服): 悪魔に壊されてしまった、古手梨花が100年の牢獄の末に惨劇を乗り越えたカケラを……。 一穂(私服): 幸せな世界を、一度復元することはできるんです。それくらいの力は、オヤシロさまに頂きましたので。 灯: ……なるほど。 灯: 一つ確認したいんだが……詩音先輩は、本来の世界ならどうなる? 一穂(私服): あなたが入学する1年前に、学園を脱出して雛見沢に戻ります。 灯: 怜はアメリカの学校へ行くかい? 一穂(私服): ……行きません。元より母は、壊れたカケラで神の啓示という悪魔の囁きがなければただの女。 一穂(私服): 過去に傷ついた夫を田舎でともに過ごし、癒やすことを至高としていた人でした。 一穂(私服): 父も、同じです。母の囁きがなければ、高野美代子の復讐を乗っ取るという選択を選べる人ではありませんでした。 灯: ……『雛見沢大災害』が起こらないなら、畠山あおいが両親を殺すことはなく、南井巴と接点を持つこともない? 一穂(私服): はい。 そうかそうか、と灯さんは微笑みながら頷いて。 灯: つまり、その惨劇を乗り越えた幸せなカケラでは私は詩音先輩とも怜ともあおいとも出会えない、と。 灯: そういう認識で――いいんだね? 一穂(私服): そ……そう、です。 灯: それを私に、幸福なことだと……受け入れろと? 一穂(私服): …………。 ぐっ、と息が喉を詰める。……彼女の両耳から下がる、草船を模したピアスが獲物を定めたオオカミの瞳のように輝いた。 灯: 答えは? 我が神よ。 答えようとして……一度、呼吸を整えて。 一穂(私服): ……はい、そうです。 ハッキリと、頷いた。 一穂(私服): 元よりあなたは、どんな「世界」でも幸せになれる人です。 灯: そうかなー? くすくすと灯さんは嬉しそうに笑って。 灯: では、公由一穂に再会するためにと必死に頑張った赤坂美雪と鳳谷菜央の2人の努力は無駄だった……と? 一穂(私服): ……っ……! 灯: 彼女たちの努力に、どうやって報いるつもりか?それとも、報いるだけの価値はないと断じるか?! 一穂(私服): ……っ……! 灯: 「御子」の問いに答えてくれるかな、我が神よ。 一穂(私服): ……たい。 灯: えっ……? 一穂(私服): わ……わた、私だって……!2人と一緒に……平成に帰りたい! 一穂(私服): 美雪ちゃんと菜央ちゃんと、いっぱい話をして、遊んで、笑い合って……! 一穂(私服): こんな……こんな結末で、納得したくない!! 私の「御子」は用水路の板みたいに、あっさりと私の心のフタを外してしまって……。 もう……もう、ダメだった。激流のように言葉が溢れ出るのを止められなくて……っ……! 一穂(私服): もっともっと! 部活メンバーのみんなと一緒に遊びたかった! 一穂(私服): でも私は、自分が生まれてきた「世界」を自分の意思で捨ててしまった! 一穂(私服): 私が入ってた孤児院に、人員整理が入って!ルチーアへ入ることを無理矢理決められて! 一穂(私服): 誰も彼もが私の存在をなかったことにするあの学園から逃げたかった……! ――あの子が、雛見沢の? いつ人殺すかわからないんだって。親戚に殺された人が……。 ――そんなの、××××じゃない。 ――なんで××××がいるんだろう……。 ――死んじゃえば、いいのに。 一穂(私服): でも私には逃げるって選択を選ぶ勇気すらなかった!逃げる場所がなかったら! 一穂(私服): だから一生懸命息を殺して!誰にも見つからないように生きて!でも、そんな時に……! 一穂(私服): 親戚に持たされたポケベルが壊れたのか、よくわからない数字が出て……!! 一穂(私服): 私は、それを……! 一穂(私服): 雛見沢のおじいちゃん家の電話番号だって思い込んだ!! 一穂: 発信元は雛見沢にいた、喜一郎お爺ちゃんの家の電話からだった……。 美雪: 番号の暗号とか、メッセージとかは? 一穂: ……無かった。 一穂: それで、しばらく迷ってたけど……勇気を出して寮の公衆電話から、その番号に電話をかけたんだ。 一穂: そしたら、誰かが電話に出て……。 一穂: 『雛見沢に来い』――そう言って……切れちゃった。 菜央: その番号、本当にお爺ちゃんの家の電話番号だったの? 一穂: うん。小さい頃から持ってるメモ帳に書き残してたのを確かめたから、間違いないよ。……番号、見る? 私はポケベルを取り出して、履歴を呼び出す。美雪ちゃんはそれをじっと見つめてから、かすかに頷いた。 美雪: ……市外局番は、確かに雛見沢のようだね。この番号、控えさせてもらってもいい? 一穂(私服): 寮母の目を盗んで!覚えてたおじいちゃんの家の電話番号に電話をかけて……! 一穂(私服): 本当は、砂嵐で何も聞こえなかったのに!『雛見沢に来い』なんて声が聞こえた気がして! 一穂(私服): ううん、呼ばれたかった……!ここから逃げる口実が、欲しかった……!! 一穂(私服): 私自身に嘘をついて、そう思った! 一穂(私服): 誰かが作って図書館の奥に隠したルチーアからの逃亡地図が、偶然手に入って……学園から逃げて! 一穂(私服): ……そこで、死んじゃったんです。 自分が生まれてくることが奇跡だなんて、想像もつかず。 ただ逃げて、逃げて……死んで、終わった。 それが、奇跡みたいな可能性の中で生まれた……公由一穂の、一生。 田村媛さまを恨んでなんかいない。むしろ感謝している。 過去へ送って貰えなければ私は死と変わらぬ生を生きていただけだった。 だって、私が唯一生まれてくる奇跡の「世界」では『雛見沢大災害』で部活のみんなは死んでいて……? 美雪ちゃんは生まれてるかわからなくて?都会の菜央ちゃんとは会う方法なんかなくて? 美雪ちゃんと菜央ちゃんと出会うことも、憧れていた前原くんたちと遊ぶことも……なにもかも、得られなかった。 一穂(私服): 私がみんなと一緒に居続けられるカケラは!袋小路の壊れたカケラの中にしかない……! 一穂(私服): でも、それじゃダメなの! 私は両手の拳を御子へと突き出し、手のひらを開く。 開いた両手のひらの上には……綺麗なカケラと、黒ずんだカケラが混じり合っている。 砕かれた未来のカケラと惨劇のカケラが混在している、この世界の状況だ。 一穂(私服): 私はこの悲しいカケラを全部取り除いて……みんなが幸せになる未来の断片を紡ぐの! 一穂(私服): それは、私にしかできないことなの! 灯: ……そうなのかい? 一穂(私服): そう! 私にしかできないの!だって、それしか……それしか……! 一穂(私服): もう私が、美雪ちゃんと菜央ちゃんにしてあげられることなんてないの……っ!! 一穂(私服): ううぅっ、……うわぁぁぁああああぁぁっっっ……!! 自分の泣き声が、木霊する。 山の向こうから登る赤が、世界を塗り替える。 その中に響き渡るのは……。 ――もの悲しい、ひぐらしの鳴き声だった。 Part 10: 美雪(私服): ……そっかー、新しい家はあそこにしたんだ。となると、今度からはご近所になるってわけだね? コーヒーを飲みながら相づちをうつと、プリンパフェを食べながら菜央はにこやかに頷く。 通学と通勤の便利さ、それに近所の雰囲気といった生活の諸条件を全部満たすのはかなり難しかったが……折り合いのつく場所が見つかって何よりだ。 菜央(私服(二部)): ただ、以前の家よりもかなり狭くなったからあんたたちを呼んで泊まらせるのはちょっと難しくなったかもしれないけどね。 美雪(私服): だったらうちに泊まりに来なよ。うちのお父さん、しばらく仕事で帰ってこないみたいだしさ。 美雪(私服): 千雨の家……は、おじさんが酒瓶持って突撃してくるから、やめた方がいいかも。 菜央(私服(二部)): ……それ以前に千雨の家になんて行ったらサメ映画を延々と見せられるでしょ? 却下。 美雪(私服): お、おぅ……そうか、なんかサメ映画の方は慣らされすぎてあんまり違和感持ってなかったよ。 菜央(私服(二部)): 違和感を蔑ろにしたらダメよ。というか、千雨は全国大会で忙しいんでしょ? 美雪(私服): はい、気をつけます。……で、菜央。進路については決まったの? 菜央(私服(二部)): ……一応ね。 菜央は軽く苦笑して肩をすくめ、スプーンでプリンをつつく。 菜央(私服(二部)): お母さんと、いっぱい……いっぱい、話し合ったわ。 菜央(私服(二部)): 女の身で長く続けられるような仕事でもない。才能や運がなければ全てが無駄に終わることもあるんだって……でも……。 カチャン、とパフェが載る皿にスプーンを置いた菜央の表情は、とても晴れやかで。 明るくて、可愛らしい――年相応の笑顔だった。 菜央(私服(二部)): あたしは、お母さんが大好きだから……その背中をいつまでも追いかけたいし、いつかは追い抜きたい。 菜央(私服(二部)): そう答えたら、お母さんってばボロボロ泣き出して……。 菜央(私服(二部)): ……ごめんね、菜央。ありがとう、菜央……って。そう言って、最後は許してくれたわ。 菜央(私服(二部)): ……まぁ、以前のように道具や生地を使い放題ってわけにはいかないから、色々と大変でしょうけど。 美雪(私服): ……応援してるよ、菜央。キミの夢が叶うためなら、何だって協力するからさ。 菜央(私服(二部)): なによ、もうとっくに協力してくれてるじゃない。 菜央(私服(二部)): あたしがお母さんと大喧嘩して家出した時、駅まで迎えに来て家に泊まらせて……お母さんとの仲をとりもってくれたりしたのは、あんたじゃないの。 美雪(私服): それくらいだよ? 菜央(私服(二部)): それが大事だったのよ。あのまま一緒にいたら……あたしたち親子、どっちもダメになってた。 菜央(私服(二部)): 2人だけの親子って聞こえはいいけど、時と場合によってはダメね。 菜央(私服(二部)): お互いに依存しちゃったら、ちょっとしたきっかけで一方が崩れると……もう一方も引きずられるんだもの。 菜央(私服(二部)): ……美雪がいてくれて、よかったわ。 美雪(私服): 友達だからね。 菜央(私服(二部)): センスがないわね……こういう時は、素直に感謝されておくものよ? 美雪(私服): あはは、ごめんごめん。 菜央(私服(二部)): あたしもあんたの警察官になるって夢……お父さんにどれだけ反対されても、あたしは応援するから。 美雪(私服): ありがと。応援してくれるだけで十分だよ。 美雪(私服): それに、お父さんがいまだに渋ってるのは私のことを心配してくれてるからだしさ。 美雪(私服): だから、頑張って自分で説得するつもりだけど……ダメだったら、その時はヨロシク! 菜央(私服(二部)): えぇ。任せて頂戴。 微笑み合いながら、私はコーヒーを。菜央はプリンパフェの最後の一口を飲み込んで。 美雪&菜央: ごちそうさまでした。 そう言うと同時に、ふと菜央は視線を壁の向こうへと向けて……。 菜央(私服(二部)): あ、もうこんな時間……。 呟くやいなや、荷物をまとめて立ち上がった。 美雪(私服): あれ、もう行くの?確か待ち合わせの時間にはまだ余裕があったよね? 菜央(私服(二部)): そうだけど、きっと早く着いてあたしのことを待ってくれてるはずだから。 菜央(私服(二部)): ……じゃ、また今度。電話するわ。 美雪(私服): おっけー。気をつけてねー。 ……浜松町の駅前を、スーツケースを押して歩く。 ここには何度か来たものの、やはり慣れない。いつか慣れる日がくるのかもしれないと思うと、悪い気はしないけれど。 でもやはり、寂れていても地元が好きだと思うその瞬間は……ちょっとだけ、好きだった。 ……視点を転じると、設置された古い時計の下に見慣れた小さな影。 菜央(私服(二部)): ……良かった、まだ来てないわね。大好きなお姉ちゃんを待たせるなんて、センスがなさすぎるもの。 油断した背中を見つけて、くすくす……とつい笑みがこぼれ出た。 そのまま静かにカートを転がしつつ、そろりそろりと背後から近づいて――。 レナ(24歳): わぁっ……! 菜央(私服(二部)): ひゃあっ?! レナ(24歳): あははは。私の方が早かったみたいだね……菜央! 小さな妹の身体を両腕の中に収めて、ぎゅうと抱きしめる。 菜央(私服(二部)): お、お姉ちゃん……! も、もう来てたの?! レナ(24歳): だって、久しぶりの菜央とのお出かけだもん。 レナ(24歳): ……それで、どこに行く?秋向けの服とかを見に行ったりするのかな、かな?その前にホテルに寄って、荷物置いてきてもいい? 菜央(私服(二部)): あ、あの……。 レナ(24歳): ん? なぁに? 菜央(私服(二部)): えっと、その……実は……前に、聞かれたわよね。誕生日プレゼント……少し先だけど、何がいいって。 レナ(24歳): うん……あ、もしかして決まったの? 菜央(私服(二部)): うん……。 神妙な表情で菜央は頷き、ぎゅっと祈るように両手を握りながら、私を見上げて。 菜央(私服(二部)): ……1分だけ、時間が欲しいの。何が起きても、ここにいてくれないかしら。 菜央(私服(二部)): その後は……どんな罰でも、受けるから。 レナ(24歳): 菜央……。 もうそれだけで、これから何が起きるかの想像が……いや、予想ができてしまって。 レナ(24歳): …………。 でも私はそんな表情をおくびにも出さず、俯く妹に微笑みかけていった。 レナ(24歳): よくわからないけど……1分だけでいいの?いいよ。じゃあ1分間、絶対ここにいるね。 菜央(私服(二部)): ……あ、ありがとう。 菜央は頷くと、ポケットに手を入れた。 レナ(24歳): ポケベル……? 菜央(私服(二部)): えぇ……買ってもらったの。 菜央がポケベルを操作して、しばらく経ってから……。 駅の中から……女の人が現れた。 見覚えのある顔。……少し老けた気がする。だけど残った面影は、記憶しているものとさほど変わっていなくて……。 菜央の母: れ、礼奈……?あなた……礼奈、よね……?! レナ(24歳): ……っ……! 呆然とたたずむ私に、こちらへ向かって駆けてくるその女の人は……。 菜央(私服(二部)): ――待ってっ!! あと数m、のところまで近づいたところで、菜央の強い制止の言葉が響き渡った。 レナ(24歳): 菜央……? 菜央(私服(二部)): ……。約束、でしょ……?挨拶だけしたら……もう終わりにするって……。 菜央の母: ……っ……。 レナ(24歳): …………。 悄然と項垂れて肩を落とす……「あの人」の姿が、手を伸ばせば届くところにいる。 ……でも、何を言えばいいのだろう。そう思って、痙攣する喉元を抑えて何か言葉を紡ぎ出そうとしていると……。 菜央の母: っ……ごめんなさい、礼奈……!私はあなたに、本当に許されないことを!ごめんなさい、ごめんなさい……!! そう言って、ぼろぼろと涙をこぼして……彼女は泣き崩れるようにしゃがみ込んでしまった。 レナ(24歳): …………。 私も、どう反応したらいいのかわからなくて……口をつぐんだまま、その場に立ち尽くしてしまう。 でも……なんだろう。11年前のあの時とはまるで違う感情が、胸の内に広がるのを覚えていた。 菜央(私服(二部)): ありがとう、レナちゃん……もう、2分経ったから。もう行っても……平気よ。 菜央(私服(二部)): 傷つけて……ごめんなさい。 菜央は私に背を向けると……その人のそばに歩み寄る。そして彼女は項垂れたまま、差し出されたハンカチで顔を覆うようにしていた。 ……菜央の顔は、背中越しに見えない。きっと、後悔や申し訳なさで泣きそうになっているんだろう。 レナ(24歳): (……後悔するとしても、一度は頼まずにはいれなかったんだね) きっと、自分で考えて考えて……考え抜いて、決めたのだ。そうでもしなければ、諦めがつかないから。 その程度のワガママでさえも悩んで悩んで、悩み抜いて……私がすぐ逃げ出せるように退路まで作って……。 そこまで覚悟を決めなければならない状況まで追い込まれた妹が、健気に思えて……私は……。 レナ(24歳): ……顔をあげてください。 頭を下げたまま、周囲の目も憚らずに涙を地面にこぼすその人の前に膝をついて……私は、声をかける。 菜央の母: ……あ、ぁ……。 涙で濡れた顔は、酷いものだった。化粧はぐしゃぐしゃで、鼻水まで出ていて……。 こんなにも、この人は小さかっただろうか。こんなにも涙もろく、弱々しい感じだっただろうか。 記憶の中にある「彼女」はいつも堂々としていて、はつらつとして……笑顔の絶えない人だったはずなんだけど……。 …………。 いや、……違う。この人の泣き顔を見たのは、……これで2度目だ。 レナ(24歳): (そう言えば、あの日も……) ……うん、そうだ。母に別れを告げたあの日も、こんな顔だった。 レナ(24歳): (全部、忘れたつもりでいたのに……) それでも、……私は覚えていた。ずっと忘れたつもりだったのに、今でも鮮明に思い出せるほど……。 いや……それとも思い出してもいい、と私の中の誰かが言ってくれたのだろうか。 そんなことを思いながら、私は膝をついて号泣する「彼女」の前でしゃがみ込み……目を合わせて、いった。 レナ(24歳): ずっと会えなくて……ごめんなさい。 レナ(24歳): お久しぶりです、……お母さん。 菜央の母: っ……! ぁ、あぁぁぁああぁぁっっ……!礼奈、礼奈ぁ……!!! 震えながらおずおずと伸ばされた手を……私はそっと握り返す。 ……嫌悪感はもう、全く感じない。それどころかこのまま、しばらく繋いでいてもいいと思えるくらいの懐かしさがあった。 レナ(24歳): 私は、まだ……あなたのことを許していません。でも……あなたが償おうと頑張っていたことは知っています。 レナ(24歳): 菜央を見て、この子の優しさに触れて……やっと、信じることができました。 レナ(24歳): すれ違ったり、傷つけ合ったりすることがあっても。菜央を大切にしてくれて……本当に、ありがとう。素敵な妹と会わせてくれたこと、感謝しています。 菜央の母: っ、……れ、礼奈っ……!! レナ(24歳): それに、お父さん……ううん、私自身もです。罪を犯さない純粋無垢な存在ではないことも知っています。 レナ(24歳): いつか、あなたを許せる日が来るかもしれない……いつまでも、そんな日は来ないかもしれない。 レナ(24歳): だから、それをお互いに知るためにも……これから、もう一度始めませんか?お話をしたりして……また、最初から……。 菜央の母: っ、……あ……ありがとう、礼奈!本当に……ほん、とぅに……ありがとう……! 涙でくしゃくしゃになった母が、何度も頷いて泣く姿に苦笑しながら……私は隣に寄ってきた菜央に顔を向ける。そして……。 レナ(24歳): ……ごめんね、菜央。1分じゃなくて、今日1日でもいいかな? ……かな? 菜央(私服(二部)): う、ぁ……うん、うん……ありがと、ありがと……うぁああああぁぁぁっっ!! あぁ……どうしよう。こんなに人通りの多い場所で、泣き虫が2人になってしまった。 ううん……間違えた、3人だ。だって今もずっと、雨なんて全然降っていないのに私の顔は濡れっぱなしだから……。 レナ(24歳): (誰かの罪を許せるのは……きっと素敵なことだと思う) でも……悩んで考えた末に許さないことを選ぶのも、それはそれで意味があることだとも思う。 レナ(24歳): (だから、感動の親子の雪解けなんて綺麗な結末にはならないかもしれないけど……) でも……知りたいと思った時点で私の負けだ。 母がどんな人生を歩んできたか。これから自分がどうするか、どうしたいか。 全てを聞いた上で、最終的に「許さない」に心の天秤が傾いたとしても……。 レナ(24歳): (考えることそのものに……きっと、意味があるはずだから) 一穂(私服): 美雪ちゃん……菜央ちゃん、みんなぁ……あ、うぁああ……! 泣いても意味がないとわかっていても、どうやっても涙は止まらなくて……。 泣き崩れて地面に座り込んだ身体は、ちっとも力が入らない。 でもいいんだ、ここは神様の世界。私と私の「御子」以外は、誰もいない――。 圭一:私服: おー、いたいた! どこに行ったと思ったら、こんなところにいたのか! 一穂(私服): えっ……? 聞こえるはずがない声が聞こえた気がして永遠に止まらないんじゃないかと思った涙が引っ込む。 そして私の手のひらに乗った黒いカケラの一つが。背後からひょい、と摘まれて……?! 圭一(私服): これ、俺が間違えた記憶なんだよな。うぇえ……ひでぇ色してやがるな。 魅音(私服): うっわ……私もかなりヤバイよ。圭ちゃんよりも酷くない? 詩音(私服): ……私もなかなかですね。ここまでどす黒いと、まるで石炭です。 ひょいひょい、と前原くんに魅音さん、詩音さんがそんなことを言いながら私の手から黒いカケラを掴んで、ご神木の方へと歩んでいく……?! 一穂(私服): な、なんでここに前原くんたちが……?! い、いや違う……そうじゃない!そんなことよりも、大事なことがある……! 一穂(私服): な、なんでそれを持っていくの……?それって、惨劇のカケラなんだよ?! 一穂(私服): しかも、自分が他人を傷つけた「世界」の!そんなものを持ってたら、あなたたちは……! 圭一(私服): いやいや……だから持っていくんだよ!これから再構築されるっていう新しい「世界」で、たとえ全部覚えていなくても糧にするためにな! 一穂(私服): なっ……か、糧って……?! もう肉体なんてとっくに捨てたはずなのに、くらくらと目眩がした。 一穂(私服): そんなのを中に取り込んだりしたら、記憶としてでなくても心が傷ついちゃうんだよっ!そうなったら、完全になかったことには……、っ? そう言って引き留めている間にも、また手が伸びて。ひょい、と惨劇のカケラが奪われていく――?! レナ(私服): ……ダメだよ、一穂ちゃん。誰かの記憶に干渉するのは、マナー違反じゃないかな……かな。 一穂(私服): れ……レナさん?! レナ(私服): レナたちは……私たちはね、いつでも誰かを傷つける可能性を持っているの。 レナ(私服): 普段の意識にないってだけで、いつだってその可能性がある。……それを無かったことにしちゃ、いけない。 いつもの優しい笑顔を浮かべて、レナさんはそっと惨劇のカケラを胸に押し抱き……言葉を繋いでいった。 レナ(私服): ……もちろん、持っているのは辛いよ。自分にこんな恐ろしい意識や可能性があったなんて、想像するだけで怖くなるし……とても、苦しい。 レナ(私服): でも……苦しいからって無かったことにしたら、同じような悲劇を繰り返す「可能性」の時に気づけない。……だから、手放しちゃいけないんだよ。 一穂(私服): で、でも……あっ?! 戸惑っている間にも、ひょい、ひょいとさらに黒いカケラが掴み取られていった。 一穂(私服): 梨花ちゃん?! 沙都子ちゃん……悟史くん?! 悟史: むぅ、これは……あんまり直視はしたくないね。 沙都子(私服): あらにーにー。そんなことを言ったら、私のカケラを見れば卒倒しますわよ? 沙都子(私服): って、これはちょっと酷すぎますわね……正直、1人で抱えられる気がしませんもの。 梨花(私服): なら、ここで見せて。私のも見せるから……くすくす。 沙都子(私服): ……梨花が見たら、怒るかも知れませんわよ。 梨花(私服): そんなに酷いの? 沙都子(私服): えぇ……これは本当に。酷いですわ。一穂さんのお母様と西園寺雅とやらが言っていた、例の神様が力を与えた経緯に関わりが……。 一穂(私服): な……なんで?どうしてこんなところに、みんながいるの……?! 詩音(私服): ちなみに悟史くんは、どんなのだったんですか? 悟史: こ、これは見せられないよ。自分の胸に、大事にしまっておくことにする……むぅ。 圭一(私服): そうだぞ、詩音!男にはな……女の子には見せられない秘密があるんだよ! レナ(私服): はぅ~! 圭一くんの秘密ってなにかな? かな? 魅音(私服): くっくっくっ……そんなふうに言われたら、おじさんも気になっちゃうじゃんか~? 圭一(私服): み、見たいんだったら……先にお前のを見せろよ、魅音! 魅音(私服): や……やだよ! 圭ちゃんのが先ー!! 一穂(私服): (なんで……なんで?!) 笑い合い、じゃれ合いながら立ち去って行く部活メンバーたちを……私はただ、唖然と見送るしかできない。 手の中の惨劇のカケラは、ずいぶん減った。あとに残されたのは……。 美雪:私服: ……おぅ一穂、ここにいたんだ。 一穂(私服): ……っ……?! 一番聞きたくない声が……背後から、聞こえて。 振り返りたくない。振り返りたくないのに……。 一穂(私服): あ、あぁ……あぁ……。 我慢できなくて振り返った、そこにいたのは……! 美雪(私服): 久しぶりだねー、一穂。 菜央(私服(二部)): 羽入が連れてきてくれたのよ。……頑張ったご褒美、だって。 一穂(私服): なんて、ことを……! 美雪(私服): んー、それはこっちの台詞だよ。勝手にサヨナラの宣言かましていなくなっちゃうんだからさー。 菜央(私服(二部)): 全くよ。少しはこっちの身になって考えなさいよね。 一穂(私服): それは、でも……必要、だったから。 背中に嫌な汗があふれている。 神様も汗をかく感覚が消えないなんて、知らなかった。なんて、そんなどうでもいいことを考えないと……今すぐ叫んで逃げ出したかった。 他に逃げ出す場所も、ないのに。 一穂(私服): みっ、美雪ちゃんと菜央ちゃんは……わかってくれるよね? 両手を、そっと差し出す。 一穂(私服): 私、ここで頑張るから……今までいっぱい大事にしてくれて、ありがとう。 一穂(私服): でも、もう大丈夫。……悲しいことなんて、忘れていい。苦しい記憶なんて、ここに捨てていっていい。 一穂(私服): 2人に、惨劇の記憶なんて必要ない。だから……! いっぱい、幸せになって! 一穂(私服): 最後にちょっとくらい、2人の役に立ったって思わせて……!! 一穂(私服): 幸せのカケラだけ、持って行って……! ぐっと押しつけるように、両手を突き出す。 黒い惨劇のカケラが減って、私の手の上には光る綺麗な奇跡のカケラが目立つようになった。 美雪&菜央: …………。 美雪ちゃんと菜央ちゃんは、互いの顔を見合わせてから手を伸ばす。そして――。 がしっ、と掴んだ。……私の両手首を。 一穂(私服): え……えっ?! 慌ててカケラが落ちないように握り込むと同時、美雪ちゃんと菜央ちゃんは前へ進み始めた。 美雪(私服): ほら、帰るよ一穂。 菜央(私服(二部)): あんたをここに置き去りにするわけないでしょう?……あたしたちをセンスがない子にしないで頂戴。 一穂(私服): は……離して! 離してよ! 一穂(私服): やめ、やめて……やめてってば!! 一穂(私服): これで……やっと!美雪ちゃんをお父さんが生きてる世界に戻せるんだよ?! 一穂(私服): 私を連れて行ったら……記憶が書き換わってしまう!お父さんが死んじゃったカケラの記憶を引き継いで! 美雪(私服): へー、それでどうなるの? 一穂(私服): 言わなきゃわかんない?!本来存在したはずの子どもの頃に、お父さんと過ごした記憶がなくなるんだよ?! ふぅん、と美雪ちゃんは笑う。そして、私の両手首をさらに強く握り込み……。 美雪(私服): いいねぇ。お父さん生きてるなら、新しい思い出を作れるじゃんか! 一穂(私服): は、はぁあっ?! 美雪(私服): 昔のことは、母さんや千雨に聞けばいいか。 美雪(私服): あ、お父さんが死なないんだったら千雨のおじさんが生きてるよね?ならおじさんにも聞けるわ。よかったー。 一穂(私服): な……菜央ちゃん?! 埒があかないと思った私は、反対の手首を掴んで引っ張る菜央ちゃんへと顔を向けて、助け船を求めた。 一穂(私服): 菜央ちゃんなら気づいてくれるよね?!こんなの意味がないって! 一穂(私服): このままだと、菜央ちゃんはお母さんと喧嘩して……家出した事実がそのまま残るんだよよ?! 一穂(私服): 私の手を離して、幸せのカケラだけ持って行けば!お母さんと酷い喧嘩をする前に戻れるんだよ?! 一穂(私服): 菜央ちゃんはお母さんのこと、大好きだよね?!本当は喧嘩なんてしたくないよね?! だから……! 慌ててまくし立てる私に、菜央ちゃんはくすっと微笑む。 子どもらしくない、小馬鹿にしたような笑みが……今だけは悪魔の微笑みに見えた。 菜央(私服(二部)): たった一回の喧嘩をなかったことにしても、根本的に解決できなきゃ……また違う日に喧嘩するだけよ。 菜央(私服(二部)): ……その方が、酷い結末になるかもしれないわね。よそ見して道に飛び出して、車に跳ねられるとか。 美雪(私服): さすがにそうなったら、私も助けられないなぁ。 菜央(私服(二部)): でしょ? あんたの家の電話番号、覚えてるから。 美雪(私服): 客用布団、用意しとくよ。家出したらうちに電話かけておいで。迎えに行くからさ。 菜央(私服(二部)): ありがとう、助かるわ。 ずるずる、ずるずると私の身体が引っ張られていく。 惨劇のカケラも奇跡のカケラも手にしたまま、元の奇跡を得た世界へ引きずり込まれていく……?! 一穂(私服): なんで、なんで……なんで?! 一生懸命踏ん張ろうとしても、美雪ちゃんと菜央ちゃんが力強く引っ張るから。 だから私の足は、どうしても前へ前へ進んでしまう! そう言えば、私がこの2人に勝てたカケラなんて一度たりとも見つけられなかったような……?! 一穂(私服): (でも最後に、一回くらいは……!) あがいて、もがいて……でも……ッ! 美雪(私服): なんでって、約束したじゃんか。一緒に、平成に帰ろうって。 一穂(私服): でも、帰る肉体が……! 菜央(私服(二部)): じゃあ、あたしたちにとり憑いて帰りなさい。本当は、生きたまま帰るに越したことはないけど……。 菜央(私服(二部)): 神様になって、戻ってきてくれたんでしょう?じゃあ、神様になって一緒に帰ればいいじゃない。 一穂(私服): でも、私はこの世界を守らないと……! 力を込めて、その場に押し留まる。 美雪(私服): うぉっ?! さ、最後の抵抗?! 菜央(私服(二部)): ちょっと?! 諦めが悪いわよ?! 美雪(私服): カーテンに爪立てて、踏ん張る猫かな?!この子は! もー! 一穂(私服): うぅううううっ……! 一生懸命その場に留まろうとする私の背後で……くくっ、と。からかうように、笑う声がする。 灯: もう諦めて、行ったらどうだい?どうせ向こうに行く道すがらでも、カケラは紡げるんだろう? 灯: だって、既に一度は紡がれたものなんだからね? 一穂(私服): あ、灯さんっ……?! 灯: 大丈夫、私がここで灯台になろう。「御子」がいれば、帰路はわかるだろう? 灯: ……だから、必要があれば戻っておいで。 美雪(私服): 一人で、大丈夫なんですか? 灯: 無問題だ。ここにいる私は本体から切り離された、言わば公由一穂の「御子」としての存在を抽出して人の形を取った存在……本体に影響は出ないよ。 一穂(私服): ど、どうして……?! 灯: どうして? それは我が神の方だろう? 灯: そもそも君が私をここに呼び出したのは、私の運命を操作したことに罪悪感を抱いて謝りたいと願った自己満足の結果だろう? 灯: なら私も、自己満足として残る道を選ぶというだけだ! 一穂(私服): そんな、勝手な……?! 灯: 勝手な神の「御子」だからね。ははは! 美雪(私服): この人、最後まで変わらなかったなー。……じゃ、私たちも勝手にしますか。 菜央(私服(二部)): えぇ、そうしましょう。 踏ん張っていた足が、また……ずるり、ずるり、と前へ進む。 美雪(私服): ほら。帰るよ、一穂。 菜央(私服(二部)): 手、離したら怒るわよ。 一穂(私服): う……あ……。 固く握りしめていた拳を、開いて……腕を掴む、2人の腕に……指先で、そっと触れる。 一穂(私服): う、ぁ、ぁ……。 手首を掴んでいた、2人の指が……そろりと。私の指と、一本一本、しっかりと……絡み合って。 一穂(私服): うぁあ、あぁああ………。 ……互いの手を、固く握り合って。 一穂(私服): う、ぐ、すっ、うっ、ぁ、うあ、うあぁ……! ……啜り泣きながら、歩き出す。 惨劇の記憶を抱えながら、奇跡のようなカケラの中へ。 もう、その手を離すことがないように。 強く強く、握りしめながら――。 美雪(私服): ねぇ一穂……。 美雪(私服): 菜央とレナ、うまくいったかな?うまくいくよね、あの2人なら。 一穂(私服): 大丈夫だよ。レナさんも、菜央ちゃんもいるんだもの。 一穂(私服): 最高の結末は得られなくても……お互いが話し合って選んだ最良の結果は、絶対に手に入れられる。 美雪(私服): うん、大丈夫だよね。……はは、なんで私が緊張してるんだろうね? 美雪(私服): ……はぁ……。 美雪(私服): ねぇ、一穂。そこにいるんだよね? 一穂(私服): いるよ、美雪ちゃんの隣に。菜央ちゃんの隣にもいる。 一穂(私服): だって私は、2人の神様だから。……ずっと、隣で見守ってるよ。 美雪(私服): ……ごめん、いるのはわかってるんだよ。でもなんか……たまに寂しいなーって思ってさ。 美雪(私服): ……。あのね、一穂……。 美雪(私服): 私と菜央は……ううん、レナたちも。 美雪(私服): みんな、完璧じゃないけど……明日のために、頑張って生きてる……だから。 一穂(私服): 知ってるよ。みんなが、頑張って生きてること。 一穂(私服): ……私は、知ってる。この眼で、見てるよ。 美雪(私服): うん。だから、私もね……この奇跡を。大事に生きるよ。 美雪(私服): 精一杯頑張って……生きて、生き抜くから。 美雪(私服): そしたら次の「世界」では、一緒に生きようね。 美雪(私服): ひぐらしのなく頃に……また会えることを、私たちはずっと……待ってるからさ……。