Part 01: #p公由怜#sきみよしれい#r: …………。 戸佐: ほれ、コーヒー飲むか? #p公由怜#sきみよしれい#r: あ……。 戸佐: イライラしても、始まらんで。秋武に任せておけば、確実に礼状むしり取ってくる。……大丈夫や。 戸佐: なんせ、あの手腕というか「豪腕」が原因で前の部署を追い出された子やからなぁ。ははっ。 #p公由怜#sきみよしれい#r: ……彼女を信じていないわけではありません。その点については、訂正させてください。 戸佐: ほうか。なら、大人しく待っとき。動くべき時は拙速を尊ぶべきかもしれんが、毎回やと疲れるだけやで。 #p公由怜#sきみよしれい#r: …………。戸佐さん、でしたね。 戸佐: 名前……比護から聞いたんか? #p公由怜#sきみよしれい#r: 聞かずとも……南井巴の部下の身元素性は、全員調べましたので。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 毬野氏は、爆弾の火薬量を誤って実験場を半壊させた……元科警研の職員。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 喜舟氏は、競技大会常連の元白バイエース。ただ任務中の怪我で白バイ隊を引退して、一時期は荒れていたと。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 河上氏は元から、警察博物館の関係者。秋武さんは……言うまでもありませんが。 戸佐: ふむ、よぅ調べたな。毬野の件は科警研のお偉方が責任を問われる恐れもあって、警察内部でも一部にしか知れ渡っていないはずなんだが。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 官公庁に勤めていれば、どこからでも入手できますよ。……それと、あなたの素性は特に奇妙でした。 戸佐: ん……? #p公由怜#sきみよしれい#r: 地方警察署に長らく勤めた後、5年前に上京して警察庁の広報センターに勤務。 #p公由怜#sきみよしれい#r: ……でも、おかしいんですよ。在籍していたという署に問い合わせてみても、あなたを知っている人間が見つからなかった。 戸佐: ……。その答えは? #p公由怜#sきみよしれい#r: 川田碧の偽名を使いたいと申請を出したのは、畠山あおい本人でした。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 調べたところ、川田碧は三船を取り込んで園崎組を壊滅に追いやった、外資系組織の一員だったそうです。 #p公由怜#sきみよしれい#r: その外資系組織は大量に逮捕されて、今も大半が服役中とのことですが……。 #p公由怜#sきみよしれい#r: いないんですよ。その中に、……川田碧という名前の逮捕者が。 戸佐: ほう。だとしたら、うまく逃げたんやろうねぇ。 #p公由怜#sきみよしれい#r: そうでしょうか?……もし、もしもですが。 #p公由怜#sきみよしれい#r: あなたの背に、『川田碧』の代名詞とされる閻魔の入れ墨が入っているなら……。 #p公由怜#sきみよしれい#r: 戸佐さんは組織に『川田碧』として潜入していた捜査官……だったのでは? 戸佐: それがわかって、どんな意味があるん?いや、『川田碧』を恨んどるやつは山のようにおるから……そいつらに売るか? #p公由怜#sきみよしれい#r: いえ……ただ知りたいだけです。灯が、広報センターの人は全員好きだと言っていたので。 戸佐: あー、なるほど! ヤキモチか!ええなぁえぇなぁ若いな! あっはっはっ!! #p公由怜#sきみよしれい#r: …………。 戸佐: あははは! はは……んふふふ。悪かったって。そうぶすくれた顔すんなや。 戸佐: いやぁ……なんて言えばええんかな。おっちゃんな、田舎の生まれなんよ。しかも戦前戦後で、かなり荒れとってな。 戸佐: 両親も早死にしとるし……この世界から消えても、別にかまわん人間やった。 戸佐: んでそれは、人生の大半かけた仕事が終わってもなーんも変わらん。 戸佐: あー、頑張っても人生にご褒美なんてないんやなぁ……と思っていたんやけど、一個ラッキーが起きてな? 戸佐: 定年までの短い間やけど、上司を選べることになったんよ。 #p公由怜#sきみよしれい#r: ……広報センターの長に南井巴が選出された理由は、あなたが推薦したからですか? 戸佐: さぁ、どうやろうなぁ? 戸佐: 生まれ故郷と親、上司と部下は基本的に選べん。けど、もしも選べるなら……。 戸佐: 自分が楽しそうやなぁってモン、選びたいやん? Part 02: 雪絵: あの……赤坂です。そちらに黒沢さん、おられますか? 雪絵: さっき、私の家にお電話をいただいて……えっ? 千雨の父: お前……お前はッ!何をしたかわかってるのか?! 千雨: ……ぅ、ぐっ……! 千雨の母: あ、赤坂さん……!お願いします、夫を止めてください……!! 雪絵: 黒沢さんっ?待って、千雨ちゃんを下ろしてください!そのままじゃ、首が絞まって……! 千雨の母: …………。 千雨: うっ……ゲホ、ゲホゴホッ!!ゴホッ、ゴホゴホッな、なんで美雪の母さんを……?! 千雨の父: ご足労をいただいてすみません、赤坂さん。……娘が馬鹿をやった関係で、あなたにいくつか確認したいことがあります。 雪絵: ?……なんでしょう。 千雨の父: お宅のお嬢さんを責めるつもりはありませんが、確認だけ……させてください。 雪絵: ……美雪が、何かしたんですか? 千雨の父: いえ、お嬢さんは何もしていません。むしろ立場としてはやられた側だと言ってもいい。 千雨の父: ……この前、美雪ちゃんはずっと続けていたガールスカウトを退団しましたよね? 雪絵: え、えぇ……。 雪絵: 新しく引っ越してきた子たちがたくさん入ってきたのと入れ替わりで、以前の友達が大勢やめたから……自分もやめたい、と。 千雨の父: その、新しく引っ越してきた子たちが……先日傷害事件を起こした件は、ご存知ですか? 雪絵: 傷害、事件……? 千雨の父: もちろん、命に関わる怪我はしていません。ですが……。 千雨の父: 友達数人がカッターやらハサミやら持ち出して、学校でお互いの腕やら頬やらを切り合ったんです。 千雨の父: その事件を担当した刑事が、麻雀仲間で……当事者たちがこう言っていたと聞いたんです。 千雨の父: 『赤坂美雪』のせいで、こうなったって。 雪絵: えっ……?! 千雨: んなわけあるか。時系列考えろばーか。あいつらが事件起こした日、とっくに美雪はガールスカウトをやめ……うっ?! 千雨の母: 千雨っ?! 雪絵: や……やめてください、黒沢さんっ!仮にうちの娘が原因だとして、どうして千雨ちゃんを締め上げる必要が?! 千雨の父: ……。お宅のお嬢さんが、ガールスカウト内でいじめられていたことは? 雪絵: ……はい、そんな気配は感じていました。今年に入ってからガールスカウトの日が近づくと、憂鬱そうな顔を見せることが多くなって。 雪絵: でも、やめてからは明るくなったので解決したものだと……! 千雨の父: えぇ……解決はしたんですよ。最適とはとても言えませんが、きっと本人なりに悩んで自分を納得させた結果でしょう。 千雨の父: なのに、それをうちのバカが蒸し返した……! 千雨: ……ぐっ?! 雪絵: ……。どういう事情なのかはわかりませんが手を離してください、黒沢さん。 雪絵: まず詳しい話を聞かなければ、千雨ちゃんへのその制裁が適切かどうかの判断もできないと思います。 千雨の父: ……っ……。 雪絵: 美雪が関わっている以上、これは私の家庭にも関わるものだと思います。……手を、離してください。 千雨の父: ……。わかりました。 千雨: ゴホッ、ゴホゴホッ……!! 千雨の母: 千雨……ッ! 雪絵: 大丈夫、千雨ちゃん? 千雨: ゲホッ、ゲホッ……ぅえっ。 千雨の父: 千雨、お前の口から説明しろ。 雪絵: ……いったい、何があったの? 千雨: ゲホッ……周りに、教えた……。 千雨の父: 周り? 千雨: 一方的に惚れた男が美雪にちょっかいかけて、それを横取りされたって吹聴して悲劇の女のように恋愛ごっこしてるやつと、その取り巻き数人……。 千雨: そいつらが通ってる学校の格闘系の部活生……何人かが顔見知りだったから、教えてやったんだ。 千雨の父: その加害者にまつわる……デタラメをな。 千雨: あながち、デタラメでもないさ。 千雨: あいつは自分をよく見せるために他人の悪口やら噂やらを言いふらす最低の野郎だから、関わると冤罪を押しつけられて被害者面されるぞ、ってな。 雪絵: あいつって、誰を……? 千雨: ……全員。 千雨: AがBの悪口を、BがCの悪口を、CがDの、DがAの……お互いの悪口を言ってたって、別のやつらの口経由で教えてやったんだ。 千雨: まぁ、実際言ってたかは知らない。……けど、言っててもおかしくない関係みたいではあったみたいだ。 千雨: じゃなきゃ、ウワサを鵜呑みにしてお互いが刃物まで持ち出して喧嘩になんか発展したりしないだろ……? 千雨: 噂を流したの、先々週くらいだったんだが……関係が崩壊するまで、思ったより早かったな。 千雨: 元々お互いに見下し合ってたから、相手が自分の悪口を言ってたって事実に耐えられなかったんだろうさ。 千雨の父: 千雨、お前は……! 千雨: 私が余計なことしなきゃ、事件は起こらなかったとでも言うのか? 千雨の父: その通りだろうがっ?お前がそんな真似をしなければ、その子たちは……! 千雨: はっ……誰がそんなことを断言できるッ?あいつらが転入してきた経緯、知ってるのか?! 千雨の父: 新規開発された建売住宅区域で、購入した家がひどい欠陥住宅だった家庭の子たちだろ?! 千雨: その程度かよ!私は欠陥住宅を作った建設会社まで調べたぞ?! 千雨: 神奈川の方で工事を担当したトンネルが崩落して、賠償金をむしり取られてその損失を補填するために手抜き工事したってな! 千雨: トンネル事故の被害者遺族まで調べてやったよ!!で、大金をはたいて買ったマイホームが欠陥住宅!それが原因で、親は喧嘩三昧!! 千雨: そりゃ、自宅で気が休まらない同士で気が合って群れるだろうな! 可哀想だな?! 千雨: けど、それがどうした?! 千雨: 相手が可哀想だから、美雪が理不尽な理由で泣かれて睨まれて、ヒソヒソ悪口を垂れ流されてガールスカウトやめさせられたのも許せってか?! 千雨: 家が欠陥住宅だったのは、美雪に関係ないだろ?! 千雨: 他人につけられた傷がある人間には、別の誰かを傷つけても仕方ない免罪符を持ってるのか?! 千雨: あぁ、それでもいいさ! けど、相手がその理屈をブン回すなら、私もダチの美雪を傷つけられたから傷つけていいってことになるよな?! 千雨: じゃないと、おかしいだろ?!それとも美雪を傷つけた害虫を放置しろってのか!! 千雨の父: 放置しろ!! 千雨: ッ、はぁっ?! 千雨の父: そいつらとお前は無関係の人間だ!!美雪ちゃんがガールスカウトをやめて離れた以上、そこで終わりだったはずだ! 千雨の父: なのに、お前が余計な復讐心を出したせいで出なくていい怪我人が出た!! 千雨: 知るか!そいつらがちょっとした噂を真に受けて勝手に疑ってこじらせただけだろ?! 千雨: ちゃんとお互いに信頼関係を築いてたら、そんな与太話は笑い飛ばして終わりだったはずだ! 千雨の父: 責任転嫁をするな、このバカ娘がッ!人間は自分自身の感情すらコントロールできない弱い生き物なんだ! 千雨の父: 他人のための復讐なんざ、もっとコントロールできない!俺はな、やめ時が見つからずに結局暴走した犯罪者たちを山ほど見てきたんだ! 千雨の父: げんにお前も、ここまでの事件になるなんて全く予想ができていなかっただろうが?! 千雨: っ、それは……! 千雨: ぁ……あいつらの自業自得だろ?! 千雨の父: まだ言うか、お前は?! 千雨: あぁ言うよ!そういう親父だって、美雪がボロボロになったの気づいてもいない役立たずだったクセに!! 千雨: 今さら私をぶん殴って、大人の綺麗事振りかざして取り繕ってんじゃねぇよ気持ち悪ぃ! 千雨の父: ……っ……?! 千雨: 同じだよ! 私も! 親父も!!何もできなかった役立たず親子だ!! 千雨の父: こ、の……っ!! 雪絵: ――黒沢さん、やめてください。 千雨の父: ですが……! 雪絵: 千雨ちゃん……あなたのやったことは、間違っているわ。 千雨: …………。 雪絵: でも……その子たちはうちの娘の悪口をずっとあちこちに撒いていたんでしょう?大人が知らない、子どもの世界で。 雪絵: 今は物理的に距離が離れているから影響はないように思えるけど……将来、影響が出ないとも限らない。 雪絵: あなたは……それを心配してくれたのよね? 雪絵: ……美雪の悪口を言う相手を、その言葉も含めて信用のできない存在だって証明しようとした。 雪絵: 大人としては、ダメだってわかっている。……けど、母親としてはそこまで娘を大事にしてくれる友達がいてくれたことは、やっぱり嬉しいの。 雪絵: ごめんなさいね……そんなマネをさせてしまって。 千雨: ……ぁ……。 千雨の父: …………。 千雨の母: ……だから言ったじゃない。千雨は頭ごなしに叱っても、頑なになるだけだって。 千雨の母: すみません、赤坂さん……。こんなことに巻き込んでしまって。 雪絵: いえ……うちも、娘が何も言わなくて。本人が言いたくないならと、そっとしておいたんですけど。 雪絵: いえ、そうではなく……ただ放置していただけでした。千雨ちゃんまで巻き込んでしまって、申し訳ありません。 雪絵: 中学生となれば、下手に大人が介入すると話がややこしくなってしまうから……そう思っていたんですが。 雪絵: 千雨ちゃんにこんなことをさせるくらいなら、私がきちんと介入するべきだったと……反省しています。 千雨の母: いえ、うちの娘が勝手に先走っただけですから。 雪絵: ……。あの、うちの美雪は……このことを……? 千雨の父: おそらく……いえ、ほぼ確実に知りません。ですから、本人には伝えないでいただきたい。 千雨の父: 今回の事件の原因に関わっているのは千雨ですが、美雪ちゃんは……無関係なので。 雪絵: ……わかりました。確かにガールスカウトをやめた今、美雪にできることは正直思いつきませんし。 千雨: ……美雪が反省することなんて、ない。 千雨の父: っ……!お前はどうなんだ千雨?! 千雨: うるせぇ役立たず!そんなに言うなら親父も美雪の役にたってみろよ?! 千雨: 美雪のお父さんが死んだ理由を探すとか言って、もう9年も何も見つけられなかったクセに!!! 千雨の父: ……っ……!! 千雨: (今になって思えば……たぶんあれが、分岐点だった) 私が煽って、親父はそれを真に受けた。……いや、元々気にはしていたのだろう。 それまでは、個人的な時間を使って調査していた美雪の親父さんの事件に、のめりこむようになって……。 ……親父は死んだ。バラバラにされた。 美雪は悪くない。美雪の親父さんも当然。 一番悪いのは、……親父を殺した何者かだ。そこは絶対に間違いない。 でも、あえて親父の死んだ原因が何だったのかと問われることがあったら……。 間違いなく、……それは私だった。 Part 03: 初めて「公由稔」と名乗ったその日、これでもう私は何も変えなくていい――そう思って、安堵したことを覚えている。 養父は、……西園寺太壱は英雄だった。 落盤事故で土砂の下に埋没した、高天村。そこにいた人々の無念を晴らすことを生涯の使命と定め、国家機関の圧にも引かず怯えず立ち向かう強さと気高さ。 落盤事故の遺族同士で結ばれた、自分の両親が相次いで病死した時……真っ先に後見人を買って出てくれた優しさ。 誰かのために、懸命に生きる養父の生き様を私は尊敬していた。……憧れていた。 でも、同時に――自分はあんな人にはなれないとも思っていた。 ……自分なりに、頑張ってはみた。 養父のように、父母たちの悲願だった……高天村における国家の非を認めさせるための証拠集めとして、自分も地学を学んだ。 筆頭弁護士が、職を追われた後も。養父が事故で死亡した後も……。 そして、出た結論は――。 ……ただの事故。 もとからその地にあった地下空洞が、関東大震災の余波で支えていたものが崩落し、それに伴って山津波となった……自然災害。 最初は、……自分の結論を疑った。 だから、調べた。海外の技術と、新しい測量方法を駆使して。 調べて、調べて、調べて、調べて……。気が遠くなるほどのデータを集め、分析を行った。 だけど、状況が明るみになればなるほど……どうしようもなく、裏付けられていく。 ただの事故。誰も悪くない。片田舎でさして重要でもない、その空洞を事前に発見することは……神でもなければ不可能だった。 ……愕然とした。もしもこれが、本当だとしたら――。 公由稔: (訴訟団の……いや、養父の人生はなんだったんだ?!) 現実から目を背け、私は別の調査に手を付けた。……例の訴訟団を解散する原因のひとつであった、筆頭弁護士が法曹界から追われた事件だ。 その先生は訴訟団に大した弁護士費用も求めず、手弁当同然で尽くしてくれる素晴らしい人だと養父は語っていた。 だが、調べたところ……その弁護士は背後である代議士の恩恵を受けていた。 その代議士は、訴訟団が責任者として訴えている当時の軍関係者と対立していて……っ……。 ……なんてことはない。裏で金をもらっていた政治家が失職したから、芋ずる式で彼も職を追われただけだった。 残りの疑惑……養父が死んだ交通事件の真実は、わからない。 ……だが、ひょっとして。 時代が進んだことで詳しい調査結果を入手した養父が、あるタイミングで事故の可能性が濃いことに気づき、誠実にも起訴寸前でそれを発表しようとしていて……。 それを阻止するために何者かが、彼の口封じをするべく行動を起こした可能性は……? …………。 恐ろしくなった。……だから、私には何もできなかった。 そして気づいた時には、……もう遅く。 養父と弁護士、2つの頭脳を失った高天村の訴訟団はある政治団体にすっかり取り込まれてしまっていた。 運動を止めたように見せかけ、裏で力を蓄え……いつの日か、あの事故の責任を取らせる。その流れを目の当たりにして、私は気づいたのだ。 誰も憎まないでいいことを心地よく喜べる人は、あまりにも優しくて尊い。……尊敬すべき偉人だ。 だけど、世界はそんな偉人ばかりではない。 誰のせいでもない、ということは……誰のせいにも「できない」ということ。 家も家族も、なにもかもを失った憎しみを数十年単位で燃やし続けた人々が……。 今さらその憎むべき敵を失うことは、人生を無意味にすることと同じだった。 ……だから、私は言えなかった。 落盤事故は誰のせいでもない、本当にただの……事故だったのだと。 口を閉ざした自分に押しつけられたのは、ある村の土木調査だった。 曰く、高天村と近い地質にあるその村の山を調べれば落盤事故が自然災害か、軍によるものかわかるのではないか、……と。 さらに、高天村には#p雛見沢#sひなみざわ#r……当時は鬼ヶ淵村と呼ばれた集落から移住してきた人がいたそうだ。 男は語った――その村では、双子は凶報の証。だから、双子が生まれたら片方は殺される。 特に、村の有力な地位にある御三家にはそれが義務のように課せられているので、生まれても殺される運命にあったのだが……。 自分は優しい人に匿われて密かに村を抜け出し、養子となることで生き延びた……とのことだ。 ……本当にその男が、御三家の人間かはわからない。話自体も彼の一方的な主張で、信憑性がない。 なにしろ、戦争後に高天村に流れついて村の女と結婚し……子どもが生まれた直後に死なせてしまった男の言うことだ。 ただのホラかもしれない。戦争帰りで少し頭が「壊れて」、おかしな言動が普段から目立つやつだったから……なおさらだ。 あるいは、軍で知り合った鬼ヶ淵村の人間の話を頭の中で勝手に書き換えて、自分に置き換え……そう思い込んでいただけかもしれない。 だが、……高天村の人間は思った。 『その男が、鬼ヶ淵村の正当な後継者ならば……雛見沢村が自分たちに協力するのは当然のことでは?』 奪われた分を、他人から奪うことで補填しようとする。どこにでもありふれた――恐ろしい話だ。 その一環として、自分は名前を変えられて……雛見沢へと放り込まれた。 いい場所だった。土も、風も、人々も。ようやく生きている実感を抱いたような気がした。 なにより、彼女と会って――運命が変わった。 結婚より先に子ができたのは、自分が急いたせいだ。 そのおかげで、義父となる村長を激怒させてしまった。順番が逆だ、と言われればその通りだ。面目が立たない。 たとえ後継者になり得ない人間としても、模範となる村長の一族からすれば……不名誉極まりない。 自分が認められないのは当然なのに、そんな自分をかばって父親に噛みつく妻の姿が申し訳なくて、気の毒だった。 生まれた息子は、ひどく大人しい子だった。自分の意思があるのかと思うほどの物静かさで……いつも独りで川岸にいて、葉っぱで遊んでいた。 ただ、そんな息子は傍目にも不憫に見えたのだろう。結婚に反対していた義父や村の人々が、こっそりと息子に優しくしてくれたことを知った時……。 私はもう、十分だと思った。偽りでもなく、本心からこの村の人間になるのが真実の幸せのように感じられたのだ。 高天村の親戚から、定期的に連絡はあったが……元より海岸の土とは、地質がそもそも違う。 親戚たちの中には雛見沢の山の一部を買い取り、土砂崩れの実験を行おうとした者もいたようだが……私にはもう、そんな気はなかった。 その後、妻に高天村の真実を語った時……彼女は穏やかに笑って受け入れてくれた。 今ここにあなたがいてくれればそれでいいと、微笑んでくれた。 彼女が受け入れてくれて――自分も受け入れられた。 妻と、息子と自分。養父の無念も晴らせない、うだつのあがらないしがない高校教師。 それで十分だろう? 他になにが必要だ? あぁでも、妻はもう1人子が欲しいと妊娠と流産を繰り返しているから、あと1人子どもは欲しいかもしれない。 でも、いなくてもそれで十分だった。……幸せだと断言できた。 妻が数度目の流産をしたその日、高天村からかかってきた電話を取るまでは――。 『さるご令嬢が、どこの誰とも知れぬ男に孕ませられた。……生まれた暁には、実子として引き取って欲しい』 『そのご令嬢の実家に、恩が売れる。いざとなれば、仕える手駒になるかもしれない』 『お前も、先生に引き取られた身だろう――?』 そう告げた親戚に、私の養父は当時独り身だったが……彼とは環境も事情も違う、と返すのが精一杯だった。 おかしな話だ。自分は他人に引き取られたくせに、自分は他人の子を引き取りたくない……なんて。 私の幸せは、もう完成していた。これ以上はなにもいらなかった。 ただ……私にとって想定外だったのは、それを聞いた妻が賛同してくれたことだ。 入院したことにして身を隠し、しばらくしてから退院して赤ん坊とともに家に戻れば……ごまかせる。 私たちの子として、育てよう。そうすれば父も、あなたのことをきちんと認めて受け入れてくれる。 ……愚かだった。妻がそこまで追い詰められていたことに私は気づいていなかった。 だが……申し訳なさを感じると同時に、私の故郷の無念を晴らすためならばと文字通りになんでもしようとしている妻の思いが嬉しかった。 昔よりも、測量系の方法も技術も進化している。今ならばあるいは、あの土砂崩れの原因が軍にあったことを突き止められるかもしれない。 もしかしたら、自分が間違っていた可能性もある。そう思い直して打ち明けると、妻は私を支持してくれた。 だから、……再び高天村のためにと奮起することを決意できたのは妻のおかげだ。 ただ、想定外だったのは……。 唯一流産を知っていた息子が、怜が……。普段は大人の言うことにただ頷くばかりの息子が。 あんなにも――苛烈に赤子を拒絶するなんて思わなかった。 子は自分の分身じゃない。そんなことはわかっている。……分身にすらなれない自分が、一番身に染みていた。 でも心のどこかで、自分の息子なのだから……わかってくれるのではないかと甘えていた。 ……その結果が、血の海に沈む息子と妻の姿だ。 殺す気なんてなかった。事故だった。 私は、怒鳴り合う妻と息子の仲裁をしたかっただけだったのだ! あぁそんなの通じるはずも受け入れられるわけもない。ただちょっと、突き飛ばした先が尖った家具で……!そこに息子が、頭を突っ込んでッ!! 悲鳴をあげた妻を黙らせようとしたら、気がついたら息すらしてしていなかっただけで……?! ……背後で音がする。ひたりと足音がする。 いつか妻から、……聞いた話が脳裏にこだまする。ひとつ多い足音は、『オヤシロさま』の足音なのだと。 『オヤシロさま』は、いつだって背後から見ているのだと……! 公由稔: あぁ、あぁ……ッ……!! ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。 『オヤシロさま』……申し訳ありません。私はやはり、ここの村に住まう資格のある人間にはなれませんでした。 全部、……消してしまいたい。すべて土石流に流れて、埋もれて消えてくれないか。 あぁでも、ここは#p興宮#sおきのみや#rの街中で……そんな土砂崩れなんて、起こるはずがなくて。 だとしたら――。 そしてテーブルで、血塗れになったライターを手にした時。……声が、聞こえたような気がした。 ――『オヤシロさま』じゃないよ、お父さん。 一穂(神御衣): …………。 燃えさかる我が家を見上げながら、父を、母を、兄を……想う。 近隣住民や野次馬が集う中、私は誰にも見つからない。 だって、私は……ここに「い」ないのだから。 背後でぺたり、と音がする。素足が地面を叩くような……足音。 羽入:巫女: ……一穂……。 呼ぶ声が、少し懐かしいようで……ついさっき聞いたばかりのような気がする。 私は振り返りながら、その名を呼んだ。 一穂(神御衣): 羽入ちゃん……じゃなくて、『オヤシロさま』……でしょうか? 羽入(巫女): どちらも、私のことです。だから好きなように呼んでください。 そう言って、『オヤシロさま』……羽入ちゃんはカケラのひとつに映っていた燃え続ける「私」の家に目を向ける。 羽入(巫女): ここは……あなたの父親が、母と息子を殺したカケラ。このカケラが生まれる確率は、決して高くありません。ですが……。 一穂(神御衣): うん、わかるよ。確実に……存在した可能性だったんだね。 羽入(巫女): ……受け入れるのですね。 一穂(神御衣): だって、この事件のことは……美雪ちゃんと菜央ちゃんも、知ってるから。 父が、母と兄を殺して放火した事件……。最初に知った時は、驚きすぎて倒れてしまったけど。 一穂(神御衣): よかったよ。このことを知る時は、いつもみんなと一緒で。 一穂(神御衣): 私ひとりで聞いて、あとから美雪ちゃんや菜央ちゃんに知られるかも……って思ったら、耐えられなかったよ。 一穂(神御衣): でも、私が公由一穂だって知ってあの新聞記事を見せてきたとしたら……川田さんって、意地が悪いなぁ。 羽入(巫女): 一穂……? どこか泣きそうな顔で、羽入ちゃんが私を見ている。心配してくれているのか……やっぱり、彼女は優しい。 一穂(神御衣): (ううん……雛見沢は、優しい人ばかりだった) だから、その地を治める羽入ちゃんが優しくないはずがない。 一穂(神御衣): 私、いつの間に神様みたいな……実態のない存在になっちゃったんですか? 羽入(巫女): あなたが、あの日……あの時。祭具殿の扉を抜ける際に、です。 羽入(巫女): 公由一穂の存在は、たったひとつ。 羽入(巫女): ですがあの扉をくぐった瞬間、あなたは分裂……様々な多くの「世界」に落ちていきました。 一穂(神御衣): 美雪ちゃんと菜央ちゃんは、祭具殿の扉をくぐって過去に飛んでも……1つの過去にしか辿りつかない。 一穂(神御衣): だって美雪ちゃんも菜央ちゃんも、たとえ少なくても生まれる「世界」がたくさんあるから。2人の存在は、強固に固定される。 一穂(神御衣): でも、ただでさえ存在が不確定な上に#p田村媛#sたむらひめ#rさまと『オヤシロさま』……両方の「御子」である私は、固定ができなかった。 羽入(巫女): はい。あなたはバラバラの存在として散りながらも、深層はひとつの意識で繋がっていました。 羽入(巫女): 無数の公由一穂と言うカケラを繋ぐ親機の役割を果たしているのが……あなたです。 羽入(巫女): 子であるカケラが死んでも、あなたに影響はありません。いえ……神が直接関与した死には定かではありませんが、逆流する可能性がありますので……。 一穂(神御衣): よくわからないけど……えっと。それで……私は、何をすればいいの? 羽入(巫女): 率直に言います……一穂。砕かれた私の代わりを務めてもらいたいのです。 一穂(神御衣): ぐ、具体的には……? 羽入(巫女): あなたは私の代わりとして、これから多くの「世界」に介入してもらいます。 一穂(神御衣): そんなことができるの? 羽入(巫女): と言っても、大きな変化をもたらすことはできません。ただ、誰かの背を押すだけです。 羽入(巫女): 迷う誰かを、現地へ走らせたり……その背を押したり。 羽入(巫女): ですが、あなたの存在は認識されてもそこに含まれる行動や意思は忘れられて、存在だけが辛うじて残り……。 羽入(巫女): 西園寺雅のように、「あの子」とだけ……呼ばれるようになります。 一穂(神御衣): つまり、「あの子」は他にも存在するけど……私はその中でも『オヤシロさま』の意思を継ぐ行動を取る「あの子」になるんだね。 羽入(巫女): はい。あなたは田村媛命の「御子」でありながら、角の民……異なる神をその体内に両方宿すことで己の存在を固定しています。 一穂(神御衣): それは、珍しいの? 羽入(巫女): はい。とても。一穂の存在自体、かなり特別だと言っていいでしょう。 羽入(巫女): ですが、どれだけ特別でもできることは……生者のわずかな力になることだけ。 羽入(巫女): 決定的なその瞬間が訪れるまで、耐え忍ぶだけの無間地獄が続くと言っても過言ではありません。 一穂(神御衣): …………。 羽入(巫女): 今ここにいる私の存在も、長くはもちません。あなたはひとりで、この状況に残ることに……。 一穂(神御衣): ……わかった。頑張るね。 羽入(巫女): …………。 羽入ちゃんが、パチパチと目をしばたたかせる。その仕草は見た目と同じでとっても可愛くて、愛らしくて。 羽入(巫女): いいのですか……? この「世界」は今もなお、私を砕いた神の影響下にあります。 羽入(巫女): 私が突然、あなたがたの目の前に現れた……いえ、落とされたのもヤツの仕業。 羽入(巫女): さらに言うと、梨花が打ち破ったものとこの惨劇は……全くの別物です。必ず成功するという保証は、どこにもありません。 一穂(神御衣): うん。……でも、ここで私が断ったらそのわずかな可能性もなくなっちゃうんだよね。 一穂(神御衣): 大丈夫だよ。私、神様になるには頼りないし不安もあるけど……。 もちろん、私より上手くできる人がここにいれば……その人に代わってもらうのもひとつの手かもしれない。 でも、美雪ちゃんや菜央ちゃん……他にも雛見沢の仲間たちにだけは、絶対にさせられないことだ。 一穂(神御衣): (こんな辛くて苦しいこと……やらせるわけにはいかない) やれるから、やるんじゃない。やりたいから、やるんじゃない。 一穂(神御衣): 私は、みんなのことが……大好きだから。 ――失わないために、頑張りたいと。そう思える誰かに出会えたことが、あまりにも幸せで……。 一穂(神御衣): だから、頑張るね。 一穂(神御衣): (たとえ、みんなの「世界」で私がいないものになったとしても――) それでもいいと思えるくらいに、私はみんなが大好きなんだから……! Part 04: ……あるところに、可愛い女の子と『オヤシロさま』と呼ばれる神様がいました。 その女の子は惨劇の牢獄に捕らわれていましたが、仲間や『オヤシロさま』とともに運命を引き寄せ……昭和58年6月から未来へと足を進めたのです。 しかし、それをはるか高みから観劇していたある別の神は思いました。 ――100年なんかで終わる惨劇なんてつまらない。もっともっと面白い惨劇が見たい、と。 そう考えた神は女の子の大切な仲間を取り込み、新たな惨劇を引き起こした末――。 『オヤシロさま』の身体を、バラバラに砕いてしまったのです。 哀れ『オヤシロさま』の砕かれた身体の一部は、可能性の「世界」――数多存在するカケラへと散り散りになって……。 その砕かれた肉体はかたちを失い、善悪を有さない力の源となりました。 ある「世界」では、少女の悪夢に取り込まれた結果『ツクヤミ』となって猛威を振るい……。 ある世界では『ロールカード』として取り付いた相手の力を具現化する力となり……。 そしてある時は、全く別の「世界」と自分たちの「世界」を繋ぐ橋となり……。 無関係だった「世界」や人々を自分たちの「世界」へと引き込んでいきました。 もちろん、「オヤシロさま」はそんなことを知るよしもありません。 一度切り落とされた自分の手足が、その後どんな扱いを受けるか……本体側が正確に知る手段がないように。 結果、さまざまな惨劇の「世界」が生まれて……大変観劇しがいのある「世界」ができあがりました。 その神は、大喜び。……だけど、すぐにただ見るだけではつまらなくなりました。 だから惨劇の「世界」で面白そうだと思った一人の女と、さ迷う魂を己の意思と力を移したコマとして手中に収め……「世界」へ放ったのです。 そのせいで、可能性の「世界」は大パニック! バケモノが現れたり、起きるはずのない事件が起きたり。問題なく終わるはずの出来事で問題が発生したり……。 普通ならどうやってもあり得ないこと……起きないことが起きてしまう「カケラ」が生まれたり。繋がるはずのない「世界」が繋がってしまったり……。 果たして『オヤシロさま』たちは、自分の身体を……そして、砕かれた奇跡の「カケラ」を取り戻すことができるのでしょうか?! 灯: ふむ……今回の一連の出来事のはじまりをまとめるとしたら、こんな感じかな?我ながら結構コンパクトにまとめられたと自画自賛。 灯: どうだい、こんな感じで……我が神? 一穂(神御衣): 菜央ちゃんの好みでまとめるとしたら、それでだいたい合ってますね。 灯: そうかそうか!では美雪くんが気に入りそうな内容でまとめるとしたら、こうかな? 灯: 『ロールカード』とは多種多彩な人間が感染の果てに自らの可能性……いや、体内で生み出すmRNAワクチンの総称である。 灯: しかし、同一人物の体内で生成されるワクチンでも感染状態と性質が反映される場合、極端に効果は異なる。 灯: となると『ロールカード』とは同じ人間を母体としながらも可能性によって数多生まれるmRNAワクチンの識別カード、いやタグと呼ぶべきだろうか。 灯: 美雪くんと菜央くんの主張は、正しい部分と間違っている部分があるようだね。だが正誤の観点で見るなら、さほどの差は……。 灯: あ、肝心なことを言ってなかったね!お帰りなさい、我が神!! 一穂(神御衣): は……はい。ただいま帰りました。 灯: いかがだったかな、神様ライフは? 一穂(神御衣): ……大変でした。#p田村媛#sたむらひめ#rさまや羽入ちゃんの苦労がちょっとだけわかった気がします。 一穂(神御衣): でも、美雪ちゃんと菜央ちゃんの側にいられたのは嬉しかったです。 一穂(神御衣): 2人とも、ご飯をお供えしてくれてました。白ご飯とか。 灯: いいね! 食事を分け与えるという行為はあなたにここにいてほしいという最上の意思表示だよ! 一穂(神御衣): はい……嬉しかったです。それで、あの。私、帰ってきたんですけど……。 一穂(神御衣): 灯さんは、これからどうするんですか? 灯: どうするもこうするも、我が神なら簡単に私を存在ごと消し飛ばせるだろう? 一穂(神御衣): ……それは、嫌です。 灯: その心は? 一穂(神御衣): 私が、あなたの神様だとしても……あなたは、私の操り人形じゃない。 一穂(神御衣): それができることだとしても、してはいけないことだとわかってます。 一穂(神御衣): 私が親であなたが子だとしても、子どもは親の持ち物ではありません。 一穂(神御衣): あなたに意思がないかのように扱い、なにもかもを勝手に決めるのは……。 灯: ダメだと思う? 一穂(神御衣): 美雪ちゃんと菜央ちゃんに、怒られます。 灯: そうか……好きな人に怒られるのは嫌だよね。その気持ちはよくわかるよ。うんうん。 一穂(神御衣): ……一度それをやろうとしておきながら今さらどの口で、かもしれませんけどね。 灯: あの時はそうするしかないと思ったんだろう?では、そんな我が神に提案だ。 灯: 私は、旅に出ようと思う。捜し物の旅だ。許可をいただけるかな? 一穂(神御衣): え? そ、それはいいですけど……何を探すつもりなんですか? 灯: 公由一穂が生まれ、平凡に育ち……赤坂美雪や鳳谷菜央と出会って友となり、幸せになる「カケラ」をね。 灯: あぁもちろん、私が怜、あおいと出会っていることは大前提の条件だけどね! 灯: いや、しかしこうして「世界」全体を俯瞰で見ると私は、怜とあおいとはなかなか相性が悪い……いや、良すぎるのかな? 灯: もしかしたらあおいは、公由の家系に連なっていたのかもしれないね。その辺りはどう? 一穂(神御衣): ……。そんなの……。 灯: うん? 一穂(神御衣): そんなにも都合のいい「世界」が、本当にあると思うんですか……? 灯: ふむ……ない、と言えるのは様々な可能性の「カケラ」を見てきた神様の特権だね。どんな世界があるのかな? 一穂(神御衣): ……そうですね。今もまだ私たちを鑑賞し、嘲り笑うあの神が……。 一穂(神御衣): 『オヤシロさま』に惨めにも敗北して、神としての座を失う「世界」のカケラはありますよ。 灯: ……そうか、それは朗報だ。確かに、それを知ることができるのはステキだね。私たちで煮え湯を飲ませてやれないのは業腹だが。 一穂(神御衣): 私も、悔しいです。 一穂(神御衣): 過去から未来、未来から過去への移動は『オヤシロさま』の意思の力でなんとかできたのに……。過去から過去への横移動に、介入を止められなかった。 一穂(神御衣): ただ、その介入の痕跡から向こうの力を一部こちら側に取り込んでやりましたが。 灯: やはり、敵は強大と言うことか。それに準じる力を持つ我が神もなかなかだけどね。 灯: それと比べれば、私という「御子」など吹けば飛ぶような存在だが。 灯: とはいえ……単なる「御子」にも、御子だけの特権がある! 一穂(神御衣): えっ……? 灯: わからないかい?――「世界」の可能性を知らないことだよ。 灯: 未知だからこそ、あることを前提に旅ができる。そして無知だからこそ、探す過程で別のものを得ることができる。……だろう? 一穂(神御衣): それは……そうかもしれません。でも、本当に探すことしかできませんよ? 灯: それでもいいよ。 一穂(神御衣): ……わかりました、許可します。でも……最後に教えてください。 一穂(神御衣): どうして、あなたは美雪ちゃんたちだけでなく#p雛見沢#sひなみざわ#rのみんなのために……そこまで命がけで頑張ってくれたんですか? 灯: なんだいなんだい?つまり私は、人助けをするような柄じゃないと……? 一穂(神御衣): そ、そうは言っていません! ただ……。 灯: んー……まぁ、荒唐無稽なトラブルの解決に海外の国家権力を持ってくるなんて、大げさというかやりすぎの感があってしかるべきだよね。 灯: でも、実はちゃんとした理由があるんだよ。ちょっと長い話になるけど……私は、さ。菜央くんくらいの年頃に「失敗」をしたんだ。 一穂(神御衣): 失敗……? 灯: 他者の諍いに首を突っ込んで、争いを収めたつもりが片方の恨みと怒りを買い……闇討ちに遭ったところを姉に庇われた。 灯: 姉さんは、頭をかち割られてね。一時期は命すら危なかったらしい。 灯: もし姉さんが年齢相応の平均的な身長だったら、出血多量で確実に死んでいたそうだ。そのあとは……当然、警察沙汰でね。 灯: 再度の襲撃を防ぐため、私は一時海外へと送られた。実行した犯人は現場を逃走して、また襲ってくるかわかったものじゃなかったからさ。 灯: その後、なんとか帰国することができたけど……ルチーアという隔絶した場所での生活を余儀なくされた。犯人に戻ったことを知らせないためにね。 灯: 中等部を卒業する頃……ようやく犯人が捕まった。ただ、長い監禁同然の生活のせいで私の心はすっかり腐っていた……何のために自分は生きているのか、と。 灯: その失望と怠惰の果てに、私は友人を失い……さらには実に情けないことに、自分自身も犬死にした。で、その結果……こうしてあなたと巡り会ったわけだ。 一穂(神御衣): …………。 灯: もっとも最初は、友人たちを救えるかもしれないことには興味を引かれたけど……雛見沢に対しては正直に言うと、さほどの想いを感じていなかった。 灯: 悪い言い方をあえて使わせてもらえるならこの機会を利用してやろうと思っただけで、人助けなんてまるでやるつもりはなかったんだ。けど……。 灯: 見せてもらった幾つかの「世界」では、私が高等部で新しい刺激を得て……楽しく過ごしている姿があった。そこで関わってくれた「誰か」のおかげで、ね。 灯: そんな「可能性」を見せてくれた時に、思ったんだよ。私のことを求めてくれた「誰か」が大切に想っていた故郷のことを守る……それで恩返しをしたいな、ってさ。 一穂(神御衣): その「誰か」って、まさか……? 灯: ご想像にお任せするよ。まぁ神であるあなたの力をもってすれば、簡単に突き止められるだろうけどね? 一穂(神御衣): …………。 灯: 誰かのために動きたい、考えたいって願う理由はその人それぞれだと思う。だから私は、あなたがどんな基準で「御子」に選んだのかは、興味がない。 灯: ただ、ずいぶんとお節介だとは思ったけどね?そもそも、全ての真実を知った後に目を閉じて耳を塞ぎ、口を噤む選択肢もあったはずなんだから。 一穂(神御衣): あ、それはないです……。 灯: お、おぉ? だ、断言したね? 一穂(神御衣): だって、美雪ちゃんや菜央ちゃんを見捨てるような選択肢は……ありませんから。 一穂(神御衣): 2人だけじゃない。他のみんなも……だから私も、その選択肢は最初から選べませんでした。 灯: うん、そうか。確かに好きな人たちとお揃いは嬉しいからね! 一穂(神御衣): はい……だから、これを。あなたに預けようと思います。 灯: 笛……? 一穂(神御衣): お兄ちゃんから、もらったものです。お揃いじゃないですけど、あなたに持ってて欲しくて。 一穂(神御衣): あなたが困難に直面……あるいは、最高の『カケラ世界』を見つけた時。 一穂(神御衣): ……どうか、これで私を呼んでください。 一穂(神御衣): 私は生涯、お兄ちゃんからもらったこの笛を吹くことはありませんでした。 一穂(神御衣): 笛を吹いても、助けてくれる人がいなかったから。 一穂(神御衣): 笛も吹かず、声もあげず……そんな私を見つけてくれた人に会えたのは、幸せだったと思います。 一穂(神御衣): でも、少しだけ思うんです。もしも誰かに助けを求めていたら? って。 灯: ……そんな未来が、欲しかった? 一穂(神御衣): いえ、いらないです。だってそこには、美雪ちゃんと菜央ちゃんがいないから。 一穂(神御衣): ……でも。あったかもしれないと思うだけは自由ですよね? 灯: あぁ、その通りだ。 一穂(神御衣): だから……呼んでください。どんな地獄のような「世界」でも、助けに行きます。 灯: ありがとう。いただいていこう。 灯: だが、ひとつ訂正を求めるよ。 灯: 誰も助けてくれなかったと言うのは、語弊があるのでは……? 一穂(神御衣): ……そうですね。 一穂(神御衣): 数多の可能性の中から先に進む力を組み合わせ、構築し……この奇跡のような今に至るまで……いえ。 一穂(神御衣): 今もなお、私たちを観測してる人。 一穂(神御衣): 元より私たちに力を貸してる自覚はなかったでしょうし。 一穂(神御衣): 今ここがその人が望む「世界」だったのかは、わかりませんが……。 灯: ……とりあえずの年長者として忠告するが、感謝しているならお礼くらいは言ったほうがいいよ。 灯: では、行ってきます! 一穂(神御衣): ……いってらっしゃい。 一穂(神御衣): …………。 一穂(神御衣): えっと……ふぅ。すぅ、はぁ……。あ、あの……見てますよね。 一穂(神御衣): 私が今、こうして向き合っているあなたにここで……お礼を言わせてください。 一穂(神御衣): あなたが手に入れた可能性を紡ぎ、組み合わせ、先を阻む惨劇を打ち倒し続けたおかげで……私たちは、前に進める可能性を選び続けられたんです。 一穂(神御衣): 美雪ちゃんは、最悪の選択肢を選び続けてたと本気で思ってたみたいだけど……。 一穂(神御衣): 遠回りに見えて……この道筋が、最短だったんです。 一穂(神御衣): あなたという第三者が私たちを見て、触れて……知ってくれたから。 一穂(神御衣): 曖昧だった私たちの存在は固定されて、幸せと呼べるところまで辿り着くことができました。 一穂(神御衣): ありがとう……この奇跡の場所まで、一緒に来てくれて。 一穂(神御衣): 草舟のように揺られ続けた旅でしたが……なんとかこの結末を迎えることができたのは、あなたのおかげです。 一穂(神御衣): ……ありがとうございます。 一穂(神御衣): あなたは、どんな人ですか?自分が望んでた、奇跡のカケラに辿り着けた人ですか? 一穂(神御衣): ……きっと、そんな人はそうそういないでしょうね。 一穂(神御衣): 簡単に辿り着けないからこそ、「奇跡」という言葉が使われて……喜びもまたひとしおに感じられるのだから。 一穂(神御衣): …………。 一穂(神御衣): 私の旅は、ここまでです。 一穂(神御衣): でも、雛見沢のみんなや美雪ちゃんと菜央ちゃん……私の「御子」の旅は、まだまだ続きます。 一穂(神御衣): あなたの旅は、どうですか?今もまだ続いてますか? 一穂(神御衣): きっと生きてる限り、旅の途中ですよね。 一穂(神御衣): だから私は、ここで祈ってます。 一穂(神御衣): あなたが旅の果てに、奇跡の「カケラ」を手にする日を――。