こんにちは。
澤野大樹氏青森講演会
主催 小野裕美子です。
 
「弘前」は今、春爛漫。
長い冬を終え、
春の訪れを告げる桜に彩られた街「弘前」。
 
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近所の桜です(弘前公園の桜ではありません)本人撮影
 
私の住む青森県弘前市の弘前城では
先日、桜が満開となりました。
さて、
ここで「弘前」(ひろさき)という街の
言霊の意味を解いていきましょう。
今回は、①~③三部構成でお届けいたします。
 
ここからは澤野大樹氏に登場していただきます。
まず、
「弘前」の言霊の秘密です。
 

「弘前」という地名には秘密が隠されています。

まず弘前の「弘」の字をよく見ることです。

 

「弘」は一般的には「ひろめる」、

「ひろく遠くまで行き渡らせる」

という意味です。

 

「弘」の左側には弓偏がありますね。

「弓」はよく見ると

数字の「3」に見えてきませんか?

 

そして「弘」の右側の「ム」は

数字の「6」を意味します。

つまり「弘」という文字ひとつで「3つの6」、

つまり「666」という意味となるのです。

 

ということは「弘」という文字ひとつだけで、

「666をひろく遠くまで行き渡らせる」

という意味があることがわかります。

 

ふぅ、
「弘」たった一文字だけでこの意味ですからね。
じゃあ続いて弘前の「前」(さき)はどうでしょうか?
 

「弘前」の「前」には、

突端、先っぽ、果て、

「極み」という意味があります。

ではそれは

何の突端であり、先っぽであり、

果てであり、極みであるのか?

 

ここで直前の「弘」と組み合わせると、

意味が浮き彫りになってくるのです。

 

「弘」と「前」を併せて意味を紐解きますと、

「世界に先駆けて

666をひろく遠くまで行き渡らせる」

という意味になることがわかると思います。

 

つまり「弘前」という場所は、

「666が最初に姿を現わす場所であり、

さらにそれがきっかけとなり、

世界にひろく拡散されていく最初の地」

という意味です。

 

「弘前」とは、

666の極みであり、

突端であり、

嚆矢(こうし=一番はじめ)、

つまり「インセプション」だということです。

 

そして、

「666」は「かがみ」

=「鏡」(ミラー)ですから、

多次元世界に存在していた

想念やロゴスといった

非物質的概念を三次元物質世界に、

目に見える形で投影させ具現化させるための

次元変換装置としての役割があります。

 

この「鏡」による

次元変換の機序やあらましのことを

「弘」という文字は

たった一文字で表現しています。

 

かつて東北を中心としたこの列島の全域には

「日高見国」(ひたかみこく)という

縄文の楽園がありました。

 

今では冬はかなり寒い東北地方ですが、

かつては一年中温暖で

風光明媚で豊かな清流に恵まれ、

さらに戦争もなく、人々は

素朴に楽しく暮らしていました。

 

それはまさに

地上の楽園であり理想郷だった。

それはさながら「エデンの園」であった。

「エデンの園」とは

縄文時代の青森のことを指しており、

不思議なことに

青森はりんごの名産地となっています。

 

こうした一致は偶然ではなく、

きちんと意味があるわけです。

 

旧約聖書においては

「りんご」は「智慧の実」と呼ばれ、

また「禁断の果実」とも呼ばれています。
神の真理、そして叡智のこと。

 

ここでの「神」とは

バビロン系南ユダキリスト教によって、

悪を独立させた先に出現させられた

偶像崇拝の対象としての

「現人神」(キリスト)のことではありません。

 

姿も形もない、

言葉として口にすることすら憚れる

「YHWH」(ヤハウェ)という

創造主の「概念」のことです。

 

旧約聖書の禁断の実、りんご。

りんごは禁断とされてきた叡智の比喩。

つまり、

バビロン系南ユダキリスト教が

もっとも忌避し同時に畏れ

隠蔽の対象としたものが

そんなヤハウェだったのでしょう。

 

アップルコンピュータの

ロゴマークのりんごは

何者かにかじられていますね。

 

そしてアップルコンピュータが

1976年4月11日に発売した初号機

「Apple I(アップル ワン)」が、なぜ

「666ドル66セント」という価格で発売されたのか。

その本当の意味がわかってくるのです。

 

これはいわゆる「陰謀論」を

自らの意志で

乗り越えることができないと

決して見えない境地です。

 

するとここで

脳天をかち割られるような衝撃を

私たち(とりあえず私)は

受容しなければならなくなります。

 

バビロン系南ユダ2部族(ユダ族、ベニヤミン族)は

モレクをきっかけとして

それまでヤハウェとして

「ひとつ」だったものから、

「悪」を独立させ、

二元論の対立構造と

ビジネスを生み出しました。

 

それまで

完全無欠で来た古代ヘブライ12部族が、

ヤハウェによって、

北イスラエル王国10部族と、

南ユダ王国2部族に

分裂させられ離散させられた

霊的な淵源がここにあります。

 

その後、
世界はこのバビロン系南ユダによる

「弥生」によって

世界を席巻していくことになり、

それは現在でも
そのまま変わることなく継続していますね。

 

彼らは

「ひとつ」から「悪」を独立させ、

私たちを「ひとり」としました。

 

「ひとり」とされてしまった私たちは

ヤハウェとの回線を切断されましたらから、

恐怖と欠乏を覚え、

寂しさに打ちひしがれることとなりました。

 

これが現代社会が抱える

「宿痾」(しゅくあ)の原点でしょう。

 

私たちは「ひとり」という障壁に封印され、

隣の他者を敵と規定され、

いがみ合い、憎しみ合うことを奨励され、

競わされてきたわけです。

 

つまり、

「ひとつ」から分離され

「ひとり」とされた私たち、

多次元宇宙の「ひとつ」を

記憶から消された私たち、

本当は「ひとつ」なのに、

それを引き裂かれ、

「ひとり」を強制させられ

信じ込まされた私たち、

 

このような存在を象徴するものが、

旧約聖書では「りんご」として

表されていたことがわかります。

 

 

その「ひとり」の象徴である
禁断の実「りんご」を

蛇に「そそのかされた」という

イブが「かじった」りんごは

「智慧の実」です。

禁断の実、智慧の実であるりんごを

イブが食べた。🍎

でもじつは蛇に「そそのかされた」なんて、

とんでもない。

 

さらに衝撃が体を駆け巡りますよ。
 

「りんご」とは表面を皮で覆われた

「閉ざされた世界」を意味します。

つまり、

「りんご」はまさに

「ひとり」を象徴しています。

これはじつは「人」そのもののことです。

 

その「ひとり」の象徴である

りんごがかじられたということは、

「ひとり」という、

バビロン系サタニストによって閉ざされた障壁、

つまり封印のための

「結界」に穴が開けられたということです。

 

つまり、

「もとのひとつに戻るのです」

という蛇(666)、

つまりヤハウェからの

強烈なメッセージだったのです。

 

この

「りんごがかじられる」というメッセージは、

オリオン座のベテルギウスが減光し、

中に封印されていた

「三ツ星」(ミシャクジ=蛇)が

解放されること、

 

また、

平将門を封印してきた

山手線の結界が、

「高輪ゲートウェイ」駅新設によって

解放されたことと同じです。

 

『旧約聖書』、創世記に記された

この「りんご」のエピソードは、

遠い過去のことではなく、

これから起こる未来の青写真であり、

そのあらましと機序が

象徴的に描かれたものだったのです。

 

しかもその舞台は、この日本の、

そしてさらに青森であり、

弘前だったということです。

 

全人類の「ひとり」からの解放が

これから起こるのです。

「ひとり」から解放されると人類は

「ふたり」になるのではありません。

「ひとつ」に戻るのです。

もとの「ひとつ」に戻るのです。

 

分裂前の本来の

純粋な古代ヘブライの思想というものは、

「善」と「悪」の対立などという

「悪を独立させた」二元論の

対立構造などではなく、

私たちの中に

善的な要素、

悪的な要素すべてが含有されていて、

織り成されてきた。

 

その中で、人々はその

「人間(じんかん)万事塞翁が馬」ともいえる

ヤハウェの壮大さに

謙虚に内省する姿勢を持っていた。

 

それを破壊し、

「新しい神」を創造し、

「悪」を独立させ、

それに対抗するためにと

「偶像」を拝まされてきた。

 

私たちが私たちの外の

何者かを拝んだ瞬間に、

私たちは己に対して、

「私はひとつではないし、そして宇宙でもない」と、

呪いをかけ続けるということになるのです。

 

私たちが

「あの悪と戦おう」

「巨悪を滅ぼせ」と思った瞬間に、

私たちは「ひとつ」から遠ざかり、

ただひたすら虚構の幻影である

「悪」と対峙させられるという

無為で徒労の生涯を受容することとなる。

 

その「悪」とやらは、

一体誰から聞かされたものですか?

 

「悪」を「ひとつ」から分離し

「ふたつ」とし

「ひとり」が生み出されました。

 

「ひとり」は独りぼっちですから

隣の人は敵であり、

またある時は、

かりそめの「団結」をして

「巨悪」と戦うべきだと、

遮断されたまま「ひとつ」を偽装し始めます。

 

それに逆らう者は

滅びるべき者であると、

その偶像はやさしい笑顔で手を差し伸べます。

すると、

誰もがそれに藁をも掴む思いで

その手にしがみつきます。

 

人々はそれまでの「ひとつ」を捨て、

「不完全」「私とあなたは違う」
「宇宙と私は別」

「神と私は別」と

考えるようになりました。

この瞬間に、
「私以外のあらゆるものは敵である」

と思い込むようになったのです。
これが

「戦争」の原点、淵源ですよね。

 

戦争の原点、淵源というものは、
じつは「ひとつ」を捨て悪を独立させ
「二つ」になったことが原因です。

 

それまでの「ひとつ」こそが

じつは「平和」であり、
「ひとつ」を捨てた先に訪れたものというのが
「ふたつ」であり、

それが争い敵対を生み出した。

 

縄文時代は

「あなたは私」だった。
つまり、私とあなた、

私と世界の区別はなかったということです。

 

すべては「ひとつ」、
いやもしかしたら
「ひとつ」という感覚も

無かったのではないかと思います。

 

これが「平和」というものの本質でしょう。

 

ということは、

「平和」の対義語は「戦争」ではなく、
「ひとり」であったのだと気づきます。

 

「平和」の対義語とは、
じつは「ひとり」がもたらした
「ふたつ」だったのだとわかります。

(澤野大樹)

 


今までこの

「弘前」「りんご」に纏わる言霊の意味を

解いた人は誰もいなかったわけです。

初めて澤野さんによって謎が解かれました。

 

りんごが「ひとり」という封印で、

旧約聖書の

蛇がそそのかしてイヴに食べさせた

禁断の実の「りんご」とは、

蛇が「その封印を解け」、

「かじって穴を開けろ!」とイヴに

宇宙の叡智を与えていたということ。

そして

山手線という「りんご」が

高輪ゲートウェイ駅に穴をあけられて

平将門封印が解除されたことも、

オリオン座という「りんご」の

ペテルギウスが欠け、
中に封印されていた蛇が

開放されたということも、

アップルコンピューターの

かじられた「りんご」のロゴの意味も

総ては

「平和」の対義語とは、
「ひとり」がもたらした「ふたつ」だった、

「戦争」ではなく「ひとり」なのだ、

という真理に気づくこと。

つまり、

「りんご」=禁断とされてきた「叡智」=「智慧の実」

これは、

“天岩戸開き”の本当の意味に直結しており

世界同時多発アラハバキ」に

繋がっている、

ということなのではないでしょうか。

 

今回初めて明かされた、

「弘前」の言霊の秘密と「りんご」の本質、

それから
弘前講演会第1回(2019年7月開催)で

口頭でお話されたこと、

第1回活字版原稿と重ねながら

まとめさせていただきましたが、

この内容はかなりショッキングだったと思います。

 

一先ず、

椅子から転げ落ちた心を

クールダウンさせるためには、

Hans Zimmerの『Time』がオススメだと

澤野さんが言ってましたので、
しかも出来るだけ大きな音(爆音推奨)で

どうぞとのこと。

 

 
弘前が最初(インセプション)の
地であることと、
映画『INCEPTION』の音楽の
Hans Zimmer『Time』が掛かってることに
お気づきになりましたでしょうか。
 

深い。実に奥の深い話です。

他ではとうてい聞けない話を

シェアさせていだきましたが、
あまりにも壮大過ぎて、
この続き、
「桜」に関する秘められた言霊を
次回にご紹介いたします。
 
ちなみに、
弘前市は日本で最初に
「市」に指定された都市だそうです。
 
 
澤野大樹氏青森講演会主催
小野裕美子