好きを怠けちゃいけない。
こどもがいるからやりたいことをやれないと言う人を見ると、こどもを育てることはやりたいことではなかったのかなと思う。こどもを作りたいからこどもを作ったのではなく、年齢がとか、親がとか、そういうものだからという感じでこどもを作ったら、こどもの側も「自分は望まれて生まれたこどもじゃないんだな。自分は邪魔なんだな」と思う気がする。自分は邪魔なんだなと思ったこどもたちは、自分が幸せになることよりも、自分を殺してでも家族や周囲を幸せにしようとする。
楽しく生きている人は、こどもがいるからとか、仕事が忙しいからとか、そういう言い訳をしないで、自分の好きなことをやっている人だと思う。だから、彼らの会話には愚痴が少ない。基本的には、好きなことや楽しかったことが話題になる。寂しい人や、不安な人は、楽しむことよりも安心を求める。だから、一緒にいる人も「安心させてあげなくちゃ」となり、一時的なら問題ないのだけれど、会う度に「安心させてあげなくちゃ」と思うことはやっぱり面倒で、そんな面倒を経なくても最初から楽しい人と一緒にいるようになる。
高校時代の同級生から、グループラインで同窓会の連絡が来た。そこには「目指せ百人」と書かれてあり、まだ、数字を大事にしている人がいたのかと新鮮な驚きを感じた。稼いだ額とか、いいねの数とか、おとなは数字が好きだよなと思った。数字ばかりを見ていると、目の前の人をしっかり見ることができなくなる。俺は百分の一になるのはごめんだと思ったが、斜に構えるよりも「無職で独身だけど行きます!」と言ってあげた方が、他の人も参加しやすくなるかなと思った。だが、何かを「してあげた」というそのしてあげた感が自分でも不潔に思えて、何かをしてあげなくてもはじめから楽しい人と一緒にいたいなと思った。
一緒にいて楽しい人には、そういうもんだから、が、ない。自分の意見があって、自分の楽しさがあって、自分のこだわりがあって、自分の生き方がある。だから、自分の生き方を「そういうもんだから」みたいな、あやふやなもので決めない。自分を持っている人は、みんなとか言わない。みんなこうしているからとか、みんなにどう思われるかなとかが、ない。あったとしても、薄い。みんなのことよりも、目の前のことを大事にする。楽しそうなことや、自分を喜ばせてくれそうなものを、外側から見ているだけではなく、自分で扉を開けている。一緒にいて楽しい人は、楽しむことを怠けていない。自分の好きを怠けていない。
こどもがいるからとか、仕事が忙しいからとか、そういう言い訳をして、好きなことを怠けちゃいけないのだと思う。そうじゃないと、生活が搾取されて、暮らしが空洞化する。食事も作業、移動も作業、生きること全般が作業になり、やる気も何も起こらなくなる。自分がますます部品化されて、全体感、生命感の喪失が激しくなる。かつては、生きることが生きがいになった。生きることとアーシングすることは同じだった。生活がスポイルされると、虚無や孤独、無気力や無関心、自信のなさや生きがいの欠如は、ますます深刻になる。くだらない雑事はさっさと済ませて、楽しいことを探す。言い訳しないで、楽しく生きる。我慢して一緒にいるのは友達じゃない。自分が好きなものを一緒に好きになる人が、友達だと思う。
おおまかな予定
2月10日(月)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
いいなと思ったら応援しよう!

コメント