当家が配布していたカレンダーが出品されていたようです。
1904年(明治37年)のもので、東京府、大曲(大仙市)、秋田市茶町(大町2丁目)となっています。
秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
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秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
@fujiiyakuho
ここは秋田の美郷町ですか?
秋山高志
茨城県史の研究(1980年)の195 ページより
藤井玄信(名・忠貞)
岩根村(現在の茨城県水戸市)
原南陽(はらなんよう)の門人
twpf.jp/fujiiyakuhoJoined September 2021
秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解’s posts
戦後の資料によると、
龍角散は、藤井正亭治が九州・長崎に留学し、蘭学を修め、従来の秘薬を改良し、一般薬としての龍角散を創製したと伝えられ、売薬として売り広めるため、薬店を開いたとされます。
↑↑↑
こんな説もあり。
龍角散の関係者を騙り、無許可でお寺や役所・役場と交渉している人がいます。
特殊詐欺等の犯罪に発展する可能性がありますので、この手の電話やメールがあった場合は、すぐに警察に相談してください。
電話を留守番設定にし、相手に「録音している趣旨を知らせること」も被害防止に効果があります。
以前、俳優の香川照之さんを起用した藤井龍庵(りゅうあん)という龍角散のCMがありましたが、あれは正亭治をモデルとしたCM上の設定(龍角散と甘草)です。
正亭治とは1825年生まれで、現在の秋田県大仙市大曲に屋敷を構えていた人なので、色々と話が合わなくなります。
龍角散に関して、当家のエピソードとは異なる話を吹聴し、広めてしまったグループがいるようです。
当家は六郷出身の町医者ではありません。
藩にあがっていく御殿医、または下級武士とも、武士待遇だったとも言われています。
人の家の話ですので、強引な説を広めるのはお止めください!
龍角散はかつて、江戸時代の久保田(秋田市)に店があり、場所は茶町(大町)と言われています。
その後、明治中期になりますと、資料上は保戸野(ほどの)にも営業所があったようです。
昭和の時代に入ると、戦後に楢山(ならやま)に営業所が存在しました。
お借りします。当時はこのデパートの向かいに、龍角散の本家の店がありました。
古くは、このデパートがあった辺りに、当一族の薬店が存在しました。
それが大正から昭和にかけての時代だったと言われています。
佐竹氏による国替えとは、全ての部隊が出羽に来たわけではないようで、常陸国に残った家もあるようです。
龍角散の藤井家は、国替えのあとに出羽(秋田県)に来たとされ、古くは秋田市に墓があったとも、ないとも言われております。
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失礼します。龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。
情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。
これにつきまして確認しました。秋田市茶町(大町)側からみますと、当家の甥にあたる人の子孫が千畑町(千屋)に嫁いだのだと思われます。
つまり、龍角散は龍角散でも、大仙市の大曲の本家の関係者ではないでしょうか。
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秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
@fujiiyakuho
定期:ラベンダー園があります美郷町千屋(旧千畑町)の辺りには、藤井家の親戚が住んでいたようです。
SNS上では、ラベンダー園と龍角散が何か関係あるんですか?という疑問があるようなので、公式見解をツイートさせて頂きました。
#龍角散 #あきたみさと #美郷町ラベンダー園 #千屋
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定期:久しぶりに秋田市。
江戸時代から明治にかけて、龍角散の本店があったのは現在の秋田市(久保田町)。明治維新を経て、正亭治が東京府と大曲村へ支店を開いた。
その後、別の親族が大町(茶町)で店を開く。
他には保戸野(ほどの)、亀乃丁、楢山(ならやま)などに営業所がありました。
ここなんですね。
現代ではマスコミ報道、広告代理店のやることだからと鵜呑みにしてはいけないのは。
「そこ」こそが不正の温床である可能性があり、この元マーケティング部長のように逮捕されるようなことが出てくる訳ですね。
こわい世の中になりましたね!
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秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
@fujiiyakuho
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詐欺容疑で逮捕されたのは、当時の龍角散のマーケティング部長である武藤毅容疑者。
とある広告代理店が不正に関わった一件でした。
不正はいけませんねぇ。
christiantoday.co.jp/articles/19321
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ここは江戸時代、六郷(美郷町)地区でカンゾウ(甘草)を育てていたとされる湯川清四郎の子孫とされる家ですね。
この湯川清四郎から買った甘草を苗を、今の秋田市で増やしたのが史実となります。
湯川がなぜ甘草を育てていたかは不明のようです。
所謂、テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。
秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そしてもう1つの市町村※に伝わる説と合わなくなっています。
コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
明治初期に秋田市の本店(のち支店に降格)を担当していたのは、正亭治の息子の内の1人だと言われています。
得三郎は3男のため、本来の跡継ぎではなかったわけですね。
明治中期、若しくは後期に秋田市保戸野、または大町(茶町菊乃丁)の店を担当していたのは正亭治の兄貴系統となります。
龍角散の原型となる薬があったのは現在の水戸です。それを藤井一族が習いにいったのが佐竹藩としての龍角散の処方の始まりです。
情報の出所をご確認ください。よろしくお願い致します。
秋田県の年表などともさらに話が合わなくなります。
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山本祐嗣@漢方相談のミズホ薬店(大阪)
@mizuho_kampo
龍角散は江戸時代初期ごろに秋田県で開発された漢方薬です。途中に配合生薬の見直しがあり、現在の処方構成に至ります。
龍角散は杏仁・桔梗・甘草・セネガで配合されており役割は以下になっています。
■龍角散
杏仁(甘草)→せきどめ
桔梗・甘草→のどの抗炎症&痰切り&うるおい補充→桔梗湯
Show more話題を変えます。
藤井家は、代々秋田藩佐竹公の御用医として江戸についていき、佐竹公の江戸下屋敷に出入りしていたと言われていました(住まいは今の台東区とも、千代田区説もあり)。
藤井康男前社長は、昭和後期の資料に「江戸に出てきてから、約200年」という表現を使っています。
久々のスペシャルヒントを書いてあげましょう!
皆さん、何でバレたか?
似てませんか?
えっ、何が?って?
顔が、、、。
これは隆太社長の祖父の出自に、、、。
これがどういう意味だか分かりますか?
#龍角散
#小林製薬
#小林ヒストリー
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秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
@fujiiyakuho
龍角散の現隆太社長が縁者である小林製薬へ修業に行った時は、身分を隠して大阪へ。
当時の康男社長と副社長だけが知っていたそうですが、先方には直ぐにバレていたそうです。
この出来事を、息子には(家業を)継がせるつもりはないと言いつつ、本当は「実験だった」と康男氏は表現している。
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再掲載:テセウスの船をやってしまったのは、秋田県の美郷町と仙北市だと言われております。なので、疑問点等はそちらへ問い合わせください。
秋田市と大仙市、東京台東区と千代田区、そして茨城県水戸市に伝わる説と合わなくなっています。
コミュニティで拡散したのは、拡散した人の責任です。
予想通りの展開ですが、やはり龍角散関係のエピソードが全く違うものとして流布されてしまっているようです。
その原因としてあげられるのが2013年のフェイクニュースですが、この手の誤報を拡散すると法的措置を取ることも可能なので、お止めくださいね。
#特殊詐欺グループ
このアカウントの管理をまかされているスタッフによるリサーチチームが、佐竹義堯公を調査対象にしてみますね!
何か面白いことが分かればツイートしていきます。
良い情報がありましたら、DMお願い致します。よろしくお願い致します!
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秋田市にあった藤井薬舗。本来の龍角散のルーツは水戸(幕府の医者の処方)が正解
@fujiiyakuho
Replying to @fujiiyakuho
佐竹義堯は相馬家の子、新田(岩崎)藩の養子となり、1857年に久保田(秋田藩)の末期養子となる。
正亭治が遊学するためには、藩の学校で二ヶ年学ぶ必要があり、藩から選抜され、1850年3月26日に長崎の蘭学塾へ入門。
この時の久保田藩主は佐竹義睦となっています。
burari2161.fc2web.com/satakeyositaka
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>龍角散の創始者は「藤井玄淵」だが、「玄淵」が襲名する名前だと聞いた。代々の「玄淵」は何人くらいいたのか。
ここもですね。六郷町史があって、大曲市史が図書館のワード検索に出てこない。