二百七十一話 懐かしい顔
衝撃の事実に思考が止まってしまっていたけれど、少しして事実を受け入れられた。
「結婚、おめでとう。それと、赤ちゃんも」
「あははっ、ありがとねー。でも、生まれてないから、赤ん坊の方は気が早いんじゃないかなー」
コケットは笑顔で言うと、通りかかった従業員にひと声かけてから、俺たちと同じ卓に座る。
無遠慮な仕草を見て、イアナは興味津々な目で、俺に説明を求めてきた。
「彼女はコケット。テッドリィさんと別れてから、組合に組まされた仲間の一人だよ。ちょっとした事情があって、すぐに解散しちゃったけど」
「護衛の最中に見捨てられたことを『ちょっとした』なんてー、相変わらずバルティニーの考え方は大物だよねー」
余計なことを言うなと視線で制してから、いまの仲間を紹介する。
「仲間のイアナ、チャッコだ」
「手慣れてなさそうな女性と、大きな犬――じゃなくて、狼かなー。食堂で働いていて色々と冒険者たちを見てきたけど、その中でも少し変わった編成だねー」
「もう一人、テッドリィさんっていう熟練の冒険者が仲間にいるが、いまは別行動中だ」
「へぇー。まあ、取り合わせとしちゃ、まあまあって感じになるねー」
コケットは言い終わり際に、ニヤリと微笑んできた。
「別行動中ってことは、そのテッドリィって人とバルティニーは、痴話喧嘩でもしたのー?」
不意の質問に、俺は眉を寄せる。
「喧嘩なんてしてない。テッドリィさんが顔なじみに挨拶回りに行っているだけだ」
「ふーん。喧嘩の部分だけを否定するってことは、その人とイイ仲なんだー?」
女性ならではの勘で俺とテッドリィさんの関係に気付いたらしく、コケットは興味深そうな顔を向けてくる。
「それでそれで、二人は結婚したりしないのー? 子供を作る予定とかぁー?」
「今のところはないな。避妊の薬を飲んでから、やっているし」
「体を許し合う関係ならさー、バルティニーも有名人なんだしぃー、どこかに腰を落ち着かせたらどうよー?」
「有名って、俺がか?」
訝しく思って聞くと、小首を傾げ返された。
「あたしぃはさぁ、バルティニーがオーガに勝って『鉈斬り』って二つ名を貰ったことを知っているんだよぉー。そんで、『鉈斬り』には他に『浮き島釣り』とか『死体砕き』とか『崖跳び』とかいう二つ名もあるってこともねー」
「……ちょっと待て、知らない二つ名が増えているんだが?」
「ああー。『死体砕き』と『崖跳び』は最近のもんだしぃ、遠くの土地から流れてきた二つ名だったっけー」
コケットが、心当たりはあるのだろう言いたげに見返してくる。
正直言えばあった。
アリアル領とマインラ領でした活動内容に合致する。
俺に心当たりがあることを見抜いたのだろう、コケットがさらに笑顔を強める。
「冒険者組合の人が愚痴っていたよぉー。これほどの逸材だと気付いていれば、他の土地に逃がさないよう囲ったのにってねー」
「他の土地に行けたからこそ、実力が伸びたんだぞ」
「そっだろうねー。別れた日に比べて、ぐっと男っぷりが増してるしぃー」
「背が伸びたからな。大人の男性っぽくはなっただろ」
「そっちじゃなく。ティメニがいまのバルティニーを見たら、すり寄ってきそうって方向だしぃー」
いまいち意味が分からないが、強そうに見えているという感じに受け止めることにする。
そして懐かしい名前に、ちょっと興味が引かれた。
「そういえばティメニ、それにオレイショは、いまどうしているんだ?」
「ティメニは成長してより美人になって、実力のある冒険者に囲われて、どこかに行っちゃったしぃー。あの子のことだから、元気にやってんじゃないー?」
予想できた事実に、俺は苦笑する。
「それでオレイショは?」
「あいつは、この町を拠点に活動してるー」
「俺のときみたいに、危険なことに首を突っ込んだりしていないか?」
「あのバカ、バルティニーに負けてから、慎重な方向に性格変わってさー。謙虚に実力伸ばしてぇ、いまじゃ教育係とか任されてるしぃー」
「組合に信用されているなんて、あのときのオレイショからは想像がつかないな」
「この店で打ち上げとかやってくれるんだけどさぁー、オレイショが気前よく全員分の代金払うんだけどぉー。未だに、見間違いかと疑っちゃうしぃー」
そんな会話をしていると、店の中に十人ほどの冒険者たちが入ってきた。
戦闘を歩くのは、要所だけに金属製の鎧をつけ、盾と長太い剣を持つ大柄の冒険者。
歴戦の勇士のような雰囲気を撒く彼の後ろには、薄い皮鎧と数打ち品の武器を持つ駆け出しっぽい冒険者たちが続いている。
先頭を歩く冒険者は強そうだが、チャッコは一目見て興味を失っているため、大した実力者というわけでもなさそうだ。
俺が観察していると、コケットがその冒険者たちを指した。
「ちょうどオレイショが来たしぃー。前より人が増えているから、腹を空かせた子や、道中で助けた子でも連れてきたんだろうなぁー。お人よしになっちゃってねぇー」
コケットの、こちらに同意を求めるような言葉に、俺は肩をすくめる。
「オレイショ自身はともかく、彼の周りの人にとったら、良い成長だろ」
「まあねぇー。あのバカがいると、うちの店の売り上げが増えるから歓迎だしぃー」
声を潜めもせずに会話をしていると、オレイショの連れの一人がこちらを指さして睨んできた。
「おい、そこの二人。いま、兄貴を馬鹿にしてたろ!」
断定する言葉に、そのほかの連中も、こちらを見てくる。
人数が多いので威圧感が多少あるものの、俺にとったら、生まれて間もない子犬たちが唸っている程度。
怖いという感情よりも、微笑ましいようにしか映らない。
戦いの気配に、チャッコも顔を上げるが、怪我しないように軽く相手してやろうといった雰囲気が漏れていた。
そんな俺たちを見たイアナは、肩をすくめて食事を再開させる。
こちらが余裕の態度を崩さないからか、オレイショの連れたちは段々と怒り始めた。
「なんとかいったら――」
こちらに一歩踏み出して文句を言おうとした一人が、鈍い音の後で、頭を押さえて蹲る。
「――な、なんで殴るんっすか、兄貴!」
涙目の彼の頭に、オレイショがもう一度、拳を振り下ろした。
「人に喧嘩を吹っかけるなと、何度言ったらわかるんだ。それにこの店は行きつけなんだ。下手なまねして出禁になったら困るんだと、前にも言っただろ」
「で、でもよ。あの人ら、兄貴をバカにしてたんっすよ。許せねえじゃねえですか」
「勝手に言わせておけばいい。悪評は行動で払拭し、襲撃なら実力で排除するのが、冒険者の道ってもんだろうが」
オレイショらしくないと感じる言葉に、俺は驚く。
しかし、コケットは『またやっているよ』って顔をしているので、これが『いまのオレイショ』の通常の言動なんだろう。
彼の成長ぶりに感心している間に、オレイショは連れ立ちを黙らせて、こちらに軽く頭を下げてきた。
「悪かったな、そこの人。どうせコケットがオレの悪口を言っていて、巻き込んでしまったんだろう?」
口が悪いのは変わってないなと俺が少し安心している横で、コケットが頬を膨らませていた。
「このバカ、妊婦に責任押し付けようとするなんて、サイテーだしぃー」
「うぐっ。そ、そういうつもりで言ったんではない。オレは場を治めようとだな」
「……沢山注文してくれたら、許してやるしぃ」
「それならよかった。こいつらに飯を腹いっぱい食わせてやるつもりできたから、注文は多くするつもりだったしな」
オレイショは安堵すると、連れと共に空いているテーブルへと向かって行った。
その姿を見送った俺に、コケットがこっそりと耳打ちしてくる。
「バルティニーは、オレイショに正体を明かさないんだー?」
「話したいことがあるわけじゃなしな。元気な姿が見れてよかった、ってことでいいだろ」
「ふーん。オレイショの方は話したいことがあるかもしれないし、バルティニーが店から去った後で教えることにするかなー」
コケットはつまらなそうに言うと、席を立った。
「さて、店も混んできたから、あたしぃも働かないとねー。バルティニーたちはゆっくり食事してなよー」
「分かった。コケットもお腹に子供がいるんだから、気をつけなよ」
「無茶はしないってー。そんなガラじゃないって、バルティニーは知ってるっしょー?」
じゃあね、と手を振って、コケットは注文取りに去って行った。
その姿を見送ると、俺は放置する形になってしまっていたイアナに向き直る。
「悪い。つい話し込んだ」
「気持ちはわかりますから、気にしてませんよ。でも、バルティニーさん。人妻でしかも妊婦さんとの不倫は、しちゃ駄目ですからね」
「コケットとは、今も昔もそんな間柄じゃない。純粋に仲間だったってだけだ」
「その割には、あの人が働いている店での食事を選んでますよね?」
「単純に元仲間たちの現在の動向が気になったのと、この店の料理が料金の割りに美味しいからだ。その他の意味はない」
キッパリと否定すると、イアナは疑いの眼差しを消した。
「たしかに、昔の恋人って雰囲気じゃありませんでしたね。テッドリィさんに報告しないであげます」
「そりゃどうも。ほら、店も混んできたんだ。さっさと食って、次の場所に行くぞ」
俺が大口を開けて食べ始めると、イアナも負けじと料理を口に詰め込んでいく。
そんな俺たちの横で、先に食べ終えていたチャッコが、何をやっているんだかと言いたげな顔を、前足で拭いていた。
コケットの店で食事を取り終わると、俺たちは町歩きを再開させた。
「イアナは、新しい棍棒を買わないといけないんだよな。なら、鍛冶屋や武器屋が並ぶ通りに行くか」
「はい。案内、お願いします」
道を進んでいると、道具や武器を売る露店が見えてきた。
昔にオレイショたちが武器を購入したなと、懐かしく見ていく。
その中で、ある包丁や鎌などの日用品の刃物を売っている露店が気になった。
なんとなくだが、周囲で売られている他のものよりも、一段階良い品質に見えたのだ。
俺はイアナとチャッコを立ち止まらせると、露店の商品――包丁を手に取る。
鍛冶魔法で作られたと思わしき包丁は、地金作りの練り上げが丁寧に行われ、刃付けの角度も見事。
それこそ、この包丁の作者に剣でも作らせたら、一級品が出来上がるんじゃないかと思わせる逸品だ。
それに、俺はこの包丁の作り方に、既視感を抱いていた。
「すみません。この包丁、どこで入荷したか教えてもらえますか?」
露店の店主は嫌そうな顔をしてから、俺たちの格好を見て納得した表情に変わった。
「冒険者か。その包丁を作った鍛冶師に武器を作らせようと考えているならやめときな。日用品しか作らないって、頑固者だからな。武器として頼めるのは鏃ぐらいなもんさ」
その話を聞いて、ある一人の名前が浮かんだ。
「……もしかしてその鍛冶師の名前、スミプトではありませんか?」
「お、なんだ。奴さんのことを知ってたのか。その通り。その包丁はスミプトが作ったんだ」
やっぱりと頷きつつ、俺は疑問に思った。
「彼は荘園にいる鍛冶師ですよね。どうやって包丁を買い取ったんですか?」
「おや、兄さんは知らないのか。奴さんは、一年前に荘園を追い出されて、この町に越してきたんだ」
「追い出されたって、どうしてですか?!」
「さ、さあ、理由までは聞かなかったよ。兄さんは奴さんと知り合いみたいだし、家を教えてやるから直接聞いてくれよ」
居場所を教えてくれたお礼に、露店に売られていた小さめの包丁を購入してから、俺はイアナとチャッコを連れて鍛冶魔法を教えてくれたスミプト師匠の家へと向かったのだった。