「レイプにあった」30年前の避難所で起きていた性被害『支援物資で死角に』訴える声に「神戸にダーティーなイメージをつけるな」 被災地で繰り返された"悲劇" 令和にもつながる教訓とは
(神生善美さん)「体育館に行ったら、まだスペースがあった。知り合いがいたから『これだけスペースあけといて』と頼んで、一旦家のほうへ帰って、そこら辺うろうろして、夕方に戻ってきたら半畳か一畳くらいしか(スペースが)残っていなかった。それだけいっぱいになった」 神生さんが避難した鷹取中学校の付近はとりわけ被害が甚大で、ピーク時には2000人を超える人々が身を寄せていました。 スペースの確保はままならず、神生さんは学校の運動場での車中泊を約半年間にわたって余儀なくされます。 不自由で、不便で、なかなか終わりの見えない日々。ただ、神生さんは、そこで生まれた人と人とのつながりの記憶が、今も色褪せずに心に残っているといいます。 (神生善美さん)「ここに入ったおかげで地域の人との交流ができて、みんなと付き合ってワイワイさせてもらって、知らん人とも話できて、そういうことがあるから、つながりはすごく大切やなと思って。つらかった、楽しかったで言ったら、楽しいに入るんかな、僕の場合は」 当時、神生さんがカメラに収めた写真には、未曽有の災害の後でも懸命に“普通の暮らし”に務めようとする人々の姿が記録されていました。
「レイプにあったと聞いています」避難所で性被害
ですが、各地の避難所で何も問題が起きていなかった訳ではありません。取材を進めると、これまで取り上げられることの少なかった、悲痛な叫びが聞こえてきました。 当時、保健師として避難所を巡回し、被災者の健康相談に乗っていた黒瀬久美子さん(71)。 (黒瀬久美子さん)「レイプにあったっていうのを、直接彼女から聞いています。体育館の舞台裏、支援物資がいっぱい積んであるんですね。死角になるんですね。支援物資の整理を手伝ってくれないかみたいな形で。行って、その裏で」 避難所で性被害にあったという相談をたびたび受けたといいます。 (黒瀬久美子さん)「校舎のトイレに行こうと思ったら距離があるわけです。1人で行ったら見られた、触られた、ついてこられたとか、引っ張られたとか。こういう性暴力って本当に言えないだけに、言いにくいだけに、傷が深いですし、何年も何十年もかかるんですよね。抱え込んでいく」 それくらいのことで…そんな空気が当時の避難所には確かにあったといいます。