幸福よりも喜びを求める。
東京在住の女性S様から「私の心は死んでいる。私の心を蘇らせるお手伝いをして欲しい」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。女性と話している時、毎回不思議に思うことがある。同一人物なのに、十歳若く見える時もあれば、十歳老けて見える時もある。純粋無垢に笑っている時は少女みたいになり、愚痴や不満を言っている時は老婆みたいになる。私は、S様が少女になるポイントを見定めるため、注意深く、集中した。
S様は「自分の顔も性格も暗くて嫌い。ゾンビみたいだなと思いながら生きている」と言った。どんなところがゾンビなのか聞いたら「笑いたくないのに笑ってしまうところ」と言った。確かに、S様の表情には筋肉がなくせっかくの美人を自分で台無しにしている感があった。私は「睨む練習をしましょう。今から俺を思い切り睨んでください」と言った。S様は「本当に睨んでいいんですか!?鬼とか、般若とか出てくるかもしれないですよ!?」と言いながら、めちゃめちゃ泣いた。
涙を無視して「睨んでください」と言った。S様は勇気を出して私を睨んだ。私は「それは、睨んでいるのではなくすがっているだけ」と言った。S様は別の表情で睨んだ。私は「それは、睨んでいるのではなく呪っているだけ」と言った。私がS様に突っ込む度に、S様は声をあげて笑った。最後、S様は野生動物が牙を剥き出しにするイメージで私を睨んだ。私は「それだ。睨んでいる時の方が可愛い」と言った。S様は「睨んでいる時の方が可愛い!?」と、戦慄した。全女性に言えることだ。女性は、睨んでいる時の方が可愛い。
S様は安心したいと言った。私は「安心よりも喜びを求めた方が結果的に安心できると思う」と言った。安心を求めているS様は、まったく安心できていないように見えた。安心するために、仕事しなきゃ、会話しなきゃ、笑顔でいなきゃ、愛されなきゃ、ここにいてもいいと言ってもらわなきゃと、安心の呪縛にがんじがらめになっていた。私は「リンゴとか、ネギとか、丸齧りした方がいいと思う」と言った。ネギを丸齧りすると、苦さと辛さに目が覚める。私は「ゾンビにネギ」と言った。この発言は、さすがにちょっと怒られた。
銀だこ酒場で話していたが、屋内では埒が明かないと思い、夕暮れの河川敷を一緒に歩いた。いい感じに空が染まり、S様は「酒場よりも川辺の方が記憶に残りそう」と言った。私は「ここでネギを丸齧りしたらもっと記憶に残りますよ」と言った。安心よりも、幸福よりも、喜びを求めた方がいいと思う。安心も、幸福も、喜びの副産物だ。私は夕日が好きで、毎日夕日を見ていたら変人扱いされて、海辺にテントを張って暮らし始めたら狂人扱いされた。だが、それでも夕日を楽しんでいたら「夕日ってそんなに綺麗なの?」と、いろいろな人が食料を持って集まってくるようになった。みんないなくなるとか、一人ぼっちになることを恐れないこと。安心を求める方が、よっぽど一人ぼっちになる。一人でも楽しそうに生きていたら、勝手に人間も食料も集まってくる。そこに賭ける。死んだら死んだで、好きなことをやって死んだのだからすっきり。清々しいし、後悔はない。幸福よりも喜びを求める。喜びを目指そう。
坂爪さん
綱島までお越しいただきありがとうございました。
会えてよかった。
一緒に過ごせて楽しかったです。
また必ず会いましょう。
生きるんだよ。お互いに。
早速、ネギを買って帰ってかじりました。
苦くて辛くてツーンとして、自然と顔がめちゃくちゃに歪みました。こうゆうことかも?ってなんとなくわかりました。
ネギかじって、にらむ練習しながら生きてみます。
ありがとうございました。
おおまかな予定
2月9日(日)神奈川県横浜市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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