僕が次に目覚めたのは、翌朝だった。丸一日寝ていたという事でもない限りは、翌朝で間違いないはずだ。差し込んでくる日差しから推測するに、普段なら
……。
……さて、そろそろ現実と向き合わないといけない。ベル・クラネルの物語が逃走の歴史であっても、この局面から逃げ出すことは許されない。僕を抱き枕のように抱きしめながら、スース―と寝息を立てているアイズさんに向き合わないといけない。なんか、色々当たっていてすっごく柔らかいなーとか、こんなに近くで無防備な寝顔を晒しているアイズさん可愛い……、とか浮かんでくる煩悩を片っ端から消し去っていく。消し去って……。消し去……。うん、無理。無理無理無理。大好きな女の子と、こんなに密着して何ともないなんて、僕には無理。普段の僕なら、飛び起きて無様を晒す所だけど、そんなことをする余力すら、アイズさんによって奪われている。というか、Lv.6の第一級冒険者に抱き着かれているせいで、まともに身動きが取れない。ステイタスではアイズさんを超えた僕でも動けないのは、アイズさんの技!! やっぱりアイズさんは凄い!!
うん……。何とか、意識を逸らそうと頑張ってみたけれど、やっぱり無駄だった。どうしたって、密着しているアイズさんのことばかり考えてしまう。そもそも、何で僕はアイズさんの抱き枕になっているんだろう。というか、僕の意識が途切れる寸前にアイズさんが言ったこと。今思い出しても、顔が真っ赤になるのが分かる。のだけれども、あれは一体全体どんな意図があったのか、こちらも僕には見当もつかない。
幾ら考えても答えが出ないので、僕は眼前のアイズさんに見惚れることにした。長い金髪は、
「アイズさん……。可愛いなぁ」
無意識のうちにこぼれた言葉。普段なら言うことの出来ない、まごう事なき僕の本心。まぁ、アイズさんは寝てるし、大丈夫だよね。と、思った瞬間。アイズさんの耳がほんのりと赤くなった。まるで、恥ずかしがったり、照れているみたいに。
え。
「あ、あの……。アイズさん? もしかして、起きてますか……?」
恐る恐る、もし寝ていたら起こさないために囁くように声を掛けるとアイズさんは、ゆっくりと頷き、瞼を開いた。と、いうことは。
「その……。ありがとうベル。嬉しい、よ?」
ぎゃああああああ! 聞かれてた! やっぱりアイズさんに聞かれてた! 恥ずかしいなんてものじゃない! はにかみながら、まるで自分の子どもにするみたいに僕の髪を梳くアイズさんはすっごく綺麗で、また見惚れてしまったけど、そんなことに気を取られいられる状況じゃない! 矢継ぎ早に僕はアイズさんへ、質問を続けた。
「えっと、何時から起きてたんですか……?」
「ベルが起きる少し前、かな。普段なら、もっと早起きなんだけど……。今日はベルと一緒だったから、いっぱい寝ちゃったのかも?」
「じ、じゃあ、何で寝たふりを……?」
「……ベルが起きそうな気配がして、それで、私が寝てたらベルはどうするのか、気になった、から」
「な」
「嬉しかった、よ?」
そういって目を細めて微笑むアイズさんは、やっぱりどうしようもなく可愛くて、僕は恥ずかしさを堪えて、黙っているしかなかった。
◇◇◇
しばらくしてアイズさんは満足したのか、僕を抱きしめるのを辞め、立ち上がった。その頬は、昨日と同じくほんのりと染まっていた気がする。そうして、立ち上がったアイズさんに続くように、僕も身体を起こす。昨日はまともに動かなかった身体だけど、一晩寝たことでかなり回復したみたいだ。傷自体は、アミッドさんが治してくれていたから、問題なのは途轍もない疲労感だけだったのが、大分ましになっている。そのまま立ち上がるまで、アイズさんは、その場から動かずに僕のことを見ていた。心なしか、これまで僕を見ていた時の視線とは違うように感じる。というか、違う。僕が立ち上がっても、動き出さないアイズさんは、これまで見たこともない穏やかな表情を浮かべている。
「……よかった。もう、動けるようになったんだね」
「は、はい。訓練は厳しそうですけど、これぐらいなら、なんとか」
「それじゃあ、朝ごはん、食べようか」
そう言ったアイズさんは、僕の手を掴みながら歩き始めた。
やっぱり、変だ。明らかに、普段のアイズさんの様子とは、かけ離れている。手を引かれるままに、アイズさんの後ろを着いて行きながら、なんとか答えを出そうと、僕は必死になっていた。あまりにも現実離れした状況に、僕の情緒は何周か回って落ち着いていた。いや、この状況で落ち着いているということが、何よりも可笑しいのだけれど。なにせ、アイズさんが僕を抱き枕にしながら寝ていたかと思えば、手を引かれながら二人しかいない家を歩いているという、昨日までの僕に言えば、とうとう
気が付けば、廊下を抜けてリビングに着いていた。そこまで来て、アイズさんは漸く僕の手を離した。かと思えば、肩に手を置いて、椅子に座るように促してくる。促されるままに、席に着くと、アイズさんは「ちょっとだけ、待ってね」と残して、キッチンに入っていく。数分もしないで帰ってきたアイズさんは、手に柔らかそうなパンと、湯気の立つスープの乗った盆を持っていた。それを僕の前に置いたアイズさんは、隣の椅子を引っ張って来て、僕のすぐ横に腰を下ろした。
「パンは、昨日買ってきたので、スープは、リヴェリアが作っていってくれたもので」
「その、私が作ったものは無い、けど……。ちゃんと練習、するからね……?」
ちょっと恥ずかしそうにしているアイズさん、可愛い……、じゃなくて! さっきから僕とアイズさんの間に、確実に現状に対する認識の齟齬がある。僕からしたら、とんでもないご褒美なんだけど、経緯や理由が分からないから、戸惑ってしまう。というか、リヴェリアさんが作ったスープを飲むなんて、世の
◇◇◇
アイズさんと並んで摂った朝食は、緊張からか味がぼんやりとしていた。それでも、これまで過ごした中でも一番幸せな朝の時間だった。このまま、面倒くさいことを放り出してしまいたくなる気持ちが無いと言えば嘘になる。
けれどそんな誘惑を断ち切って、そろそろ本題に、具体的には僕とアイズさんの現状に対する認識の齟齬を明らかにしないといけない。何が僕の身に起こっているのか分からないけど、このまま放置して幸せに浸るのは違う気がする。しっかりしなくちゃいけない重要な局面だと、ベル・クラネルの本能が警鐘を鳴らしている。間違いない。ここで、ヘマをすると僕は確実に後悔する。
「えっと、アイズさんがどうして僕と、その、べ、ベッドに、い、居たのかって、聞いても……いい……です、か?」
うわああああああ!? なんで大事な場面で、こんなに吃っちゃったんだ!? しっかりしろよ!? 僕! 今すぐここから逃げ出したい! 出来ないけど! 結局、後悔しちゃってるし! きっと、今の僕の顔は真っ赤になっているんだろうなぁ、とよく分からない感慨すら湧いてくる。こんなだから、僕は未だに師匠から愚兎って呼ばれるんだ……。
そんな風に、どんどんと自己嫌悪に陥っている僕を置いて、アイズさんは不思議そうにコテンと首を傾げる。
「どうしてって、ベルは私の英雄だから、だよ?」
「……ん? え、あの、そ、それは、どういう意味なんでしょうか……?」
「……ベル、知らないの?」
アイズさんは、こちらをじーっと見つめてくる。そこに僕を非難するような意図が混ざっているような気がしてならない。
「な、何をですか?」
「自分だけの英雄と出会ったら、ずっと一緒に居るんだよ」
「……」
「だから、寝る時も一緒だし、ご飯を食べる時も一緒……だよ?」
「それは、誰かから聞いたんですか……?」
「……え?」
「その、じ、自分だけの英雄と出会ったら、えっと、ずっと一緒に居るんだってことです……」
僕の問いにアイズさんは首を横に振って、否定する。
「聞いたわけじゃないよ?」
じゃあ、なんでそうなるんですか!? 必死に飲み込んだ言葉は、僕の頭の中で、繰り返し響いていた。確かに、僕が憧れた英雄譚の英雄達は、助けたお姫様と結ばれたりしていたけど、それとこれとは話が違う。あれは、あくまでも英雄譚、物語であって、これは現実だ。アイズさんは、きっと英雄譚みたいな英雄とお姫様の関係が当然だと信じている。なんでアイズさんはこんな風に考えているんだろう? 僕はどうしたらいいんだろう? 全くもって分からない。どうするのが正解なんだ!? またしても混乱していく僕に待ったを掛けるように、アイズさんは僕の疑問の核心に迫る一言を発した。
「お父さんとお母さんがそうだったから」
「……あ」
あああああああああああああ!! そうだったああああ! 英雄譚みたいな、じゃないんだ! 僕からしてみれば英雄譚のそれでも、アイズさんにとっては紛れもない現実。というか、実の両親が英雄譚の登場人物なんだから、凄く身近な存在だったんだ! アイズさんが、少し浮世離れした人だっていう事は知っているつもりだったけど、まさか、こんな影響が出ているなんて思ってもみなかった。
これまで疑問に思っていたことが、解消されていく。アイズさんが僕のすぐ傍に居ようとするのも、昨日のずっと一緒だよって言葉も、全てはアイズさんの英雄に対する認識が原因だったんだ。アイズさんにとって、自分を助けてくれた自分だけの英雄という存在は、自分と結ばれるものなんだ! それは、アイズさんにとって当然のことで、一々疑問に思ったりすることのないことだったのかも知れない。
少々、というかかなり不思議だったアイズさんの言動の原因が判明したことで、混乱が続いていた僕の頭も、何とか正常に動き出した。と、同時に過去の僕がアイズさんに言ったことを思い出した。
英雄が現れないって言うのなら、僕がアイズさんの英雄になります。だから泣かないでください。
……。これって……。もしかして、アイズさんにとっては告白か、或いはそれ以上のものなんじゃないか?
もしかしなくても、既に大変なことになっているのでは……?
アイズさんの中で、僕とアイズさんは、ふ、夫婦、みたいな……。そんな感じになっているのでは……?
ど、どうしよう!?
◇◇◇
ベル・クラネルが十五年という人生の中で、最も衝撃を受け、混乱している一方、この状況を引き起こしたお姫様は、そんな哀れな白兎を見ながら楽しそうに、そして幸せそうに笑っていた。
その時、