終わった。戦いが終わった。長い、とても長い戦いだった。神々が下界に降臨する、その遥か前から続いていた戦いだった。滅ぶ一歩手前に座していた人類を立ち上がらせた道化師がいた。彼に続いて武器を取った英雄達がいた。その命と引き換えに竜の片目を奪った傭兵王がいた。持ちうる全てを犠牲に未来の為に悪として立ちはだかった冒険者がいた。何千年にも及ぶ、正しく英雄達の戦いの歴史。その歴史が、一つの終点を迎えた。
一人の少年。真っ白な髪に、
さりとて、今を生きる彼の人生はまだまだ続く。
であるならば。そうであるならば。
これは迷宮で出会った少年と少女の
◇◇◇
「……ル。…………ベル」
声が聞こえるような気がした。頭が回らない。身体が重い。これまでの人生、色々あったけれど断トツで眠い。途轍もない疲労が身体を泥のように溶かしてくる。あぁ……。此処はどこなんだろう。頭に感じる柔らかさも、髪を撫でる優しさも、耳に伝わる声音も、どれもこれも懐かしい。もしかして、僕は死んでしまったのだろうか。此処は天界で、魂を漂白する前に、最後のご褒美でも貰っているのかもしれない。益体のない妄想が浮かぶだけで、何処までも思考が纏まらない。
「……ベル。起きて。……ベル」
眠くて仕方がない。けれど、この声はどうやら、僕を呼んでいるみたいだった。だったら起きなくちゃいけない。未だに暗闇を手放そうとはしない瞼を、何とか開いていく。徐々に視界にはいってくるのは見覚えのある金色。瞬間、これまで沈殿していた意識が覚醒する。
「ア……アァァァアイズさん!? い……一体何を!?」
アイズさんの膝枕。これまでの僕は飛び起きていたけれど、今回は違った。というのも、単純に体が動かない。そのままアイズさんの顔を眺める訳にもいかずに、視線をズラすとアイズさんのお腹が目に飛び込んでくる。
「ベル、凄い怪我したんだから、あんまり動いちゃだめだよ?」
「け……怪我ですか? 身体はあんまり痛くないけど、そういえば、さっきから凄く疲れているような……。でも、何で……」
「……覚えてないの? ベル」
ア……アイズさんが、すっごく寂しそうな顔をしている!? そんな顔、僕見たことないです、アイズさん!? 駄目だ駄目だ駄目だ!? アイズさんに、こんな顔をさせるなんて駄目だぁ!? だって僕は、アイズさんの英雄になるって、そう言って……。えい……ゆう……に……。
「す……すいませんでしたああああああああ!」
◇◇◇
英雄。僕が憧れて仕方なかった存在。ただ、憧れていた存在だったけれど、今は違う。僕はアイズさんの英雄になるって、そう決めた。そして、きっと僕がこうしてアイズさんと、話せているということはそういう事なんだと思う。
僕はアイズさんの英雄になった。なることが出来た。間違いなく、これまでで最も死が近かった戦いを、僕たちは死に体で生き延びた。無事なところなんて存在しない程にボロボロになって、絶望して、泣き言を言って。そうして僕は、ようやくアイズさんのことを少しだけ理解できた。
だから。
僕は誓った。アイズさんの英雄になるって。もう泣かなくてもいいように。アイズさんが心の底から笑顔になれるように。
英雄が現れないって言うのなら、僕がアイズさんの英雄になります。だから泣かないでください。
そんなこんなで想いを新たに、挑んだ再決戦。正直なところ、記憶は曖昧で何が起こったのか把握しきれていない。それでも、こうしてアイズさんが穏やかな表情を浮かべているのを見るに、結末は明らかだった。
「落ち着い、た……?」
「は、はい……」
「アイズさん、その、他の皆はどうしたんでしょうか?」
「えっと、皆はもう、オラリオに帰ったよ」
そう言ったアイズさんは、何故か顔を少し赤らめていた。恥ずかしがってる? アイズさんが? なんというか新鮮で、少し笑ってしまった。
「ベル? どうした、の?」
「あ、い、いえ。大したことじゃない……んですけど」
「うん」
「アイズさんが、その、凄くかわいくて。それで……」
アイズさんがみるみるうちに顔を染め上げていく。どうしよう。凄くかわいい。途轍もなくかわいい。女神様も嫉妬する、そんな風に言われるアイズさんの美貌が、僕の言葉でこうなってしまうのが、何というか。とても。良い。すっごく。良い。
「ベル、からかってる、の?」
「ち、違います! なんていうか、本当にかわいいなって思って、それがすごく嬉しくて……」
そう言葉を続けると、アイズさんは膝の上にいる僕から目を顔ごと横に背けた。けれど、ここからでも分かる程、赤くなっている横顔ときれいな形をした耳を見て、僕もなんだか恥ずかしくなってしまう。僕の顔もアイズさんに劣らず真っ赤になっているだろうから、アイズさんに見られなくて良かったのかもしれない。
◇◇◇
ちょっと時間を置いて、僕もアイズさんも落ち着いたようで、話は本題に──ここが何処で、何故アイズさんに膝枕をされているのか──戻った。アイズさんが言うには、オラリオの郊外に襲来した黒竜を死に物狂い、というか死ぬ半歩手前まで行きながら打ち倒したようだ。例に漏れず僕もそれはもう酷い有様だったようで、アミッドさんのおかげで何とか命を繋いだらしい。そんな状態で過去に類を見ない程のお祭り騒ぎ化すであろうオラリオに、原因その一と原因その二が帰ってくるというのは、マズいと判断されたそうだ。それでメレンの町にフェルズさんが所有していた隠れ家に運び込まれたとのこと。うん……。それがどうして膝枕に繋がるのだろう。いや本当に分からない。そりゃあアイズさんの膝枕は凄く嬉しいしもうこれだけで頑張って良かったって思えるんだけど、やっぱり疑問が残る。
「えっと、そこまでは分かったんですけど……結局なんで僕はアイズさんに膝枕をされているんでしょう……?」
「……わ、私がベルにしたかった、から?」
「なっ……」
「ベルは、わ、私の英雄……だから……うん。ありがとうって、伝えたくて……」
「っ……」
「最近は……してなかった……から」
「……」
「そ、それとね……。ベルとこうしてると、凄く幸せで……」
「……!」
「……えっと、ベル……?」
もう死んじゃってもいいかもしれない。冒険者になって一年。本当に色々なことがあって、何度も大変な目にあったけど、今この瞬間、僕は心の底から報われた気がした。
「アイズさん」
「う、うん、どうしたの……ベル」
「僕はアイズさんの英雄になれましたか?」
結局の所、僕が一人で出来ることには限りがある。これまでもそうだったし、きっとこれからもそれは変わらない。僕には、一人で世界を救うことなんて出来ない。それでも、僕は英雄になりたかった。目の前で泣いている誰かを助けることが出来る、そんな英雄譚の中の英雄達。僕がアイズさんの英雄になることが出来たのなら、それが僕がここまで生きてきた意味だったんじゃないかとすら思ってしまう。
「僕はアイズさんを救うことができましたか?」
「うん。ベルは、私のことを……ちゃんと助けてくれたよ。私の英雄に、なってくれたよ……?」
「よかった、です。本当に、よかった」
それはきっと、僕に出来る精一杯だった。冒険者になって、一年。アイズさんに憧れてから、必死に追いつこうとして駆け抜けた。その中で多くの出合いを経て、僕の戦う理由も増えていった。
「これからは、ずっと一緒だね、ベル」
「ふぇ……」
「大好きだよ。ベル」
「はえー?」
アイズさんの言っていることを処理しきれなくなった、僕のあまり出来の良くない脳みそは、ぷしゅーと音を立てながら限界を迎え、思考は十数分ぶりの暗闇へと落ちて行った。
◇◇◇
かくして、ド天然お姫様(心に幼女を飼っている)とクソボケ英雄(ゼウスの孫)のオラリオを巻き込む(かもしれない)