ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

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前から繰り返しポストしていますように、拡散型のインフルエンサー(自称含む)、目が笑っていないユーチューバーの方、有名なアカウントが発信したことだから~、40代前半~50歳前後の人が説明したことだからというだけでは信用してはいけません。 よろしくお願いいたします!
これもですね。これは龍角散が美郷町六郷東根の出身だと思い込んでしまう原因があったのでしょう。 なお六郷東根に親戚はおりません。今もこの地で米作りをしている龍角散の縁者は春霞の栗林家です。 過去の六郷町の役場に藤井という親戚はおりません。
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これは! とあるアカウントに嫌がらせされた時のことを思い出しますね。自分に原因があると思っていないからまた似たようなトラブルを起こす。 まさにそんなアカウントでした。これは、その取り巻きにも原因あり。
おそらくパーソナリティ障害だろうなと思う人と何回かトラブルになったことがありますが、基本パターンとしては「私は何も悪くない」という自己擁護がかなり強く「自分に都合の良い物語」を語り出す傾向にあります。都合の良い嘘も「真実です」と言い出すので話し合いは不可能です。
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これについては龍角散は美郷町のものだとやってしまった美郷町に原因あり。しかしながらそれを止めなかった水戸市、秋田市や大仙市の関係者にも問題はありますわな。 秋田県の歴史がおかしくなった原因がここにある訳で。 それにしても久しぶりに失礼なアカウントにあたりました。
それに私自身見聞でしか史実を知りません。 貴方が言ったことをネットで調べましたが貴方のTwitter情報しか出ません。 どっちを信じろと言われれば多くの合致した情報を信じてしまうのが一般的かと思います。
後は水戸市、秋田市、大仙市、美郷町など各市町村の図書館や資料館等にお問い合わせください。
本来の調査とは地道かつ地味なものです。昔の人たちが気長にやっていたのでしょうが、今、困るのはネット上にないから〜というのは理由にならないのです。 自分で探すことを覚えないと、人間として成長しないでしょうね。 若者だったり、女の人にありがちかもしれませんが、それではいけません。
久しぶりなのも含まれます。現在の美郷町にあたる地域の出身者、或いはルーツがある人の日記投稿から。 龍角散のルーツが美郷町にあるということ、これ自体が正しい情報ではありません。 大多数が言えばそれで正しいことになるのだ! ということはないのです。 歴史には根拠がなくてはいけません。
ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人
ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人
Replying to @mizuuminokamo
龍角散の歴史や、かていやくに関するうんちくなどはこちらで見られますよ。 tokakyo.or.jp/public/ 古い方からどうぞ。必ずしも龍角散の話題でないことも多いので、ゆっくりと読んでみてください。 あとは古本屋に行けば、現在の隆太社長の父親の著書に龍角散の歴史が書いてある場合があります。
龍角散の古い資料だとこっち。 藤井正亭治はオランダ医学を学ぶため、今の長崎県へ選抜され、遊学。帰藩後に薬を扱う仕事を命じられたとなっています。 1850年時点での藩主は佐竹義睦(よしちか)。義堯(よしたか)は末期養子。
江戸中期のお殿様が喘息であった 藤井玄信(忠貞)は水戸藩の原南陽の門人 1835年の武士の日記に、江戸から龍角散を買い求めたとある 得三郎が三男で、秋田には兄がいる ※これらは東京龍角散の隆太社長の発言、過去の龍角散の資料、佐竹資料館、薬の会報誌、茨城県の歴史等によるもの
なお藤井正亭治の説明として、門外不出の龍角散を~と書かれていることがありますが、長崎遊学後に薬を扱う役割に任命され、嘉永年間には薬を販売していたとされます。 これは龍角散関連の古い資料に書かれてあるものです。
龍角散と六郷との関係については、昭和の時代に調査があったものの、確かな情報は得られずに終わりました。 それが40年以上前の話となります。 それを知らない世代が増えたのも無理はありません。 何が正しいのか分からず、トラブル起こした連中の多いこと、多いこと。 本当に呆れますねぇ。
Replying to @mizuuminokamo
まず、あなたは秋田県の方ですか? 秋田市か大仙市の人、またはその近くに住んでいるのなら、図書館や資料館にいけば様々な本・資料館がありますが、それを読んだことはありますか?
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女の方ですか?物事に多数決の原理は通用しません。 そしてちゃんとした龍角散の歴史の調査をしたことがありますか? あなたは学芸員さん、調査員さんではないでしょ? 古くからある資料を読んだことがありますか? そして、こちらは数年前から色んなアカウントとバトルしていましたが。
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ネット時代となり、ネット上にある情報が正しいと思ってはいけないのです。特に拡散型の人に注意。 ちゃんとした調査もなしに、龍角散は美郷町のもの、六郷が~とやりだしたのは、秋田県の美郷町という町ですので、責任があるのはこの連中であり、それを止めなかった人たちにも原因はありますわな。
Replying to @mizuuminokamo
何処から得た情報なのかを教えてください。よろしくお願いいたします。
Replying to @mizuuminokamo
ちゃんとした茨城県の歴史の本などから来ているもの、龍角散の過去の資料から持ってきた情報が違うというのですね? それこそあなたの言葉を信じる人はいませんよ。 冷静にお願い致します。
Replying to @mizuuminokamo
龍角散が六郷出身と書かれてあるのは六郷町史で、一方、名字の研究をしていた丸山浩一氏の著書ですと、江戸中期に大仙市(大曲)へ来たとされます。 龍角散の歴史については今でいうドラッグニュースに色々と載っており、現在の隆太社長の父親も様々な媒体で発信していました。
Replying to @mizuuminokamo
わらび座さんのお芝居の世界観を楽しむ分には問題ありません。 根本的に明治時代は、龍角散は秋田方面で良く売れたと言われ、知名度のない東京側が今の小林製薬と一緒に広告戦略を展開し、現在に至ります。 秋田と龍角散との関係については昭和の昔は良く知られていましたよ。
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再掲載:不審者情報です。 大仙市大曲の関係者、或いは出身者の中に、、、 でした。 ヒント:大曲の新聞販売店 の、、、
また新たな不審者情報です。 大仙市大曲の関係者、或いは出身者の中に、、、 でした。
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藤井という家は国替時には来ておらず、国替のあとに秋田市、江戸中期から後期には大仙市にいたとされます。 そもそも江戸中期のお殿様が喘息持ちだったとされます。 今、美郷町が盛んにやっている六郷出身 とは説の内の1つですので、ご注意ください。 ※資料通りですので、よろしくお願い致します。
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Replying to @mizuuminokamo
本来の龍角散の名前の由来は、江戸末期よりもっと前です。 龍角散自体は江戸時代から現在の秋田市や大仙市(大曲)に店があり、そこで売っていたといわれております。 なお明治4年に藩主と共に江戸に出たというのは、東京側の理屈であり、本によると佐竹義堯が東京に移住したのは明治5年とされます。
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過去に色々とポストしていたのですがね。それを読みもしない。困ったものです。
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再掲載 藤井姓について。その家によって様々な本が説があるようです。 中には意外や意外な説がある家もあるようですから、除籍謄本を取る、菩提寺と交渉してみてください。 ただし、現代ではお寺と交渉が出来るのは墓守の家となります。交渉出来なかった場合、自分たちが直系でないと推測されます。
これもですね。これは龍角散が美郷町六郷東根の出身だと思い込んでしまう原因があったのでしょう。 なお六郷東根に親戚はおりません。今もこの地で米作りをしている龍角散の縁者は春霞の栗林家です。 過去の六郷町の役場に藤井という親戚はおりません。
もう分かるでしょが、美郷町の「生薬の里」構想から龍角散の話がおかしくなりました。 誰がどう考えても分かることですが、複数の説があるものを無視し、あくまでも美郷町の龍角散だとムキになっているのは誰でしたか? 再度警告しますが、もう誰も信用しなくなりますよ。
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再掲載 どうやら、小林製薬のある大阪市中央区道修町近辺から怪しいニオイがプンプンします。 龍角散もそうですが、小林製薬の小林家が何代も続く内、どこかで何かトラブルに巻き込まれる要素はなかったでしょうか? 怨恨の可能性あり。タイムライン注意! そこに犯人が?
再掲載 どうやら、小林製薬のある大阪市中央区道修町近辺から怪しいニオイがプンプンします。 龍角散もそうですが、小林製薬の小林家が何代も続く内、どこかで何かトラブルに巻き込まれる要素はなかったでしょうか? 怨恨の可能性あり。タイムライン注意! そこに犯人が?
昨年の秋口からポストの量を減らしていましたが、結局、似たような話題になってしまいました。 一時期はやりすぎた感じはありましたが、それによって様々なことが発覚したのは大きかったなと。
我こそは龍角散の直系だ 東京龍角散の隆太社長の知り合いだ と主張し、お寺や役所・役場などと無断で交渉し、多方面に迷惑をかけている人がいるようです。 繰り返しとなりますが、何かご存知の方は通報にご協力お願いいたします! 今なら話が通りやすいです。
我こそは龍角散の直系だ 東京龍角散の隆太社長の知り合いだ と主張し、お寺や役所・役場などと無断で交渉し、多方面に迷惑をかけている人がいるようです。 繰り返しとなりますが、何かご存知の方は通報にご協力お願いいたします! 今なら話が通りやすいです。
これもですね。これは龍角散が美郷町六郷東根の出身だと思い込んでしまう原因があったのでしょう。 なお六郷東根に親戚はおりません。今もこの地で米作りをしている龍角散の縁者は春霞の栗林家です。 過去の六郷町の役場に藤井という親戚はおりません。
チャレンジと言えば聞こえはいいですが、周囲の迷惑を考えずに突き進む町であることは間違いないでしょう。これにより、美郷町の犠牲者が沢山出ています。 この方々が主張しているような龍角散の創生者が美郷町出身であるという史実はありません。所説(諸説)ありとしておけば円満だったのだろうと。
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なお当家とこの甘草栽培をしていた湯川清四郎家(志ら梅)とは親戚ではないと思われます。 kosho.or.jp/products/detail.… 六郷町史自体、当時の龍角散側の許可を取ったものではないので、よろしくお願いいたします。
チャレンジと言えば聞こえはいいですが、周囲の迷惑を考えずに突き進む町であることは間違いないでしょう。これにより、美郷町の犠牲者が沢山出ています。 この方々が主張しているような龍角散の創生者が美郷町出身であるという史実はありません。所説(諸説)ありとしておけば円満だったのだろうと。
なお藤井正亭治の説明として、門外不出の龍角散を~と書かれていることがありますが、長崎遊学後に薬を扱う役割に任命され、嘉永年間には薬を販売していたとされます。 これは龍角散関連の古い資料に書かれてあるものです。
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江戸時代の医者というのは、実際には身分が低かったと言われています。 なお、秋田藩には様々な名医がいたとされますが、元は秋田方面で良く売れていた龍角散が、全国的に有名になったのは広告戦略※によるものだとされます。 ※資料通りですので、よろしくお願いします。
Replying to @freefir_fox_200
江戸時代の医者というのは、実際には身分が低かったと言われています。 なお、秋田藩には様々な名医がいたとされますが、元は秋田方面で良く売れていた龍角散が、全国的に有名になったのは広告戦略※によるものだとされます。 ※資料通りですので、よろしくお願いします。
Replying to @freefir_fox_200
江戸時代の医者というのは、実際には身分が低かったと言われています。 なお、秋田藩には様々な名医がいたとされますが、元は秋田方面で良く売れていた龍角散が、全国的に有名になったのは広告戦略※によるものだとされます。 ※資料通りですので、よろしくお願いします。
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チャレンジと言えば聞こえはいいですが、周囲の迷惑を考えずに突き進む町であることは間違いないでしょう。これにより、美郷町の犠牲者が沢山出ています。 この方々が主張しているような龍角散の創生者が美郷町出身であるという史実はありません。所説(諸説)ありとしておけば円満だったのだろうと。
龍角散公式note📝no.13「佐藤さんから見る、美郷町と生薬」 2024年最後の記事を公開しました。 ぜひ記事の閲覧と、最後に「スキ」をお願いいたします📷 note.ryukakusan.co.jp/n/n025… #note #龍角散 #秋田 #美郷町
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もう一度。お心当たりありませんか? ここからとある映像製作会社の方のアカウントが浮かび上がりました。 皆さんのタイムラインにもいるでしょうから、ご注意ください!
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明治4年は東京府に支店(のち本店となる)を出したが正しいのですよ。 得三郎は東京における支店長扱いだっだと資料にあります。 なお龍角散の名前で江戸時代から、現在の秋田市を本店とし、大仙市(大曲)で龍角散を販売していたと言われています。
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Replying to @osunekosan_222
明治4年は東京府に支店(のち本店となる)を出したが正しいのですよ。 得三郎は東京における支店長扱いだっだと資料にあります。 なお龍角散の名前で江戸時代から、現在の秋田市を本店とし、大仙市(大曲)で龍角散を販売していたと言われています。
ここからとある映像製作会社の方のアカウントが浮かび上がりました。 皆さんのタイムラインにもいるでしょうから、ご注意ください!
そういえば当アカウントに噛みついてきたのが、このあきたいざたんだったなと。 こことリプしていたのが、ガイド系のアカウント。さらにそこから見つけたのが、大阪の小林製薬の近くで生活していた人でした。 そして当時は見られた「いいね」から何人かに絞り込んだことなど、色々思い出しました。
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