ヤマトノミカタ#82「堂本剛の心呼吸」
テレビカメラマンとしての奈良での仕事を振り返った時、忘れられないのが堂本剛さんとの番組。
特番として放送されたその番組は、堂本剛さんの故郷奈良のために番組を作りたい、そんな気持ちから制作がスタートしたと聞いていた。放送は2008年の春。
某番組制作プロダクションにこの企画が持ち込まれ、放送枠を探すことになる。
近鉄が一社提供の単発特番枠が奈良テレビにあり、そこでのオンエアーが決まった。
いつもは関西ローカルのタレントが出演していたこの枠で、堂本剛さんが出演することになる。
奈良テレビで放送はするが、実際に番組を制作するのは独立したプロダクションとなり、そのプロダクションからの発注で私が撮影を担当することになった。
奈良テレビには関西ローカルのタレントさんが出演する番組はあっても、ジャニーズの一流タレントとは一ミリもつながりなどはあろうはずもなく、まさに青天の霹靂。
ディレクターは私と毎日放送の番組を担当している気心の知れたスタッフ。
堂本さんが「奈良を歩きながら故郷奈良を語る」が基本コンセプトとなった。
とにかく、ロケスケジュールが超タイト。
堂本さんは当日に新幹線で京都入りし、近鉄特急で奈良へ。撮影が許されたのは日没まで。
その日の内に新幹線で東京へ帰る予定。絶対に終了時間は伸ばせない。ロケ時間にして8時間、それで30分番組を1カメで撮り切らなければならない。
ロケ場所が多く、堂本さんが通った幼稚園のある西大寺、堂本さんの子供時代には何もなかった平城宮跡、東大寺にならまち。台本だと歩いて話すだけだったので、私はカメラマンとして物足りなかった。
そこで、私はディレクターに提案。
堂本さんに平城宮跡でギターの弾き語りはどうだろうか?曲は放送が春なので、堂本さんのソロ曲である「ソメイヨシノ」が良いのではないか。
私は、きっとこの曲を故郷の平城宮跡で堂本さんが歌いたいと思ってくれるのではないか、そんな計算があった。
ディレクターがジャニーズ事務所にお願いすると、検討することもなく速攻で断られた。それもかなり怒られたようだ。ジャニーズ事務所から言われたことを分かりやすく言えば
「こんな安いギャラで歌える筈がないだろう(確かに奈良テレビ特番なら交通費にも届かない)」
「このスケジュールでどこに歌える時間があるのか(ごもっとも)」
「ギターを運ぶだけでもう1人のスタッフが必要(そのような予算はありません)」
「万が一、歌うとなったら声のコンディションなど数日前から準備する必要がある(その点、甘く考えてました)」
「奈良テレビに堂本剛が出演するだけで十分だろ(確かにおっしゃる通り)」
とにかく電話でかなり怒られたらしい。
結局、ロケスケジュールに平城宮跡での弾き語りは削除されたが、それでもタイトなスケジュールには違いはなかった。
でも、私は諦めていなかった。
「撮りたいものは絶対に撮る」私には本能にも似たそんな気持ちがいつも心の奥にある。そんな気持ちが自分でも怖くなる時があった。
堂本さんに歌ってもらうにはどうすれば良いのか。カメラマンの立場でよく考えた。
とにかく、撮影の特機を持って行った。テレビ番組ではあまり使わないようなクレーンカメラやステディカムを平城宮跡に持ち込んだ(どちらも私物)
そして、ロケ中にコミュニケーションをとって、少しでも親しくなろうという作戦に出た。
撮影は京都駅から始まる。近鉄電車を一両貸し切っての撮影。平城宮跡にたたずみ、故郷奈良について語る。
西大寺では子供の頃のエピソード。ならまちに東大寺。
撮影しながら堂本さんの話を聞いていると、その考え方に引き込まれ、大いに共感するようになる。
ここまで深く故郷奈良のことを考えているのかと、私は感心すると共に驚きもあった。
純粋な気持ちで奈良を思う、時には哲学者のようであり、芸術家のようでもある。
言葉に出来ないような故郷奈良の思いを言葉にしようと、心の中を探っているように話す堂本さんにとても好感が持てた。堂本さんは、テレビの番組であっても、自分自身をさらけ出し、熱い思いを伝えようとしていた。
半日、撮影を共にして私は堂本さんを尊敬するようになっていた。遠く離れてもいつも心の中に大切にしている故郷がある。それが彼の芯になって、東京で頑張っている。
時間はあっという間に過ぎ、日が傾き、平城宮跡で最後のシーンの撮影が終わる。
もうすぐ日没時間、遂にこの時が来た。
ディレクターのお疲れ様の一声が出る直前の間を突いて、堂本さんに話しかけた。
「日が傾き、良い時間帯になりましたね。ここで、堂本さんがソメイヨシノを歌ったら素敵だろうなー」
堂本さんが言った「ほんとそうですね。(間)あなたに撮ってもらいたいなー」
私が言った「もしものために、私物のクレーン持って来たんですよね」
私はマネージャーさんの顔が大魔神の変身のように険しく変わったのを見逃さなかった。
マネージャーさんが口をひらこうとした時、堂本さんは携帯で電話をはじめる。
「はい、はい、(中略)分かった。じゃあ、歌うよ、歌うからね」
後から聞いたのだが、その電話でジャニーズ事務所に歌う許可をもらったらしい。例外中の例外だったとか。
堂本さんは電話を切るとすぐにこう言った「ギターある?」
ロケに同行していた奈良テレビの営業さんが直ぐに答えた「テレビ局に帰ればギターあります。局は直ぐそこなので取ってきます」
やった!これで堂本さんの弾き語りが撮れる!心でガッツポーズ、同時に心地よい緊張感が湧いてくる。
ギターが届くまでにクレーンカメラの準備を終わらせる。
後は時間との戦い。日が沈むまでに撮り終えなくてはならない、ワンテイクの撮影になる。失敗は絶対に許されない。
そこへ奈良テレビの営業さんがギターを持って帰ってくる。
早速、堂本さんがギターのチューニングを始めるが、まったく音が合わない。
よく見るとボロボロのガットギターで、何年も弦を変えていないような、そんなギターだった。
営業さんは小さな声で言った「情報番組のセットで使っているギターでして、それしか見当たらなかった」
そんなギターであっても堂本さんは少し微笑んで真剣にチューニングを続ける。
なんとか弾けるようにはなったが、とんでもなく安っぽい音。コードを弾いただけで笑ってしまいそうな音。
それでも堂本さんの歌が入ると、形になるというか、それが逆に味になっている。
まるであえて壊れかけのギターを弾いているように聞こえる。これは魔法のようだった。
すでに太陽は生駒山に沈んでいる。
遠くからは踏切と近鉄電車の音、ボール遊びをしている子供の声、帰宅中の学生の自転車、鳥の囀り。
平城宮跡の音と堂本さんが歌う「ソメイヨシノ」そして、壊れかけのギター。
すごい世界観。
大きな空の下で歌う堂本さん、広い広い平城宮跡。それをクレーンカメラオンリーで撮影する。
私はミュージシャンのPV撮影を多く経験していたが、撮影中に最も心が震えたのがこの時だった。
いつまでもこの歌を聴いていたい、いつまでも撮影していたい。
今になって思い返すとこの時がカメラマンとしてのハイライトのひとつであることは間違いない。
平城宮跡での堂本さんが歌う「ソメイヨシノ」最高の映像を撮ることが出来た。
歌が終わった瞬間、これは奇跡だと、なんというすごいシーンを撮ったのだろうと、感動で動けなくなった。
堂本さんの故郷奈良を思う気持ちが込められた珠玉の番組がこの時に生まれた。
この番組で堂本剛さんが残された言葉を転記しておく。番組のエンディングで使われた。
【番組情報】
「堂本剛、心呼吸。ふるさと奈良を歩く」
2008年4月12日㈯ 19:00〜19:30
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進みすぎた、この時代と世の中に対して、ヒントをたくさん持っている場所だと思いますね。
いわゆるそのヒントというのは、いい方向に再建していくことであったりとか、いい方向に、人々の感覚とか意識、価値観っていうものを変えていく、メッセージがいっぱい、僕はここには残っているような気がします。
この土地がある意味っていうのは、やっぱりちゃんと考えていかなきゃいけない気がするし、この土地が本当に何かを持っている、と、僕は、説得力ないかもしれないですけども、何か確信している感じというか、すごく強いですね。
これだけ広い空の下で、これだけ広い土地が残っていて、でもこの広い土地が、ただ土地として残っているってことではなくてね、歴史と共に、土地が残っているということは、素晴らしいことだなぁと、思います。
こういう場所で生まれて、育って、そういういろんな時間を過ごしてきたっていうのは、ほんとにおっきいなぁと思いますよね。
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