2025-02-07

ある元令嬢の昔話とこれから

ごきげんよう今日はわたくしの50歳のお誕生日ですの。どなたか身の上話を聞いてくださる? なお、身元が露見しませんように、ほんの少し脚色を加えましてよ。

わたくしは1975年、裕福な家の娘として生まれましたの。贅沢に育てられましたけれど、それは同時に、息の詰まる鳥籠の中にいるようなものでしたわ。両親は厳しく、わたくしの人生はすべて決められておりました。どの学校へ行くか、どなたと結婚するか――それがたとえ家の名誉のためであろうとも、逆らうことなど許されませんでしたわ。

そんな未来を拒絶するように、18歳のわたくしは家庭教師大学生駆け落ちいたしました。大きなスーツケースに、母の目を盗んで持ち出した宝石を詰めましてね。「これでしばらくは大丈夫ですわ」なんて、甘く考えておりましたのよ。世間知らずのお嬢様が、恋と自由に浮かれて飛び出したのですもの。けれど、最初のうちは幸せでしたの。質屋宝石を売りながら、狭いアパートふたり寄り添う日々。誰の指図も受けず、ただ彼と一緒にいることが楽しかったのですわ。

ですが、現実はそう甘くはございませんでしたのよ。彼はいつまで経っても職に就かず、やがて部屋に閉じこもるようになりましてね。宝石はとうに尽き、生活はわたくしの肩にのしかかるばかり。けれど、働くことは意外にも楽しかったのですわ。初めて知る世界、初めて自分の手で稼ぐお金。確かに大変でしたけれど、「自分の力で生きている」と実感できましたのよ。

そのうち、彼とはお別れいしましたの。実家に戻ることも考えましたけれど、あの鳥籠の中へ戻る気にはなれませんでしたわ。ですから、わたくしは働き続けましたのよ。けれど、長い年月の中で、体も心も次第に軋み始めましてね。気づけば40歳会社へ向かう足が重くなり、ついには動けなくなりましたの。休職し、心療内科へ通い、障害者手帳を受け取る――あの頃のわたくしには、想像もできなかった未来がそこにありましたわ。

復職しても、長くは続きませんでしたの。45歳で退職し、失業保険を受けながら、障害年金申請いたしましたのよ。半年後、支給決定の通知が届きまして、遡及分を含めて240万円が振り込まれときは、夢を見ているようでしたわ。すぐに生活保護を申請しようとしておりましたのに、こんなにまとまったお金を手にするなんて。これをどう使うべきか考えた末、わたくしはNVIDIAの株を1000株買いましたのよ。まるで、もう一度人生を賭けるような気持ちで。

そして翌年。世界パンデミックに飲み込まれましたの。外へ出ることもままならず、ただ家の中で息をひそめる日々。NVIDIAの株を少しずつ売りながら、どうにか生き延びましたわ。

世間が落ち着いた頃、わたくしは再び働こうといたしましたの。でも、年齢を重ねた体は、もう若い頃のようには動きませんでしたわ。採用されず、ようやく得た職場もついていけず、結局辞めてしまいましたのよ。起き上がれる日にだけタイミーやウーバーイーツで日銭を稼ぎ、手元に残った50株の行方を案じる――それが、50歳になろうとしている今のわたくしですわ。

この先、どう生きればいいのでしょう。昔のように働くことも逃げることもできませんわ。でも、ただ縮こまって死を待つのもごめんですの。何か新しいことを始めたい。でも、この手持ちの資産が尽きたら、本当に終わりが来るかもしれませんね。その時まであともう少しですわ。

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