地獄とは、地上で愛を抱かなかったために、「もはや愛することができないという苦しみ」を抱く場所である。
地獄で愛に開眼する者もいるが、すでに愛を抱く機会を得られないことに苦しむだろう。しかしその苦しむことで「愛の面影」に触れることになり、その苦しみは軽減されるだろう。
「自殺者は嘆かわしい!」 ゾシマはその理由を何も語ってくれませんが、自分をさえ愛することをせず、神の創った自分を「審判」するのは傲慢だ、ということでしょうか。難しい論理ですが、そういう考え方もあるのかも知れません。
そして、ついに愛を知り得ず、「傲慢な怒り狂った態度をとり続ける者もいる」、全くのエゴイスト、ということでしょうか。彼らの地獄は、いっそ死にたいと思うほどの地獄の苦しみを受けながら、「死を得られない」ことだと言います。
人にとって愛することがいかに重要かということだと思いますが、ゾシマの言うように愛することもまた、苦しいことではあるように思います。「人間というのは、お前(神)が考えているより、ずっと弱く卑しく創られている」と言ったイワンの怒りと悲しみが、また思い出されます。
ともあれ、その夜、長老ゾシマはみごとな死を遂げました。
修道院のゾシマの前でフョードルとミウーソフが見苦しい遣り取りをした、この物語の始まった日の翌日のことです。
そして三日目、もう少しゾシマのその後について語られますが、そこでは「だれにとっても思いがけぬ事態が生じた」のでした。物語は第三部に入ります。