さまざまな調査結果そのものは興味深いが、ネットリテラシーについてはすでにさまざまな指摘がされている*1ように無理があるのではないか。
兵庫知事選分析フォローアップ/田中辰雄 - SYNODOS
(7)は自己申告でのネットリテラシーである。測り方は、ネットで得た情報に対し「出所を確認する」「複数の情報源にあたる」「びっくりする情報は判断を保留する」の3つの対策を取っているかどうかを自己申告で答えてもらい、対策をとっているほどリテラシーが高いとした。正で有意なので、リテラシーの高い人ほど斎藤氏を支持していることになる。世上、リテラシーの低い人がネット情報に惑わされて斎藤氏を支持したという言説が見られるが、この結果を見る限りは逆である。リテラシーの高い人ほど斎藤氏を支持している。
斎藤支持者はネットリテラシーが高く、それゆえに真実を見出しているという解釈である。斎藤擁護側の人はこちらの解釈を取るだろう。もうひとつは、リテラシーはこのような自己申告では測れないという解釈である。どちらの解釈が妥当かはこれだけの情報からはわからない。
上記のように田中氏も自己申告ではリテラシーではかれない可能性を考慮しているが、そもそも自己申告させた個々の対策が必ずしもリテラシーにつながらない気がする*2。
まず「複数の情報源にあたる」だけでは、求める情報ばかり集めてしまうYouTubeやTwitterの機能にそって、むしろ主張が偏っていく危険が高いだろう。たとえば「対立する意見にあたる」のように、レコメンド機能による偏りを相殺する質問にできなかったか。
田中氏は兵庫県知事選において対立する見解を同等の「極端な主張」としてあつかっているが、悪い意味で中立的な態度としか思えない。
アンケートは捏造であり、パワハラは全くなかったという極端な主張と、斎藤氏はパワハラで職員を死に追いやったとんでもない人物だという極端な主張がぶつかり、相手を罵るだけであった。議論は行われておらず、共通理解がないため、どちらが勝っても負けた側は納得せずしこりが残る。
対立する主張の両方を極端とあつかうことは、おおきく間違わないためには有効な「対策」かもしれないが、中間が正しい時を除けば必ず間違う「対策」でもある。
また、「出所を確認する」という表現だけでは、文字どおり出所を見つけるだけで終わって、出所ごとに異なる信頼性をはからず並列であつかう問題がありそうだ*3。ここは「出所の信頼性をしらべる」ではどうだろうか。
先述した対立する意見にあたる対策だが、それはそれで詐術にかかる原因になることがある。対立する意見に機械的にあたるだけでは、出所ごとの信頼性を無視する態度になりかねない。もちろん対立する意見でなくても、ただ情報に無作為にあたるだけでも同じ問題がある。それゆえ「出所を確認する」だけでは不充分かもしれない。
しかして広範に情報を集めようとすることが詐術にかかる危険を大きくすると考えると、田中氏の考えた三つの「対策」はむしろ陰謀論にはまりやすい傾向を答えさせているようにも読める。
事実として、田中氏は現代の典型として選んだ六つの陰謀論に親和性があるほど斎藤氏を支持するとも指摘している。
斎藤支持への分析で、信じている陰謀論の数の係数(4.7%)が有意であることで同じことが確認できる。すなわち信じる陰謀論の数が多い人ほど斎藤氏を支持する傾向がある。ちなみに図3の回帰で、被説明変数を稲村支持に変えて同じ式を推定すると陰謀論は有意にならない。すなわち陰謀論を信じる人ほど支持者が増えるのは稲村支持者には見られず、斎藤支持者だけに見られる傾向である。
ネットリテラシーの高さと陰謀論のそまりやすさが同じ傾向にむすびつくと考えるよりは、田中氏の考えた「対策」が実は陰謀論にそまりやすい行動だったと考えるほうが合理的ではないだろうか。