Quest3:トリックスター

 ランチ、という曖昧な時間指定しかされなかったので、俺は十一時半に指定の店に着くように準備をして、借りている集合住宅を出ていった。荷物は最低限のいつもの画材、携帯エレフォン液晶タブレット端末エレパッド、そして、財布。

 俺はそれらを安物の亜空回廊リュックに入れて部屋を出て鍵をかけた。大家が訝しむような目を向けてきたが、俺は無視した。家賃を滞納したことはないし、ゴミの分別だってしっかりやって出しているのだから、この見窄らしい風俗通いの風采の上がらぬ男に蔑まれる謂れはない。

 普段は敵を作りたくないから温厚なフリをするが、実際の俺は、自分でも驚くほどに、他人に対する当たりが強く、それは画風というか、芸術という創作活動に関するこだわりにも現れている強い我のようなものだろうと自分では思っている。


 こちらを省みることもない人間に、へらへら媚を売る必要はないと思っている。企業イメージ、という言葉が俺たちを縛り上げ、作品を産むだけの機械であれという態度を強要してくる現状が気に食わないから、俺は他人の顔色を窺うことをしない。

 俺は人間には満たない未熟な何かだろう。何者かになる前の、卵だろう。だとしても感情や魂や精神、心というべきものは確かにあり、その一切を禁じられてまで芸術を売り物にするつもりなんて、俺にはない。俺という存在を含め、作品だ。嫌なら、見なきゃいい。芸術表現とはそういうもので、ただそれだけのことだ。


 俺が今実家のラックランズシティを離れて暮らしているのは、美術学識盟主国の西方に位置する、ノルドヒルトシティの第三街区四番通り、コーポ・アルバス二〇二号室である。

 通りには“琥魄こはく”で動く機械が往来している。自動車、オートマタ、俺が使う端末もそうだ。


 唯一大陸ミュステリウムのど真ん中に生える、宇宙、さらにその先の神の世界まで伸びると言われている巨大な樹——玄慈樹げんじじゅと、その支根樹しこんじゅから採取できる資源「琥魄」。それが、俺たちの文明基盤を支えるエネルギー資源だ。

 それが何が琥魄化したものであるのかと言えば、夢、である。

 誰かの何かの夢が琥魄となり、そこに折りたたまれているエネルギーが魄力はくりょく、それを発する魄素はくそという元素として成り立つ。


 歩いていると、二番通りに入った。オフィス街に近づいていく通りで、社会にまともに参加していない、いろんな意味でアウトサイダーである俺は、肩身が狭くて隅を歩いた。それさえも罪深い、と思えるのだが、俺が卑屈すぎるだけなのかもしれない。


 クイーンズカフェという大陸各地にチェーン店を持つ喫茶店についた。俺はドアを開ける。

 木の匂いに、コーヒーの芳醇な香りが混じっていた。落ち着いた曲調のジャズが流れ、天井のシーリングファンがゆっくりと回っている。

 奥の席に、あの女——ポラリスがいて、無言で手を振ってきた。俺はウエイトレスに「待ち合わせがいます」と言って、席へ歩いて行った。

 勧められる前に椅子に座った。別に、何かの面接に来たわけじゃないし、礼節を求められるほど、礼儀のなった招き方でもなかった。我ながら屁理屈屋だ。だから友達もできないんだ、と自覚している。そして、今は、少なくともそんなものを作っている場合ではないともわかっている。腑抜けた顔の医者は、友人くらい作ったほうがいいというが、今の俺にはそんな時間がないのだ。


「チキンサンドと、フライドポテト。ブレンドのブラックを」


 やってきた店員にオーダーする。

 ポラリスの前には、もうケーキの皿があった。二切れ乗っていたのだろうショートケーキは、もう残っていない。氷が溶けつつあるグラスをストローでかき混ぜ、ストレートティーを啜っていた。


 何の目的で読んだか知らないが、何も、話すことがないのなら、俺は自分のために時間を使おうと思った。

 リュックからスケッチブックを取り出し、安物のボールペンを握り、絵を描く。


「それも、もらっていい?」

「もし、君の裸婦画だったら」

「いいよ、別に。裸なんて見られて損するもんじゃあないし、絵なら、なおさら」

「普通は嫌がるんじゃないのか。恥じらう、というよりは、それこそ勝手にポルノの材料にされてしまったら、まるで魚の切り身のように、君の魂を切り売りされてるみたいで嫌じゃないのか」

「別に。いろいろ経験してきたから、気にならないかな。……蛇?」


 俺が描いているのは、蛇だった。対比物の木々からするに、その大きさは、余裕で人間を一口で食える大蛇である。

 モチーフは青大将だったが、ところどころ、隆起した蛇骨が鱗を突き破るようなアレンジを加えた。鱗も、それは全部が逆鱗で、相手に向けられている。突進されれば、すなわちそれは、おろし金で擦りおろされることを意味する凶暴な殺戮大蛇だ。


 人を描くのは、あんまり、好きじゃない。人とか、その、なんであれ世界の法則において完成しているものを描くと、少しでも違う部分を見つけて揚げ足を取る、無生産的な愚図が、群がってくるからだ。俺は批判をされれば、当然の権利として、怒る。

 批判が消費者の権利であるならば、それに対する怒りは、芸術家の正当な反応である。馬鹿にされれば腹を立てるのは、そんなのは当たり前だ。

 だから俺は、完成されたモチーフが存在しない空想の何かや、抽象画を描く。正解なんてのはない。俺の中にも、他人にもない。決めることでも、決められてしまうことでもないし、その権利はどこにもない。

 なおもくだらない、莫迦げた批評をして天狗になる野郎がいたら、その時は一発頭突きでもかますだけだ。そうすれば、大抵の批評家は黙る。俺は暴力を否定しない。


 暴力、その衝動。復讐心、破壊衝動。あるいは、殺意や憎しみ。それは、ぶつける対象を間違わなければいいと俺は思っている。

 それが、おそらくは兄の言う「お前はイカれてる」という部分なのだろう。否定はできなかった。兄は博愛的で、喧嘩なんて、したこともないのだ。


 逆鱗大蛇は、いよいよその恐ろしい姿のディテールが描き込まれ、恐ろしい様相を呈していた。

 とっくに運ばれてきたブレンドは冷めている。一口飲むと、冷えた苦味が口に広がった。喉が渇いて、コーヒーをカップ一杯、ぐいっと呷って飲み干し、絵を描く。


 その間、ポラリスは何も言わなかった。ただ、ポテトを取っていっていることには気づいているが、その程度のことで目くじら立てて咎めるつもりなんぞない。

 絵を描く行為を、邪魔しない。それはヤジだけではない。上手いね、とか、横から言われるのも俺は好きではない。それは、完成してから言ってほしい。描いている最中の、一種の快楽ですらあるその永遠を、邪魔してほしくないのだ。


 完成した絵を、俺はカッターナイフで切り取り、ポラリスに渡す。サインは、しっかり描いていた。


「ありがとう」

「要件は。絵が欲しいだけじゃないはずだ」


 チキンサンドをかじった。俺は、ポラリスの奢りと決めつけていた。


「あなたを勧誘しにきたの」

「あ? 宗教かなんかか? よしてくれ、俺は訳のわからん教祖に貢ぐ金なんてない」

「違う違う。私たちはステラスヴェルドっていう、まあ、屑浚いの集団でね。やってることは、何でも屋めいた傭兵なんだけど、あなたの……なんていうか、アンニュイな魅力に惹かれてさ」

「退屈そうな奴に傭兵が務まるかよ。他所を当たってくれ」

「私たちは各地にパイプがある。どこかの美大の推薦状くらいは用意してあげられる」


 推薦状。

 自分には——あまりにも普通の家に生まれた自分には、どう足掻いても手に入らないものだ。そんな突出した、天啓めいた才覚もなければ、人脈もない俺には——。


「莫迦にする。俺を何だと思ってる」

「見下すつもりも蔑むつもりもない。だってあなたは——」


 そのときだった。

 突然、乾いた発砲音が響き渡り、窓ガラスが割られる。窓際席にいた客が銃弾にさらされて倒れ込み、俺は息を呑んだ。

 何が起こったかわからない。すぐにポラリスがこちらに覆い被さり、机の下に伏せさせる。


「くそ、予想以上に早い。——予定変更、キオ、機関に火を入れて! 抜錨、出航用意!」


 服に無線機でも仕込んでいるのだろうか、彼女はキオというらしい何者かにそう言って、俺は響き渡る銃声に驚いて、何もできない。

 数は不明。武装はライフルとかマシンガンとか、そういうの。決して戦争という規模ではないから神罰の対象ではない。だが、ここは法治国家だ。司法が黙っていない。


「あいつらなんなんだ! お前っ、傭兵って、テロリストって意味か!?」

「違う! あいつらは警察や政府組織なんかじゃ——」


 ポラリスは腰から拳銃を抜き、テーブルの下から狙いをつけて発砲。黒を基調に赤を差し色にした、威圧パターンのツートン外装の敵の一人が肩を押さえて倒れ込み、離脱させようと別の一人が負傷者を引きずっていく。その調子で敵を一人撃ち、二人離脱させる戦法で数を減らすと、ポラリスは俺を掴んで引っ立たせ、「走るわよ! それともここで死ぬかどうかよ!」と怒鳴った。

 なんでそうなる! 俺は怒鳴りかけた。だが、なぜか妙に迫真に感じられ、殺される、という言葉に現実味が帯びていた。

 にもかかわらず俺は、放置されていた逆鱗大蛇の絵を掴んで、走り出した。


「どこへいく!?」

「飛空船発着場! 私たちの武装航空艦が錨泊してるの!」

「武装航空艦!? いくらなんでも、そんなの、軍隊じゃないんだぞ!」

「いいから走る!」


 街路を走り、路地に回り、遠回りしつつ発着場に向かう。俺は息を切らしていた。だが、昔から俺は、常人よりはずっと体力がある。

 そのとき、五番通りに出ると一機の戦鎧せんがいが立ち塞がった。

 琥魄エンジンで動く、パワードアーマード・エグゾメイル——琥魄式強化武装戦闘鎧。略して、戦鎧。

 黒と赤の威圧迷彩ブラッディ・カム。決してカムフラージュにはならないが、その威圧感で敵を圧倒する色合い。自然界で、毒を持つヤドクガエルなんかが派手な体色になるような。


「関節を狙えば拳銃でもああいうのを倒せるのが、コミックのセオリーだ」

「貸してあげるからやってみせてよ」


 戦鎧は右手にガトリングガンを、左手にはランチャーを装着している。生身で勝てる相手ではない。


「くそ、“魄巧はっこう”すら置いてきた時にこれか」

「魄巧で勝てる相手かよ。強化人間なのか、お前」

「そうよ。私が時間を稼ぐから、とにかく北に——」


 ぬる、と。

 画用紙の中の蛇がとぐろを巻いた。

 見間違いかと思って、俺は紙を見直して、そして、直後それを慌てて手放す。

 紙が突然瑠璃色に発火し、そこから全身逆鱗の大蛇が顕現する。白黒の、ボールペンで描いたものをそういう2D動画ツールで動かしているような、それよりはずっと三次元的だが、とにかくそういう類の——インクで構成された生物が具現化した。


「やっぱり!」

「やっぱり!? なんだあれ! 俺は何をした! いや、お前が何か——」

「命令して! 戦鎧を行動不能にしろって! 早く!」


 戦鎧はガトリングを向けていた。砲身がスピンアップしていく中、俺は咄嗟に「両腕を砕いて、足を奪え!」と怒鳴っていた。

 大蛇が踊りかかった。銃弾が放たれ、インクの肉体に激突。黒い液体が飛び散り、しかし大蛇は止まらず戦鎧の右腕に突進する。逆鱗が装甲と旋回機銃を抉り取り、ぐるりと反転して左腕を噛み砕いて、脚部を胴の逆鱗ですりつぶして無力化した。


 命令を実行し終えた大蛇はバシャリ、とインクになり、消える。

 俺は明らかにボールペン一本のインク量ではない、と思っていた。明らかに破綻している、質量保存。おそらくあれは——。


「こっち!」


 ポラリスに腕を引かれ、俺は慌てて走って、発着場に入った。ポラリスは検問を銃で脅して推し通り、強引に出航しようとしている巨大な武装航空艦のタラップを掴む。俺も大慌てでそれにしがみついた。

 四基の巨大なプロペラが回転し、金属の塊が浮遊。どういう理屈で、どんな出力でそれが動いているのか、俺は知らないが——おそらくは、反重力機関による浮遊とプロペラの推進で動くのだろう。でなければ、軍艦なんていう何万トンもある物体が空を飛ぶわけがない。


 タラップが機械で巻き上げられていく。俺はぐんぐん上昇していく船に這い上がって、咳き込んだ。

 眼下には、あんなにも憧れたノルドヒルト総合美術大学のキャンパスが、ちっぽけになっていくのが見てとれた。

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