2025年 01月 24日
ブログの更新を終了します
昨日で香樹院語録を読み終わりましたので、本ブログの更新を終了します。なお、本ブログはしばらくはこのままにしておきます。ありがとうございました。善及
◇香樹院語録を味わう◇
https://zenkyu2.hatenablog.com/
新しいブログです。ご覧ください。
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by zenkyu3
| 2025-01-24 05:00
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2025年 01月 23日
ご遺言
※今回でこのシリーズを終わります。
安政五年正月二十三日、師、京都に於いて寂したまう。寿八十有七。ご遺言にいわく。人間に生れぬる大事は、ただ後生の一つなり。誰れかこれを知らざらむ。然れども、よく知る人、はなはだまれなり。仏祖これがために大悲の胸を傷めさせたもう。ただ願わくは念仏の行者、一味の志をもって、自信教人信のつとめをなして給わらば、予がなきあとの喜び、何事かこれに如かん。得やすくして得難きは他力の大信、守り難くして守りやすきは信の上のつとめなり。
徳龍 念仏行者御中
安政五年は西暦では1958年、大老井伊直弼による安政の大獄が起きた年で、五年前にはペリーの黒船が来航し、明治維新まであと十年という年です。さて、一昨年の十二月から一日一章ずつ読み進めてきましたが、これで香樹院語録、全三百章を読み終わりました。善及
南無阿弥陀仏
安政五年は西暦では1958年、大老井伊直弼による安政の大獄が起きた年で、五年前にはペリーの黒船が来航し、明治維新まであと十年という年です。さて、一昨年の十二月から一日一章ずつ読み進めてきましたが、これで香樹院語録、全三百章を読み終わりました。善及
南無阿弥陀仏
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by zenkyu3
| 2025-01-23 05:00
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2025年 01月 22日
臨末のご教誨
香樹院語録 二九九
聞いて楽しむ身の上が、言うを手柄にするぞおかしき。言わぬを手柄と思うなよ。聞き得たままを繕ろわず言うて、なおしてもらえかし。聞いて覚えて、言うことに骨折る人ぞあわれなれ。聞きうることぞ大事なり。聞き得た上の楽しみは、拙き言葉ありながら胸のありだけ語りあい、お慈悲喜ぶたのしさは、覚えた人は味しらず。忘れとうても忘られぬは如来をたのむ心なり。
仏とともに寝て、仏とともに目覚める。仏のお心の中に生まれ、仏のお心の中に死んでいく。よい人生だった。善及
南無阿弥陀仏
聞いて楽しむ身の上が、言うを手柄にするぞおかしき。言わぬを手柄と思うなよ。聞き得たままを繕ろわず言うて、なおしてもらえかし。聞いて覚えて、言うことに骨折る人ぞあわれなれ。聞きうることぞ大事なり。聞き得た上の楽しみは、拙き言葉ありながら胸のありだけ語りあい、お慈悲喜ぶたのしさは、覚えた人は味しらず。忘れとうても忘られぬは如来をたのむ心なり。
仏とともに寝て、仏とともに目覚める。仏のお心の中に生まれ、仏のお心の中に死んでいく。よい人生だった。善及
南無阿弥陀仏
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by zenkyu3
| 2025-01-22 05:38
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2025年 01月 21日
楽々と仏になる
香樹院語録 二九八
五年正月十日参上したれば、もはや終焉ほど近くなり給いしと承り、お枕許にてお顔を見守りまいらせて居たれば、お側におりし長五郎が、この人は江州の了信で御座ります、と申し上げぬ。その時、師はお口の中にてかすかに、昔は命にかけてお求めなされた仏法を、今は楽々と足手を運ぶばかりで、我が身が仏になることをきくのなれば、よくよく聞いて帰られよ、との仰せなりき。
たびたび病床を訪ねてきた弟子の顔もわからなくなった。仏が涅槃に入るところをよく見ておけよ。これが最後の言葉だったろうか。聞いたのは了信だった。善及
南無阿弥陀仏
五年正月十日参上したれば、もはや終焉ほど近くなり給いしと承り、お枕許にてお顔を見守りまいらせて居たれば、お側におりし長五郎が、この人は江州の了信で御座ります、と申し上げぬ。その時、師はお口の中にてかすかに、昔は命にかけてお求めなされた仏法を、今は楽々と足手を運ぶばかりで、我が身が仏になることをきくのなれば、よくよく聞いて帰られよ、との仰せなりき。
たびたび病床を訪ねてきた弟子の顔もわからなくなった。仏が涅槃に入るところをよく見ておけよ。これが最後の言葉だったろうか。聞いたのは了信だった。善及
南無阿弥陀仏
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by zenkyu3
| 2025-01-21 05:37
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