『日経ビジネス』は経済誌としての50年以上にわたる歴史の中で数多くの名経営者や元宰相らにインタビューしてきた。今では鬼籍に入って話を聞くことのできない方や現役を退いた方を中心に、時代を体現した“寵児”たちのインタビュー記事を再掲する。今回はアップルを復活させたカリスマ、スティーブ・ジョブズ氏を取材した1999年の記事を取り上げる。
(注)記事中の役職、略歴は掲載当時のものです。
1999年3月8日号より
業績低迷に苦しんでいたアップルコンピュータが復活した。
昨年8月に発売したカラフルなパソコン「iMac」が世界中で爆発的なヒットを呼び、開発体制の見直しなどによるリストラ効果も手伝って1998年度は3期ぶりの黒字決算となった。
このアップル復活の立役者となったのが、97年9月、12年ぶりに暫定ではあるが最高経営責任者(CEO)に復帰した創業者の1人、スティーブ・ジョブズ氏である。帰ってきたカリスマ、ジョブズ氏にアップルの急激な再生の秘密を聞いた。
(聞き手は本誌編集長、小林 収)
アップル創業時の魂を社内外に吹き込む
96年3月からアップルの最高財務責任者(CFO)兼執行副社長を務めるフレッド・アンダーソン氏は、復帰したジョブズ氏を指して言う。「アップルの社内にオリジナル・ソウルを戻してくれた」。瀕死状態ともいえたアップルの息を吹き返させたジョブズ氏は、どんな魂を吹き込んだのか。
1955年2月米国生まれ、44歳。76年、世界初のパソコン「アップル1」を開発し、翌年アップルコンピュータを設立。85年アップルを退社し、パソコンメーカーのネクスト・コンピューターを設立、CEO就任。86年に3次元CG制作会社ピクサーを設立し、CEO就任。96年12月、アップルがネクスト社を買収。ギルバート・アメリオ会長兼CEO(当時)の戦略顧問としてアップルに復帰。97年9月、アップルの暫定CEOに就く。公式の場でもジーンズ姿で現れるなど、米国西海岸の経営者の雰囲気を今も漂わす。
私が戻ってきたとき、アップルには明確な企業戦略がなく、これが最大の問題だった。
だから私は、明確な戦略づくりとリーダーシップのあり方を変えることに、まず力を入れたんだ。情熱がない3分の1ほどの社員には辞めてもらった。起業したばかりの活力あるベンチャーのような企業にしたかったから、例えば、それまで払っていた巨額のボーナス支給をやめた。その代わりに、社員全員にストックオプションを与えたんだ。
私はストックオプションが好きだね。誰かの働きで株価が1ドル上がれば全員に恩恵がもたらされるんだから。ストックオプションを導入してからは、社員全員がアップルをどう変えるか、目の色が変わってきたと思う。
変えなければならないのは社内だけでなかった。「マッキントッシュを愛してはいるがアップルを憎んでいる」という多くのソフト開発者や周辺機器メーカーにも気を配ったよ(笑)。
彼らは、アップルはマックを殺しかけていると思っていたし、一緒に仕事をしにくい相手だとも思っていた。そこで私たちは、ソフト開発者が一緒に仕事をしたいと思うように、つまり、昔のアップルのように会社を変えていったんだ。
例えば、それまでマックは常に供給過剰気味だった。それでは、マックもソフトもたたき売られちゃうよね。開発する方も面白くない。そこで私たちは、在庫や売れ行きを考えて製品を供給できる提携相手だけに取引を絞り込み、そうでない相手とは縁を切った。こうした努力を積み重ねていったら、ソフト開発者たちもマックの元に戻ってきてくれるようになったんだ。
マイクロソフトとの歴史的な和解
経営の実権を掌握したジョブズ氏は、「マックOS(基本ソフト)を外部にライセンスする」という方針を撤回するなど、外部との関係も次々と改革していった。なかでも世間を驚かせたのが、マイクロソフトから1億5000万ドルの出資を受け入れ、同時にマックOS用ソフトの優先開発と供給の保証も取り付けた“和解”劇だった。
私が戻ってきた2年前、アップルとマイクロソフトはどちらかが勝てばどちらかが負ける状態だった。だから私とビル・ゲイツ会長は、両社が互いに利益を得られるウイン・ウイン(両者が勝ち)の関係を目指すように話し合った。そもそも、マイクロソフトはアップル向けの応用ソフトで稼いでいたから、アップルが健全でいるかどうかは最大の関心事だったんだ。
アップルがなくなるとマイクロソフトが独占禁止法に抵触してしまうから、マイクロソフトはこの提携を望んだのでは、とよく聞かれるが、正直言ってマイクロソフトの考えはわからない。私たちはアップルだけで山ほど問題を抱えており、その解決のために提携を決めただけだ。
ただ、競争者がいることは良いことだし、ウイン・ウインの関係が築かれた。マイクロソフトにとっても喜ばしい提携だったと思う。もちろん、アップルの顧客にも大きな利点があると信じている。
アップルとマイクロソフトは宿敵のようなイメージがあるが、創業時には蜜月関係にあった。例えば、今ではウィンドウズパソコンですっかり定番となったマイクロソフトの表計算ソフト「エクセル」は、もともとマック向けに開発され、マックの上で普及していったものだ。両社の間でパソコンOSを巡る厳しいシェア争いが勃発したのは、ジョブズ氏がアップルを去った後のことである。
実は、劇的な和解の半年前(97年1月)、マイクロソフトはマック向け応用ソフト専門の開発チームをつくった。現在販売されているマック版「オフィス98」は、そのとき開発に着手した。
その開発チームのゼネラルマネジャー、ベンジャミン・ウォールドマン氏は、「1000万人のマックユーザーは当社にとって大切な顧客だ。新たなマック専門の開発チームも発足させた。開発チームの人数は現在200人。マック向けのソフト会社としては最大規模だ」と話す。
機種を4つに絞り製品在庫は2日に圧縮
2年前、アップルには15種類もの製品ラインアップがあった。私は訊きいたんだ。「この製品はいったいどんな客が買うのか?」「どんな客が興味を示すのか?」ってね。でも誰も答えられなかった。自分たちの製品を知らずに、どうやって客に製品を薦めるんだい。クレージーだよ(笑)。
だから私は製品を4つに絞り込んだ。すると大きな利点がわかった。なんだと思う。優れた人材が揃った開発チームをすべての製品に投入できるようになったんだ。
もし、多くの製品ラインアップを維持していたら、レベルの落ちるチームをつくらなくてはいけない。それは具合がいいとは言えないだろう。それに4つしか製品がないから、あわただしく仕事をしなくてもよい。私自身も、すべての製品に注意を払い、助言を与える時間を持てるようになった。
おかげで現在、アップルは非常に好調だ。業績が黒字基調に乗っただけでなくキャッシュフロー(現金収支)も豊富になった。確か26億ドル(現金と短期有価証券の合計、99年の第1四半期末)あるはずだ。
私たちは今、製品の在庫管理を徹底し、在庫が少なくて有名なデルコンピュータの水準を2四半期連続で上回っている。彼らの製品在庫は7日分だが、第1四半期末の私たちの製品在庫はたった2日分だった。現時点では私たちの在庫管理が最高だと思うよ。
市場シェアも伸びている。米国の家庭向け市場のシェアは昨年の5%から10%に上がった。うれしいことだよ。これらはアップルの経営陣が見事なチームを組んで努力したから実現したということを忘れてはいけない。1人の力じゃ決してないね。
アップルを創業したとき、私は17歳と若かったが、今の私はこの業界ではもう年寄りだ(笑)。その経験から言うと、良いリーダーの第一条件は、優れた才能を見つけてスカウトできる力だと思う。優秀な人たちでチームを組めば、失敗するはずがないからね。
「好みの色」が選べないパソコンは遅れていた
iMacは昨年8月の発売以降、累計販売台数は80万台に達した。今年に入って5色の中からボディーの色を選べる新型「iMac」も発売。家庭用パソコン市場で快進撃を続けている。
今、一般消費者がパソコンを買う1番の理由は何だと思う。それはインターネットに接続するためだ。
iMacなら、ダンボール箱から製品を取り出し、インターネットに接続して楽しむまで、せいぜい15分ですむ。ほかのパソコンだったら、段ボールの中からパソコンとその周辺機器を取り出すだけで15分はかかるんじゃないのかな。慣れた人がやっても、インターネットを始めるまでには1時間以上かかると思うよ。
iMacは、インターネットを使ったコミュニケーションの道具にパソコンを変えるというコンセプトなんだ。その意味では最良のパソコンだろうね。
デザインを見てもそうだ。デザインというと外観に目がいくけど、実際には使いやすくデザインされているかどうかも大切なんだ。
私たちはパソコンのユーザーからよく言われたものだ。「機械の後ろから10本もケーブルが出ているパソコンなんていらない。ケーブルをどのプラグに差し込むのか考えるだけで頭が痛くなる。うまく差し込めても、子供がいたずらしてプラグを抜いたら、また最初から考えなければならない」と。私たちはこうした声に耳を傾け、従来とは異なったパソコンを作り上げた。iMacを見てほしい。普通に使うには電源コードを差し込むだけ。たった1本だけだよ。
まだある。昨年、私たちに寄せられた質問で一番多かったのは何かわかるかい。CPU(中央演算処理装置)の動作周波数でも、メモリー容量でも、価格でもなかった。iMacはあんな低価格なのに、だよ。
答えは「iMacを私の好みの色にしてくれますか」なんだ。私たちは自動車や服を買うとき好きな色を選べるよね。家だって好きな色に塗り替えられる。しかし、iMacが登場するまで、パソコンに色をつけることはできなかった。パソコン産業は少し遅れていたかもしれない。もっともっと働かなくてはいけないな(笑)。
ハード、ソフト一体がアップルの強み
ジョブズ氏がアップルに復帰した2年前、アップルをともに興した共同創業者の1人、スティーブ・ウォズニアック氏は、「アップルは今後、ハード部門を捨て、ソフト専業で生きるべきだ」と進言した。しかし、ジョブズ氏はこの見解を明快に否定する。
2年前、ハードウエア部門とソフトウエア部門を両方持っていることがアップルの最大の弱点とよく指摘されたが、それは間違っている。
アップルの最大の弱点は戦略が欠如していたことであり、それはすでに解決した。逆にハードとソフトをともに持っていることは、今やアップルの最大の強みだ。そもそも、ハード部門とソフト部門の両方を持つのは、パソコン産業の中で私たちだけなんだ。
なぜ、これが強みになるのか説明しよう。パソコンと周辺機器をつなぐため、私たちはiMacにUSB(ユニーバーサル・シリアル・バス)と呼ばれる新しい接続規格を採用した。これは大変な優れものだ。しかし開発したのは私たちではなく、インテルだ。
インテルは5年前からUSBの採用を働きかけたが、成功しなかった。なぜなら、マイクロソフトにとってはUSBなど重要でなかったし、コンパック・コンピューターには別のアイデアがあったんだ。
一方、我々はすぐにUSB対応の機器の設計に取りかかり、そこで動くソフトウエアを作った。ソフトメーカーや周辺機器メーカーにはUSBに対応してもらえるように要請した。アップルはハードからソフト、デザインに至るまで製品のすべてを自前で作れる最後のパソコンメーカーなんだ。私は参考となる企業としてソニーに注目しているんだけど、その理由はソニーが製品のソフトもハードもデザインも、すべてに責任を持つ体制を敷いているからだ。家庭向けでは、これが重要だと思う。
ソフトもハードも作っているアップルは、すべてのユーザーに対し、責任を持った対応ができる。自分たちの製品の中身はすべてわかっているからね。これは優位だと思わない?
高収益企業として完全復活
株価も14ドルから40ドルへ
世界パソコン市場におけるアップルの市場占有率は、現在4%。最盛期(95年)の半分しかないが、アップルの復活を疑う業界関係者は少ない。5四半期連続で利益を出し、4~5年続いた赤字体質から脱却したからだ。
加えて発売後4カ月で80万台以上売れたiMacの大ヒット。97年7月に前CEOのアメリオ氏が業績不振を理由に解任された当時と比べると、会社としての勢いがまるで違う。
アップル復活の立役者は、97年9月以来暫定CEOを務めるジョブズ氏だ。
ジョブズ氏は今から14年前、アップルを去ったが、96年12月に復帰すると、大胆にアップルのリストラに乗り出した。まず製品ラインを4つに集約して開発経費を大幅に削減。iMacのようなヒット商品を生み出す開発体制を確立した。株式市場も好感。株価は98年1月から上昇に転じ、1年間で26ドル上がって40ドル前後になった。
世界のパソコン出荷台数は、今世紀中には1億台に手が届くと言われるなか、シェア数パーセントの少数派パソコンであっても、年間出荷台数は数百万台の規模になる。そのパソコン向けに応用ソフトを開発しても十分事業として成り立つ。マイクロソフトも、ウィンドウズで100%のシェアを握ることは独禁法の問題からも考えていない。むしろ、マックの存在を積極的に容認し、事業機会と位置づけている。
パソコンの用途は、インターネットと電子メールの利用が中心になり、使える応用ソフトの数の差は決定力を持たなくなった。実際、日本ではiMacの購入者の46%が、インターネット目当てに初めてパソコンを買った客だという。ウィンドウズに比べ圧倒的に応用ソフトの数が少ないマックにとって追い風である。その意味でiMacのような斬新な商品を提案し続ければ、アップルが高収益企業として復活することはほぼ間違いない。
(本誌編集部)
登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。
※こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。
この記事はシリーズ「時代を彩った“寵児”たち」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
