考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』3話「なんかもう夢ん中にいるみてえだ!」吉原を救うために危うい賭けに出た蔦重(横浜流星)のサンプルプロモーション大成功
酷い世界が広がっている
蔦重は大門で、新潟の女郎屋に売られてゆく音羽(大田路)と会ってショックを受ける。彼女は吉原の最下層・河岸見世「二文字屋」の女郎。1話で店を訪れた蔦重に「待ちかね山!」と飛びついていたあの子だ。音羽は女衒(ぜげん/売春労働仲介業者)に連れられて旅立った。 「二文字屋」では女郎達が寝込んでいる。唇に潰瘍、手の平から全身にかけて赤い発疹──梅毒の初期症状ではないだろうか。梅毒は主に性交渉により感染する。感染リスクの高い遊女の多くは潜在的な患者であった。梅毒の初期症状で寝込むことを「鳥屋(とや)につく」と呼ぶ。一時的な脱毛症状がみられることから、鳥の羽毛が抜け変わる様子にちなんだ俗語だ。潰瘍、発疹と発熱が治まり、再び客が取れるくらいまで回復すると遊女として一人前と喜ばれたが、治ったわけでなく、この時期は梅毒の潜伏期間に過ぎない。 数年から10年以上経つと全身に腫瘍ができ、筋肉、内臓、骨、脳神経まで侵され死に至る。自然治癒はない。 潜伏期間中の患者から性交渉相手に感染し、その新たな患者がまたほかの人間に感染させ……こうして性病は拡がってゆく。江戸時代の医師・杉田玄白が著作『形影夜話』(文化7年・1810年)で「梅毒ほど世に多くしかも難治にして人の苦悩するものなし」と記し「千人診察するとそのうち七、八百人は梅毒に罹っている」とまで書いた。それほど梅毒は江戸の人々を悩ませていたのだ。 抗生物質・ペニシリンの発見は1928年、梅毒に効くと証明されるのは1943年。蔦重達の時代より150年以上も後である。それまでは水銀軟膏など、薬効が薄く根本治療にならない薬で対応するしかなかった。そして、遊女たちにはそうした治療すら施されるはずもない。 1話で病死した朝顔(愛希れいか)が居た部屋には、咳込む女郎たちが寝かされている。 朝顔と同じく労咳(結核)なのか、それとも風邪なのか。風邪であろうと栄養不足と不衛生な環境で人が死ぬ時代である。 この惨状に、二文字屋女将・きく(かたせ梨乃)が閉業を口にした。 きく「女郎なんて売られてきて、他に生きる術がない」「この子らはわっちが手を離したら終わりだと思ってやってきた。けども……」 親に売られ借金を背負わされたまま、売春以外の道を閉ざされた女たち。女将であるきくが音羽を新潟の女郎屋にやったのは売り飛ばしたというよりも、せめて最低限でも食事できるであろう他の女郎屋で生きてほしいという願いからだろう。 売春を続けさせるのがいいというのかと、現代の感覚では思ってしまいそうだ。しかし、この7年前・明和4年(1767年)に幕府が「間引き禁止令」を出していることを知ると、女将きくの絶望を少し理解しようという気になる。貧しい村では生まれた子を育てられず、間引きが横行した。それを禁止する法令を出さざるを得ないような事態だったのだ。 1話で蔦重が「親兄弟がなくても、白い飯を腹いっぱい食えるのが吉原のはずだ」と嘆いた。このままでは飢え死にしてしまう、ならばせめて女郎屋で生き延びてほしいという親の願いが、女将きくと同じくあったのではないか。遊郭の内側も外側も、酷い世界が広がっている。現代の我々にできるのは過去を知り、今と未来に活かすことではないだろうか。 吉原の不況、河岸見世の現状をなんとかしたいと、蔦重は危うい賭けに出た。
【関連記事】
- 考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』美化できない暗部も見せた1話。物語を陰惨に引きずらせない蔦重(横浜流星)の明るさ、力に魅せられる
- 考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』2話「瀬川とお呼びくださんし」平賀源内(安田顕)の心を見抜いた花の井(小芝風花)…愛する人との時間が蘇る、夢のような夜
- 考察『光る君へ』25話 まひろ(吉高由里子)を娶ったとわざわざ報告する宣孝(佐々木蔵之介)、動揺を隠せない道長(柄本佑)
- もっと考察『光る君へ』平安初心者の夫に「衣装の違いを知ると、ドラマがぐっと身近になる」と語ってみた(特別編)
- 考察『光る君へ』26話「中宮様が子をお産みになる月に彰子の入内をぶつけよう」愛娘をいけにえとして捧げる道長(柄本佑)に、権力者「藤原道長」を見た