自分の期待に応えること。
東京在住の女性M様から「昨年二つの職を失い、これからどのように食い扶持を稼いでいこうかなぁと考える毎日です。今更ながら自分と向き合っているのですが、お会いできたら嬉しいです」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。長女であるM様は、自分がどうしたいかよりも、周囲に迷惑をかけないこと、人を不快にさせないこと、調和を守ることが大事だと思って生きてきた。どう思われるかを気にして生きていたら、自分のやりたいことがわからなくなったと言った。
M様は「やめさせてもらうのが大変だった」と言った。私は、不思議だなと思った。仕事はやめるものであって、やめさせてもらうものではないと思った。幸せになるのは自分の意思であって、誰かに幸せにしてもらうとか、誰かに幸せになることを許してもらうとか、幸せになるためには誰の許可も要らないと思った。M様は、許可を求めているように思えた。自分から何かを「したい」と言うのではなく「してもいいですか」と聞いてまわっているように見えた。誰にも迷惑がかからないタイミングを探している間に、自分の期待や自分の理想が生き埋めにされているように見えた。
それでは生きるのが苦しくないのかなと思った。私は、人とお会いした時に「自分の存在は答え合わせに使われているのかな」と思うことがある。答えを求める人は、自分の中に、答えがある。だから、新しい何かを求めると言うよりは、自分の中にある答えを強化するために、人と会ったり、本を読んだりする。私には、答えは死んでいるように見える。今日の答えが、明日の答えであるとは限らない。答えは、イエスでもあり、ノーでもある。答えは、イエスでもなく、ノーでもない。答えは死んでいる。答えの奥に応えがある。生きているものは応える。それっぽい答えではなく、自分の内側から湧き上がるものに応えて行く。固定された答えは、固くて、冷たくて、死に近い。
どう思われるかばかりを気にしていると、自分の内側から湧き上がるものに応えることができなくなる。答えは増えるが、体に、心に、魂に、応えることができなくなる。愛とか、感謝とか、調和とか、綺麗な言葉で人のせいにするようになる。自己犠牲が増える。どうせこう思ってるんでしょと、自己完結が増える。弁解が増える。弁解をすると、展開しない。どうすれば嫌われないかではなく、嫌われたとしてもやりたいことが、自分の期待だと思う。期待は、自分に寄せるものであって、他人に寄せるものではない。自分の期待に応えること。他人に寄せた期待は、甘えだと思う。
自分を不幸だと思わないこと。答えを求めるのではなく、内側から湧き上がるものに応えること。人目を気にするだけではなく、どうしたいのかを言葉にすること。弁解ではなく、展開すること。答えは死んでいると思う。生きているものは、問いだと思う。自分はどうしたいのか。自分の心は何を望んでいるのか。答えを求めるのではなく、問いをぶっつけ合う。衝突を避けるのではなく、衝突し、お互いの中にお互いを発見して、自分が拡がり、自分が展開する。その瞬間に飛び散る火花が、充実の証であり、生き甲斐だと思う。生と死があるのではなくて、生は死で、死は生なのだと思う。答えは問いで、問いの中に答えがある。
坂爪圭吾様
先程はありがとうございました。
お話できて嬉しかったです。
お花とカードと紅茶と本、ありがとうございました。
ニラレバも美味しかった!
おっしゃっていただいたこと、本当にその通りだなぁと思うことばかりでした。
もっと自分がやりたいことは何なのか考えていきたいです。
今日みたいに、どんな方かなぁ会ってみたいって思った方とお会いしたことは、私がやってみたい冒険の一つです。
最近、お店や展覧会や宿など行ってみたいと思った所にも行ってみるようにしています。小さなことだけど、私にとっては冒険でワクワクします。
今日の帰りの山手線でも、ほわ〜んって冒険したことに満足していました。
自分自分で周りが見えてないのに、自己犠牲の人生って何だかヘンテコリンで、まさに私って感じがします。
自分にとって人に嫌われてでもやりたいことは何なのか、じっくり考えてみます。
きれいな言葉で人のせいにせずに。
お時間作っていただきありがとうございました。寒い日が続きますので、ご自愛ください。
おおまかな予定
2月7日(金)東京都中央区界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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