記録するのをやめること
日記は2、3日書いてやめるくらいがちょうどよいとされる。それ以上続けて書くと、生活のために日記を書いていたのが、日記のために生活を営むこととなり、実存の所在が反転してしまうからである。
認知症を患いながら5年前に肺炎で亡くなったある劇作家がこう述べていた。正確には、「実存」の「所在」が「反転」する、など硬い言葉は使っていなかったと思う。もっとやさしい言葉遣いで、ページのうしろでほくそ笑みながら、ユーモアあふれる思いちがいの世界へ読者を丁寧に導いてくれるエッセイだった。ぼくの記憶に残っているのは、この本を読んで感銘を受けたこと、それを私的な読書日記に引用を交えながら書き記したこと、いまではその内容をほとんど忘れてしまったこと、それだけだ。完全に忘れたのではなく、ほとんど。内容は忘れたが印象に残っている。読書日記に用いたB5のツバメノートの所在はいまや知れないけれど、白紙のページが半分以上も残っていたことに関しては、罫線の並んだフールス紙のきめ細やかな手触りの確信がある。
日常生活をコツコツと記録しつづけるような日記をぼくはあいにく得意とはしていなかったから、日記のために生活を営むことにはならずに済んだ。晴れやかな年初に思い立って新潮文庫の『マイブック』なんかを買ってみることはあったものの、いつもひと月も経たずに筆は尽きる。冒頭の言葉に則ると思いちがいの世界ではこれはいいことにはちがいないのだが、コンプレックスとは得てして物事の善し悪しとは無関係の、自分のもたざるものへの羨みや怨みの気持ちである。どうにかして日記(のようなもの)を書こうと、己が得手と日々の記録を結びつけようとした結果、ぼくにとってそれは観劇の記録、つまり劇評になった。
はじめはスマホのメモ帳に、それからTwitter(X)上へ。最近の投稿をいくつか引用する。
新国立劇場『ピローマン』
ものを語るとはどういうことか。やさしい言葉で語るとはどういうことか。文学作品の舞台化が往々にして原作を越えられないのは台詞が文字に近すぎたからで、本作で語られるさまざまな残酷なおとぎ話のやさしい言葉は声音を引き寄せ、世界を近づける。すばらしい上演だった。
新宿梁山泊『ジャガーの眼』
テントの奥がひらけるとき、外気がテントを吹き抜けるとき、芝居の世界にすっかり訛った役者の台詞はこだまに掻き消え、客の頭上の熱気はさらわれ、うるむ瞳も乾くしかない。けれど汗でも涙でも唾でも水飛沫ならなんでも、吹き飛ばされたあとに残る水分の結晶に救われる。
名取事務所『少年Bが住む家』
プロセニアムを大切にしたある劇作家がジァン・ジァンのような二面舞台をも深く愛したのは、舞台に働く力が垂直か水平かでしか違わないから、つまり、一面では横と高さの客から見た平面、二面では横と縦の天から見た平面の構造が強く、だから居間を斜めに置く必要はない。
こうした140字ぴったりのちいさな劇評をぼくは一時期毎日のように書いていた。日に日に煮詰まる言葉の面白さを知った。文章修行青春の日々だった。でもそれも今日でやめようと思う。
いちいち書き残すのが億劫になった、といっても嘘ではない。事実、団体名・題名込みでちょうど140字に収めるのは、スマホのメモ帳を使っていたころの字数無制限の間延びした書き殴りよりもメリハリはあったが、あくまで個人的な課題でしかなく、エゴサーチに熱心な公演関係者を慰撫(あるいは逆撫でだったかもしれないが)するだけだった。観劇中の頭の中に切り詰めた言葉が空転するばかりで、目の前の舞台に集中できなくなっていった。言葉は湧いて出てくるけれど、どうにも本質からは遠ざかっていくような気がする。それはある物体が宙でくるくると自転しはじめて、内側の蓄えが遠心力の働きにより表面へ勢いよく浮かびあがるとき、空っぽとまではいわないけれど、それまで中心で赤熱していた核となるつかみどころを失って、ただいたずらに沸き返る心地だった。
なにが悪いのだろう。記録することのいったいなにが?
結局のところ、忘れることを必要以上に恐れていたのだと思う。
忘れることは恐ろしい。暗記問題の空欄を埋められないときは歯がみするし、顔見知りの名前を思い出せないときにはきまって嫌な汗をかく。これまでの経験がいちどきに無に帰するようで、腹立たしさを伴った情けない脱力感に襲われる。
忘れたことすら忘れてしまうのはさらに恐ろしい。なにを忘れたのかに気づけさえすれば、飛び越えかけた記憶の隙間にかろうじて目を注ぐことができるのに、気づかなければそこを素通りするしかない。もしもあなたが認知症を患った親類や知人に会ったことがあるのなら、この恐ろしさはきっとよりいっそう切実なものとなるだろう。ぼく自身、認知症を患った祖父母のもとへ久しぶりに行ったとき、案の定ぼくのことなどキレイサッパリ忘れていて、心の準備もしていたけれどそのときは涙が止まらなかった。記憶の風景の重要人物だった祖父母は認知能力の衰えからくる朗らかな笑みを浮かべたかと思いきや急に真顔になり、躊躇なくぼくに背を向けて歩き出し、遠く霞に紛れていつの間にか見えなくなる。あとには焦点を合わせようにも合わせられない茫漠とした白い霞だけが残される、なんの感傷も残さないまま。忘れたことを忘れるとはつまりそういうことである。
忘れることはたしかに恐ろしい。それでも、忘れることからは逃れられない。日々の生活を営みながらぼくらは数多くの出来事を飛び越している。日記に書き残されるのは生活のうちのごくわずかな断片でしかない。断片と断片を継ぐように記憶が呼び起こされることがあっても、それは点と点を改めて結び直した推論の線であって、かつて本当にあったことを取り戻すのは永遠に叶わない。それどころか、書き記す時点で記憶の力学の作用を否応なく受けるその内容は、果たして、事実をくまなく正確に反映していると胸を張って言えるだろうか?
忘れようにも忘れられない、ということもある。そしてときにそれは忘れることよりも恐ろしい。思い出したくもない出来事が亡霊となって取り憑いたまま、亡霊は亡霊を呼び、数を増し、色濃く実体をもちはじめる。日々を順調に過ごしている最中、頭の中を不意にかすめる恥と後悔と自責の念に目の前が突然真っ暗になり、生殺与奪の権を握られたような心地さえするのは、繰り返し引き出された過去が現在に居直り、記憶のために生かされはじめ、まさに「実存の所在が反転してしまうから」だ。
これらを踏まえた上でぼくは問いたい。忘れることは本当に恐ろしいことで、覚えることはすばらしいことだろうか? そもそも、恐れとはいったい?
いまでも時折、認知症の祖父母の浮かべた「朗らかな笑み」を思い出す。そこに答えがあるんじゃないかと思う。彼らは大事なことをたくさん忘れてしまったはずなのに、つゆほども恐ろしさを感じさせない朗らかな笑みを漂わせ、介護によって生かされていたのではなく無垢のまま生きていた。それがあんまり無垢だったので、将来の自分を覗き見る心地でこちらは恐ろしくなったけれど、彼ら自身は記憶の穴ぼこをスキップしながら飛び越えて、進みながら猛烈に若返り、背を向けて遥か先まで行っていた。およそ一世紀にもおよぶ長い人生の出来事の集約を朗らかな笑みに託し、覚えるも忘れるもない、記憶の二分法の埒外へと歩み出していた。ぼくはそれが羨ましい。
「記録するのをやめました。覚えてることはいつまで経っても覚えてるだろうし、忘れたことはいつまでも思い出せないだろうから、時の流れにまかせて、諦めて、頭の中だけで完結させようと思ったんです。覚えてることだけ覚えてればそれでいい」
中央線沿いに用事のあるときは必ず訪ねることにしている阿佐ヶ谷のカクテルバーにて、近ごろ物忘れで悩んでいるという84歳現役のマスターにカウンター越しにそう言うと、彼は記憶に絶対の自信をなくしつつある者特有の力みの抜けた笑みを浮かべ、
「そんなん若いから言えるんだよ」
と応える。強情ながらも、ソフトクリームが溶けるときのような表情と抑揚で語る。そして会話は宙に消え、いままで通り時は流れだす。彼はいまでも、その会話を覚えているだろうか?
誰もわからない。誰も覚えていない。


コメント