待つのがイライラ。ワーキングメモリの問題。
なぜ待つとイライラするのか、それを考えたのだが、たとえば徒競走のスタートラインにいるとする。いつ号砲が鳴るかわからない、そこで待たされたらイライラする。「位置 について」「用意」と言われて、その「用意」の状態で延々と待たされると痺れを切らすわけだ。逆にゴロゴロしながら漫然と待っているような場合は「用意」ではないのでイライラしない。レジ待ちでイライラするのも、徒競走に似たところがあるのだろう。陸上選手がオリンピックのスタートラインに立つのとは話が違うが、ゴロゴロしながら待つわけにもいかないので、「用意」の必要がある。では「用意」とはなにかというと、同一の<現在>の持続である。われわれは現在→現在→現在→現在→現在→現在→現在→現在→現在→現在という世界を生きているが、自分の部屋でゴロゴロしていたりすれば、現在は別の現在へ漫然と切り替わっていく。「用意」だとまさに同一の現在がループしており、フリーズしてしまったような状態だ。陸上のスタートラインで「用意」しているのも、そこから走り出すのも、両方とも<現在>なのだが、切り替わってくれたほうがストレスがないようである。「用意」で焦らされるイライラにも個人差があるだろうし、(調べたわけではないが)ワーキングメモリが弱い、という仮説を述べることも可能だ。なにかの数字を一時的に覚えて紙にメモするとして、紙が見つからなくて探すのに時間がかかったら、その状態はストレスである。<現在>から別の<現在>に切り替わったら数字を忘れてしまうからである。そこには個人差もあるだろう。