南海、オリックス、ダイエーでプロ野球歴代3位となる通算567本塁打を放った門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなった。74歳だった。大阪サンケイスポーツでは2010年オフの企画「プロ野球三国志 時代を生きた男たち」の初回で当時62歳の門田さんを取り上げ、同11月から11回にわたって連載した。壮絶な野球人生を送った故人を悼み、再録した同連載は今回が最終回―。
1つ1つ思い出しながら、野球人生を振り返ってくれた希代のアーチストは何度も「楽しかった」と繰り返した。ただし、引退後の話題になるとちょっと寂しそうな顔に。
「飲み過ぎなかったら、(監督やコーチとして)ユニホームを着るチャンスもあったんやろうけれど…。強靱な体を作ったつもりでいたから油断した。フッとアルコールに手を出す。朝昼晩ね。糖尿になった。神経の合併症になる。いろんな病気が出てきた」
今から5年前には脳梗塞で倒れた。
「背伸びしようとしたら、急にきた。平衡感覚の障害でフラフラや。真っすぐ歩けない。倒れないようにするので精一杯。きょうは体調がええのかなあ、と思ってたら、すぐに頭が痛くなって。たえず、柳の木や。風が吹いたら痛い。今でもそんな感じ。脳梗塞は堪える。首から上の病気ってしんどいね」
足を大火傷もした。今は、ゆっくり、足を引きずりながら歩く姿が痛々しい。
病魔と闘う中で勇気を与えてくれたのが、野球人として最高の勲章、殿堂入りだった。2006年のこと。その贈呈式での記者会見には、1人で歩けず、両脇を抱きかかえながらの参加となった。いろんなことが脳裏を駆けめぐった感無量の会見では「最高のものを頂きました。人生の終着駅に着いたかな、と感じています」と思わずあいさつしてしまう。
これを聞いて怒ったのが、隣にいた金田正一。名球会を通じて長く付き合う球界の大先輩は、門田が本音で話せる最も慕う存在でもあった。