後書きに告知があります。
「お帰りなさい」
昼ご飯を真昼の家でとってから家に戻ると、随分とニコニコとした母親が出迎えた。
何故か頬がつやつやとしているのは、趣味である妄想が満たされたからかもしれない。今回ばかりは邪推とは半分くらい言えないので、とりあえず冷たい目線を向ける事にしておいた。
真昼は志保子に見透かされたのではないかと頬を赤らめているが、確実に志保子の妄想の中の方が過激な事をしているだろう。
「お帰り二人とも。あ、冷蔵庫の中のもの勝手に使ったけどいいかな」
「そんな気にしなくても、使っていいって言ってただろ」
志保子とは対照的に修斗は落ち着いた様子で、洗い物をしていたのか手を拭きながらひょっこりと顔を覗かせていた。
「足りないものあったらまた買い物に行くから。好きに使ってくれ」
「あ、お二人が数日滞在するなら食材が足りないから買い物に行かないと駄目ですね。折角ですから」
「あらぁ、それじゃあ後で買い物に行きましょうか。車ならあるし」
基本的に義娘(予定)の真昼の事をいたく気に入っている志保子は、一緒に買い物という事で上機嫌そのものの笑顔を浮かべている。
「おや。じゃあ志保子さんは椎名さんとお買い物に行っておいで。私は周と片付けをしておくから」
「あら、修斗さんはいいの?」
「まだこの家に滞在するからね。語らうのは後でも出来るよ。女性二人で話したい事もあるだろうし……」
「男性二人でも語らいたい事があるんじゃないのかしら?」
「うーんどうだろうね。でも、周とは話しておきたい事は幾つかあるよ」
母親からなら想像がつくが、父親から何を言われるのかあまり想像が出来ないので思わず修斗の顔を見るが、穏やかに微笑まれるだけ。
昨夜の事を聞きたがっているようには思わないし、性格的にも聞きたがらないだろう。尊重してくれる姿勢はとてもありがたく思っているが、反面何を考えているのか読みにくく困る時もある。
にこやかな修斗の眼差しに気まずさを覚えて視線を泳がせば、志保子は早速とばかりに真昼の手を引いて外に連れ出そうとしていた。
自分の楽しみのためと、恐らく語らいの場を用意するためだろう。
「じゃあ早いところ行っちゃいましょうか。折角だからこの辺りのおすすめのカフェも教えてほしいわねー」
「あっ、あの、志保子さん」
「真昼ちゃん、いい事教えてあげるからお出かけしましょうか」
「い、いい事……?」
「行ってからのお楽しみよ」
にっこりと、修斗とは違ったにこやかな笑みを浮かべた志保子に何故か背筋が震えたが、止める間もなく二人は出て行ってしまう。こちらを気にしつつも志保子についていった真昼は、いい事が気になったのとこちらを気遣ったからだろう。
一気に静かになった家に修斗は苦笑を浮かべ、キッチンに戻る。
周も手伝いをしようと顔を覗かせたら「片付けは口実だから」と微笑んで用意していたらしい水出しのアイスコーヒーの入ったグラスを手渡された。
ある程度予測していたようなスムーズさに小さく唸って、周は素直に二人分のグラスを持ってリビングのソファに座る。
隣に座った修斗は、あくまで静かで穏やかな眼差しを向けてくるので、周は居心地の悪さに頬をかいた。
「……父さんは、俺と何を話したいんだ」
「そうだね。椎名さんと仲が良さそうでよかったな、と」
「それはどうも」
揶揄するでなく感心したような、安心したような、そんな声音だったので、声からトゲを抜いて返す。
根掘り葉掘り聞くような性格ではないと分かっているが、やはり交際関係について聞かれると思うと身構えてしまうのだ。
ただ、周が予想していたような問いかけは飛んでこず、嬉しそうな「仲がいいのはいいことだよ」と微笑んでいるので、トゲと一緒に毒気も一緒に抜けていく。
「……ほんとに、父さんは何にも言わないよなあ」
「聞かれたら恥ずかしがるのが周だからね。拗ねちゃうだろうに」
「うるさい」
全て見抜かれているようで気恥ずかしく、目を逸らせば笑い声が聞こえた。
「それに、その様子だと何もしていなさそうだからね」
確信したような声音に、母さんよりある意味たちが悪い、と呻きながら修斗を見れば、いつもの微笑みが出迎える。
「まあ、私がとやかく言う事ではないだろう? 周の事だから、よく考えた上で過ごしたんだろうし。君のいいところであり損するところだよ」
「……後々の事を考えればこれが正しい」
「我が息子ながら高校生なのによく理性的になっているというか。まあ、ベタぼれなのは分かり切ってるけど」
「……仕方ないだろ」
「うん、そうだね」
私もそうだったからね、と暫く笑った修斗は、ふと笑みを抑えた表情で周を見つめる。
「ああ、周」
「ん?」
「費用の事は心配ないよ?」
その一言に、周は身を強張らせた。
周も真昼も、共通認識として将来的には結婚するというものがある。だからこそ今は真昼の体とこれからを大切にして体を重ねない選択をした。納得の上での、昨夜の出来事だ。
そこから先の、現実的な問題――費用面での事や、真昼の両親からの許可などは、周が真昼には話さずに考えている事だった。
結婚するなら当たり前ではあるが金銭的な問題が出てくる。式や住まい、収入等どうするか、籍を入れた後の事を考えれば、夢を見るだけでは結ばれる事は出来ないと考えてはいた。
それをまさか修斗が言ってくるとは思わずに固まれば、やっぱりといった風に苦笑している。
「周と、そして椎名さんの親として、祝福したいからねえ。むしろ、椎名さんのような子は憂いなく幸せになってほしいし、息子にも幸せになってほしいからね。これくらいはさせてほしいかな」
「……そういうのは、自分達の力でするもんじゃないのか」
「いつになるんだいそれは」
「うっ」
それを言われると、辛いものがある。
全部自分達でしようと思ったら社会人二、三年生くらいになってようやく用意出来るといったところだろう。女性にとっての憧れである式というのは欠かしたくないし、真昼のドレスや白無垢は見たい。
ただ、それは真昼を待たせる行為であるとも分かっているので、苦しんでいた。
「そんなに椎名さん待たせたいの? 特に、女の子にとって、時間ってのは貴重なんだよ?」
「ううっ。……それでもだな」
「私にとって、式は門出であり、最後に親からあげられる大きな贈りものだと思ってるよ。可愛い息子と娘が親の手を離れて夫婦で生きていくんだから、それくらい親にも手伝わせてほしいな」
そう微笑んでコーヒーを口にした修斗は、口を潤してからもう一度口を開く。
「もちろん、自分達が全部すると決めたなら、それを支持するけど。そうでないなら、椎名さんのご両親の分も私達から祝わせてほしいよ」
修斗も志保子も、真昼の家庭環境を知って親代わりになるつもりでいる、というのは知っていた。実の娘のように、そして義理の娘のように、真昼を大切にしてくれているのは、見ていて分かる。
本人の言うとおり、今まで与えられなかった真昼の両親の分、真昼に親としての愛情を注いでいるのだろう。だからこそ、妥協しようとする風に見えて譲るつもりがないのも、分かった。
本当に甘えていいのか、と思った周を見透かしたように笑った修斗は、周の髪をくしゃくしゃと雑に撫でた。
「君は昔から甘えるのも頼るのも下手だったよねえ。いいんじゃないかな、親らしい事をさせておくれよ」
「……充分に甘えさせてもらってる」
「そんな事はないよ。反抗期がロクにこなかった代わりに自立心だけ先に育っちゃって寂しかったんだよ?」
わしゃわしゃ、と撫でる手を止める気のない修斗に、周もその手を止める事はなかった。
くすぐったくて、気恥ずかしくて、でも嫌ではない。親への信頼と安心感が、この行為を素直に受け入れさせていた。
「周が親になって孫の顔を見せてくれたらいいんだよ。親孝行なんて自分達の生活が安定してからでいいんだからね。幸い、私も志保子さんも健康体だ。健康に気を付けてるし、家系的にも長生きするさ。死ぬまでにいい感じに恩返しでもしておくれ」
へにゃりと笑って周を子供扱いする修斗に、この人達の子供でよかった、と胸にじんわり染み入る思いを感じながら、周は眉尻を下げて甘んじて子供扱いを受け入れた。
この度「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」第2巻の発売日が4月に決定した事をご報告させていただきます。
それにともない、和武先生のお申し出により2巻からイラストがはねこと先生にご担当いただく事になりました。
既にはねこと先生に描いていただいたカバーイラストを活動報告に掲載されておりますので、よろしければご覧になっていただければと思います。その他の詳細も活動報告に掲載しております。
はねこと先生の描く真昼達を今後見守ってくださると嬉しいです。
今後とも「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」を応援していただければと思います!