吉田氏が岡田氏に厳しくもあったのは、監督としての“器”を見抜いていたからだ。グラウンドを離れても気に留める存在だった。だからこそ日本一を遂げた際は「素晴らしい優勝です。岡田は名将になりましたな」と手放しで喜んだ。

自宅をあとにする時、岡田氏はもう一度頭を下げた。「またゴルフや食事ができると思っていたのに…。かけがえのない人。ご恩は忘れません」。永遠の別れを惜しみ、沖縄に向かった。【寺尾博和】

◆吉田義男と岡田彰布 吉田監督が2度目の復帰となった85年から87年までの3年間、岡田を中軸に据えた。就任直後の85年には正二塁手の真弓を右翼にコンバートし、一塁や右翼を守っていた岡田を二塁に固定。岡田は35本塁打、101打点で21年ぶりリーグ優勝と球団初の日本一に貢献。ベストナインとダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞した。第3次吉田政権の98年には、現役を引退してオリックスの2軍助監督兼打撃コーチをしていた教え子の岡田を2軍打撃コーチで阪神に復帰させた。吉田は85年、岡田は23年に阪神監督として日本シリーズを制し、球団で2度しかない日本一に両者とも導いた。阪神での監督通算勝利数は岡田が1位の552勝で、吉田が3位の484勝。両者とも選手と監督の両方の立場から阪神を長年支えてきた。

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