ここは秋田の美郷町ですか? 秋山高志 茨城県史の研究(1980年)の195 ページより 藤井玄信(名・忠貞) 岩根村(現在の茨城県水戸市) 原南陽(はらなんよう)の門人

Joined September 2021
チャレンジと言えば聞こえはいいですが、周囲の迷惑を考えずに突き進む町であることは間違いないでしょう。これにより、美郷町の犠牲者が沢山出ています。 この方々が主張しているような龍角散の創生者が美郷町出身であるという史実はありません。所説(諸説)ありとしておけば円満だったのだろうと。
龍角散公式note📝no.13「佐藤さんから見る、美郷町と生薬」 2024年最後の記事を公開しました。 ぜひ記事の閲覧と、最後に「スキ」をお願いいたします📷 note.ryukakusan.co.jp/n/n025… #note #龍角散 #秋田 #美郷町
昨年の秋口からポストの量を減らしていましたが、結局、似たような話題になってしまいました。 一時期はやりすぎた感じはありましたが、それによって様々なことが発覚したのは大きかったなと。
我こそは龍角散の直系だ 東京龍角散の隆太社長の知り合いだ と主張し、お寺や役所・役場などと無断で交渉し、多方面に迷惑をかけている人がいるようです。 繰り返しとなりますが、何かご存知の方は通報にご協力お願いいたします! 今なら話が通りやすいです。
我こそは龍角散の直系だ 東京龍角散の隆太社長の知り合いだ と主張し、お寺や役所・役場などと無断で交渉し、多方面に迷惑をかけている人がいるようです。 繰り返しとなりますが、何かご存知の方は通報にご協力お願いいたします! 今なら話が通りやすいです。
これもですね。これは龍角散が美郷町六郷東根の出身だと思い込んでしまう原因があったのでしょう。 なお六郷東根に親戚はおりません。今もこの地で米作りをしている龍角散の縁者は春霞の栗林家です。 過去の六郷町の役場に藤井という親戚はおりません。
チャレンジと言えば聞こえはいいですが、周囲の迷惑を考えずに突き進む町であることは間違いないでしょう。これにより、美郷町の犠牲者が沢山出ています。 この方々が主張しているような龍角散の創生者が美郷町出身であるという史実はありません。所説(諸説)ありとしておけば円満だったのだろうと。
なお当家とこの甘草栽培をしていた湯川清四郎家(志ら梅)とは親戚ではないと思われます。 kosho.or.jp/products/detail.… 六郷町史自体、当時の龍角散側の許可を取ったものではないので、よろしくお願いいたします。
チャレンジと言えば聞こえはいいですが、周囲の迷惑を考えずに突き進む町であることは間違いないでしょう。これにより、美郷町の犠牲者が沢山出ています。 この方々が主張しているような龍角散の創生者が美郷町出身であるという史実はありません。所説(諸説)ありとしておけば円満だったのだろうと。
なお藤井正亭治の説明として、門外不出の龍角散を~と書かれていることがありますが、長崎遊学後に薬を扱う役割に任命され、嘉永年間には薬を販売していたとされます。 これは龍角散関連の古い資料に書かれてあるものです。
江戸時代の医者というのは、実際には身分が低かったと言われています。 なお、秋田藩には様々な名医がいたとされますが、元は秋田方面で良く売れていた龍角散が、全国的に有名になったのは広告戦略※によるものだとされます。 ※資料通りですので、よろしくお願いします。
Replying to @freefir_fox_200
江戸時代の医者というのは、実際には身分が低かったと言われています。 なお、秋田藩には様々な名医がいたとされますが、元は秋田方面で良く売れていた龍角散が、全国的に有名になったのは広告戦略※によるものだとされます。 ※資料通りですので、よろしくお願いします。
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江戸時代の医者というのは、実際には身分が低かったと言われています。 なお、秋田藩には様々な名医がいたとされますが、元は秋田方面で良く売れていた龍角散が、全国的に有名になったのは広告戦略※によるものだとされます。 ※資料通りですので、よろしくお願いします。
もう一度。お心当たりありませんか? ここからとある映像製作会社の方のアカウントが浮かび上がりました。 皆さんのタイムラインにもいるでしょうから、ご注意ください!
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明治4年は東京府に支店(のち本店となる)を出したが正しいのですよ。 得三郎は東京における支店長扱いだっだと資料にあります。 なお龍角散の名前で江戸時代から、現在の秋田市を本店とし、大仙市(大曲)で龍角散を販売していたと言われています。
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明治4年は東京府に支店(のち本店となる)を出したが正しいのですよ。 得三郎は東京における支店長扱いだっだと資料にあります。 なお龍角散の名前で江戸時代から、現在の秋田市を本店とし、大仙市(大曲)で龍角散を販売していたと言われています。
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そういえば当アカウントに噛みついてきたのが、このあきたいざたんだったなと。 こことリプしていたのが、ガイド系のアカウント。さらにそこから見つけたのが、大阪の小林製薬の近くで生活していた人でした。 そして当時は見られた「いいね」から何人かに絞り込んだことなど、色々思い出しました。
複数の資料から国替時に藤井という名字の武士及び、医者は出羽(秋田県)に来ておりません。 よって国替時に六郷東根(美郷町)、大曲の村(大仙市)に移住したと書かれている資料等は間違いです。ご注意ください。
思うような展開に~の間違いでした。 なが抜けました。ごめんなさい。
自分たちの思うよう展開にならなくなると、あの手この手で龍角散のエピソードを美郷町や現在の福島県の相馬の話にしたい人がいるようですが、これを繰り返すと味方はいなくなりますよ!
コメント失礼致します。元は江戸中期のお殿様がのどが悪かったというものであり、今現在の佐竹義堯のための龍角散だと年代が合わないのでご注意ください。 秋田藩としての龍角散の原型が作られたのは1797、または1799年。根本的に玄信、玄淵と名乗った久保田藩医が何人いたかは分かっておりません。
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東京側は、関東大震災、東京大空襲などで資料が焼けたことが影響しています。 そして専門家ですら、本来の龍角散の由来にたどり着けなかったのは、「龍角散は秋田藩のもの」だと決めつけてしまった感じがあります。 そのため今後の調査は、若い先生たちの方が理屈が立つのではないかと思われます。
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長田先生、リプライ失礼致します。 本来の龍角散の原型とは、茨城県にありまして、水戸藩の原という医者の処方を習ったのが始まりです。 そもそも水戸光圀と水戸儒学、琴楽、医薬は密接な関係にあり、竜角と和琴とは音楽に関する用語なので、本来の「龍角散」の名前とはここから来ているとされます。
さあ、もう一度。 その先に見えるのは、 当然、美郷町や仙北市の関係者ですよね。 例えば、現在の美郷町六郷出身だとしても、六郷野中、六郷東根湯田・細田地区などの生まれの人が発言したからと言って、それが正しい情報なのでしょうか? やればやるほど逃げられなくなるのです。
ここ大事。 数年前に良くやっていた あなたのポストのすぐそこ! というのが、まさに今回の件にあたりますね。 美郷町と仙北市の件は叩けば埃が出る人が沢山います。 これは「天が与えたチャンス」でもあるので、この機会に人間関係を見直し、怪しい連中とは付き合わない方がいいですよ。