25−9
「いらっしゃい。遠いところをお疲れ様でしたね」
「よぉ、また会ったなお嬢ちゃん」
本当に彼の言う通り、広大な屋敷に使用人は一人とおらず、金属製の門から玄関まで伸びている美しいモザイクの石畳を行きながら、緊張と物珍しさで私は辺りをキョロキョロ物色。クライスさんから行儀が悪いと視線を貰うかと思いきや、後で庭の散策にでも、とナチュラルに誘われる。
玄関のノッカーで三回それを打ち鳴らし、少ししてから開いたドアにはクライスさんのご両親。壮年の雰囲気漂う気品溢れる女性の横に、時の神殿で見(まみ)えた人がニッと笑って出迎える。
そこで。
「……母…上…?」
という、謎声明をあげた息子に、おそらくソフィアさんなお人がニコリと笑って制止して。
それに対して神妙に頷く、勇者な息子は話を戻す。
「こちらの女性が、この度わたしが妻に迎えたベルリナ嬢です」
頂いたご紹介にて、ザ・緊張のご対面。
「初めましてっ、ベルリナ・ラコットと申します!」
ルーセイル家の奥方様のご好意の一環にて、もれなく大陸式のマナー講座を教授されたが、まさかこんな所で役に立つとは思わなかった。前の世界でカーテシーと言われていたような、スカートの裾を持ち上げてちょこっと膝を折り曲げる的なお貴族様のご挨拶。咄嗟だったが出せてよかった、一安心していると。
「初めまして。クライスの母、ソフィア・リーナ・グレイシスです。どうぞよろしくお願いしますね」
お母様もカーテシー。
しかし、ルーセイル家の奥方様もいつも綺麗な挨拶だったが、こちらの女性の挨拶も堂に入って美しい。ザ・生来の貴族!みたいで、ほ〜〜っと惚けて見ていると。
「堅苦しい挨拶はここまでにしましょうね。この人が疲れてしまいますから」
言いながらくすくすと笑み、視線でそちらを示された通り、この人ことジルさんを見れば「ま、そういうこったお嬢ちゃん。俺の為にもマナー云々、こだわらないでくれよ」と笑う。
いつまでもこんなところで立ち話も何ですから…と、誘われるまま玄関を進み、一番最初の一室へ。むしろ位置と広さからしてここは使用人部屋ですね?とか、瑣末な事を思ってしまった私をどうか許して欲しい。
クライスさんが言っていた。お養母様曰く、ボロボロの邸宅一つ……。
確かに、細部にこだわって見れば、色褪せ感が無きにしも非ず。けれど思い出して欲しい。私がこの家をはじめに見遣り、なんと最初に思った事は、他国の貴族に負けはしない、大豪邸、だということを。森とは言えないかもしれないが、限りなくそれに近い林に囲まれた中に佇む、上品な白壁の巨宅である。階数こそ控えめに二階建てとなっているのだが、あ、これって奥の方まで結構続いておりますね?と。正面だけでは量れないお貴族様の豪邸の予感。正面屋根のかなり後ろに、小塔のとんがりがうっすら見えたりしてますね、あれはファンタジーもののお城によくある“離れ”の塔だったりしない…?と、突っ込まざるを得なかったという、今更な心のつぶやき声は。
この家、本当に使用人がおらず、普通は奥で暮らす人々が、過ごしやすい間取りの居室を使うに留まっている、だ。
——この方、かなり実用的なお考えを持つ女性ではないか…?
普通は使用人の為にあるだろうキッチンに立ち茶を淹れる女性は、凛とした佇まいで、ジルさんの熱い視線を受ける。まるでその目が、俺の奥さん良〜い女だろう?と。語っているように見えてしまって、あ、このご夫婦は、まだ男女の関係があるね…(・・;) お、お熱いことで何より…!と、思わず視線を庭先にそらす。
そこへ、ベストなタイミングにてクライスさんがお菓子を取り出し。
「リセルティアのお土産です」
と、ジルさんへ手渡した。
「お〜、一丁前に洒落たもん持ってきたな〜」
「流行りの菓子だと聞いたので。是非、母上に食べて頂きたいと」
愛らしいパッケージに美しく収まっているのは、本の背表紙を模したデザインのカステラみたいな焼き菓子である。表面をビター or ホワイトチョコレートでコーティングして、アイシングみたいな技術で魔法書っぽく魅せている。同じ商品でポップでキュートな色使いのものもあったが、モノトーンカラーで落ち着いたセットの方を選んでみたのだ。一応、貴族街で購入した——勇者様の存在感スキルで堂々と入店しました!——ので、パッケージが布包み(!)にリボン掛けという大変おしゃれな様相である。
ジルさんの感心声にソフィアさんの視線が向いて、お茶をトレーに乗せながら「まぁ、食べるのが勿体無いわね」、そんな柔らかな感想が。そこでナチュラルに棚に向かったジルさんは小皿を取り出し、木製のカトラリー・ケースを一緒に掴んで持ってきた。
おぉ、なんて素敵な夫婦!と羨望しながら見ていれば、「ベル、砂糖はいくつだ?」というクライスさんからの謎質問。置かれたカップに注がれている紅茶の色を眺めやり。
「あ、今日はいらないです」
と、咄嗟に言ってみたものの。
——私、無糖派なのですが……??
な、既知の筈の食の好みに、ひとり心の小首を傾げ。
そんな我らの日常会話をどのように受けたのか。ソフィアさんとジルさんは、息ぴったりに微笑んだ。
息ぴったりに微笑んで、思いがけない爆弾を一つ。
「クライス、貴方…」
「そこまで心が狭いのかよ…!」
と。
ぶはっ、といった吹き出し笑いでヒィヒィお腹をかかえる人は、「お前、独占欲、強いんだな!ったく、俺を笑い死にさせる気か!」。更にハハハと爆笑を続け、ソフィアさんにすりすりと。背中を優しく撫ででもらって、ようやく人心地つくのであった。
「は〜〜、ほんと。こいつを拾った時の事を思い出すぜ。やっと人間様らしくなってきたじゃねぇかよ」
と。ちまいカップを掴んですする、香り高い紅茶の色に。
「俺達の子育て終わったな。大成功だ、大成功」
ニヤッと横の女性を見つめ、「若返ったんだ、もう一人いっとくか?」とか。恐らく昼間の下ネタだろう。どうしようかと思う手前でソフィアさんの鉄拳が降りて、「たかだか十戻っただけで、子供など作れると思ったら大間違いですわよ」と。まぁ、色々ツッコミたいが、初見でそれもどうかと思い……。
「それでは、その、改めまして…ベルリナ・ラコットと申します」
場の様子が収まった後、話題が立たぬのもアレかと思い、口にするのはそんなとこ。
「おう、俺も改めて。あん時はありがとな。ジル・ルークだ。ジルさんでもお義父さんでも、好きな方で呼んでくれ」
「ソフィア・リーナです。私も、ソフィアさんでも、お義母さんでも。本当に、その節はこの人がお世話になりました。死んだものと諦めていましたが…こうして再会してみると、どんなに困った夫でも、やはり、ありがたいものですね。クライスの事も…色々と鈍いところがあり、心配していましたが。射止めて下さり、本当にありがとう」
「うえっ!?いえいえ!こちらこそっ。ジルさんには神域で逆にお世話になりましたし!クライスさんはっ、あのっ、そのっ、既にご存知かと思うのですが…!わわわわ、わたし、追っかけでしたし…っ!」
そもそも、どこの馬の骨ともわからぬような孤児ですし…とは、ちょっぴり悲しいアレなので口にするのは控えたが。そんな奴が嫁の座に収まってしまいすみません、とか。頭を過っていったものだが、じゃあ別れろと言われたら?———そこは絶対、無理!なので、余計な卑下は黙っとこうと、その分多めにジェスチャーだ。
未だにニヤニヤ、クライスさんを見つめる感じのジルさんに、ソフィアさんは真摯な態度でふわりと優しく微笑んで。
「恥じることなどありませんよ。この子の満ち足りた顔を見れば、それがはっきり分かります。貴女が追いかけて下さらなければ、この子はきっと今でも同じ。何にも心を動かさず、無為な時間を送るだけ」
そうして、そろり、と上品に横目で睨まれ(?)たクライスさんは、数瞬グッと息をのみ、ス〜っと視線を泳がせた。あぁ、バツが悪かったのだな、図星だったのだろうか?と。仕事でたくさんの人たちの役に立ってきた人に、無為な時間というのもアレだが、お養母様は強いなぁ…。でも、確かにビジネスライクなクールな面もあったから、仕事だから、という括りにて、昔から。本人の情が移ったり、まして入ったりだとか、あんまりしない人だったのか…?と冷静な心が思う。
とはいえ、こんな暗い話題もちょっとアレであるからに、どう返答したものか…と暫し考えていたところ。
「まぁ、いいじゃねーか、そういう話は。それより式だよ!結婚式!どこでするとか決めたか?」
と。一際明るい声音にて、空気を一転するお人。
——ジルさん…あんたって奴は…!!です。
空気が読める勇者の資質は、このお人の教育だったか…!!!
そうか、この人の背中を見ながらクライスさんは育ったのだな。
……フィールくんにこのお方の爪の垢を飲ませたい。とは、ふとした、ささやかな希望だったが。
「はい。それですが、お許し頂けるならもう暫く経ってから…これから式にふさわしい場所を、ベルと共に探しに行こうと思っています」
「お、そうなのか?大陸中の乙女の憧れ、デイデュードリアの大聖堂も、勇者の式なら使い放題だろうによ」
なんだつまらん、あからさまにそういう顔をした人に、あんたも使わなかっただろう、なクライスさんの冷たい視線。しょーがないだろ、ソフィアが嫌がったんだから、とか。これもあからさまな顔をして菓子の最後を押し込む人は、ふと思いついた態度をとって「この機会に俺たちも二度目の式とかやってみる?」と。満面の笑みを讃えて「ソフィア、綺麗だろうなぁ」と愛妻家ぶりを滲ませた。
対する冷静なソフィアさんは、「相変わらず沸いている頭ね」と、冷たい声を零しつつ、わたしに見世物になれというの……?な、美しい酷薄な笑顔を浮かべ。しかし「……そうだな。確かに、今でも、俺のこの上なく愛しい妻を、他の奴らに見せてやるのは惜しいな」と。そんなジルさんの一種残念な思考回路に、“可哀想な人”感を出すと我関せずと紅茶を含む。
精神的な年齢のあれやこれやを駆使しつつ、客観的に景色を見送る嫁の私の発言はいかに———!?……まぁ、ちょっとワタワタしたが。
空気が読める勇者な人(クライスさん)は茶飯事だとでも言うように。
「そういうわけで、招待状は暫くしてから送りますので」
あっさり“許可は得られたな”と、まるで得心するように、サラッとそんな夫婦の話を横に流してやるのであった。
なんだか、すごく。
少しだけ……?
いや、なかなにこの現実が、思い描いていたものと、だいぶ違って見えるかなぁ、と。
和気藹々な家族の姿に、少し、拍子抜けした自分があった。
あぁ、緊張していたんだな……と。
三者三様の笑顔を受けて。
“貴女も、今日からこの一員よ”———。
そんなソフィアさんの慈愛の色に、ふっと力が抜けていく。
あぁ、家族ができたんだ……と。
思わず緩んだ涙腺を、誤魔化すように微笑をうかべ。
それから、クライスさんという、少年を拾って育てた経緯。
それ以前からあったみたいな、ジルさんとソフィアさんの縁。
何故か今ごろ明かされる、ソフィアさんの甘い縁談を、悉く潰してきたらしい勇者の無意識の執着と。
急に「子供ができた」と言って、現れた日の邂逅と。
「この人ったら、自分で自分の面倒も見られないのに、子供を拾ってきたなんて、何の冗談かと思ったわよ」
と。その日の事をそう語り、ソフィアさんは懐かしそうに。
仕事の都合でクライスさんを預けに来ただけと思いきや、それまでは長くともひと月程だった、ジルさんの滞在はズルズルと伸びていき。無表情で不器用なクライスさんを見ていたら、段々と愛着が湧いていったと彼女は語る。不器用ながらも懸命なクライスさんは可愛いし、子供がいるってこんなものかしら、このぐらいの子供がいてもおかしくない歳なのよね…と。ソフィアさんがすっかりと三人の生活に馴染んでしまった頃に、そろそろ、結婚して下さい…と懇願系のプロポーズにて。
仕方ないから、私たち。それで家族になったのよ———。
からりと、優しく微笑む女性(ひと)は、それはそれでいて幸せそうに。
平気な顔をしていましたが、父はずっと必死でしたよ、と。何気に呟く彼の声音は小さくこちらにだけ届き。
ふふっと漏れた暖かな声が、楽しく賑わう家族の夕餉。
途中からお酒の入ったジルさんはテンション高く、同じく酔いがきているらしいクライスさんと親子の応酬。あれ?貴方、ザルでしたよね…??な、長年(?)の謎はスキル効果で、存在感と同じ仕組みでランクを絞れるそうである。
こんな賑やかな夕食はとても久しぶりねぇ、と。クライスが長文を話しているのを初めて見たわ。嬉しそうに耳打ちをするソフィアさんとの乾杯と……。
おそらく、頃合いを図ったのだろう。
穏やかな“初顔合わせ”の余韻が残る入浴タイムに、私は浴室でソフィアさんと出くわして。
彼らの前では話せなかった女子トークと言われるものを、そっと静かに交わすのだった。
ソフィアさんは、自分の事と、勇者の事と。そして、グレイシスの家の事。
対する私は、自分の事と、勇者の事と。そして、これからの身の振りを。
どんなにこの家の人たちが優しい人たちであったとしても、貴族としての振る舞いを、求められない事などあるまい。少しだけ不安になって、あれこれ尋ねてみたけれど、ソフィアさんからの回答は、“そんなに急ぐことじゃない”。侯爵家ともなろう家には領地と呼ばれる所轄があろうが、そういうものは何代も前に時の当主が手放した。本当に、真実、“うち”には、この邸宅しかないのよ、と。そろそろ家名も返上しようと思っていた矢先の結婚(こと)で、そのための書類は全部、揃っている状態だから。私たちの亡き後は、どうぞ好きにしてちょうだい。賢者(あなた)の役に立ちそうならば、使ってくれても構わない。
そして最後に。
「クライスの事、見つけてくれてありがとう。あの子は割とルークに似ていて、へたれた所があるけれど…勇者としての能力は申し分ないはずだから、見捨てないでくれると嬉しいわ」
そんな、涙腺が滲む言葉を、微笑のままにくれるのだった。