25−5
「……ベル」
「あ。す、すみません!これはっ、そのっ、感情が!つい、のってしまったというか…」
弁解しながら目元をゴシゴシ。
わー、泣くとか最低だ…と冷静になり、ふと横に来た気配に気付く。
「ベル」
と短く名を呼んで、いつの間に移動したんだクライスさん、と。
「はい?」
と返答。
見上げたら。
ふわっと広がる両腕が、再び私を持ち上げた。
『鈴(ベル)…今度は、置いていかない』
一瞬、何かの声と重なり、耳に届くのは幻聴か。
「互いの距離が近づいたなら、嫌なものが見えるのは当たり前だ。だからといってこの先俺が、何か嫌なものを見たからといって、ベルという人格を嫌いになるとは思えない。俺だって色々と、嫌なものを見せるだろう。それでも、全てを含めたうえで、ベルを愛しいと思うだろうし、同じように俺の事も受け入れて貰えたら…と。そう思うんだが、どうだろう?」
クライスさんの至極真面目で、とても暖かな提案は、昂った気持ちを鎮めて、今度は安堵の涙になって。
「はい…もちろんです!……あ、でも、その、私。ハーレムだけは、無理ですが…」
と。思考が横に逸れるくらいに、私の調子を元に戻した。
ハーレムになるくらいなら…まぁ、でもなぁ。……奥さんが増えるまでなら、その、妻で居たいような気も…と。
ちょっと思案で、ちょっと不安に、それでも最初の妻なら、なんとか。
結論を出した私を見遣り。
「ベル…」
と、まるで腹の底から、響き渡る低音は。
「まずは、互いの認識の差から、埋めていこう、俺たちは」
クライスさんの、どこかおどろしく、生温く、それでいて。
狂気の沙汰を秘めた空気に、たじろいで言葉を無くす。
「あれ?…えぇと、クライスさん…?」
「どうした」
「そっちは……寝室…ですが」
「そうか。それは都合が良いな」
「えっ?いや、でも、用事とか無い……」
言いかけて、ふと視線が交じり。
じっ、と見つめる灰色の瞳(め)に、湛えられた情欲の火をみて。
「うぇっ?!」
と一声、奇声と共に。
ボフン、と音がしそうな程に、真っ赤に染まった私の体。
——ま、まっ、待っ……!!!
と、あたふた。それでも婚前交渉という概念についておさらいを。
そ、そりゃあ、この時代。地方都市でも結婚式とかそういうものはまだ稀であり、主に式をあげる人たちは王侯貴族な人だけで。えぇと、このクライスさんも、貴族な名前は持っているけど…多分、そういう感覚は、庶民。私も絶対、式をあげたい訳ではないけれど…。そりゃあ、すぐにでも暮らせるならば幸せだな、とは思うけど…。き、キスとか、デートとか、段階を踏んでが好ましい…とか。
「順序は踏んだと思っているが」
「へっ!?」
「キスもしたし、デートもしたし、求婚も終えている」
・
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「あぁ!!」
確かにそうですね!?Σ(゜Д゜;)
と、冷静に思って、噴火。
緊張に固まったこちらを意図して彼は踏み出し、何故だろう、迷うことなく、使用していた寝室に着いて、ベッドに進んだ後はそぉっと、私を優しく横たえた。
「はっ…えぇっ!?いや、あの、かなり…ここここ、これは、照れるのですが…っ!!」
「俺も緊張している。問題ない」
「えっ!?」
ていうか、もしかして、勇者様。
——まさかの童て………ひぃぃぃいっ!!!
か、顔が!
ものすごく柔らかい笑みを浮かべているのに!!目が!目がっ!!!恐いからぁぁあっ!!
ご尊顔に明らかに「痛くして欲しいのか」って。疑問符無しで書いてあるからっ!!!
「ベル」
「ハイィィィ!!」
「線香が欲しい」
「はっ、はいぃ!!あちらのカバンに!!」
ヒュッ、と風の魔法を行使で——というか、そういう魔法の使い方、あるとは思わなかったよ、私しゃあ——いつぞやの巨大線香が入った愛用鞄を持ち出して。クライスさんは無言で「出せ」と、私に指示をお与えに。ごそごそやって口を広げて、臙脂色の円柱の先に手をかけたとこでグッと持ち上げ、彼は先から10センチほどをスパッと何かでやって切断。
「ファイア」
の一言を唱えたのなら、それを一瞬で灰へと変えた。
変わった灰の塊からはムワッと煙が立ち込めて、そこで彼は少し迷うと、おもむろに部屋の窓へと歩み、そこから灰を外へと捨てた。
この間、私は自分のベッドで、ぼんやりクライスさんの行動を視線で追っていただけである。心なしか、窓から戻ったクライスさんは満足そうで、石造りのため重みで鳴らない硬めのベッドへ乗り上げたなら、さも当然と言わんばかりに私の上に被さった。
——えっ。あの、逡巡とか無く、意外と貴方は堂々ですね!?
さながら、まな板の上の鯉…。体の線を緩く撫でられ、ピシリと固まる左の首へ唇が触れていき。
恥ずかしさで死ねるとは、まさにこういう状況をいう、と。
ぎゅっと両目を結んで繊細な刺激(もの)に耐えてると、フッといきなり吹き出す人が、可笑しそうにふるわせた。
「クッ、クッ、緊張しすぎだ。香も焚いたし、優しくできる」
「で、でも…!」
鎮静してない。鎮静効果のある香なのに。相変わらず私の心は混乱と羞恥のままだ。
そんなこちらにクライスさんは「ベル」と優しく呼び掛けて、大丈夫だ、と耳元に落とし。
「そうだな…どう説明したものか…」
言って、やや間を置いて、思い立ったという風のクライスさんは位置を変え、急に私を自分の体の上の方に抱き上げた。不意に横たわった勇者な人に乗り上げるような配置になって、頭が益々混乱したのは、秘めてないけど秘めておく。
男の人の硬い胸元に顔を埋めるようにして、よしよしと背中を撫でられ「なんっ、これっ…!!なんだこれ!!?」と。心の中で叫ぶに留めた空気が読める私の事を、誰か褒めてくれないだろうか。
でも、その、嫌ではない、と。小さな甘えの表現として、少しだけ自由な指先で彼の衣類を握るのは……好きな人だから嫌じゃないけど、きっと誰もが、たとえ二度目でも、恥ずかしいものは恥ずかしいのよ!な、無言の訴え“込み”でもあって。
対して、空気を反転、語るクライスさんの真面目な声が、ここでもやや沈黙を置いて零されていく様相を、私はひたすらに照れながら、黙って聞いていくのであった。
「……この体が、只の人から、勇者に転化していった時…様々な感覚が、度を超えて鋭くなった。今はそうしたものも便利だと思えるほどには、使いこなせるようになったから…その辺りの“勇者らしさ”は気にならなくなったと思う。ただ…この先もあるだろうから、先に話しておきたいんだが」
ふと、なぜここで間を取った?と。
確かに少し早めのような、クライスさんの鼓動を聞いて。
「自分よりレベルの高い相手と対峙した時、なんだろう。どうやら勇者職にある者は、体中の血が滾る」
「……え?」
「たとえ自分より強くても、勝てる、と思えるような、不思議な高揚感なんだ。今までは相手の強さを測るのに、単純に便利だ、と。そう思っていただけだったが……トゥルリス・ポーダでそうなってから、ここ数年起きていた自分の体の不可解な謎が、一気に解けたんだ」
あの時の敵、塔の怒りは、レベルが120もあった。圧倒的な強敵だった。何が起きたか分からなかったが、多分、俺たちはあの場所で、あの相手に一度負け、全滅したのだと思う。
クライスさんは静かに続け。
え…全滅…??(・・;) と動いた体は、相変わらず宥めるように、するりと腰を撫でた右手に「まぁ、先を聞け」と諭されて。
「幸運にもあの戦いに全員の力で勝利して、ギルドに寄って、時間を置いても…今までも似たような事がなかった訳では無いんだが、その時ばかりは気の昂りが、治(おさま)る気配を見せなかった。少しでも頭を冷やそうと思い、街を出たまでは良かったんだが……その、あの時は怖かっただろう?……本当にすまなかった」
「い、いえ。私も、ちょっとびっくりで…なんだか、割と失礼を…」
「いや。あれは俺が悪い。ベルの信用に罅を入れずに済んで、本当に良かったと思う。それこそ思わぬ幸運、だな。ふと、フェツルム坑道の近くで触れた線香が頭を過り、冷静さを取り戻してから、色々と理解した」
あれほどのレベルの開きは、それだけの欲を生む。
不意に零された言葉を咀嚼で、私は「ん?」と止まったが。
「あの線香の隠れた効果、副作用とも言うべきものが、実はかなり重要なんだが…彼からは確か、その辺の事は、ベルは聞いていないだろう?」
「…?はい、そうですね。鎮静効果があるとしか…。副作用なんて…なんか、怖い話ですねぇ…」
「状況によってはそうでもない。重要な作用だと思う。何故ならそれは、性欲減退作用だったからなんだ」
「……え??…せいよく?減退?って、どういう効果です??」
「強い敵を相手にした時、血が滾る勇者の体は、レベル差に比例して———つまり、性欲が増す、らしい」
「ひゃっ!?」
急に内腿を撫で上げられて、クツクツとするクライスさんは、シリアスだろうと思った話を一転、私を再び敷いた。
「だから安心して欲しい。俺はちゃんと線香を焚いた。さっきの花蜘蛛のレベルは確か100は越していたんだが、どうやって抱こうかと悶々としていた体が、軽くなったし、余裕ができた」
だから、優しく抱けると思う———。
何故だか凶悪な色香というのが、全面から吹き出して。
——んっ?あれっ?何か、勘違い??あれ?あれっ??
食い違って———!?
その後の展開は、皆様がご想像する通り。
クライスさんの腕枕にて目が覚めた的な甘い朝。
もう片方の腕に抱かれて、背中が暖かかった、とか。
完全に明るい部屋で不埒な指に翻弄されて、相手が美形であるがゆえ、背徳感がすごかった…とか。
……でも、まぁ、確かに、アレは、優しかった、かもしれない。
と。
思う私もこれでいて…旦那さま大スキー、な新妻思考回路であった。