25−1
「ベル…!」
「はいっ…」
——……光(ひかる)さんっ…!
正直…顔は、あまり覚えていないのだけど。
異世界転生、勇者に恋した平凡な娘の話には、ぶっちゃけ、イラナイカナーな設定だとは思うけど。
お金を積んで聖職者から与えて貰うと言われる名前。その地域で最も尊い官職の神に近き人らが、零すのだろうミドルネームに、ray(レイ)、とあるのは奇蹟だと思う。
会った事も無い、見た事も無い、この世を見守るらしい神々が、不意に身近に感じられた…な、印象深いイベントだった。神託拝聴(オラクル)を宿すと語る、幼なじみが居た筈なのに。やっとそこへきて神々の事を、信じてみるか…な気分になった。
東の勇者、クライス・レイ・グレイシス
前の世界で厳密にいうと“光線”となる光の呼び名は、ある種、曖昧な心の震えに信じてみたい妄想を見せた。私が思わず脇目も振らずこの人を追いかけ始めた理由は、自分でも何故だか分からない、心の底からの高揚感と。神々が授けて下さるという、光に連なる名前から。ひとつ、女神の愛とやら、それを信じてみようかという、そんな些細な賭けだったのだ。
果たして、暫定前夫な人は、後をつけて来る十五の娘を、冷たい素振りで振り切った。
あ、本気だ。容赦ない。
コーラステニアを出た草原で、成人男性3人の現役勇者パーティは、それは見事な体力であっという間に姿を消した。元より現実的な私だ。自分以上に現実的なひ弱な十五の娘の体は、それは見事な貧弱さにてあっという間に音をあげた。向いてないとは思ったが、なにか武術を嗜んで体力をつけておけば良かった。今も忘れ去れない後悔、その一色のみだった。
始まりの一年間はずっとそんな様相で、依頼を受けて仕事をこなす勇者パーティの面々に、やっと追いついたと思っては引き離されるの繰り返し。最初の一年間は、ただ“そうかもしれない”という情熱によって乗り切った。
ようやく数日遅れにて“勇者パーティが滞在する”な街に着けるようになった私は、次の一年でより深い勇者パーティの現実に触れた。それまで追いつけていなかったため目にする機会がなかっただけで、ギルドや街の端っこで起こる“仲間入りのイベント”を、それはもう日常的に目にする羽目になったのである。
若い勇者、かつイケメン、のパーティに加わりたい女性。テンプレ通りな美人で貴族で冒険者という素敵女性に、すげなく毎回断りを入れるどこか異様な勇者様。本人を前にして言うには憚られる話題だが、東の勇者は男色家、そうした下世話な噂が流れるある意味試練の年だった。
実際、そういう噂を受けて声をかけてきた男も居たが、クライスさんは素でスルーなのか、分かっていたのに素知らぬふりか。寡黙でもある東の勇者はそもそもが非社交的で、そこがミステリアスという魅力でもあった訳だけど、噂の元は彼に振られた女たちの腹いせか、もしくはその周辺の逆ギレ的な嫌がらせなのか。そんなイベントをたまたま見ていた私を含む一般人は、まぁ、この人、言われるような男色家ではないんだろうな、そう適当な評価をつけて噂は間も無く沈静化した。
路線が少々ズレたので、ちょっとだけ話を戻し。
その間テンプレ通りといえる、高飛車、高慢、傲慢系の女性も御前においでになったが、そもそも、貴族であるのに目下の者にも平等に接する女性、あぁ、彼女なら仕方ないな…と思えた女性、およそ3名も、平等に袖にした“つれない”人だ。ならばこの人はどんな女性なら好みなんだろうなぁ…?と、決して視線は合わなかったが、恐らく察していたのだろう。そのうち、私がイベントの傍観者として輪に加わろうとするタイミングにて、その場を去ろうとする雰囲気に、あれ?もしかして気付いてる??(・_・)と。嬉しいような寂しいような、複雑な感情になったのも、今思えばそれでいて懐かしい思い出なのかもしれない。
そこまで仕方ない人間じゃなし、仏様の教えを受けて、三度目のそれを味わった時、私は街で彼の後ろを付いていくのをパタリと止めた。勇者様が出立ちするまでギルドで簡単な仕事を受けたり、商業自由区がある街などでは、同じ様に転生したかトリップした人が居ないかと、何となく前の世界の料理を作って売り出した。あ、これ、善良性をアピールする良い機会♪と、思いついたのはぶっちゃけて後付けというやつである。
月日は過ぎて、追いかけ始め(ストーキング)から一年半ほど経った頃。出立ちから暫くは遅れをとらなくなった私は、たまたま通った高レベルモンスターのフィールドで、何故だか置いてけぼりをくらわぬ事に、どうやら案じて貰えていると気付いて苦笑する事になる。ふと浮かんだ特殊スキルに、私は大丈夫なんだけど、と。いつか話せる機会があったら真っ先に伝えなければなぁ、とも。やっぱり彼は真面目だな、分かりにくいけど優しいな。こじつけかもしれないが、それも似ていて困るなぁ…と。もうこの追っかけこそがライフワークでいいんじゃない? そんな馬鹿げた考えが思い浮かぶほど傾倒していた。それこそイシュのいう通り、それほどまでに彼のことを好きになってしまっていたのだろう。
そして迎えた二年と少し。東の勇者は幼女趣味———。
一部地域で大論争が巻き起こったイベントで、勇者様は私より若い美少女をパーティに抱き込んだ。
まぁ、殆ど一部始終を間近で見ていた者からすると、結局この勇者な人は、自分に全く靡かぬ人材、それを探していただけであり……。実父が経済力皆無、上の4人の兄も同様。5人目の長女な彼女が幼いながらに家計を維持する、ある種、歪な家庭を見遣り…ぶっちゃけ堅い彼ですら同情を覚えたのでは?と、思われるような現実が。
ダメな男が好みだというエルフ王の系譜によって、間違いなく彼女の母は同じ系譜に乗る訳で。少々失礼な事を言いつつフォローするとするならば、シュシュちゃんの父君は、ふわふわ天然ダメ男…やる気はあるが、やることなすこと全て裏目に出るタイプにて、何故か家庭科だけは上手、なBL漫画によくあるような愛玩系の男子であった。男色じゃなくとも囲ってみたい、愛嬌バッチリ、美人さん。……いや、一応、フォローなんだよ? 因にそんな彼女の母は、父似の4人の兄を飛ばして、主に彼女に狩猟の術を叩き込んであっさり他界…なんだか目元がじんわりきてしまう……。
地元の少ない収入で男5人を養って、金銭的な厳しさを嫌という程知るシュシュちゃんは、近くの森に巣食ってしまった高レベルモンスターを討伐するべく訪れた勇者な彼に、全く靡く事もなく。現場まであっさり案内、帰りもドライを越して冷淡。ニコリともせずサヨナラを言おうかという瞬間で、「もしよければ彼女を連れて…」と地方ギルドのお偉いさんが「お願いします…!!(頼むから!彼女の家計状況をなんとか改善してやってくれ!)」と強い意気を見せたのを、胡乱な空気で一瞥、スルー。苦笑したライスさんとレプスさんのお二人が、珍しく迷う勇者な彼を見出して一言、「このくらい」。勇者パーティの一度の討伐、そのおおまかな給金を知り、一瞬彼女の瞳の中に光る何かを見た面々は、雇われて欲しい、そんな空気でシュシュちゃんをインさせた。
分配される給料の何割をこのギルドへと。そんな手続きを済まして向かったベリル家の男性陣は、ことのあらましを簡単に受けて、それはもう酷い状態に。年の割に“きらきら”な父君がまず大号泣、父君に似た4人の兄がそれに続いて大号泣。男泣きというだろうそれが、何故か美少女の涙に見えて……うん、そうなんだ、惨状だった。遠めに見てても惨状だったよ。あれほどの異空間…ファンタジーは私も無かったよ。この世の潜在能力って、局所的に凄いんだ。その後、泣き腫らした面々の絵面もかなり美しかったが、家族に納得して貰い、何はともあれ出発できた。
去り際、シュシュちゃんに持たされた手作りグッズの出来具合。私が稼いだ——主に——食費を、こんなものに費やしていたのか、と。彼女の背中に燃え上がる何かの炎とひよさんグッズは、それはもう凄い対比であった。ち、違うよ!この端切れは肉屋のマシューが分けてくれたんだ!(長男)とか、八百屋のダンが以下同文!(次男)、鍛冶屋のタリシュが以下同文!(四男)、領主様が以下同文!(父君)にはサアッと血の気が引いたのだけど、唯一女性を射止めたらしい三男さまの、花屋のサリーが以下同文!だけ、無性に拍手を送りたくなったのは……果たして私だけだったのか。取り敢えず、食費に手を付けられてはいなかったという大事な話は、立ちこめた彼女の怒りをものの見事に消失させた。
こうして、賑やかな出立ちと賑やか?な噂を纏い、東の勇者パーティは旅程を新たに進んで行った。気のせいか、シュシュちゃんがパーティに加わってから、私も入れて、連れてって、な美女達の自己推薦はかなり“なり”を潜めたらしい。誰にでも平等な“加齢”というシステムに、立ち向かえる猛者どもは少なかったという事だ。加えて、当時のシュシュちゃんの年齢の少女達には、三十近い大人の男は範囲外…という事らしい。憧れるものはあるけれど、現実的ではないのであった。
さて、シュシュちゃんの体力は勇者パーティにインした恩恵によるものか、はたまた元々の基礎の部分がしっかりついていたためか。最初から男性陣に遅れをとらず付いていく。すごいなぁ、偉いなぁ、と思いながら追いかける、こちらにたま〜に痛い視線が刺さってはきたものの。どんなに足取りが強くとも少女の体力を鑑みて、以降のパーティの歩みは格段に緩くなる。たぶん、男所帯では解決できない事態を思い、その頃からだ、レプスさんとライスさんの両名が、何かにつけて私に話しかけるようになったのは。自己紹介、のち世間話でそれとなく探りが入り、そのうちアイテムの譲渡など、気さくに行われるようになっていく。当時の私も大概ボケで、やった!外堀を埋められる!!と無駄に歓喜していたが…リアリストなシュシュちゃんはそんな姿を何と取ったか。何となく怖く思えて、どうにも聞けそうにないのである。
それから更に半年後。
ソロルの森を訪れて諸用を終えた彼らの後ろに、目つきの悪い少年が加わったのは、大変記憶に新しい。
こんな流れで失意の森での私達のイベントは、ソロル氏が加わってから僅か3ヶ月後の事だった。……うん、だからね、本当に、本気(マジ)で、彼が聖職者さまだなど、思いつきもしなかったんだ。勇者パーティのお仕事もその頃は簡易なもので、殆どが移動時間だったし、回復魔法を唱えるような状況じゃなかったんだよ。ついでにそんなささやかな、懺悔を語っておこうと思う。
黒髪に、灰色の目はちょっと意外だったけど、真面目で、それとなく優しくて、パンには牛乳な優良児。モテない事もないのだろうにそんなに器用な男じゃない、と。多くの勇者がハーレムを築き上げていく現実に、いずれ母親が決めてきた婚約者と結婚する、と、ただの1人も選ばなかったどこか頑な姿勢を見遣り。その反面、与えられた技能(スキル)なら使わなければ損だろう?と、思い切りのある一面に……あぁ、似ている、似ているなぁ、と切なくなった時もある。
そりゃあ、気付いて欲しかった。私はたぶん、前の世界で貴方の妻だったのよ、と。
でも、終始無言で無表情、さり気なく人を避ける態度に、何かに失望しているような、あんな冷たい視線を見たら。
転生者って、みんな前世の記憶を持って生まれて来るの———?
幼い時分、神託拝聴(オラクル)を持つ幼なじみの肩越しに、神々に問い掛けた時のどこか曖昧な返答は。“そ、そんなことないですことよ”と、滅茶苦茶キョドって言ってるよ、な、こちらも冷めたイシュルカさんで。何事かの問答がそちらとあちらであったのだろう。暫く黙ってしまった後に、どうやら一度目の人はみんな覚えていそうだね、な興味無さげな解答があった事を思い出す。
条件なのか結果なのか…結果みたいな雰囲気だけど、他の世界からこっちの世界に“転生”させたいと思った時に、前の記憶を保たせる、が最良の順応手段なのかも。もし魂みたいなものがあるとするなら、それが壊れてしまわないよう、こちらの世界に慣れさせるため、そうした手段が取られるんじゃないのかな?———まぁ、神々(かれら)はそこを黙秘するんだけどね。一度目の生だけは記憶を有すけど、その後はそういう措置を取らなくても大丈夫、みたいな話が読めるねぇ。
幼い彼はなんとも思わず私に零してくれたのだけど、あぁ、そうなんだ、そういうこと?と、大きくなった私は悟る。
真面目でそれとなく優しい彼は、責任感も強かったのだ。
……光(ひかる)さん、やりきれなかっただろうなぁ、と。
ダメだよ、女神さま。こういう人に、愛の加護なんてつけたりしては。幼い子供を二人と奥さんを残して死んだ、真面目で責任感の強い彼だったのだから。それを“忘れろ”といわんばかりに他の女性を宛てがったのでは、この人の気高い心は死んでしまうよ。もし、魂みたいなものがあるとするなら、はっきりとした記憶がなくとも、二度目の生だろうとも、どこかでそんなやりきれぬ想いを抱えてしまうかもしれない。この人の失望は、それ、かもしれないよ?と。
私はどう頑張っても出来の悪い人間だから、どこまでいっても浅慮で短慮で、高慢な考え方なのだろう。女神様に文句を言うのも身の程知らずなのだけど…。
ふと、知らせてあげたくもなる。貴方の子供はあちらの世界でちゃんと成人してくれた。幸い端に引っかかり、大学にも通えたし、苦労はしたようだけど就職も出来たのだ。残念ながらお相手には巡り会えてないようだったけど、娘の方は何の因果かこちらの世界にやってきた。もしかしたら目の前でお嫁に行ってくれるかもだし、そもそも私もそれなりに、満ち足りた人生だったのだ。何で死んだのか分からないけど、私の骨はきっと貴方と同じお墓に入ったし……だから、そろそろ気がかりを捨てて、幸せになっていいんだよ、と。
でも、少し、誤算だったのは。
やっぱり私が恋をした事。
貴方じゃなきゃ、ダメみたい…と、積年の想いで腕を回した。
「ベル、怪我は?」
と、緩んだ腕に、あっ、はい!そうですね!?と。名残惜しくもそろりと離す、男の人にしては細めな腰と背中に回した両手。
「とっ…特に、怪我はしていませんが……あの、クライスさんの頬とかの方が…」
そっちの方が心配です、と。
痛ましい視線が促したのか。彼は頬に手をつくと、小回復(ヒーリング)の呪文を零す。
「転んだか?」
という勇者の目には、体力ゲージの減りが見えたか。
「あ〜、そうですね、少し転けましたけど…」
問題無いです———、そんな言葉を消すかの様に跪(ひざまず)き。
遠慮しようと引く前に、ヒーリングの呪文が漏れる。
こんな、転んだだけの傷。あたふたしながらお礼を言えば。
「俺が治しておきたいだけだ」
な直球が零されて、うぇっ!?はい!?そうですか!?と、上目遣いにも上気した。
サラッと流れる黒髪と、やけに強く感じる瞳は、無表情の最中にあって何かしらの熱を持ち。
「や…あの…そんな、見られると照れ、ますよ…?」
す〜っと逸らした赤めの顔を、しかし、断固として凝視。
照れの入った横目から、そっと、そぉ〜っと視線を合わせ。
「えっと…その、何か……?」
他に用でもありますか……?
思うが一瞬、手を取られ。
もう次の仕草では、迷う事なく、唇が触れた———。
「私の名はクライス・レイ・グレイシス。ベルリナ・ラコット嬢、どうか私の妻になって頂けませんか?」
と。
実に流暢に、どストレートに、度肝を抜かれてたじろいだこちらの須臾の尻込みを、感じて確と指を取り。灰色の目力が、イエス以外は認めない、と。雄弁に語っているのを、つい、悟ってしまったもので。
「あのっ…」
と言いかけた言葉を遮り。
「ベル以外に求婚はしない」
ズバッと言われた身としましては……。
こ、婚約者、どうなった…?とか。後で教えてくれます…よね?と。邪念が挟まる余地、僅か。
「あのっ…本当に、本当に…わ、私でだいじょぶですか……?」
ここまできといて微妙に自信がなくなっていますけど…と。
見下ろしといて縋るような目になってしまった自信があるが、いいの?ほんとに、後悔しません…?そんな気弱なオーラが出たか。スッと立ち上がるクライスさんが、ぎゅっと抱きしめ、耳元で微笑。
「貴女じゃなきゃ、だめなんだ———」
と。
優しい声で囁いた。