好きにさせる人を好きになる。
姫路駅近くにあるあるめちゃめちゃ古い食堂がよかった。おばあちゃんが一人で切り盛りする、カウンター六席だけの小さな食堂だ。メニューは日替わり定食一択。メインを一皿、小鉢を二皿、好きなものを選ぶ。ごはんはセルフサービスで、好きなだけ盛ることができる。店主のおばあちゃんには、凛とした美しさがあった。いい顔をしていた。肌艶が良かった。店は古いが、割烹着には皺がない。客のためにやっているというよりは、自分を律するために店を続けているように見えた。
美味い美味いと言いながら食べていたら、おばあちゃんは「そんなに言ってくれたら嬉しいよ」と言って、目を細めた。悲しみを経由した、優しい笑顔だった。ちょうどそのタイミングで、一人の男性が来た。常連なのだろう、おばあちゃんは男性を丁寧に扱うでもなく、それでいて無視をする訳でもなく、やりたいようにやらせていた。おばあちゃんは、なんであたしがお前らを食わせなきゃならないんだよと言っているように見えた。それは、愚痴でも、悪態でもなく、慈愛に見えた。あたしが面倒を見てやらなかったら、こいつらはいよいよダメになる。そんな思いやりを感じた。
店内にはテレビが置いてあったが、何もすることがない時、おばあちゃんはじいっと給湯器を見つめていた。立ちっぱなしのまま、じいっとただ一点だけを見つめていた。何を思っているのだろうか。みんな逝ってしまった。あいつもこいつも、もういない。生き残った自分は、こうして店を続けている。食わせなきゃいけないやつらがいるからね。生きられるだけ生きたら、私もそっちに行くからね。そのようなことを思っているのだろうか。男性客から呼ばれると、おばあちゃんは「はい」と言って、機敏に動き出す。味噌汁を温め直して、食器を洗い、小鉢を補給する。一挙手一投足から、私は生きると言う意思が伝わってきた。
神様は、遠い場所にいるのではなく、こんな場所にいるのだと思う。市井の菩薩とは、彼女みたいな人のことを言うのだと思う。昼営業のみの古い食堂で、常連のために開いている小さな空間だ。稼ぎが多いとか、繁盛しているとか、そういったこととは無縁な場所で、大切な働きをしている。帰り際、おばあちゃんから「また寄ってくださいね」と言われた。自然な声かけに、グッときた。料理や、洗濯や、育児は、形としては残らない、目には見えない仕事だ。形としては残らない、目には見えない仕事が、私たちの今を支えている。
好きな場所ができると、その土地を好きになる。その人がいるだけで、再び足を運ぶ理由になる。足を運ぶ理由が、そのまま、生きる理由になる。大きなことをやろうとしなくてもいい。特別な人になろうと思わなくてもいい。自分を変えようと思ったり、誰かを変えようとしなくてもいい。好きにやらせてくれる人のことを、私たちは好きになる。そのままの自分でいさせてくれる人のことを、私たちは好きになる。おさまるべきところにおさまるから、急がず、慌てず、楽しんで。またいつでも思い出した時は立ち寄ってくださいね。おばあちゃんは、そう言っているように思った。
おおまかな予定
2月4日(火)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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