24−7
「なるほど。確かに、素朴な味だが美味いな」
「それは良かった。アーケルシロップの優しい甘みなら、男の人にも受けがいいかと。あぁ、食べ比べられるよう、色々なお砂糖で作ってみるのも良いかもですね」
境界の森(リメス・フルール)の安全地帯、そこにある石造りの小さな家で、私は魔王な人とバカンスを満喫中だ。
時折やさしい風がふき、それに合わせてパタパタとアラベスクの布がはためいて、常春の温暖に“平和”な時間を演出している。
勇者様との約束の期限の日、突きつけられた瓦版に書かれていた通り、あぁ、相手は幼なじみか、じゃあ仕方がないな、といった諦めの境地が私の中に広がって…。けれど、心の一部分ではどうにも祝福できそうにない、暫く誰も居ない所で想いを昇華しなければ、と。都合良く差し伸べられたその人の手を取って、思わずこんな所まで飛んできてしまったが……。
レックスさんとリセルティアの街を離れて二週間。
実は魔王だ、と告白されて、いろいろ世界の秘密を知って、あれ?まさか、これって、一種の死亡フラグかな!?と。戦々恐々していたのだが、実際は平和なものだ。そんな感じで思いがけずも、なかなかの時間が過ぎた。失恋の痛手より魔王さまの衝撃で、そしてこんな穏やかな日々のおかげか、悲しい気分に浸る間もなくあっという間に過ぎた感覚。
また、あそこまで見事な生活魔法を目にした事はなかったが、ふわっというなんともいえない魔力の風が広がった後、埃一つ落ちていない空間ができたのは吃驚だった。もちろん、頭上の蜘蛛の巣も綺麗さっぱりなくなっていた。そんな思い出が懐かしくなりつつある日々だ。
あの日の夕食はレックスさんの手作りで、次の日の朝食は私の手作りだった。以降は食事の時間になればどちらからともなく作り出し、メインディッシュと副菜を分担する日も割とある。何をさせてもそつなくこなしてしまうんですね、と思わず口を滑らせて。「惚れたか?」という軽口に「惚れそうです」とクスクス笑う。私も、むしろ彼の方こそ、絶対に落ちない自信があるので、ピンクな空気になる事もなくお互いからりと笑って終わる。
今のところルームシェアして一番の思い出というと、その日の会話で過去の世界に記憶を馳せる日があって、料理人として腕を極めた事もあったな、と。古の宮廷料理を振る舞ってくれた日があった事。なじみのワンショルダーから包丁一式を取り出して、時の王族の無茶な要求に応える料理を作った話や、当時、認めたライバルとの熱い戦いを口ずさみ、最後には陰謀に巻き込まれたライバルを処刑の憂き目から救ったという半生を、それはそれは懐かしそうに語ってくれた。
クールな今の姿からは想像もできないが、人の可能性は素晴らしい、何百、何千年と重ねたこちらの努力など、たった数年の積み重ねにて泡にしてしまうような天才が、どんな分野にも確かに必ず生まれてくるのだ、と。確固とした口ぶりで熱く語った夜もある。それを聞いたこちらの心も妙に高揚してくる訳で、他方、何万、何億と生きるのだろうこの人が、生の苦痛に捕らわれていない事に安堵する。
近い所で、レックスさんの前身だった魔王の時代。いかに文明が発達していたのかを教えて貰い、魔法と科学の超融合、前の世界のSFだ…と。驚愕の内心で目を見開いた夜もある。その時代は過去を遡ってみてみても、五本の指に入るほど発展した時代だったらしい。他大陸との国交が盛んに行われていて、しかもそれを成していたのは転移門という移動ゲートだ。時の門(テンパス)、時空門(テンパシオ)、長距離移動門(フォーレス・ディスタンシア)、時代によって呼び方も様々変遷したらしい。今も名残が大陸各所に残っていると彼は言い、厳密にいうとその技術は更に過去のものだがな、と。
他にも、うっかり口を滑らせ、魔種の側にはエルフ族と対となるようなダークエルフが、居ないんですね…と語った日。木工職人として名を馳せた時代もある、と、窓の木枠を器用にも制作していたその人が、視線も寄越さず作業しながら、あれは神々が作り賜うた種族ではないからな、と。後天的に発生させられた生命だ、と。人工生命体(ホムンクルス)を匂わせる発言をされた事には、さすがに冷や汗が流れて絶句した。海洋種と呼ばれるものも似たようなものだぞ、と。私が黙ってしまってからようやく気付いた体をもち、ふっ、と微笑しながら「だが、神々は彼ら種族も等しく愛しているだろう?そうでなければ種が続くような恩恵は与えられない。……まぁ、そう落ち込むな。あれらは時の精霊王が汎系として受け入れた」と。エル・フィオーネが対となろう、だから気にする事はない。まるでそう言っていそうな無言でこちらに投げかける。
「この世には、女神に愛されない者はない」
いつか、似たようなセリフを宣った幼なじみを、少し、懐かしく思い出したのは余談であった。
こんな風に、時たま追加で世界の秘密を零されて、夜半に想いにふける日々もあったりするのだが。私達は各々で、寝起きをする部屋を定めると、石造りの簡素な家をそれぞれ住みやすくするように、日、一日と家のあちこちを装飾していった。いつかどこかに飾ろうと考えていた購入品、アーシア産のアラベスク模様の大きな布は、この家のカーテンとして一つの窓に揺れている。
そして、これほどの物語を教えて貰った見返りとして…まぁ、見返り、というのはあんまりな言い方だけど。一つの関係性として、勇者様にはとても言えなかったが、私が異界からの転生者であることを、そんな日々の合間をぬってレックスさんに呟いた。
さすがにゲーム云々…とは口に出来なかったけど、魔王が出てくるような創作物がある、私が生きていた国は平和な国で、一部の人には特殊な趣味と思われる風潮はあったけど、そうした創作物を好む人々も、概ね市民権を得はじめていたように思える、と。魔力ではなく電力が支配する文明に、魔王な人もそれなりに興味を持ったらしい。魔気が封印されていた機械塔の時代か、と。私が抱いた違和感…というか、不和感を説明するように、あの時代は魔気を喰らう前時代の学者の遺物が神々の気まぐれで発動し、その結果、魔力が関係する全てのものが後退していった時代であった、と。なるほど、だから機械工学も発展する余地があったのか、と。妙に納得できたのも印象的な思い出だ。
もちろん、過去、レックスさんが私に感じた違和感も、転生者という単語を以て彼の中で消化され。中身はオバサンです…むしろ、おばあさんかもしれない……orz そんなこちらの落ち込みを見て「はははっ」と爆笑された。
「ベルが老婆だとしたら、俺は相当なジジイだろう」
目尻に涙が浮かぶほどお腹を抱えたその人は、こんな時でもスマートにフォローを入れてくれたのだけど。
そういう訳で、話は冒頭まで追いついて。
次はどんな人物像でこの世界を遊ぼうか、と。何気に零された重要ワードを拾った私は、まぁ、他の女性のものになってしまった訳だけど、せめて幸せな一生を勇者様にはおくってもらおう。口に出して「お幸せに」とは言えそうにないけれど、貴方が選んだ人だからきっと二人で末永く…と、祈りを込めて自分にしかできない事をすることにした。
具体的には、魔王な人が「魔王に戻ろう」とならないように。
端的にいうと、ちょっと貴方は職を極め過ぎなので、極めたら負け、みたいなルールで地味に遊んでみませんか?と。
——せめて二人が死ぬまでは、この文明を壊すのは、やめてあげて欲しいなぁ。
そんな、小さな祝福である。
……うん、だって、優しいレックスさんの事。優しいからこそ一番に私に手をかけるかもしれないが、何となく、そうしないと思えるような確信が。だからたぶん、魔王に戻ろうとなったなら、私を此処に残したままで、彼は例の大陸だけを焦土にするだろう…と。そんな未来が頭を過る。
魔王が現れたなら、勇者なクライスさんは、当然、戦いにかり出されると思うから。いつかは誰もが死に別れると分かっていても、できるだけ長く幸せな家庭というのを維持して欲しいなぁ…維持、させてあげたいなぁ、と。
だから、それを考えたなら、これはささやかな祝福だ。
話を聞けば、菓子職人もやった事があるらしいのだが、自然食というジャンルには手を出した事はないんじゃないか?———そんな提案をしてみれば、案の定、だった訳。
私があちらの世界にて生きていた時代からしても、これからブームが巻き起こるかどうかといった、先駆け的な熱気が漂っていた感がある。きっといまごろ充足に近い知名度を上げているのだろうが、無添加・無農薬・加工度の低い食材、それらを用いた食一派をこちらでも見直してみてはどうか?それを貴方が細々とやってみてはどうだろう?と、提案してみた訳である。
ぶっちゃけ、それこそこちらの世界は、加工度の低い食材が蔓延している時代であるが。一部では魔法を用いての成長促進、調合師が農薬的な魔法薬の調合をしたりと、緑の革命的な動きが見え始めている時勢である。そんな中、時代の流れに逆らうように、大都市の小さな店にて田舎の素朴な料理やお菓子を作る職人も乙ではないか。———しかも、極めたら負け、なのである。
少し小話を挟むとすれば、自然食枠は実は私も完全に理解はしていなかった。故に、田舎っぽい素朴な料理、素朴なお菓子に落ち着いた。そんな流れでレックスさんは「うぅん…」と唸り、例えばどんな料理だ?と。
——田舎っぽい素朴な料理……山菜の煮物だろうか?
味噌煮や和え物、変わった汁物、あとは、梅干し、干し大根……地味っぽければ良いような?と、なんだか随分失礼な事を思ったりしたものだ。でも、どんな料理でも、味は一級品である。好きな人は本当に好きな食材、味なのだ。西洋風のメニューが蔓延(はびこ)るあの大陸の都会なら、シュメリア国のユノマチのような、和の小料理屋は珍しかろう。
「病弱な痩身男子、前髪長めで行きましょう!!」
店先にはぜひとも暖簾を掛けて欲しいデス!ずばり、目指せ、総菜屋!!端でクッキー売ってクダサイ!
レックスさんはそんな私のむちゃくちゃな要求に微笑して、帯剣してもいいか?と問いかけ、そのギャップいいですねd(>_< )と。えぇと、普段は病弱男子、だけど元・冒険者とかで、出会った友人達が困った時だけ昔の名残を醸すのです。魔法の縛りはどうしましょうか…うーん、少しは使えておかないと、いろいろ不便ですよねぇ?でも、最強系魔法ではつまらないような気がしますので…レアっぽい中級魔法と状態異常は如何です?あ、あくまで魔力量的には中の上くらいなもので。レベルは秘匿、出生も秘密、ミステリアスで行きましょう!
「できるだけ長くそのキャラクターを維持して欲しいので、長命種と人間のハーフ、ってのはどうですか?」
もちろん、何の長命種なのか、そこも秘密なやつですよ☆
「返答に困った時とか間が悪い時は誤摩化しで、取り敢えず咳き込んでおきましょう!」
目立たず、そこそこ楽しく生きられて、秘密オーラで周りを翻弄。それでストレスがトントンに。長めの前髪の下にあるのは、世にも美しい美男顔。いえ、そこは普通でもいいですが…ちら見えがいいんですよね。きっとお客がドキッとしますし。あぁ、やっぱり、楽しそう…常連になってみたい…(*´∇`*)
そうして妄想にトリップしていた私を現実に引き戻し。
「メニューを増やすのは追々…として、“総菜屋”とかいう店に並べる、最初の料理のレシピを知りたい」
そんな流れでその日から、メニュー開発と相成った。
前の世界で好きだった蕗(ふき)の煮物に白和え料理。味噌田楽、粉ふきいも、季節の野菜のきんぴらに、あると嬉しいだし巻き卵。寒い季節は大鍋におでんを作って欲しいなぁ…と。イシュの商会が取り扱う海藻を出汁に使用した。いっそ面倒を減らすため、万能お出汁のレシピを組もう!なんとか試行錯誤して、それっぽいものを作成し。もう全部のお料理がこの出汁ひとつでいいんじゃない?と、キッチンに並んで立ってレックスさんと頷き合った。
あとは思い浮かんだものを書き出して羅列して、こちらの世界の食材と結びつけては創作し。致命的に相性の悪い…不味い料理もあったけど。まぁ、殆ど野菜な訳で、試食として食べ過ぎかな?と感じた日々も、+2キロくらいに収まったのでは?……そう思う。
作りきれなかった料理のメモは、後日、新しいキャラとして立つ魔王さまに頑張ってもらう事とし、今日は前の人生で大ヒットしたクッキーを、簡単に作成してみて味見をしている所である。
アーケルシロップなるものは、前の世界でメープルと言われていた甘味の代替。似たようなものがこちらにもあり、今のところ地方の特産、育成中のイシュの商売道具(うりもの)の一つであった。
「他の砂糖、というと?」
「温暖な地域で取れる黒い砂糖や、寒い地域で取れる薄茶の砂糖…ですかね?」
あの大陸で流通するのは文明レベルにそぐわないような“脱色済みの白糖”だったりするもので、今も一部の地方都市にて使われている“色付き”は、レストランな料理人には嫌厭されがちな調味料である。そのまま食べるのが好きだった黒糖を探してくれ、と、イシュに頼んだ思い出も懐かしくあるのだが、てん菜糖ぽいものも一部で作られているようだ、そんな情報を付加してくれた彼には心から感謝したもの。
レックスさんにはそういう砂糖も大陸にはあるんですよ、と。アーケルシロップ以外のものもさり気なく提示しておいた。暇でしたら作ってみては?そんな適当なアドバイスだけ。
——やっぱり美味しいな、全粒粉もどきのクッキーは。
おそらく死ぬ数年前にマイブームになったクッキーは、イシュがかき集めてくれた粉とシロップのおかげを以て、あの頃でも比較的簡単に再現できて、彼にも好評な茶菓子の一つになったのだ。レックスさんは優しい甘みを、イシュは硬い食感を。どうやらそれぞれ気に入ってくれたようである。
「なるほど。そうだな、味の努力は次の生でするとしよう。極めなければ、努力くらいは許されるのだろう?」
「そうですね。うーん…極める、ってのも漠然としてますが…店舗を変えない?大きくしない?有名になりすぎない?……それって、かなり難しいですかねぇ?」
全粒粉もどきとアーケルシロップで練り上げられた、やや硬めのクッキーを、アールグレイぽいフレーバード・ティーで飲み下しながら魔王な彼は、「まぁ、大丈夫なんじゃないか?」とポツリと零す。
「仮に俺の腕が良過ぎたとして、店を大きくしないかという融資の話が舞い込んできても、断ればいいだけだろう?下町あたりに居を構えれば、貴族連中に目を付けられても、内々の招致しか出来ないだろうしな」
そもそもあの大陸で主流じゃない料理なら、地域に浸透するにも相当時間がかかる。まして殆どが肉のない料理だろう?うま味を知ってもらわなければ売れにくいと思うぞ、俺は。結局それしか作れないなら、誰かに雇われるなど夢のまた夢という話だろうし。
「万に一つで、有名になってどうしようもなくなったなら、店を畳んで遠い地でまた一から頑張るさ」
少しずつこの料理の愛好者を増やすのは、なかなか楽しそうだしな。
そう言って、レックスさんはクツクツ笑い。
「また暫く遊べそうだな」
そう静かに話を〆た。